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出勤

 午前7時45分。外は青空がカラカラと笑うように晴れ渡っている。窓から刺す陽の光で目覚まし時計よりも先に祐介は目を覚ました。昨夜はなかなか寝付けなかった。忘れるどころか、〈元彼女〉の存在が更に大きくなった。

「準備しないと…。」

ベッドから這い出して仕事へ向かう支度を始めた。祐介はイタリア料理のレストランで働いていた。世間ではかなり有名な店だ。

幼い頃、母の料理を手伝うのが好きだった。母が喜んでくれるのが好きだった。褒められるのが嬉しくて小学生ながら寄り道もせず、学校から台所へと真っ直ぐに向かった。母はどこにでもいる普通の主婦で料理が上手というわけでは無かった。母の作る料理はレパートリーは少なったが、それがむしろ良かった。小学生でも覚えられる範囲だったからだ。もし母が料理上手だったら料理の仕事をしていないだろうなと祐介は思った。不思議な縁は至るところに落ちている。

この道に進むといったとき、大学の友人や先生は応援してはくれなかった。何のために大学に来たのかと、何度も聞かれた。それでも祐介は後悔していなかった。他にやりたいことも見付からず、なんとなく目に付いた仕事をしてる人よりも全然マトモだと思った。なによりも母は賛成してくれた。それが救いだった。

段取り良く身支度を済ませ、電車に乗り込む。

祐介のアパートがある下高井戸から職場がある新宿までは電車で10分ほど。ぎゅうぎゅうになりながら今日もあっという間に新宿へと辿り着いた。

改札を行き交う人たちが、小さな波のようにみえて祐介は故郷を思い出した。ザザーンという優しい波の音はしなかった。かわりに聞こえてくるのは無機質な改札の音。祐介寂しさを振り切るようにスタスタと改札を抜けた。職場のある都庁方面の出口へと歩く。

森のように高いビルが建ち並ぶ。そのなかでも大木であるケープラッドビル。その21階にあるレストランが祐介の職場だ。

IDカードを機械に通し、真っ白いコックコートに着替えた。私服からコックコートに着替える瞬間は、幼い頃にみたヒーローの"変身シーン"みたいで祐介は少しだけ強くなった気になる。着替えを済ませ、挨拶を済ませ、今日の入客数を確認した。土曜日だったが、今日の予約数は予想外に少なかった。自分が使う道具を準備し仕込みに取りかかる。

レストランでは四季によって変わるスープが有名だ。寒さのピークとも言える2月の中旬はコーンポタージュがとにかく売れている。あまりにも人気があり、仕込みが常に追いついていないのが厨房の現状だ。

トウモロコシを蒸し、皮を剥いて実を削ぎ取とり、コンソメと共にミキサーにかけ、何度も漉す。スープは漉されるほどに不純物が無くなり輝きだすようになる。少女が女性になっていくように美しく垢抜けていく。そのスープを火にかけ、生クリームやバターを少しずつ加えながら、鍋の底が焦げ付かないようにかき混ぜ続けていく。上司に味を確認してもらい、祐介は無事にスープの仕込みを終わらせた。時計を確認した。オープンまだ時間に余裕がある。頼まれていたパスタのソースを仕込みに取り掛かった。スパゲッティではなくパスタ、ミートソースではなくボロネーゼ。同じものなのに言葉の響きが違うだけで全く違うものに聞こえたりするから言葉は不思議だ。全ては言い方次第で何とかなったり、ならなかったりする。

〈元彼女〉はコピーライターをしていた。言葉を操る仕事は無数にある言い回しから1つを選びとってピカピカと輝く言葉を作り出さなければいけない。大体の分量、やり方が決められている料理とは違ってレシピすらない。コピーライターの〈元彼女〉はいつも大変そうだったなと、思い出しながらボロネーゼの味を調節していく。

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