奪った彼の未来と捨てた私の未来
夜半にも関わらず、城内が少しずつ騒がしくなっていく。
私はその騒音がじわりじわりと身を蝕んでいくような気がした。
「少し外を見てまいります」
護衛のランベルトがそう言ったが私は首を横に振る。
「大丈夫よ。行くだけ無駄だわ」
ティーカップを傾けてぬるい紅茶を口に含む。
私は首を横に振ったものの彼は不満なのかしきりに扉のむこうを気にする。
「ではそろそろ就寝なされてはいかがですか?いつもより随分と遅い時刻です」
まるで執事のような甲斐甲斐しさに笑いそうになる。
彼は騎士であり、王女である私を守るために派遣された護衛役なのに。
確かにいつもの就寝時間は過ぎているのに未だに室内用のドレスを身に付けて、優雅に紅茶を飲んでいるのだ。
けれど、それももうすぐ終わるのだから。
そう言ってあげようと口を開きかけた時、扉のむこうが一段と煩くなった。
鳴り響くチェインメイルと靴音と剣の音。それだけあれば十分である。
部屋の主の許可なく、乱雑に扉が開けられる。
「第一王女、ソフィア殿下の身柄を確保する!」
それは私が待ちに待った言葉だった。
私が生まれた国は大きくない、けれど自立した騎士の国だった。
私はそこの国王と王妃の唯一の子供として生を受けた。
両親は子宝に恵まれずやっと生まれたのが私だったからかたくさんの愛情を受けて育った。
両親は私を愛してくれた。
立派に、一人前の淑女になるようにとの願いは子供のころから感じていた。しかし両親は私だけを愛していたわけではない。国民も、隣接する敵国も、全てを慈しみ愛していた。
その優しさが優しすぎて、国民に理解されず、周りが見えなくなるほどに。
孤児院などへ糸目をつけず出資し、利益を求めず諸外国と外交をする。出資してくれる貴族には簡単に名誉ある騎士の位を授ける。
気付けば誉高い騎士の位には金しか持たず、国王夫妻にただ媚びへつらい、裏ルートから諸外国に法外的な金銭の要求する商売しかしない貴族しかいなくなった。
結局騎士には裕福な金持ちしかなれないのだ。
そんな中、王立騎士団は設立当時から掲げられている「身分に関係なく志のあるのもなら誰でも入れる」という条件の下、運営されていた。特に騎士団員は青色の団服を着ることから”聖職騎士団”または”青色騎士団”と呼ばれ尊敬される。
しかしそうやって入団し、騎士を目指すが上位の腐った貴族騎士の所為で実力を認められない人も多くない。
ランベルトもその一人だった。
突然の訪問者は私をしっかりと睨み付けていた。何人もの男がその鋭い視線で私を射抜く。
私は無意識に怯えていた。
「ソフィア様、お下がりください」
いつもより上擦った声のランベルトは剣の柄に手を掛けたまま私の視線を遮るように前へ立ちふさがる。
「こんな夜半しかも主の許可を得ず立ち入った用件は何でしょうか」
真っ黒な外套を纏った男が何人もこちらをにらみつけていた。
「ソフィア殿下の身柄はこちらで預かることとなった。これは王立騎士団長からの命令である。ランベルト・ホフマン、お前も例外ではない。命令に従え」
王立騎士団、とランベルトが微かに言葉を零したのを私は聞き逃さなかった。
いつかこの日がくることを私は知っていた。
勿論訪問者が他国の使者やどこかの裏切り者や刺客の可能性も考えてはいたけれど、やはり王立騎士団だろう。なんていったって建国から続く誉れ高き騎士の集団なのだから。
私はゆっくりカップをソーサーの上に戻す。
「構いませんわ。誉れ高き王立騎士団様からのお話しですから。それに、私はこの日を待っていました。」
そして私はやっと立ち上がり、ランベルトの横をすり抜けようとした。
けれどランベルトが手首を掴む。
「殿下、だめだ、行くな」
ランベルトは焦っているのか敬語が外れている。
きっと聡明な彼は気付いたのだろう。
しかしここで止める気も、抵抗する気も私にはなかった。
私は振り返ることなく、言葉を返す。
「ランベルト、貴方は騎士団の所属でしょう?命令には従うべきではなくて?」
「それでも、だめだ」
苦虫を噛み潰した表情で断言しているであろう彼の表情がありありと思い浮かぶ。
「ここで行けば、殿下は、」
「今まで私の護衛をさせてしまって悪かったわね。それが貴方の汚点にならなければいいのだけれど」
彼の手が震えたのが分かった。
その瞬間に掴まれていた手を振り払い、私は前へ進んだ。
「ありがとう」
二度と戻れないであろう私室と最後まで守ってくれたランベルトを振り返り、笑った。
身柄を拘束するというのは結局牢獄へ罪人を連れていくことであり、その際に王女殿下の身分は全く持って意味がないことをしみじみと感じた。
あの日私室を出てすぐに目隠しと手の拘束をされてたどり着いたのは地下の牢獄であった。
ただの木製の台で作られたクッション性なんて無いに等しいベッドしかない薄闇の世界。
空気は淀み、湿気と蜘蛛とカビがお友達である。
しかし不思議と後悔も辛さも絶望もない。
両親の過多な愛情に反して周囲の目は厳しいものだと気付いたのはいつだったか。
今にして思えば現実を知らない理想主義の両親だったのだろう。
お友達と称された同年代の子供から罵声を浴びせられることもあった。侍女からの嫌がらせや毒を混入されることもあった。
最初こそ両親に泣きついていたがそれが更に悪い方向にいくことも知ってから何も言わなくなった。
それでも人々は確かに恨み不満を募らせていくことを私は感じていたし、いつかこの生活は終わるのではと思っていた。
だからこうやって心穏やかにいられるのかもしれない。
◇
昼とも夜とも分からない日々を幾日送っただろう。ある日こんな牢獄にも訪問者が来た。
青い見慣れた衣装ではなく、赤い騎士団の紋章を付けたランベルトがそこにいた。
「かっこいいわね、新しい団服。まるで血を浴びたかのような赤い色ね」
逆光のため彼の表情は見えない。しかし、彼は唇を噛んだ。
その動作だけで十分だった。
「いいのよ、気を使わなくて。安らかだった?」
お人よしで、優しすぎるほど優しい人たちだ。みなが一気に反逆ののろしを上げれば自分の罪を認めて引き下がると思っていたがそうでもなかったのだろう。
両親の死はなんとなく予想していた。
「王宮から脱出したあと、直轄地で自害されたそうです」
そう、とだけ私は口にして、考えた。
きっと王座を血で濡らしたくなかったのだろう。何よりも国を愛していた人たちだったから。
目を閉じれば両親の幸せそうな顔が浮かぶ。けれど目を開ければ、そこは牢獄である。
「ランベルトはどう?無事に済みそうかしら」
「私のことより殿下のことです。すぐに助けます。」
迷いなくそう言い切った彼は生粋の騎士なんだろう。その強い思いが眩しかった。
気が緩めば涙がこぼれそうだった。
「……ランベルトと出会ったのは8年ぐらい前かしら。まだ貴方が正式な騎士団員になってすぐよね」
私の唐突な話に彼は一瞬戸惑ったようだがすぐ頷いた。
「あの頃はまだ殿下もおてんば……いえ子供らしかったです」
「気を使わなくていいわ。実はね、初めて貴方を見て惚れたのよ。この人は本物の騎士様だって。だからつい護衛にしてくれって頼んでしまったわ」
でも、それはきっとランベルトの人生における最大の汚点だ。なんていうのは彼に失礼なのだろう。
「貴方の未来を奪ってしまってごめんなさい」
そう言えばランベルトの雰囲気が変わった。しかし表情が読めないこの状況ではどう変わったかよく分からない。
お目付の騎士が何かを伝えている。きっと時間なのだろう。
ランベルトはお目付の騎士との会話を終えると真っ直ぐに私へ向いた。
「ソフィ」
その呼び方はもう誰も呼ばないものである。唯一呼べるのは、おてんばで、まだ世界を理解できてなかったあの頃の私に出会ったランベルトだけだ。
「懐かしい呼び名ね。なに?」
「生きたいか」
率直な言葉だった。
ああ、こういうところが彼が彼であり、騎士である所以なのだろう。
そして私も迷わずに答えた。
「いいえ」
「生きることを放棄するのか」
鋭い言葉が突き刺さる。
生きることを放棄するのかもしれない。けれど、もう十分なのではないかと思うのだ。愛する家族を失い、憎悪の中生きていくなんてこと私はできない。
「……そうかもしれないわね。でも、もう十分幸せだわ。ありがとう。貴方の未来が幸せでありますように」
陳腐で使い古された言葉。でもこれ以外の言葉は見つからなかった。
ランベルトが立ち去ってすぐ、私は首から下げていたロケットを握りしめた。
あの夜に連れ出されたままの恰好で身体検査すらされなかったことが功を奏した。
ロケットの中には国王夫妻であり愛する両親の肖像画がはめられている。
「お父様、お母様」
私は声を押し殺して泣いた。
私は無力な元王女であり、今となっては罪人の娘できっと罪人でもある。
そのためか日中から監視が少ない上に夜になれば巡回回数が減ることを知っていた。むしろその巡回回数で昼夜を認識していた。
ランベルトが訪ねてきたその夜、私はもう一度あのロケットを取り出した。ただでさえ薄暗い牢獄である。夜になれば更に光は入らず、中の肖像画は見えない。
しかし肖像画に用はない。あるのはその下である。私は心の中で謝罪をして、肖像画を静かに破いた。
そして中から小さな錠剤を取り出す。
私はそれを躊躇いなく飲み込んだ。
深く息を吐き、静かな牢獄の中で耳を澄ませる。
十分もしないうちに体に力が入らなくなった。座っている力すら出なくなり、ずるずると壁にもたれる。頭が痛い気もする。体温が下がっていく気がする。何もかもが気のせいのようだ。
浅い呼吸しかできなくなり、私はそっと目を閉じた。
父が王立騎士団へ視察に行くと言ったので私はついていきたいと言った。
この国は騎士の国であり、騎士は尊ぶものである。立派な騎士のお話なんて絵本で沢山読んだし、今では活字でも読んでいる。
そんな騎士様に会いたかった。
父と手をつなぎ、まるでお出かけのように気分がよかった。
視察と言っても実は王立騎士団の入団式だった。
真新しい青色に身を包んだ若い人たちがいた。入団式では慣例として新人の剣の試合が行われることになっていた。
初めて見る真剣での勝負は恐ろしく怖かった。けれどその中で目を奪われた人物がいた。
まだ体は細く、力もどことなく弱い。けれど強く鋭い攻撃だった。
今になって思えば、私は彼に魅せられたのだ。
「貴方は強いのね!すごい!!」
思わず駆け寄れば彼は一瞬戸惑った表情を取ったものの、すぐに頭を垂れた。
それは私が8歳でランベルトが16歳の真っ青な空が広がる春だった。
それから一年、私は騎士団の詰め所に入り浸ってはランベルトに話しかけた。王女が入り浸ることにきっと他の人はドキドキしていただろうがそれは今となっては分からない。
最初は敬語だったランベルトもいつしか砕けた口調になり、そして見えた素の彼が輝いて見えた。そして更に確信したのだ。
この人本物のは騎士様だ。
そう強く思った。
三年後の冬、国王の毒殺未遂が起こった。犯人は側近だった。しかし国王は犯人を処断せず、ただの配置換えにしかしなかった。
11歳になった私は国王夫妻が国民から、貴族から愛されてないことを察していた。
他国からの詐欺のような外交にも苦笑するだけだった。「彼らにも何か事情があったんだよ」と私の大好きな父は言った。
私は何度も何度も言った。もっと強気ででなければ国民は納得しない。もっと国を発展させるために利益を求めるべきだ。
けれど父は母は、首を横に振った。
それでは皆が幸せになれない、と。
それから一年後、彼を見た。彼はとある貴族騎士の御者役をしていた。
ただの、使われるだけの、下位騎士だった。
この時すでに王立騎士団は騎士の中でも下位であり、金でなり上がった貴族騎士との絶対的な差があることを知った。
真っ直ぐで、羨ましいほどの強さを持っていた彼は庶民出身であり、決して貴族騎士にはなれない。このままでは一生、薄汚く犯罪まがいを行って生きている貴族騎士の下に居続けるだろうか。
そうして彼は騎士であることを辞めてしまうのだろうか。
嫌だった。
彼が、騎士でなくなることが。
彼が、希望を失ってしまうことが。
その頃には私への嫌がらせも殺人未遂も起きていた。そのため護衛も侍女もすぐに変わっていく日々であった。
私はほとんどない伝手を使って、両親に願って、護衛役を強請った。
そしてランベルトは王立騎士団から出向という形で私の護衛になった。
彼の未来を奪ったのは私だ。
国民に愛されない国王がいつ失墜するかなんて予想できていたのに、私は彼の手を引いてしまった。
けれど、私が死ねば終わるだろう。
彼は生粋の騎士だ。騎士の国で、誉高い王立騎士が取り戻したこの国はこれからも騎士の国であり続けるだろう。
だから、どうか、彼が幸せであればいい。
私は幸せだった。ランベルトが居て、私を愛してくれる両親が居た。それだけで十分だ。
施政者としてはダメだったけれどそれでも彼らは私の愛する家族だから。
眩しいほどの真っ直ぐに私を見てくれた、好意や憧憬すら超えて大好きだった彼だから。
体が軋む違和感とガタガタ揺れる音、そして何か暖かい感覚がする。
そう思えば意識は急浮上していった。
見えた風景は薄暗かった。
しかし今までと違い湿っぽさは無く木材の香りが強かった。
「……あ……」
声を出そうにも喉がカラカラだった。
「やっと起きたか」
耳元で聞こえた声に私は耳を疑う。
何とか首を動かせばランベルトが居た。しかも至近距離である。
「ラ……ンベルト?どうして貴方が、いえ、なんで私は」
生きているの?という疑問が口を出ることはなかった。
その代わりにランベルトは私を強く抱きしめていた。
「生きていてよかった」
ぽつりとつぶやかれた声だった。
どうやら今までランベルトに抱きかかえられていたようだった。
彼の体は熱く感じられた。
揺られる振動は荷馬車のようであることを察して、項垂れてしまった。
「貴方は私を助けたのね」
最後に会った時の言葉に嫌な予感がしていた。彼はきっと私を助けようとするのではと。
なんてことだ。
「ソフィ」
抱きしめられたまま、ランベルトは名前を呼んだ。
「あの日、ソフィは俺の未来を奪ったと言った。けれどそれは違う。ソフィによって、もう一度騎士になれたんだ。もしお前が俺の未来を奪ったのなら、その未来を俺は一人で生きるなんてことないだろう」
苦しそうに彼は呟く。その言葉はあの頃の彼と変わらない。
ああ、彼は優しい。
これでは私は甘えてしまう。
独りが怖いと気付いてしまう。
「私は、貴方を連れていきたくはないわ。貴方は、私が憧れた、騎士様だもの」
堪えていた涙が零れ落ちる。
独りは寂しい。けれど、ランベルトを連れていくなんて、したくない。
零れた涙にランベルトの指が触れる。
「理想の騎士なら、主の側を離れられない」
優しく笑ったランベルトはそっと私の瞼を閉じさせた。
「遠くへ行こう。誰もソフィを知らないところへ。この世界にはソフィが知らないことが沢山ある。どこに行っても、どれだけ月日が経っても、俺はソフィの騎士でいる。だからもう一度生きることを選んでくれ」
抱きしめられた暖かさと安定し始めた馬車の振動、そして彼の手による暗闇が私をもう一度まどろみへ誘う。
「次に目覚めたとき、世界は変わるから。そのとき返事を聞かせてくれ」
長い間かかっていた呪縛が解けていく気がした。
この言葉が後にランベルトと夫婦になる理由となるなんて気づきもせず、私は意識を手放したのだった。