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不意打ちの来客

『ちょっと、彦根さん?聞こえてるんでしょ?開けなさいったら!』


彦根さんが画面の前でフリーズしている最中、女性の声は未だ止むことも無く、リビング中に散々と響き渡る。彦根さんは頭を抱えたままだ。



私は立ち上がって、彦根さんのそばに寄って行った。間近で彦根さんを見上げて見ると、彦根さんの口からはぶつぶつと何かを思案している呟きが聞こえてきた。


うーん。やっぱりこれは望まざる来客って感じかしら。明らかに挙動がおかしいわ。


女性の声は諦める様子など微塵も感じない剣幕で、画面いっぱいに唇を晒して騒ぎ続ける。私一人が完全に蚊帳の外だ。



「あの、彦根さん?女性は開けてもらいたがっているようですけれど」

私は恐る恐る、彦根さんに聞いてみた。私はなんの気なしに声を掛けただけなのだが、どうやらそれはまずかったらしい。女性の声はぴたりと止んだ。彦根さんは私の思いがけない問い掛けにびくりと驚いたようで、慌てて私を振り返った。

「し!静かに!」

彦根さんは自分の手で即座に私の口元を塞いだ。彦根さんの目は困惑でたじろいでいる。


え?私、今なにかいけないことした?全く状況が読めないんですが。



声の主は静まりかえったまま、僅かに息を吐いたのだろうか。がさがさとノイズが一度部屋中に響き渡る。私は口元を塞がれたまま、目線だけをそっと画面へと移す。それは彦根さんも同じだったようだ。


画面から唇が遠ざかったかと思うと、ゆっくりとその映像を変える。そして映り込んで来たのは、真っ黒な髪がうねったように顔に掛かる、目つきの宜しくない中年女性の姿だった。


『誰の声よ』

中年女性の声は先程の勢いとは打って変わって、静かに底に響く威圧感があった。口元は笑っているように映っているが、その雰囲気はとてもじゃないが穏やかさなど感じられない。こちらに向けられた両目は、冷たくこちらに反論の予知など許さないと無言で語りかけている。


え?私の声、この女性に届いてる?

それとも私の姿自体もこの女性には見えてるの?



彦根さんは私の口元から手を離すと、頭を抱えて画面のボタンを操作した。その表情からは、諦めと降伏が見て取れた。彦根さんが画面を操作すると、映像はその女性が動き出すのを映し出し、間もなく元の真っ暗な画面に戻った。




「あの、彦根さん?」

説明してくれ。

彦根さんはため息をついて、私の顔を哀れむような目で見た。

「本当は落ち着いてから会わせようと思っていたんだ。これからここに来るのは俺の妻の衣織なんだけど、彼女の言うことは一切気にしないでくれ」

うん、なんだか好戦的なのは雰囲気でわかる。どうやらずいぶんご立腹の様子だしね。

だけどなんでそこまで怒ってるのかしらね、まだまだ情報が足りない。


「妻ですか。それならば私の方からご挨拶しなければならないのではないですか?」

正妻ならば、へりくだるべきは私の方だろう。私は首を傾げてそう答えた。

「いや、簡単にそうとも言えないんだ。伊織が来る前に実里は部屋に戻っていてもいい。俺に任せてくれていいんだよ」

「彦根さん、それでは奥様に対して失礼に当たる思うのですが......。奥様は私がここにいることも既にご存知のようですし」

私は首を傾げた。

「お会いしない方がいいのに、理由があるのでしょうか」

「あぁ......。実里には少し急過ぎる。今は会ってもあまり良いとは思えないんだ」


あれ?この感じってつまり、衣織さんは実里との面識がない?確か実里って隠し子で、彦根さんの結婚前に出来た子だよね?もしかして衣織さん、私の存在すら知らないんじゃないの?

「あの、衣織さんは私の事を」



言いかけた言葉は伝えきる前に、大きく響いた衝撃音でかき消された。玄関の方からとんでもなく無造作に扉をこじ開けて、力任せに閉じられる音が響いたのだ。

「早いな」

彦根さんはため息がてらそう呟くと、私を放って玄関へと出迎えに行ってしまった。



ちょっと。待ってよ、説明が足りなすぎるんじゃないの?さっきの映像と声から察するに、突然アドリブ効かせて初対面しろなんて難易度高すぎるわよ!部屋に戻れって行ったって、なんか今さらもう遅くない?私が実里ならともかく、こんなのちょっと規格外過ぎる!


呆然と立ち尽くしている間にも、リビングの扉一枚向こうからは一歩も引かずに怒鳴りあげる先程の女性の声ががんがんと聞こえてくる。彦根さん、ちょっと頼りないわ。



「ふざけないで!この私に黙って帰れっていうの?どきなさいよ」

ついにこれは逃れられない展開だ。私は覚悟を決める他ないらしい。

どたどたと床を踏み鳴らす音を響かせて、ついにリビングの扉はばたんと大きく悲鳴を上げて押し開かれた。

そこに立っている女性は、先程の映像よりもずっと美人だった。黒く毛先がうねった髪は、輪郭や首元をなぞって肩に掛かっている。つやつやと潤むような艷が、その黒さを一層引き立てているように見えた。真っ白な肌を隠すように色のはっきりした深紅のブラウスと黒のタイトなロングスカートを身に付けて、目つきはぎろりと私を見据えて冷たく光った。


「あんた......」

女性は私を頭から足先まで値踏みするかのようにぎろりと見つめた。その目はやはり冷たく、獲物を逃がすまいと見つめる獣のようだ。扉の取っ手に置かれたままの細く長い指先がぎち、と音を立てて取っ手を握りこむ。

あとに続いてきた彦根さんは少々怒りを帯びた表情で女性の片腕をがしりと掴んだ。


「衣織、まずは話を聞け。それからだ」

女性は彦根さんを振り返ると、憎しみでも込めたような目で睨み付ける。

「話を聞けですって?えぇ、聞かせてもらうわ。ずいぶんと馬鹿にしてくれるじゃないの」

「そうじゃない。とにかく話をするから一度落ち着け」






彦根さんは掴んだ女性の腕を引き込んで部屋に押し入ると、私の前に立ちはだかるように衣織さんとの間に入った。

そして首だけを軽く捻ると、彦根さんは私を見た。表情は硬いままだ。

「実里は部屋に行っててくれないか。急に申し訳ないが」

すると女性は、すかさず怒鳴り込んで彦根さんを睨みつけた。

「何を言ってるの?その子供はここで説明するべきだわ」

「この子になんの説明ができるって言うんだ?これは俺とお前の問題だ。子供を無下に巻き込むな」



彦根さんも衣織さんも互いに譲る気は無いようだ。ばちばちと静かに火花を散らす二人を交互に見て、既に覚悟を決めた私は静かに口を開いた。

「彦根さん、私も同席した方が良いと彼女が仰るならば、私は構いません。ご迷惑もお掛けしません」

そうして次に私は衣織さんに向き直る。

「衣織さん、ご期待に添えるかは存じませんが、衣織さんが望まれるのであれば私も同席致します。お怒りを沈めて彦根さんのお話を聞いていただけませんか」


衣織さんは私を一度見るとふん、と鼻を鳴らして噛み付くかのような威圧を私に向けた。そんな顔したって、私は別になんとも思わないわけだが。



私、中身は所詮NPCだしね。彦根さんに対してだって、親身になっていただいて感謝こそあれど、親子の縁などない。ついでにひとつ付け加えさせて頂くと、こういった血の繋がりがない義母から注がれる敵意には、キャラクターの立ち位置上慣れっこなのです、悲しいことに。



しかし私に向けてくる態度を見るに、衣織さんは実里の存在を知らなかったわけではない気がする。私に向けられるひしひしと伝わる敵意からは、得体の知れない相手を見るような様子があまり感じられない。私個人が勝手にそう思うだけなのかもしれないが、衣織さんの振る舞いは寧ろ、的確な憎悪に近い気がするのだ。


そこから予想するに、衣織さんは私が彦根さんと血が繋がった庶子である事を既に知っているのでは無いだろうか。






「いけ好かない事ね。本当に」

衣織さんはそう呟くと、手に掛けていた光沢のあるクラッチバッグをテーブルにぞんざいに投げ置いて、我が物顔で椅子に腰掛けた。



衣織さんが腰掛けて足を組んだところで、私は一度ちらりと彦根さんを見て頷いた。頷かれた彦根さんは私に懇願するような顔を返したが、生憎部屋に戻るつもりは無い。彦根さんが今この場で頼りになるのかと問われれば、正直頼りないきがしてならないが、とにかく私だってこの場にいて、二人の関係や衣織さんの動向を確認しておきたいのだ。


頼みますよ、という目線を一度送ると、私は衣織さんに続いてテーブルへと進む。衣織さんの真迎えを彦根さんに譲るように、そのひとつ隣の席に腰掛ける。彦根さんはテーブルに置かれた二つのマグカップとグラスを端に寄せると、衣織さんの真迎えの椅子に腰掛けて、真っ直ぐに衣織さんを見据えた。


衣織さんは彦根さんの様子など気にも止めずに、ずっと私を見下ろしている。その目はやはり値踏みするかのように、私を見下して朝笑ってさえいるようだった。

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