第百三話 魔王
強烈な悪寒を感じて前へ転がると、後ろから風の唸る音が聞こえてきた。
見えないながらも辛うじて魔王の一撃を躱したことはわかったが、その代償に俺の体勢は崩れている。今の状態で追撃されれば回避も防御もできそうにない。そのため少しでも牽制になればと、急いで破壊の力を身に纏う。
しかし追撃は来なかった。怪しみながらも立ち上がり振り返る。すると、魔王は先ほどまで俺がいた位置で腕を組み、こちらのようすを窺っていた。どうやら最初から追撃する気はなかったようだ。
「随分突然ですね。俺たちは戦いに来たわけではありません。話し合いを――」
「知ってる。少し、試すだけだ」
また魔王の姿が消える。
今度は避けない。その代わりに破壊の力を周囲に広げていく。おそらく使っているであろう特殊属性を無効化し――
「がっ!?」
背後から衝撃を受ける。吹き飛ばされ、肺から空気が漏れてしまう。ただ痛みはない。すぐに空中で回転すると地面に足をつける。
地面を削りながら魔王を確認するが動いていない。今度も追撃はしてこないようだ。
……速すぎる。でもこの速さ覚えがあるぞ。あのとき、最初の封印の魔法陣で見た速さだ。あれは魔王だったのか。たしか独自魔法で加速してても速さで負けてた。今の俺で対抗できるのか?
「特殊属性に頼りすぎるな。おまえの魔力では無効化されるだけだ」
声は後ろから聞こえてきた。慌てて振り返る。しかし、すでに拳が目の前にあった。
避けることはできず、防御も間に合わない。後ろに体を逸らすが、俺は顔面で拳を受けてしまう。ただし、やはり痛みはない。だから、仰け反りながらも魔王の腕を掴むことができていた。
「ほぅ、怯みはしないか」
掴んだ腕に力を入れる。離しはしない。一発入れて、試しとやらを終わらせる。そのつもりだった。
当たらない。腕を掴んだ状態で、空いてる方で殴りかかっているのに拳は空を切っていた。何度、何発殴ってもかすりもしない。あまりの状況に魔法を使うか一瞬悩む。悩んでしまった。
「無駄な思考はするな」
魔王の言葉が聞こえたとき、俺は投げ飛ばされていた。追撃は来ないが、このままだと試しとやらには不合格だろう。話を聞いてもらうためにも、なんとか力を見せる必要がある。
「痛みに耐性があるのは良い。筋も悪くなさそうだ。だが、動きが遅すぎる」
「ちなみにだケド、痛みの耐性は破壊の力の反動みたいだヨ。痛覚がほとんど壊れてるみたいダ」
「なるほど。耐性ではないなら問題もありそうだが、まぁいい。少し時間をやる。動きの遅さを何とかしてみろ」
動きの遅さ……何とかしてみろって言われても……どうしろと?
独自魔法が使えない以上、足で魔法を使って移動するのが俺の最速だ。ただし、二歩までしかできない。三歩目は魔法が間に合わないうえ、この移動法だと魔力消費も激しくなってしまう。
でも、やるしかないか……
魔力を足に集め、駆けだす。魔王は棒立ちで動きを見せない。
拳を握り、力を溜める。そして間合いに入る少し手前、片足の魔法を発動させた。
爆発し、一気に加速する。
拳を振り抜けば届く距離だった。しかし、そこに魔王の姿はない。瞬きなどもしていないというのに完全に見失っていた。
「たしかに速いがわかりやすい。それではダメだ」
また後ろから声が聞こえくる。言葉の内容を考えるより先に、俺はもう片方の足を後ろへと突き出す。同時に込めた魔法を発動させた。
爆発が起こり、衝撃が広がる。俺は前に転がりながらもすぐに立ち上がり、魔王のようすを窺う。
「やはり筋は悪くない。もう一発打ち込まれていれば、防御したかもしれないな」
魔王は爆発地点から少し離れたところに立っていた。爆発を受けたようすはない。避けられたようだ。
「……情報では雷の魔法も使えると聞いている。オーラ型の魔法で全身に雷を纏え、それで全身を強化すれば速度は上がるだろう」
「魔王、それは普通の人間には無理だヨ。他の属性と違っテ、雷での強化は体の中に干渉してル。脳の制限を解放してるんダ。体がもたなイ」
「やってる人間がいた。だから大丈夫だ」
「それはできてる方がおかしいんダ! ……それに雷は体の中に効果がある分、外に魔法的な防御膜が形成されなイ。体外に出る雷は余波みたいなものだからほとんど意味がないんダ。そしてその状態で動けバ、空気抵抗だけでも体は傷を負ウ。戦うどころカ、まともに動けないヨ!」
雷を纏って戦う。それはエクレールさんが得意としている戦闘法だと聞いたことがある。自分の目でちゃんと見たことはないが、アリシアやロイドさんはよくエクレールさんの話をしてくれたので知ってはいた。
知ってはいたが、今まで独自魔法があるからと試したことはなかった。やってみるのもいいのかもしれない。そう思うものの、ドルミールさんが言うには雷を纏うだけではまともに動けないらしい。
たぶん魔王の言う雷の纏っていたというのはエクレールさんのことなんだろうな。魔王と接点があったのだろうか? いや、それよりまずは魔王に一撃入れないと。エクレールさんが使っていたということは出来ないことじゃないはずだ。ただ何か条件が必要なのかもしれない。
「……そういえば、独自魔法として使っていたな。風の属性も使えるようだったから、併用してたのかもしれん」
「雷と風で二重のオーラ型魔法……風で膜を作っテ、雷で強化。たぶん回復魔法も取り入れてるネ。雷も風も回復効果は低いケド、合わせれば自傷は防げル。その独自魔法を使ってたって人、随分と器用だネ」
「器用そうには見えなかった。たぶん本能だろう」
心の中で頷く。エクレールさんが器用だという印象はない。魔王と意見が一致してしまう。
ただ、やってることが複雑なのはたしかだ。雷を纏っての強化は俺にもできる。しかし他の魔法も一緒に使い続けるとなると魔力量的に難しい。
痛みのほうは感じないから、回復魔法がなくてもある程度は動けるとは思う。ただ、魔力量と風の抵抗については解決方法が見当たらない。
雷を纏った状態での動きは俺の爆発を利用した移動より速いのだろう。最近では爆発での移動も威力が増したせいか、移動に使うさいでも目を閉じたくなるほど風を感じてる。それを考えると風属性を使えない俺では、雷単体の魔法で全身強化するとまともに動けない可能性が高い。
「……どうした? なぜやらない?」
魔王が俺に問いかけてきた。雷を纏えということだろう。俺は出来ない理由を魔王に伝え、実践を断る。戦闘でもないのに自滅する気はなかった。
「魔力量と空気抵抗か……丁度いい。話すか悩んでいたが、理解できれば両方解決できる。試しもそれで終わりとしよう」
「魔王!? 話す必要なんてないダロ! 負担が増えるだけじゃないカ!」
「いまさらだ。魔力量が増え、肉体の強度も上がれば空気抵抗も問題ないだろう。ついでに回復魔法が無くても壊れにくくなるはずだ」
話を理解すれば解決? 魔力量が増えて、体が強くなる? 話を聞くだけで?
俺には魔王が何を言っているのか理解できなかった。慌てたようすのドルミールさんも不思議でしかない。
「すでに勘づいているかもしれんが、俺は元勇者だ。十八のときこの世界に来た」
やっぱり、か……なんとなく気づいてはいた。気づいたのはほんの少し前だけど。
俺の独自魔法が時間に関するもので、それは先代の勇者の力だった。それでいて魔王が時間の特殊属性を持ってる。加えてこの世界の人間じゃない。そこまでの情報があるなら俺でも気づける。
「魔王……さん、も俺みたいに仕組まれてきたんですか?」
「ああ、俺の場合は交通事故にあってな。それを助けてもらった。命の恩人ということで頼みを聞き入れ、この世界に来た。あとから考えれば体が動かなくなる、勝手に動くと怪しいことだらけだったんだがな。当時は変化の力で誤魔化さていた」
俺とほぼ一緒だ。違うのは俺を助けたのは知り合いで、魔王さんはカルミナに直接助けられたってことぐらいだろう。
「まぁ、それはいい。俺はその後、四年ほどかけて魔王を倒した。その頃にはカルミナをかなり疑っていたが、事が起きたのは倒した直後だ」
「何が、起きたんですか?」
「魔力が限界以上に溢れ出し、暴走した。制御できず、うずくまった俺に耳に入ったのはカルミナの笑い声だ。あいつは笑いながら、俺の身みに何が起こるのかを説明してくれたよ。おまえはこれから化け物に変わり、新たな魔王になるとな」
……目の前にいる魔王さんが特別というわけじゃなくて、魔王という存在は歴代の勇者から生まれてたのか……いや、カルミナが魔王に変えてるんだ。もしかしたら魔物や魔族も? すべての元凶はカルミナだというこ――
「がっ?!」
「始まったか」
気づけば血を吐き出していた。感覚がほぼないはずなのに体が熱い。まるで熱湯に放り込まれたようであり、体からは湯気のようなものが出ていた。
体から出る湯気とは別に魔力も噴き出ていく。頭もハンマーで殴られ続けているようで、だんだんと自分が壊されていくような感覚になる。
「意識を――続けろ。気絶――化け物に――」
誰かが、なにか、言ってる。
「――しかかってるヨ! やっぱり無理――」
しってるこえだ。
「まだだ。――は何のために――?」
……
「――世界を救うためか? それとも――」
…………?
「仲間を助けるためか?」
……なか、ま? ……たすける……ありしあ……
「……あ、り、しあ」
「アリシアを助けたいなら――。おまえが――アリシアが死ぬぞ?」
……し、ぬ? ありしあ? ……だめだ。それは、それだけはダメだ!
朧げな意識が戻る。頭痛や熱さはまだあった。体にはいくつもの裂傷が出来ている。ただ、魔力だけは暴走していなかった。
改めて自分の体を見る。すると、所々に見覚えのある不思議な光が見えた。変化の光だ。体全体ではなく、部分的であり、光はだんだんと弱くなっている。放っておいても消えそうなほどだ。だが、この光をあまり見ていたくはない。俺は破壊の力を使うべく、魔力を操作して光っている個所に集めようとする。
魔力は集まった。一瞬で、拍子抜けするほど簡単に、それでいて大量の魔力だ。俺は驚きながらも集まった魔力を破壊の魔法として使う。すると不思議な光は瞬時に壊れ、俺の体からは再び魔力が溢れ出してきた。
「成功したようだな。名前は……ツカサ、だったな。これで合格だ。魔力量は上がり、肉体も強化されている。詳しくはドルミールに――」
魔王さんの言葉の途中で部屋を二つに分けていた壁が一気に崩れた。向こうからはロイドさんとフルールさんが俺のほうに駆けてくる。
二人とも無事なようだ。俺がそう安堵したとき、ロイドさんの表情が変わった。目を見開き、足まで止めている。そして、なぜか怒ったような表情へと変わってしまった。
突然の変化に戸惑っていると、ロイドさんが再び駆けだしたのが目に入る。ただし、今度は俺のほうではない。魔王さんのほうにだ。
「てめぇ! ツカサに何しやがった!」
ロイドさんは大きく腕を振り上げると、走る勢いのまま魔王さんの顔面に拳を突き立ててしまうのだった。
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