第二十三話:魔王様の選んだもの
イナゴの群れの第七陣を飛び越えた。
「恐怖。まだ、イナゴの群れが収まらない」
「魔王軍を信じるしかないな。人の力じゃ、あんなものどうしようもない」
規格外の災害。
あれを止められるのは魔王軍だけだろう。
街は魔王軍を信じてひたすら前へ進む。
そして、ようやく見つけた。
それは黒い女王イナゴだった。イナゴたちのサイズはせいぜい俺の腰の高さまでというところだが、こいつはその五倍はある。
まるで恐竜だ。
悍ましいことに、腹がまるで風船のように膨らんでいき、そして腹に大きな穴が空き、イナゴたちが吐き出されていく。
悪夢のような光景。
だが、少しだけ希望が持てた。
神の力は無限ではなく有限だ。そして、神の使いである天使であれば尚更。
人の身たる今の俺では、天使にはどうあがいても勝てない。
しかし、ああやって個としての強さではなく、群れを生み出すことにリソースを割いてくれているのであれば勝ち目はある。
俺たちは迂回して、女王イナゴの後ろに回り込み大樹に隠れる。
「いいか、一発で仕留める。二人の力を貸してほしい」
「任せてください」
「了解。あれでいく」
あれというのは、キーアが風の魔術を覚えたことで作り上げた連携技。
俺たちの目的はあの化け物を倒すこと、あれと真正面からぶつかり合う必要なんて、どこにもない。
こうやって、魔力を十分に練り上げ、詠唱する時間があるのだから、そのアドバンテージを使わせてもらう。
三人、全員が詠唱を始める。
それぞれの限界出力でだ。
数十秒後、その魔術が完成する。
「【爆炎弾】」
俺が限界火力で炎を生み出し、キーアの風が一気に吹き込み炎を煽り爆発。さらに、アロロアが土魔術で生み出した鉄の散弾が爆発で巻き散らかされる。
三人それぞれの魔術を、束ねた必殺技。
奴が生み出したイナゴの魔物は、その見た目通り炎に弱かった。
であるなら、女王もその弱点が期待できる。
俺たちの最大火力が女王イナゴの死角から襲いかかる。
そして、爆発魔術という性質上、土煙が舞い上がり、視界が塞がる。
「やったか!」
土煙が消えていく。
そこには全身焼け焦げ、足の殆どを失った女王イナゴがいた。
仕留めたかどうかはわからない。
だが、少なくともこれ以上、イナゴの群れを生み出すことはない。
……胸を撫で下ろす。
これで街がイナゴに食い尽くされることはなくなった。
「ルシルさん!」
キーアが俺を突き飛ばした。
なぜ? そう考えキーアを見ると、次の瞬間に剣が突き刺さり、背後の大樹に磔にされる。
赤い血が流れた。
「キーアっ!」
叫ぶ。
そして駆け寄ろうとする気持ちを抑え、剣が飛んできた方向を警戒。
新たな剣が飛来してきて、それをなんとか躱す。
その剣は、女王イナゴの腹から射出されていた。
「汚れし者の分際でよく私の剣を躱した」
よく通る声が、女王イナゴの腹から響き、女王イナゴの内側から吐き出される。
「おまえは、サナドエル」
千剣の天使。サナドエル。
剣の一つひとつに魂を宿す、一人であり、軍でもある上級天使。
見た目は引き締まった体の紳士。その背後には数本の剣が浮いていた。
「なぜ、汚れし者が私の名を? ふむ……その魂、見覚えが。まさか、まさか、あなたは、あなたさまは」
俺を見て動揺している。今がチャンスだ。
アロロアに指示を出す。キーアを治療するよう。
同時に、俺はキーアが奴の視界に入らない場所へと移動する。
「最古にして最強の天使ルシル様。いえ、我々を裏切り、魔族の守護者となった、魔王ルシル!」
「千年も前のことをよく覚えているな」
「忘れるものですか。誰よりも、美しく、強く、優しく。誰もがあなたにあこがれた。私もだ! だからこそ、許せない。我らを捨て、神を裏切るなど。あなたと、あなたが残した眷属のせいで、千年たった今でもなお、我らは主の命を果たせていない。この屈辱があなたにわかりますか!?」
「……俺がいなくなって、千年間、神の箱庭から切り離されたこの地を狙っていたのか」
「いかにも! 神の威光が届かない地へと逃れられただけで、我らが諦めるはずもない」
「にも関わらず、こうしてこの島で魔族たちは生きている。滑稽だな」
「あああああ、忌々しきは、忌々しきは、魔王の眷属たちよ!」
薄く笑う。
そうか、あいつら。千年もこの地を守り続けてくれたのか。
そして、そのことをあえてあいつらは俺に言わなかった。
「だいたいわかった。サナドエル、おまえなら俺の強さを知っているだろう? 戦いが無意味だとわかるな。ここは引け。もと同僚のよしみだ。見逃してやる」
これはブラフだ。
戦えば負ける。
俺は勘違いしていた。あのイナゴたちを生み出したのは、奴の力だと。
だが、こうしてじっくりと見てわかった。
やつはきっかけになっただけ。
試練の塔にある力に悪意を込めた力を注ぐことで決壊させ、その力に指向性をもたせたのがあのイナゴどもだったのだ。
あいつ自身の力はさほど消耗していない。
「かつての天使だったあなたなら私など足元にも及ばなかった。魔王としてのあなたでも私より強い。で・す・がっ! なぜか今のあなたはただの魔族だ。私にもそれぐらいはわかりますよ。死んでください! あなたを殺せば、私は、私は、神から祝福と褒賞を得られるでしょううううううう」
やっぱり、そううまくはいかないか。
力の差は歴然。
だが、諦めずに戦おう。
俺には技術がある。
天使どもは強すぎる。ゆえに、技を必要としない。
そこが唯一の隙だ。
……そう思ったんだがな。
「これは、反則だろう」
サナドエルの背後の剣が増えていく、数本の剣が数十本に、数十本の剣が百本に、そしてその二つ名の通り千本へ。
どうやら、千年の間に天使たちも成長していたようだ。
それを黙って見ていたわけじゃない。
【炎弾】を放った。
しかし、剣の一本にたやすくかき消される。
「ああ、なんと悲しい。あの最強の天使がこの程度とは」
脂汗がでる。
こんなもの、技でどうにかなるレベルじゃない。
サナドエルが睨む。
そして、剣が降り注いだ。
千からなる、剣の豪雨。
絶体絶命。しかし、俺の前に銀の影が躍り出た。
アロロアが手をかざすと、銃ではなく砲が召喚され、砲撃が行われる。
天使の剣を撃ち落とせるほどの威力と、理外の連射速度。
なおかつ異常な精度があり、俺に直撃するものだけを撃ち落とす。
剣戟が止むと、俺たちの周囲には剣が散らばっていた。
アロロアの銀髪が光る。
「イミテート・ファミリア。モード:ロロア」
その砲は見覚えがある。
ロロアの作り上げた最高傑作の一つ……それがさらに進化している。
そして、それを呼び出したのは異空間の宝物庫から。異空間への貯蔵と異空間からの召喚はロロアにしか使えない血統魔術のはず。
ロロアだけがなし得る技をアロロアが使った。いくら、ロロアが作ったホムンクルスだからと言って、こんな真似ができるはずはない。
それだけじゃない、アロロアから眷属の力を感じる。
「懇願。私なら三分時間を稼げる。その三分でどうするか決めて」
「三分のあとおまえはどうなる?」
「敗北。借り物の力は三分が限界。……キーアを助けることも不可能。処置はしたけど致命傷。でも、ルシル様だけなら逃げられる。でも、ルシル様が夢を捨て」
アロロアの言葉を遮るように千剣が飛来し、アロロアが躱す。
躱すだけじゃなく、アロロアはサナドエルに牽制砲撃をした。
その砲撃を容易く千剣で弾く。
「ああ、忌々しい、忌々しい眷属よ。ですが、見ない顔ですねぇ。新入りさんですかぁ? それに弱い。なぜ、魔王が引き連れているのが最弱の眷属なのか……理解に苦しみますよ」
サナドエルには余裕がある。
たしかにアロロアは弱い。
言うならば、劣化版ロロア。眷属のなかで戦闘力では最弱のロロアにすら劣る。
天使相手に勝てるわけがない。
だが、懸命だ。
目から血が流れている。
わかってしまった。眷属の力を再現する。そんな真似をホムンクルスの身でできるわけがない。
できたとしてもとてつもない負担がかかる。
これはそういう切り札だ。
「ルシル様、決断を早く。あと二分半」
アロロアが促している決断は俺だけが逃げるか、あるいは夢を捨ててのみ存在する別の道。
アロロアがここで足止めをしなければ全滅。
そして、キーアは致命傷で治療の施しようがない。
今のままでは俺だけが逃げる選択肢しか残されていないのだ。
そう、今のままなら。
夢を捨てるという意味、その先にある別の道。それが何か薄々と感づいている。
俺は目をつむって、キーアとアロロアの顔を思い浮かべた。
「決断した……俺は俺の野望を曲げよう」
アロロアの口端が釣り上がる。
そして、空中に十の砲を生み出し、一斉射。
さすがのサナドエルも防御に回した剣ごと吹き飛ばされる。
「了解。秘密を明かす……ロロア様は、その体に仕込みをしてる。私が疑似眷属になれるように、ルシル様は魔王になれる。あと二分。死ぬ気で時間を作る。それまでに為すべきことをしてほしい」
そう言うなり、今度は高周波ブレードを異次元空間から取り出し、飛び出していく。
あと二分。
アロロアが作ってくれた時間の意味を俺は噛み締めていた。
◇
キーアのもとへ向かう。
アロロアの処置は完璧。
だが、あまりにも傷が深すぎ、血を流しすぎた。もう助からないのがわかる。
もって数分だ。
キーアの顔に触れる。
「ごめんなさい、足引っ張っちゃって」
しゃべるだけで辛いのに、キーアはそんなことを言ってくる。
「俺をかばったからだろう。ここで言うのは恨み言であるべきだ」
「あはは、そうかもしれません。でも、それより大事なことがあるんです。あの、厚かましいお願いですが、きつね亭を頼みます。お店、あげますね」
死に際に、なんとか吐き出した言葉がそれか。
実にキーアらしい。
「断る。自分でなんとかしろ……隠していたが、俺が魔王だ。俺の眷属になれば、命は助かる」
「やっぱり、本物の魔王ルシル様、だったん、ですね」
この口ぶり、うすうす勘付いていたようだ。
「ああ、俺がルシルだ。返事をする前に聞いてくれ。……眷属は人という枠から外れる。俺に絶対服従となってしまう。それでも俺の眷属になってくれるか?」
「はいっ、なります。だって、ルシルさんの、まわり、みんな楽しそう、ロロアちゃんも、ライナちゃんも、そうだったんでしょ。それに私、ルシルさんと一緒がいい」
キーアが涙を流して、最後の力を振り絞って想いを口にした。
ひゅうひゅうと音が漏れるだけで、もう言葉を紡ぐこともできなくなった。
(覚悟を決めよう)
魔王の力を使ってしまえば、ただの人としてこの世界を楽しむという、俺の願いと決意は消えてなくなる。
……だけど、そんなものより失いたくないものがある。
必死に叶わぬ相手に挑み、時間を稼いでくれているアロロア。
そして、俺を庇ったせいで死に瀕して、それでも俺と一緒がいいと言ってくれたキーア。
今日だけじゃない、二人といることが心地よくて、それが続けばいいと俺は願っている。
この二人は、たかが俺のプライドのために失っていい存在じゃない。
魔王の力を渇望する。
強く強く。
イメージするのは在りし日の最強たる自分。
胸の奥にある魂が燃え上がる、その炎が、ただの人に堕ちたこの身を鍛え直す。
熱が充満していく。
願えば、願うほど、あの日の自分になっていく。
ここに来て、ロロアが俺のためにどんな体を作ったかを理解した。
俺の魂を受け入れ、それに適応するだけの巨大な器。
同時に、積み上げることで最強に至る成長性。
この肉体は、俺をより強くするためにロロアが作った肉体なのだ。
きっと、あいつは千年かけて準備してくれたのだろう。
……それと同時に、これを渡したとき、俺に殺される覚悟までしたはずだ。
俺の人になりたいという願いを裏切っているのだから。
そのことに怒りはない。
あの子の千年の集大成を知った。あの子が自分が殺される覚悟をしてまで大事な人を救うだけの力を残してくれたことに気付いた。
その思いを踏みにじるような奴は、魔王失格どころか、ただの下種だ。
肉体が完成し、魔力で織られた懐かしい魔王服が顕現する。
今、この瞬間。ただのルシルではなく、俺は魔王ルシルに戻った。
「キーア、契約を」
俺はキーアの顎に手を添わせる。
自らの唇を噛み、血に濡らす。
そして、口づけを交わし、俺の血を流し込む。
血によって結ばれ、眷属としての契約が成されていく。
キーアの体の傷が癒えていき、生気が戻る。
俺の力がキーアに流れ込み、キーアの思いが俺の中に流れ込んで一つになる。
キーアを感じる。
唇を離すと、キーアがとろんっとした目で俺を見ていた。
「それがルシルさんの、いえ、魔王ルシル様の本当の姿」
「そのとおりだ。契約はなされた。これでキーアは俺のものだ」
「ひゃ、ひゃい。どうしよ、ファーストキスです」
そして、腰を抜かしてしまう。
「しばらく、そこで休んでいろ」
眷属になれば、魔族は高位種へと進化する。
たとえば、妖狐のライナが天狐になったように。ドワーフのロロアがエルダー・ドワーフになったように。
魔王の眷属にふさわしい存在へとキーアは生まれ変わる。
その進化をしている最中は歩くこともできない。
できれば、生まれ変わる瞬間を見届けたいが、魔王でいられる時間は限られる。
その間にケリをつけねば。
◇
~アロロア視点~
限界が近い。
そう感じていた。
イミテート・ファミリア。
それは擬似的に眷属の力を発現させる私の切り札。
それを為せるのは、この肉体の材料に、元の魔王様の肉体、その一部を使っているから。
ある意味で私はルシル様の娘であり、だからこそ初対面で娘と言った。
しかし、ロロア様が作った強靭な肉体だろうと、そんなものを組み込めば耐えきれずに崩壊する。
普段は徹底的に魔王の力を封じ込めている。
それを表に出す機能こそが、イミテート・ファミリア。眷属のごとき力を発揮する代わりに肉体が一秒ごとに崩壊していく。
その状態でロロア様が仕込んだプログラムと、眷属達の血が詰まったカプセルを飲み込むことで、眷属たちの血統魔術までを使用することで切り札と為す。
今回はロロア様の血を飲んでおり、だからこそモード:ロロア。
「ははは、弱いです。弱いですよ。所詮、捨て石というわけですか。あの男に見捨てられた気持ちはどうですか!?」
「……」
お互い遠距離戦を主体に戦っている。
だからこそ、性能差がもろに出てくる。
ロロア様の武器庫から装弾済みの武器を引っ張ってきているおかげで、なんとか出力の差はごまかしているが、それも限界。
直撃を避けているものの、全身を刻まれて血が流れることで身体能力が落ちてきた。
そして、それ以上にもう門を開く魔力すら尽きる寸前。
弾倉が尽きた。装填しないと。
しかし、門を開こうとして失敗、カチカチッと虚しくトリガーを引く音だけが響く。
魔力欠乏症で目がかすみ、足がもつれて転倒してしまう。
魔力だけじゃなく眷属の力まで消えていく。限界時間が過ぎた。
「詰みですねぇ」
指揮者のように、サナドエルが手を振り下ろすと天から剣が降り注ぐ。
さっき、ルシル様を助けたときと同じシチュエーション。
違うのは、今の私に剣の雨を防ぐ手段がないこと。
やたら、時間がゆっくりと流れる。
時計を見ると、しっかりとルシル様に約束しただけの時間は過ぎていた。
きっと、ルシル様は今頃魔王の力を取り戻し、キーアを救っているだろう。
私の任務は完了だ。
もう死んでも問題ない。
問題ない、はず、なのに……。
「死にたくない」
自然とそんな言葉が出た。
おかしい、ここで死んでも新しい肉体を作ってもらい、本体から新しいアロロアの人格を流し込めば、完璧な新しいアロロアができる。
だから、ここで死んでもいい。
なのにどうしても終わりたくない、今のアロロアをやめたくない。
怖い、悲しい。
助けて。
目をつぶってしまう。
そして、剣の雨が降り注……がなかった。
降り注ぐ剣が、私の砲でも弾き飛ばすしかない剣が砕けていく。
「よくやった、アロロア」
天使の白とは真逆の黒いマントをはためかせ、その人はそこにいた。
私を作ったロロア様が、そして私が好きになったあの人が。
「遅刻。あと二分って言ったのに、ニ分三十二秒待たされた」
「そいつは悪かった」
ルシル様が、笑う。
たった、それだけなのに、怖いのも悲しいのも全部消えて安心できる。
このとき、本当の意味で理解した。どうして、ロロア様を始めとした眷属の方々がこの人に惚れ込み、千年も思い続けることが出来たのか。
この人は……とても暖かい。