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いざ城へ Ⅱ

私の知る家。それは修道院だったり、城だったりする。もちろんNPCとしての役目を果たしてきた私に、昼も夜も無い。時間が経つに連れて、フィールドは陽が登ったり落ちたりしたが、どんな時間だろうと基本は修道院の庭に佇んでいる。もちろん隠しクエストが進んでいくと、その他ダンジョンを連れ回されたりするし、宿屋に入った後のイベントで一室を与えられる事はあるが。



そのどれもで、靴を脱いだ事など無い。所詮ゲームの世界なので、その感覚が生身の世界では有り得ないと言うことなのか。まぁそうだろうな。元いた世界じゃベッドの上だって靴で寝転ぶし。データの世界じゃ汚れなくても、生身の世界ではそうもいかない。



私はここまで歩いてきて、僅かに砂埃が着いた靴底をちらりと眺めて静かにそっとため息をついた。





生身の世界、なかなか不便なのね。

















言われた通りに靴を脱いで一段上に上がると、私は与えられた部屋に案内された。リビングのキッチンを通り過ぎ、右側の扉である。彦根さんは抱えていた荷物をその部屋に置くと、今度はリビングの左どなりに位置する浴室や御手洗の場所を確認して、最後に自分の部屋の場所を指さした。リビングを真っ直ぐ進んだ奥の扉の向こうだそうだ。そうして最終的に、私はリビングのテーブルへと腰掛けた。







「どうだろう、住みやすければいいんだけれど。それからこれ、実里が好きだったコーヒー」

彦根さんはキッチンからコーヒーを二つ持ってきて、一つを私の前に置くと向かい合う椅子に腰掛けた。





正直な感想を言えば、外観からは想像もつかない程狭くて質素だ。豪奢な城に違いないと思っていた分拍子抜けである。けれど、木目調の清楚な内装や、所々落ち着いた青に飾られたその部屋は私にとっては心が落ち着く風景だった。



やはり基本佇んでいたのが修道院だからだろう。私の持ち場である修道院は、白と青でまとめられたシンプルな場所だったし、私が身にまとっていたシスタードレスもまた、紺碧と白の清楚なものだった。



「素敵なところです。心が落ち着きますね」

そう感想を述べたところで、私は差し出されたコーヒーを上からそっと覗いてみた。......これがコーヒーというものか。



私はコーヒーを知っている。何故なら王都グリュッセンワードにある喫茶店でこのコーヒーを注文する事で、そのテーブルに付いているNPCからモブクエストの受注が出来たり、期間限定のパーティメンバーに中々強いNPCをスカウト出来たりするからだ。



ちなみにその喫茶店ではコーヒー以外にもチェリー酒、緑茶、ソーダ、ホットミルク等と数種類のオーダーが出来る。ドリンクによって違うのは、言わばクエストに登場する主な敵の属性だったり、スカウトできるNPCの主属性である。私から始まる隠しクエストが発見されて以来、コーヒーの注文は爆発的に増えた。何故なら敵が聖属性だから。......つまりコーヒーによって獲得出来るのは主に闇属性関連のあれこれなのである。









私がじっくりとコーヒーを眺めているのを見て、彦根さんは不安げに首を傾げた。

「コーヒーはやめた方が良かったか?」

「いいえ、彦根さん。頂きます」



私はマグカップの取手に指を掛けた。期待でどきどきと高鳴る胸をきゅっと押し込めて、その香りをすんと嗅いでみる。その香りはほろ苦い印象が強い。



いざ!初コーヒー!!





ごくん。

私はそっと口を付けて、一口飲み込んだ。



ん?んん?あれ?





「ごふっ」

私はマグカップに口を付けたまま、思わず吹き出した。なんと、とんでもなく舌に染みる。とてつもなくびりびりと苦い!



私もずいぶんと驚いたが、その私を眺めていた彦根さんもまたずいぶんと驚いたようだ。

「実里?!」

私の不祥事に彦根さんは慌てて立ち上がると、急いでキッチンへと掛けて行った。そしてすぐに、グラスいっぱいの水を手に戻ってくる。





私はそのままマグカップを降ろして、わなわなと震える手でそっとテーブルに戻した。



「こ、これは、ずいぶんと痺れる飲み物ですね」

平然を装って声を出したつもりだが、苦味で上手く装えなかった。実里の高くて可愛らしい鈴のような声は、喉を上手く抜けられずにうるうると震えて口から出たのだ。舌をぺっと出してしまいたかったが、そんな事は出来ない。私は王族で、修道女なのだ。どっちをとってもそんな下賎な真似はとても出来ない。



眉を下げて私を見下ろす彦根さんから水の入ったグラスを受け取って、それをすぐに飲み込むと、口いっぱいにその水を広げてゆっくり飲み込んだ。



実里、本当にこんな飲み物が好きだったの?

私の肉体は実里のものだが、今の私には受け付けないみたいだ。ちょっとこれは殺人的過ぎる。

さすが、闇属性に関連した飲み物だけあるという事だろうか......。





水で潤された事に安堵きてふう、と胸を撫で下ろすと、私は手に持ったグラスもテーブルにそっと置いた。

私の様子を見て同じく安堵した彦根さんは表情を緩めてもう一度椅子に腰掛けた。



「駄目だったか。まぁそもそもまだ十七歳でコーヒーが好きだったのが驚きだよな。何か別のものを用意しようか?」

私はゆっくりと首を振った。

「いいえ、このグラスで結構です。彦根さん、実里はどんな人物だったのですか?」

私は正面に座る彦根さんに、そう尋ねた。



「昔の実里か?そうだな。今の実里とは少し雰囲気が違ったな」彦根さんはテーブルにかた肘を付いて私を見つめ返した。

「それは、そうかもしれませんね」

そりゃあそうでしょうよ、とはもちろん言えない。中の人物が実は記憶障害なんかじゃなくて、そもそもゲームのNPCだよ!なんて言い出したら、今度こそ私は身ぐるみ剥いでぽい!となるに違いない。彦根さんがこうして私に親身なのは、私が実里だと信じて疑わないからだ。





「実里は、そうだなぁ。歳の割には大人びていたけれど、行動すれば子供らしい奴だった。なんでもない所で転んでみたり、いつも何かと忘れ物が多い。好奇心が旺盛だったりしてなんでも質問してくるあたりは、今も変わんないな」

彦根さんはそう言いながらうんうんと一人で頷いている。



「今の私と違うところはどんな所なんでしょう」

私は質問を続ける。この生活がいつまで続くのか分からない以上、とりあえずそこは知っておくべきだ。なるべく実里を演じなければ。

「そうだな。事故が起こる前の実里は、もう少し砕けた話し方をしたな」

「砕けた話し方、ですか?」

「そう、それだよ。ですか?なんて綺麗な言葉は、俺にはした事がなかったな」

彦根さんはそう言ってコーヒーを一口啜ると、やんわりと微笑んだ。



「そうですか......」

私は少し俯いた。つまり、騎士様達のチャットみたいな口調が良いのかな。なになにやろ?とかなになにやん、とか。なになにはよ、とか?うーん、難しい。





彦根さんは思い出したようにあ、と呟く。

「それと、あれだな。実里はゲームが好きだったな。あれ?そう言えば、実里がやっていたゲームが確か事件になってなかったか?」

何食わぬ顔でそう言った。

その発言に、私はぴくりと反応を見せる。



「ゲームですか?なんの?!」

私は少しばかり身を乗り出した。事件になったゲームって、それ私の世界のMMORPGじゃないの?!病院のテレビなる板で話していた、あれのことじゃないの?!



私の反応に彦根さんは驚いた顔をする。僅かに身を引いたが、額に指を置いて

「なんだったかな......」と考え出した。



思い出して。そこ、結構重要かもしれないのよ!





私の剣幕に少したじろいだ彦根さんは、引き気味になった体を少し起こした。

「引き取った実里の荷物に入っているんじゃないか?ハードはもう駄目だったみたいだが、確かソフトの方は無事だったはずだ」

ちょっと持ってきてみようか。そう言うと彦根さんは立ち上がり、私の部屋へと姿を消した。









残されたリビングで、私はグラスをゆらゆらと手元で揺らしながら考える。実里がもし私の世界のMMORPGをプレイしていたのなら。それが私の今の境遇に繋がっているのなら、もしかして私以外のNPCもこの世界に紛れ込んでいる?



私のように自我を持ったNPCはそう多くない。少なくとも修道院で自我を持っていたのは私だけだろう。決まった台詞だけを答えるだけのNPCには自我のある者なんてまずいないだろうと思う。恐らく私に自我が芽生えているのは、ゲームの中でキーキャラクターとなる事や、ストーリーの中でいくつかの行動パターンがあって、結果を多少左右させる立ち位置だからだと考えられる。その他何かの条件があったとしても、それは私には分からないが。



ゲームの世界全体を動き回れるわけでもなければ、NPC同士の会話が出来るわけでもないので、実際のところどれほどのNPCが自我を持っているのか定かでは無いが、私のように別世界に放り出されたNPCは存在するかもしれない。







考え込んでいると、彦根さんは一本のパッケージを手にリビングに戻ってきた。そして椅子に腰掛けると、それを私に差し出した。

「あったよ、実里」



私は差し出されたパッケージを受け取って、それをそっと確認する。パッケージには『Online live Knight』とかかれていた。......私はこのタイトルを知っている。

私はそのパッケージを見つめたまま、そっと息を飲みこんだ。間違いない、私の世界のゲームだ。パッケージの中心を飾る風景のイラストは、間違えようもない。王都グリュッセンワードの中心に聳えるレクヌート城である。

ぐわん、と頭が揺れるような気がした。このゲームと、実里と私。一体どんな繋がりが......。





「どういう事?」

そう、私が思わず呟いた時。













ピコピコピコピコピコ、ピコピコピコピコピコ



リビング中に、突然謎の電子音が響き渡った。

間の抜けたその音に、思わず頭から疑惑が吹き飛んでいく。

「何ですか?」

パッケージから目を離して、部屋中をぐるりと見渡すと、彦根さんは眉を潜めて不思議がりながら立ち上がった。

「来客か?こんな昼間に」



彦根さんはリビングの扉近くに埋め込まれた、テレビとそっくりの画面の前まで歩いていって、何かを指で操作した。すると、今の今まで真っ暗だった画面がぱっと明るくなり、次の瞬間誰かの唇が画面いっぱいに広がった。間の抜けたピコピコ音は、ぴたりと止んだ。









『ちょっと!彦根さん?!いるのね?早く開けなさい!!』



ピコピコ音がなり止むや否や、今度は中年女性のものらしい、少しばかり枯れた怒涛の声が部屋中に響き渡る。その声の主は機嫌が悪いのだろうか。あまり宜しくなさそうな口調である。彦根さんはその声に慌てた様子を見せた後、そのままその画面の前で固まった。



あれ?彦根さんフリーズしてる?





誰なのだろう。なんかまずい展開だったりする?

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