第九話 セリューズ
頭上に構えた剣を勢いよく振り下ろす。風切り音が鳴ると草が揺れ動く。
大きく息を吸って、再び剣を構える。そしてまた剣を振り、素振りを繰り返す。
最近では剣が手になじむようになってきた。ロイドさんにも上達が早すぎると言われてしまうほどだ。それも全てはカルミナから与えられた力のおかげである。
そのカルミナだが最近はペンダントに話しかけても反応がないことが多い。反応があったときに聞いた話によると魔王の拠点を探しているとのことだった。
カルミナも頑張ってるみたいだし、俺も頑張らないとな。
そんなことを考えているといつの間にか素振りが止まっていた。動きを止めたせいか汗が一気に噴き出してくる。腕で顔の汗を拭う。すると、セリューズさんの家が目に入る。
昨日は宿を決めておらず、セリューズさんの家に泊まらせてもらっていた。結局、昨日は眠りについたのは夜遅くだ。そして今は日が昇りはじめたばかりのため、みんなはまだ寝ているだろう。
まだしばらくは時間がある。そう思った俺は止めてしまった素振りを再開し――
「朝から鍛錬とは努力家だな、ツカサ君は」
声をかけられ、手が止まる。
振り向くといつの間にかセリューズさんが立っていた。その手には剣が握られている。
「おはようございます。セリューズさんも素振りですか?」
「素振りもいいがせっかくだ、手合わせをしてみないか? もちろんツカサ君がよければの話だが」
「……そうですね。よろしくお願いします!」
「こちらこそよろしく。まだ時間も早いので魔法はなし、剣も鞘付きでやろうか」
準備を整え、セリューズさんと向かい合う。
セリューズさんは両手で剣を持ち、半身となって構えている。剣先はこちらを向き、軽く腰を落としている状態だ。
正面から見るとロイドさんより体格がいいせいか、威圧感まで大きい気がする。
せっかくの機会だと思って手合わせをしたけど……これは厳しいな。どう攻めても返されそうだ。
「来ないのかな? ……では、こちらから行こう」
攻めあぐねていると、セリューズさんが先に動いた。一直線に正面から向かって来る。
速い! けど、これなら!
体格の良さから速度はないと勝手に思っていたが、その予想は外れた。しかし、普段相手をしているロイドさんほどではない。充分に反応できる速度であった。
走る勢いに乗ったままの突きが迫る。
カウンターを仕掛けるべく、ギリギリを狙いながら後ろへ下がっていく。しかし、突きが予想よりも伸びてくる。気づけばセリューズさんの片手は空いていた。片手突きにすることで、間合いを伸ばしたようである。
とっさに剣で防ぐ。
剣が擦れ合いながら、セリューズさんの突きは俺の体の横へと逸れていく。
セリューズさんは剣を持つ手は片腕で伸び切っている状態。つまり今が好機である。このタイミングで武器を弾き、一撃を加える。そのつもりだった。
体が浮く。そして突然、景色が流れていった。
何が起きたかわからないまま、体が勝手に動いて空中で体勢を整える。
両足で着地したあとは、そのまま後ろへと地面を削るように滑っていく。靴底が急速にすり減りながらも、何とか止まることに成功する。
何が起きた? セリューズさんを見ると構えが最初に戻っている。動くようすはない。その表情は少し驚いているように見える。
「見事だ。今の薙ぎ払い、虚をつき、完全に対応できていなかったはず。しかし、すぐさま空中で姿勢制御をして見事に着地した。凄まじい反応速度だ。改めて言おう、見事だ」
薙ぎ払い? あの伸び切った腕の状態で? この人どれだけ怪力なんだ。
何をされたかはわかったが、対処法はわからない。片腕で人を吹っ飛ばせる相手に正面からの近接戦闘は無謀である。
小手先の技は力でねじ伏せられる。一瞬でもいいから隙をつくらないと……
褒めてもらったことは聞こえていたが、喜んでいられる状況ではない。頭の中はセリューズさんの圧倒的な強さに驚愕しっぱなしであった。
「次はそちらから来るといい」
「……いきます!」
速度を抑えて走る。
一撃ごとに間合いから離れ、セリューズさんの攻撃は受けないように立ち回る。
こちらの攻撃に対しての防御の剣なら、そこまで力が込められていない。剣を合わせても吹き飛ばされることはなく打ち合えている。ただし、それはあくまでこちらが攻めている場合だった。
セリューズさんの間合いから離れるのが遅れ、防御ではなく攻撃の剣が迫ってくる。
「くっ!」
転がるようにして回避し、低い体勢から足を狙って牽制する。
何とか立ち上がると、再び一撃離脱の戦法で攻撃を仕掛けていく。
攻撃の意思が乗った剣は防御もできない。もし防御した場合、振り下ろしなら叩き潰され、薙ぎ払いならまた吹き飛ばされてしまうだろう。先ほどは追撃されなかったが、次もそうだとは限らず、今は躱し続けるしか道はなかった。
何度も攻め、そして引く。
繰り返し攻めることによって一つわかったことがある。間合いから離れるとき、セリューズさんの左側を抜けて後ろを取ろうとすると毎回同じ攻撃がくるのだ。
……狙えるかもしれない。
通用するかは不明である。しかし、これにかけてみようと思い、先ほどとは違い全力で走り出す。
間合いに入ると腕の力は抜き、速度重視で剣を振るう。簡単に防がれるが気にせずに左を抜ける。
セリューズさんはやはり同じ攻撃をしてきた。それは掬い上げるように下から上へ剣を振るう、斬り上げの攻撃だった。
体を半回転させ、斬り上げで振るわれた剣に対し、叩きつけるように全力で剣を振り下ろす。
さらに剣が衝突した瞬間、セリューズさんへ向かって思いっきり跳ぶ。
衝突は一瞬だけ拮抗し、そのあとは予想どおり競り負けて吹き飛ばされる。
何もしなければ、斬り上げによって飛ばされる方向は上後方になっていたはず。しかし、先にセリューズさんの方へ跳んでいたおかげで飛ばされた位置は真上、それも高い場所まで飛んでいた。
空中で剣を握り直し、眼下のセリューズさんを見据えながら一直線に落ちていく。
落下による速度を味方につけ、全身全霊で剣を振り下ろす。
訓練とは思えないほどの大きな衝撃音が鳴り響く。
セリューズさんは頭を守るように剣を構え、俺の攻撃を防いでいた。
……強すぎる。あの威力でも防がれるなんて……
内心の動揺を必死に抑えながら着地し、後方へと跳ぶ。
追撃に備えて注意深く観察するが、セリューズさんはすでに構えを解いているようだった。
「……素晴らしい。ツカサ君、きみは戦いの中でも観察を怠らず、私の攻撃の型を覚えていった。そして攻撃を誘導し、自らも跳び上がり強烈な落下攻撃につなげたように見える。全て計算していたように思うがどうかな?」
「たしかに考えて戦って、そのとおりにいっていました。でも、結局最後に防がれてしまいましたけど……」
「いや、あの落下攻撃は防ぎきれていない。衝撃に耐えきれず自分の剣が肩にあたってしまった。真剣なら小さくない傷を負っていただろう」
どうやら、まったく通用しなかった、というわけではないらしい。渾身の攻撃が微かでも通用したことにほっと息をつく。
「手合わせ、ありがとうございました。それにしてもセリューズさん強すぎませんか?」
「こちらこそありがとう。強いと言ってくれるのはありがたいが、私なんてまだまだ未熟だ。強い人はたくさんいる。ツカサ君の知っているところで言えば、フォトン殿は私よりもはるかに強いはずだ」
たしか、フォトンはエクレールさんの名字のはずだ。
最初はエクレールのほうが名字だと思い、そっちで呼んでしまったのを思い出す。
ちなみにエクレールさんの呼び方は変わっていない。神殿から宮殿に向かうさいにアリシアに名字を教えてもらったが、エクレールさんからはそのままでいいと言われたため、変わらず名前で呼ばせてもらっていた。
「もうこんな時間か。……少し熱くなってしまったな。しかし、これなら討伐も大丈夫そうだ。無理をせず、頑張ってほしい」
もしかして俺の実力を見るために来てくれたのかな?
ロイドさんの実力は知ってるだろう。アリシアの魔法も昨日見ている。わからなかったのは俺だけのはず。
忙しい中で、そのために早起きしてくれたのなら申し訳ない。
セリューズさんと話していると、少し慌てたようすの村の人がやってきた。
予定にない物資が届いてるらしい。挨拶をするとセリューズさんは確認のために向かって行った。
一息つき、空を見る。
日も完全に出て、辺りも明るくなっていた。
……キリもいいし、今日の朝練は終わりにしよう。
運動が終わったせいかお腹が鳴る。食堂に行こうと思うものの、先に二人が起きてるのかを確認しに行くことにした。
セリューズさんの家に戻ると、ちょうどアリシアの姿が見える。タイミングよく二階から降りてきたところだった。
「あ、ツカサ様、おはようございます。 早いですね」
「おはよう、食堂に行こうと思ってるんだけどアリシアも行く?」
「はい! 行きましょう!」
「待って待って! ロイドさんも呼んでくるから!」
すぐに行こうとするアリシアを止めて、ロイドさんを呼びに行く。
二階に上がり、ノックをするが反応がない。部屋を覗いてみるが、姿がなかった。いつの間にか起きて出かけていたようだ。
アリシアにロイドさんがいなかったことを伝え、二人で食堂に行って朝食をとる。
「朝ごはんもおいしかったですね!」
「そうだね、朝から手の込んだ料理で驚いたよ。結局、食堂にもロイドさんいなかったけど、この後はどうする?」
「そうですね……森に入る準備っていっても、終わってるというか、することないんですよね」
「いたいた! 二人ともちょっとこっちに来てくれ!」
突然、入口の方からロイドさんの声が聞こえてきた。
よく見るとその手には箱のような物が見える。積み上げられた箱をバランスよく片手で持ちながら、もう片方の手で手招きをしてこちらを呼んでいた。
食器を片付けてロイドさんのもとへ向かう。
「ロイドさんどこに行ってたんですか? 俺たちは朝ごはん食べちゃいましたよ。それに何か持ってるみたいですけど」
「これを取りにちょっとな。まあ、とりあえず開けてみてくれ」
そう言うと、俺とアリシアに持っていた箱が渡される。
開けてみると中には腕輪のようなものが入っていた。
「これって、もしかして身代わりの腕輪ですか? エクレール様が付けてたのを見たことがあります」
「おお、嬢ちゃんは知ってたか。正解だ。効果はやばいときに身代わりになってくれるっていうものだ」
詳しい説明はアリシアに聞いてみるとその詳細を語ってくれた。
名前は身代わりの腕輪。
装備している人が命の危機を感じると発動し、全身を薄い光の膜のようなものが覆う。
この光の膜が攻撃を代わりに受けてくれるが、腕輪の性能を超えた攻撃や一定時間たつと腕輪が壊れる。
この魔道具は作れる人がほとんどいないため、かなり貴重な品のはず。というのが話で聞いたことだった。
「ありがとうございます。でもこの腕輪、村にあったんですか? アリシアの話だと貴重品らしいですけど」
「いや、今日の朝早くにこの村に届いたんだ。これの他に武器防具もあるが、そっちは予定どおりにそのまま前線に送る」
「じゃあ、これって前線の物資……貰っていいんですか?」
「大丈夫だ、もともと俺がかき集めたやつだからな」
ロイドさんの話だと、セルレンシアに来る前はブルームト王国の近くで活動していたらしい。
そこで遺跡などから武具や魔道具を回収し、各前線に送るというのがロイドさんの本来の仕事だと言っていた。
今朝届いた物資も、ロイドさんがセルレンシアに来る前に送っていたものとのことだ。そろそろ来ると思って朝から待っていたのだという。
ちなみにセリューズさんも物資の確認に来たため、許可はとっているとの話だった。
「俺の用事も終わったし、二人の準備ができたら森に行くぞ」
「私たちの準備は大丈夫です。ちょうどさっき準備について話をしているところでした」
「よし! それならさっそく行くとするか」
森に入るとロイドさんを先頭に移動していく。
真ん中はアリシアで、最後尾が俺という順だ。
魔物と戦うのは二度目だが、森には狩りのときに何度か入っている。
ちなみに狩りは俺もアリシアもうまくできず、今のところ一度も成功していない。
「まだ群れが見つかった場所まで距離がある。今のうちに作戦の確認をしとくぞ。二人は隠れている状態で、俺が先制攻撃をして注意を引く。そのさいに大型は動かず、それ以外の通常のだけが向かって来きた場合、俺は向かってきたやつとすれ違う形で大型に接近して戦闘に入る。ここまではいいか?」
「はい。俺たちはロイドさんがすれ違った段階で出ていって、通常のやつを足止めして分断するんですよね」
「おう、そのとおりだ。ただ通常のやつ全部をツカサ達で足止めするのは無理だろうから、多くても四匹でいい。残りは俺がやる」
「残りって大型をいれて四匹ですよ! いくらなんでも一人で相手するには多いんじゃ……」
「大丈夫だ。もともと俺は一人だったからな、ヴァルドウォルフぐらいなら問題ない」
ヴァルドウォルフは狼型の魔物で毛は茶色。群れをなして森に住み、人間を見ると積極的に襲いかかる。
大型も同じ名称で呼ばれるが、基本的に大型は群れの指揮官役であり、個体によっては土魔法も使う。というのがセリューズさんから聞いた情報だ。
ちなみに作戦についてだが、もし大型がロイドさんに向かってきた場合、通常個体はロイドさん囲むように動く可能性が高いらしい。そのため、俺たちはロイドさんの後ろをとった個体に奇襲をかける予定になっている。
他にも向こうから奇襲を受けた場合、数が八匹よりも多い場合など、いろいろな状況を想定して主にセリューズさんが作戦を立ててくれていた。
警戒しながら進んでいく。
日の高さを見ると、昼はもう過ぎているように思う。ただ、歩いた距離からしてそろそろ目標地点に着くはずである。
そんなことを思っていると突如、ロイドさんの動きが変わった。
手の動きで待機を指示され、近くの茂みに身を隠す。
前方にいるのならば、この位置は今のところ風下だ。気づかれてはいないだろう。
待機が続く。
合図を見逃さないように、ロイドさんの手を注視する。
緊張し、息が浅くなっていく。
自分の鼓動が大きく聞こえはじめた。
緊張をほぐすことができず、呼吸が乱れる。それでも何とか待機していると、ついに変化が訪れた。
ロイドさんの手の形が変わり、新しい合図が送られてくる。
手の形を読み解く。
……あれは、目標発見の合図だ
身を低くし、息を殺す。
アリシアもうまく隠れたようで姿は見えない。
俺とアリシアの準備は完了した。だが、それを隠れている俺たちからロイドさんに伝えることはできない。
声を出しては気づかれる。かといって、正面を経過しているロイドさんに対して手での合図をしても見えないだろう。
つまり、ここからは事前に決めたとおりに動くしかない。
ロイドさんは俺たちの状況が伝わらなくても、隠れていると信じて行動を起こすはずだ。
いったん力を抜き、早くなっていた呼吸を整える。
視線の先ではロイドさんが弓を構えて狙いを定めていた。
無音の中、矢が放たれる。
少しの間をおいて、ヴァルドウォルフの叫び声が響く。
耳を澄まし、変化を見逃さないように目を凝らす。
俺は微かに聞こえてきた足音から、戦闘のはじまりを感じていた。
零から数えてようやく十話目になりました。
ゆっくりですが、お付き合いいただければ幸いです。