第零話 変化
初投稿となります。よろしくお願いいたします。
季節は冬。二月の寒空の中、電柱ほどの高さに女性が浮かんでいた。
きらきらと輝く金色の髪に整った顔、白いドレスを着たその女性は何かを探すかのように周囲を見ている。
空に浮かぶ女性に気づく人はいない。そもそも周囲に人の姿がなかった。
そんな無人の街を女性は飛び回っていく。
しばらくすると、女性は誰もいない街で一人歩く青年を発見した。黒い短髪、黒いダウンジャケットにジーンズ、中肉中背とごく平凡な容姿の青年だ。
女性はその青年をよく確認すると目を見開いて驚き、口元を緩める。
「……見つけた」
そう小さく呟くと、女性は溶けるように消えていった。
◆◆◆◆◆◆◆
まだ日も高い時間、公園のベンチに座り、緊張しながら携帯電話を見つめる。
震えそうな指で届いたメールを開く。
最初の一文で緊張は消えた。表情は変わり、鏡を見なくても暗い顔になってるのがわかる。
そのまましばらく呆然するが、冷えてきた体がぶるりと震え動くことを要求してきた。仕方なく億劫ながらもおもむろに立ち上がり、重い足取りで歩き出す。
――散歩なんかに出るんじゃなかった。まさかこんな寒い中で不採用通知の連絡を受けることになるなんて……
何がダメだったんだろう? ……やっぱり、やる気のなさを見透かされていたのだろうか。
元々はやりたいこともなく、どこでもいいから就職しよう。そんな適当な気持ちがあったのはたしかだ。そんな気持ちが伝わってしまったのか、書類審査からして通らず、運よく次に進めても面接で落とされる。さっきの連絡で受けた会社は全滅だった。
卒業まであと少し。これでクラスで進路が決まってないのは俺だけ……この先どうするかな……就活しようにも、やっぱりやりたいことはないしな。はぁ、何か面白いこと、変わったことでもおきればいいのに。
落ち込んだ気分のまま、商店街を抜けて家に向かって歩き進める。
同じことの繰り返し、変わらない日々は退屈だと思う。そして漠然としたイメージだが社会に出れば今以上に変わらない毎日を送りそうな気がしていた。そんな思いがあったからこそ、就活にも身が入らないのかもしれない。
周りが変わらないなら、自分の見た目でも変えてみようか。金髪とかじゃなく、いっそ虹色とか。
そんな下らない考えが頭をよぎる。いきなり変えたところで変人扱いされるだけだろう。もしくは自棄になったと思われるだけだ。
……それでも、何か変えたいな。
考えごとしながら歩いていると、不意に視線を感じた。
振り返るが誰もいない。むしろ周囲に人はいなかった。
気のせい。そう思った瞬間、なぜか急に体が震えはじめる。
今日は寒い。今年一番の寒さだと言っていた気もする。先ほども震えたことを思い出し、風邪を引いてはたまらないと俺は足を早めて家を目指すことにした。
しばらく歩くと中央分離帯のある大きな道路にたどり着く。
信号は赤。ぼーっと待っていると、向かい側にある薬局に気づいた。
震えはまだ止まっていない。それどころか、頭が揺れているような感覚があった。
……悪化してる。やっぱり風邪を引いたのかな。
このまま、まっすぐ帰りたいところだが、家には食料はともかく薬はなかったと記憶している。一人暮らしで頼れる人も親しい人もいない。ならば動けるうちに、それこそ帰りがけに買い物をしておくべきだろう。
そんなことを考えていたからだろうか、動いたつもりはないのに俺の足は薬局の方へと一歩踏み出していた。
慌てて足を引っ込めようとする。
しかし、体の反応は鈍く、思うように動かない。
……なんだ? どうなってるんだ? なんかおかしいぞ?
見える範囲に車は来ていない。だが、信号は赤のままだ。このまま進むは危険である。
何とか体を動かそうとするも上手くいかない。異常な事態に助けを呼ぼうとする。しかし、気がつけば声を出すことすら出来なくなっていた。
なんだよこれ! 風邪じゃないのか? ただ薬局に行こうとしただけなのに……薬局?
……いや、そもそもおかしい。あんなところに薬局はいつできたんだ?
この道はほぼ毎日通っている。たしか昨日は薬局なんてなかった。それに、俺自身もなにか変だ。震えているのに、寒くない。頭が揺れている気はするけど痛くはないし、意識はしっかりして――
突如、体が走り出す。
待て! まだ、信号は赤のままだ。まずい!? 戻らないと! なんで……なんで体が言うことをきかないんだ!!
周りがスローモーションのように見えた。体はまだ自由に動かせない。妙に冴えた頭だけはよく働き、目の前の状況を分析していく。
いつの間に来たのか、凄まじいスピードで迫る車。うつむいた運転手の意識がないようす。車の方へと進んでいく自分の体。そして、わかってしまった。このままでは、俺とあの車は衝突するということに……
「須藤君!? あぶない!」
衝撃を感じ、目の前が暗くなっていく時、誰かの声と鈍く大きな音が聞こえたような気がした。
「頭が痛い……」
痛みで目が覚める。
どれくらい気を失っていたのだろうか?
意識が朦朧としながら、額から血が流れているのを感じる。
無意識のうちに額を手で押さえていた。そして、血がついている手を見て気づく。いつの間にか体の自由を取り戻していたようだ。
ふらつきながらも立ち上がり、傷の確認をする。額の他には膝の打撲、後は擦り傷ぐらいしか見当たらない。車と衝突した割には軽傷である。
ふと、すぐそばを見ると道路の中央にある茂みに突っ込み、停まっている車が見えた。運転手の意識はない様子だが、エアバッグも作動しており一見したところでは怪我があるかはわからない。
車のほうへと近づこうとすると、少し離れたところに女性が倒れているのが目に入った。遠目からでも血が水溜まりのようになってるのがわかる。明らかに重症だった。
目の前の光景に呆然とする。
……俺が変わったことを願ったから?
先ほどの不思議な現象、その結果起きた事故。すべて自分が願ったせいだと、根拠もなく思ってしまう。
ただ、そんなの考えも一瞬で消える。流れ続ける血を見て我に返ったからだ。
見た目で重症だと思う女性のほうを助けに向かう。そのとき周りが静かなことに気づいた。
それなりに大きい音がしたはずだ。だが、誰もいない。気になって見に来る人も、窓からのぞくような人も見当たらなかった。
体中から冷や汗が出て焦りはじめる。誰かが救急車を呼んでいると思っていたのだ。だが、このようすでは期待できそうにない。いまさらながらにまずい状況を認識して慌てだす。
早く助けないと!
そう思いながら携帯電話で、救急車を呼ぼうとするがつながらない。圏外の表示が嫌に目につく。
「誰か! 誰かいませんか!!」
助けを求めるがやはり周りには人がいない。
せめて応急処置でもできないかと女性に駆け寄り、顔を見て思わず声を上げてしまった。
「千原さん!?」
驚いたせいか、一瞬、頭が割れるような頭痛がした。
……倒れている女性は、高校で同じクラスの”千原 緑”さんだ。……この人は……俺にとって……そう、特別な人だ。
どうして千原さんが? ……いや、そんなことよりどうにかして助けないと!
呼吸はしているが、意識はない。右腕は見たからに折れているのがわかる。切り傷も多いが、一番ひどい傷は頭部からの出血だろう。
急いで頭の傷口にハンカチを当てるも、すぐに真っ赤に染まっていく。知識のない俺には適切な処置の仕方がわからなかった。
とにかく血を止めなければ。そう思い、包帯にするためシャツを脱ごうと――
「その女性、このままでは死んでしまいますね」
突然、後ろから声が聞こえた。
思わず振り向く。そこには白いドレスで着た、恐ろしいほどに整った顔をしている女性がいた。
「あなたは……いや、手を貸してもらえませんか! 携帯もつながらないし、周りに誰もいないんです」
見ず知らずの女性に救助を頼む。
この女性になんとか救急車を呼んでもらうか、もしくは千原さんを見てもらって俺が近くに住んでいる人に救援を求めてもいい。どちらにせよ、できることは増えると思ってのことだった。
「大丈夫ですよ」
女性の返答は望んでいた言葉ではなかった。しかし、その言葉から何か治療手段があるのかと思い、若干の期待をもちながら理由を聞くために口を開こうとする。
そのときだった。不思議な現象が起きたのは。
女性は、右の手のひらを千原さんに向けた。
周囲からは手の中心に向かって白い光が集まっていく。そして、光は拳ほどの球状になるとゆっくりと千原さん目掛けて飛んでいった。
光の球は千原さんに触れると体を包むような広がりをみせる。全身が光で覆いつくされると、ひときわ強く輝き、体に吸収されるようにして消えていく。
開いた口がふさがらなかった。何が起きたのか理解できない。わかったことはこの女性が普通ではない、とういうことだけだ。
千原さんの出血は止まっている。腕も治っているようだ。意識は戻っていないが危機的状況からは脱したように見える。
「あ、ありがとうございます。……何が起きたのかわかってないんですが、千原さんは助かったんですよね?」
「残念ながら、思っていたよりも傷は深く、一時しのぎにしかなっていない状態です。今は私の力が彼女の体内にあるため生きていますが、力が尽きたとき、彼女の命も尽きるでしょう」
「そんな……怪我は治っているように見えます。何が問題なんですか」
「原因は肉体の損傷時に魂が大きく傷つき、ほぼ壊れていることです」
「魂……?」
「はい、本来ならここまで魂が傷ついている場合、すでに手遅れです。たとえ、肉体を完璧に治しても近いうちに死んでしまうでしょう」
助からない理由が非現実的すぎる。この女性の言葉を信じていいのだろうか?
無表情であり、感情は読めない。しかし、淡々とした口調からは事実を伝えているだけといった印象を受ける。それに実際に不思議な力を使い、傷を治している。
本当に魂とやらが傷ついているなら、病院で治すことはできないだろう。どうすればいいのか……
悩み、口をつぐんでいると女性が口を開いた。
「助けたいですか?」
「当然です」
考える必要もなく、即答した。
状況的に千原さんは俺をかばって死にそうになっている。なのに見捨てるわけがない。
「助けるためには、あなたに私の世界に来て、魔王を倒してもらう必要があります。厳しい戦いで死んでしまう可能性もあるでしょう。それでも助けたいですか?」
「……何を言ってるんですか? 冗談を言ってる場合じゃないでしょう!」
私の世界? 魔王? 突拍子もない話になり、声を荒らげてしまう。そのせいでまたしても頭痛に襲われる。
「冗談ではありません。彼女を助けるためには、先ほどよりも強い治癒魔法をかける必要があります。ただ、残念ながら、現在の私の力ではその魔法は使えません」
「それで、何で俺があなたの世界に行く必要があるんですか?」
「私の力は魔王によって封じられているためです。封印を解けば、彼女を救うほどの魔法も使えるようになります。そのため、あなたには私の世界に来て魔王を倒してもらいたいのです。もちろん魔王討伐については私も協力し、力を貸します」
「……」
返答せずに考え込む。千原さんの怪我のこともだが、魔法……もし魔法が怪我を治す以外にも使えるとしたら、あの存在しないはずの薬局、体の自由がきかなかったこと、都合よく来た車も怪しく思えてくる。
今のこの状況はもしかすると……
「あなたの世界に行く理由はわかりました。それとは別に質問があります。……今日の事故、すべてあなたの仕業ですか?」
「……いいえ、違います。私がしたことは人払いのみ。事故については私ではありません。そして事故についてはこれ以上、この世界ではお話しすることはできません」
頭痛が酷くなる中、必死に頭を働かせる。
この女性の話を信じるかどうかだけど、信じるならば、千原さんを助けるためには女性の世界に行くしかない。信じない場合、後のことは病院に託すことになる。
話だけなら信じることはできなかっただろう。だが実際に魔法は見てしまっている。事故についての質問も嘘をつかずに話してくれたように感じていた。
何より、もし信じなかった場合で女性の話が真実のときが問題だ。話が本当なら、千原さんは病院で死んでしまうことになる。それ考えてしまうと、信じないという選択はできそうにない。
それに直感なのか、何故だか目の前の女性は信じられるような気がしていた。
「俺は千原さんを助けたい。そのために必要ならあなたの世界に行き、魔王とやらを倒して見せる。だから……俺に力を貸してください!」
「……あなたの言葉をとても嬉しく思います。ええ、喜んで力を貸しましょう」
女性は嬉しそうに微笑んでいた。そういえば、表情を変えたところを初めて見た気がする。この女性も緊張していたのだろうか。
事態は解決したわけではないが、一応の区切りがついた気がする。
肩の力が抜け、頭もすっきりする。そこで大事なことに気が付いた。これから協力していくというのに、まだこの女性の名前も知らない。
いろいろと聞きたいこともあるがまずは自己紹介が必要だ。
「えーっと、改めまして俺の名前は、須藤 司です。これからよろしくお願いします」
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。私はカルミナといいます。こちらこそよろしくお願いします」
カルミナさんの表情は最初と同じように無表情に戻っていた。それでも、雰囲気は少し和らいだ気がする。
まずは、この先の行動を相談しよう。それに、カルミナさんの世界はどうやって、いつ行くのかも聞いておかないと。
「カルミナさん、これからどうしますか? まずは千原さんやあの運転手を病院に連れて行く必要があると思いますが……」
「私のことはカルミナと呼んでください。敬称はいりません。それと、彼女たちについてですが……あまり力が残っていないので、このままにするしかないでしょう」
詳しく聞くと、カルミナの人払いはあと半日は続いてしまうらしい。そして、治癒に予想より力を使ってしまい、残りの力はあまりないとのことだ。
この世界にいるだけでも力を消費するらしく、できればすぐに移動したいと言っていた。
カルミナが言うには、俺たちがいなくなればこの場にも人が戻り、すぐに救護されるらしい。俺が救急車を呼んだりしなくても問題はないとのことだ。
千原さんをこんなところに放置していきたくはないが、俺たちがこの場にいることのほうが迷惑になってしまう。やるせない気分だが、諦めるしかないようだった。
「スドウツカサさん、そろそろよろしいでしょうか?」
呼ばれて気づく、思ったよりも悩んでいたようだ。
「すみません、大丈夫です。あと名前は須藤か、司のどっちかで呼んでください。敬称は俺もなしでお願いします」
「はい、わかりました。では……ツカサ、一緒に私の世界へ行きましょう」
カルミナが手を差し出した。それに応えて手を握る。
握手しながら行くのだろうか?……そういえば、移動方法を聞き忘れていた。
握った手からは不思議な色の光が広がり、大きくなっていく。体が光に呑み込まれ……目の前が真っ白になり……意識が……
◆◆◆◆◆◆◆
日が傾いたころ、突如、人影もなく静寂した街を覆いつくす巨大な半球状の光が現れた。
光は建物に被害を与えず、時間とともに徐々に小さくなっていく。最後には音もたてずに消えると、光の中心付近だった場所には倒れている少女と車の存在していた。
しばらくすると人の気配がもどり、少女と車の周辺は騒がしくなる。
複数の救急車がサイレンを鳴らしながら到着し、少女と車の中にいた男性がそれぞれ運ばれていく。
周囲にいた人たちは皆、少女と車について話をしている。
ただ何故か、巨大な光については誰一人として話をしていないようであった。
読んでいただきありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。