キンセンカ
俺は味噌汁を一口啜る。
大昔とは異なり、最近は異世界からの転生やら転移やらしてしてくる人達が多く、その技術は二束三文で教授されている。余談だが、彼らの多くは処刑されている。こちらでの生活に慣れてくるについて横暴な態度をとり、王侯貴族の不評を買っているからだ。既得利権を脅かし刺されて死んだという話も聞く。馬鹿としか言いようがない。
……食事中に考えることではなかったな。
俺は箸でほくほくの具材をつまみあげ、口に運ぶ。
……味噌汁にじゃがいもが入っている。シェフは俺を糖尿病にしたいのだろうか……汁物やオカズに炭水化物を使うな。しかも、芯が残っている。火が通りにくい素材は水から煮立てないないとこのように固さが残る。そして何より残念なのは風味だ。味噌は既に死んでいる。
……とても残念だ。
俺は食事を止め、味噌汁の入った器をオーバースローで振りかぶって、床に投げ捨てた。
カランカランカラン……
木製の器がレンガで出来た床の上を転がる。
雑踏が賑わう店に沈黙が訪れた。
「何か不備があったのでしょうか」
店員がおずおずと俺に伺いを立てる。よく見ると、両肩を立て怒りを堪えているのが読み取れる。頭の上のカウンターは勢い良く跳ね上がる。既に30を突破した。なかなかの逸材だ。
「貴様……味噌を煮立てたな?」
「へ?」
驚いた顔をする看板娘。予想外の会話の流れに、頭が追いついていないのだろうか。呆けた顔をしている。
「味噌の臭いの大半は……アルコールの香りで構成されている。90度を超える熱はアルコールを分解させ、その甘美な香りを失わせる。そのため煮立つ寸前で火を止め、弱火に変えることで風味を留める。……これは味噌汁の基本だ。貴様の味噌汁は児戯に等しい!」
「じ……児戯……」
膝から崩れ落ちる美しい店員。俺は彼女に唾を吐き、店を後にした。
◆ ◆ ◆
俺を囲む4人の荒くれ達。その手には使い古された両刃剣や、乾いた血のついたメイスが握られていた。
「よくも俺達のモモちゃんを傷つけたな!」
「モモちゃんは健気に頑張っていたんだぞ!」
「……許さん」
言葉とは裏腹に頭上のカウンターは10にも達していない。ダメだな……ダメダメだ。
「むさい男ども、モモちゃんと言うのは先程の食堂の女性給仕のことか?」
「そうだ。俺達……この街の冒険者のアイドルだ」
冒険者とは、僅かな対価を求め危険な仕事をする底辺の職業の1つだ。まあ、どんな底辺でもその頂上は富と名声を得られる。そのことに変わりはないが。
話を戻そう。
食堂の給仕は、確かに美しい顔をしていた。しかし……
――――「彼女は美しい」
俺の一言に場が凍りつく。
「お……おお。そうだ美しいんだ。そんな彼女に――」
「しかし、貴様らが闇討ちするのは何故だ? その2つの因果関係が結びつかないように思える」
続く俺の言葉により、再起動した冒険者の脳みそが再びフリーズした。俺は追い打ちをかける。
「好かれる可能性があると思っているのか?
……知っているか?
女に好かれる男は顔が良い男だけだ
万に1つも貴様らが好かれることはない!」
――沈黙の後、
両手剣を持った男はその剣を地面に落とし、顔を両手で覆った。
メイスを持った男は血の付いたメイスで近くの岩を殴り始めた。
寡黙そうな男は天を仰ぎ、血の涙を流し始めた。
俺はトドメを刺す。
「笑顔を振りまく貴様らのアイドルとやらも、夜はイケメンの彼氏に抱かれて恍惚とした表情を浮かべているのだぞ。……で、貴様ら、何しに来たんだ」
魂からの慟哭が乾いた空に響き渡る。
◆ ◆ ◆
「オークだ! 武装したオークが北の森で群れをなしていた!」
五月蝿いアホが駆け込んできた。小さな街では酒場が冒険者の仕事斡旋所を兼ねていることがある。俺の滞在しているこの街も類にもれているわけではない。
ホップの効いたラガーで口直しをしていたのに、酒が不味くなるニュースだ。
酒場のマスター兼冒険者ギルド長が、数がどれだけいたかなど詳細な情報を聞き出している。落ち着きのないアホは「やべえ。やべえ」とやべえを連呼する。お前の頭の中がやべえよ。給仕や受付の女性は顔が青くなっている。オークに壊れるまで犯されることを想像したのだろう。
こういう実入りが悪そうなのは無視するに限る。実際にオークが襲ってきたら逃げれば良い。発情して街の女を犯している間に楽々と逃げられる。
……気づくと、皆が俺を睨んでいた。特に女性陣の視線は俺を貫くかの如き鋭さがある。頭上のカウンターも鰻登りだ。
「口に出てた?」
「ああ。思いっきりな」
酒場のマスターが俺の仮説を証明した。
「ちょっと早いけど、街を出てくわ。世話になったな。
……まあ、何だ。その……頑張れや。何とかなるだろ」
俺はそう告げると銀貨を3枚、木のテーブルに置いて席を立つ。
この街では随分と稼がせてもらった。お陰で、老人から幼児まで、俺の悪名を知らないものはいないくらいだ。
◆ ◆ ◆
俺は独り、森を歩く。
この世界にはスキルというものがある。スキルとは技能の結晶であり、生まれ持った才能でもある。スキルがあるか、ないかの差は大きく、多くの人は生まれ持ったスキルによって生き方を決められる。
『聖魔法』のスキルがあれば、聖職者に。
『剣術』のスキルがあれば、騎士に。
『探索』のスキルがあれば、冒険者に。
俺も大勢と同じくスキルに人生を決められた1人だ。
……ただ、そのスキルがちょっとばかりレアなスキルだった。
『キンセンカ』
キク科の花。冬から初夏にかけて花を付ける。明るい花とは裏腹に暗い花言葉を持つ。「悲嘆」「嫉妬」「絶望」「軽蔑」、そして「偽り」……
そんな不吉なイメージの花と同名のスキルは、所持者にどれだけ自分が嫌われているかを視認させる。
……そして、嫌われれば嫌われるほど己の身体能力が向上する。
俺は猿羅のように森を駆け、勢いそのままに大剣を袈裟に振り降ろす。
潰れ、拉げ、捻子切れる。
驚き、そして恐怖が伝搬し、群れを感染していく。
俺の振るう剣は剣術なんて上等なものではない。ただの身体能力任せの一撃だ。防具のない場所を狙うような器用な真似もできない。
偉人の言葉を思い出す。
「レベルを上げて、物理で殴れ!」
言い得て妙だ。
さて、豚ども思い知れ。俺の物理は量子力学よりも恐ろしいぞ。