はじまりのつぎ
上を見ると壁は天井まで伸びている。
明かりが心もとないため天井自体はよく見えないが何かゴツゴツしている。
洞窟だろうか?
小学生の頃、遠足で行った鍾乳洞がこんな感じだった気がする。
鍾乳洞はもっと大きなライトで神秘的にライティングされていて綺麗だったが、ここには小さなランタンの明かりしかなく、ただただ恐ろしい物に見えた。
次は後ろを確かめるべきだろう。
背後を確かめるのは勇気がいる。
普段歩き慣れた道や自分の部屋でさえ、何かあるかもしれないと意識して振り向くのは勇気がいるものだ。
ましてや今は未知の空間にいる。
未知の空間の未知の背後が世界で一番恐ろしいんじゃないだろうか。
意を決して振り向くと……。
何もない。
土の地面と無造作に転がった大小の岩と、ランタンの火に照らされ揺れて写る私の影。
そして明かりが届かぬ闇である。
とりあえず現在の状況を確認しよう。
謎の洞窟にいる私。
目の前には壁と扉。
背後には闇。
コマンド?
ススム→ヤミ
いやいやむりムリ無理!扉一択でしょ。
ここで闇に向かって歩き出せるのはよっぽど光が嫌いな人か勇者か何かでしょ。
扉は私が背伸びして手を伸ばせば届くぐらいの大きな二つの板で出来ており、中央の胸の高さ辺りに簡素なリングがひとつずつ並んでぶら下がっている。
こんなの漫画や映画の時代劇でしか見たことない。
リングを握ってトントンとノックしてる描写をよく見るが、あれは指のドアに当たる所が痛くならないのだろうか。
そんな事を思いながらリングに手をかけようとする。
おっと。躓いてしまった。
どうやら扉の前に段があったようだ。
緊張し過ぎて足元が見えてなかった。
気を取り直して壁と同じレンガ造りの段をひとつ、ふたつと上り、リングに手をかけると、扉が私の手に引き寄せられるようにしてスーッとようにして開いてしまった。
重さを感じなかったので、誰かが向こう側で押したのかとビックリして反射的に手を離して一歩下がる。
あっ!と思ったがもう遅い。
段差を踏み外してドスンと尻餅をついてしまった。
おしりの痛みを感じつつ、滑るように開く扉の先を見つめていた。
…誰もいない。
向こうから風でも吹いたのか、それとも見えない何かがいて開けてくれたのだろうか。
そんな事を思いながら立ち上がろうとすると肩紐がズシリと肩に食い込む。
いつからだろう、私はとても大きなカバンをたすきがけにして下げていたのだ。
こんな事にも気付かないなんて今日の私はどうにかしてる。
いや、随分前から私も私の状況もどうにかしてるのだが。
とりあえず立ち上がって重くて大きなカバンを両手に抱え、扉へと歩を進める。向こうは随分と明るい。
広間だ。
床には絨毯が敷き詰められ、壁や天井には一定間隔で煌々と光るランタンが掛けられ、部屋の中央には大きなテーブルとそれを囲むように椅子が10脚以上はあるだろうか。
テーブルには縁にレースをあしらった清潔そうな白いテーブルクロスが掛けてあり、真ん中に黄色い花を飾った白い花瓶が置いてある。
右の壁いっぱいに天井まで届く大きな棚があり、下は引き戸、腰の辺りに引き出し、その上は四角く区切られた飾り棚になっていて、何か液体が入ったビンやグラスやお皿が入っている。
他の壁は絵画が飾ってあったり、釣り戸棚に小さな花の鉢などが見える。
外からは気付かなかったが窓もあるが、真っ暗で外は何も見えない。
レンガ造りは外壁だけで中は壁も床も木造らしい。外見から感じた寒々しさはなく温かみを感じる。
正面には火の入ってない暖炉があり、その右には奥へと続く小さな扉がある。
左の壁沿いには上へ登る階段。
「こんにちはー」
弱々しく、呼びかけてみた。
…返事はない。
「こんにちはー!」
今度は奥や階段の上にも聞こえるように大きな声を出してみた。
……やっぱり返事はない。
困ったな。
とりあえずカバンを置き、開けたままだった玄関の扉を閉める。
開けっ放しは無用心だしね。
バタン!扉を閉めると案外大きな音が出た。
静か過ぎるせいで耳が敏感になってるだけかもしれない。
中に向き返る。
「すみませーん!」
今迄で一番大きな声を出してみたが物音ひとつしなかった。
不思議だ。
広間へ足を踏み入れた瞬間から、私は何か居心地の良さを感じていた。
初めて来た場所なのに、ここにある絵画や家具や調度品、床の木目にまで見覚えがあるような気がしている。
何もないがらんどうの部屋から私が選んだ物をひとつひとつ置いていったような親しみを持っている。
そんな気分に浸りながら、私は部屋を眺めていた。
しばらく部屋の隅々まで歩いたり眺めたり棚の中を確認したりして過ごした。
満足して玄関に目をやると、床に置いたカバンが目に入る。
そうだ。私のカバン、私のカバンか?……私が持っていたカバン、の中も見てみよう。
厚手の布で出来たその肩掛けカバンは袋状にした後わざと余らせた布地で口を覆うようにかけ、縫いつけた二組のヒモをそれぞれ結んでフタをする簡素な作りだ。
簡素な分、丈夫で修理もしやすいだろう。
綺麗に結ばれた二つの蝶々結びを解き、中を見ると大小の麻で出来た巾着袋が入っていた。
小さいものから開けてみる。
人参、ジャガイモ、キャベツ、大根等々…そして一番大きく重い袋には白く精米されたお米がたくさん。
そうか、これはさっきスーパーで買った物だ。
どおりで重いわけだよ。お米10キロだもの!
?…???なんでポリエチレンやビニールに包まれてた物が布のカバンで麻袋に??
わけがわからない。
じゃあポケットに入れてた家の鍵や財布は、と手をポケットに入れ、ない。
手は布地の表面をなぞっただけ。
ポケットがない。
ひらり、ひらり。
ジーンズじゃ、ない。
下半身に目をやる。ああ、なぜ今まで気付かなかったのか。
もう、なにも、わけが、わから、ない。
私は今、人生最大のショックを受けている。
ああ、どうして、これは、夢?夢ってこんなハッキリしてたっけ?違う。私の夢はこんなにリアルじゃない。見えるもの感じるもの感覚がリアルすぎる。
夢なら覚めて欲しい。でもたぶん、夢じゃない。ああ、眠いからかな。ここのところ徹夜続きだったからな。寝よう。寝よう。
フラフラとした足取りで階段を登る。
いいのかって?いいんだよ。なんとなくわかる。
2階にはいくつかの小部屋があって、小部屋の中にはベッドがある、あるはず。そこでもう今日は寝るんだ。寝たらきっと何とかなる。
ほらね。廊下があって、いくつかのドアがあって、奥のカーテンの向こうは洗面台があるはずだ。
寝室は手前の部屋だ。
ドアを開けると、そこには確かにベッド、本棚と小さなドレッサーとクローゼットがある。
床はパステルカラーの絨毯にクッションがいくつかと読みかけの本などが散らばっている。
それらを踏まないように注意して、ベッドに入る。
人なんかいるわけないので遠慮はしない。
さあ寝よう。とりあえず寝よう。何も考えずに。
あ、そうだ。これがもし夢なら、夢の中で寝るのは初めてだな……。
今何時だろう。お昼かな。夜かな。
目が覚めて、寝る前と同じ木造のハリと天井板を見ながらそんな事を考えていた。
私は寝起きがいい。
起きるとすぐさまパッチリと目を開ける、らしい。
修学旅行の時、先に起きてた同室のクラスメイトたちが「今まで寝てたのにいきなり起きた!」と笑い出す。
私にとってはこれが普通なんだけどな。
みんなはどう?
窓に目をやってみる。
レースのカーテンがかかっていて、外は真っ暗。
やっぱり夢じゃないらしい。
体を起こし、毛布から出てスリッパを履く。ピンクのボアと小さな赤いリボンがついたスリッパ。かわいいね。
部屋は寝る前と変わらず散らかり放題、床の惨状もさることながら、ベッドの上には前に脱いだらしい服や靴下がそのままにしてある。
とりあえず、掃除は後でしよう。
私はドレッサーの鏡を見ないように部屋を出て、洗面台へと顔を洗いに行く。
チョロチョロチョロチョロ……。
掛け流しの水が蛇口から常に出ていて、ある程度洗面台に溜まってから下のどこかに落ちていくようだ。
後で詳しく調べよう。
パシャ、パシャ、パシャ。3度水を手で掬って顔を洗う。
途中、顔を下に向けると伸びた髪が水面につきそうになったので、耳に掛ける。
髪は先週切りに行ったばかりだ。
洗い終わり顔を上げると、さすが洗面台、鏡があった。
長いまつ毛、大きな茶色の目、鼻筋がすっと通ってピンク色のかわいらしいくちびる、童顔と言えるだろう。
赤みがかった栗毛の髪は肩の下まで伸びている。
着ている木綿のシャツは胸元を紐で結ぶタイプで、寝てる間に解けたのか少し開いていたのを慌てて結び直す。
そして下は、ふわりと広がったロングスカート。
一応めくって中を確かめる。
ああ。
なんということでしょう。
神様……。
私は
いや僕は
違う俺は
女の子になってしまっていた。