1-2 目が覚めて
……あれ、ここはどこだろうか。
視界に広がるのは路地の景色ではなく、なんというか、わかりやすく表現するならばベットの上で、視界の一面に知らない天井。
あたりを見回せば大きな窓には真っ白なカーテン、やたらと清潔感のある部屋。
そして俺が着ているのは……病衣?
それらから推測するにどうやらここは病室、つまり病院だ。
いやわかんねぇよ。
思わず一人脳内ツッコミを決めてしまった。
なんで俺は病院に、なんでベットの上に寝ているんだ。
俺は路地で対象を待ちかまえ、獣器を構えていたはずだ。
俺が目を開けるまでの一瞬に何が起きたんだ?
もう一度部屋の中を見回す。
ベットの横のあった簡素なTVラック、その上に新聞とデジタル時計が乗っていた。
デジタル時計は年と日付と湿度とかまでわかる、便利なやつだ。
「……ん?」
なんか変だ。
そこに表示されている数字に強烈な違和感を感じる。
―― 2054年9月5日11時58分
2054年 うん、わかる。
9月 はい、そうですね。
5日 ちょっと何言ってるかわからないです。
三日経ってた。
「なんじゃあそりゃああああああああああああああああああ!」
三日喋ってなかったから、ちょっと声が裏返った。
でもそんなことを気にしている場合ではない。 本当か、この時計が映している数字は真実なのか!?
新聞を開け! ―― 9月5日付のアズマタイムスだ。
テレビをつけろ!――『正午になりました。 9月5日、お昼のニュースです』
……マジかよ。
俺が恐怖でわなわなと身を震わせていると病室の扉が開く。
「病院では静かにしろバカが……目が覚めたみたいだな狗谷飼育官補……いやもう違ったか」
入ってきたのは見知った髭面、銅島飼育官長。つまるところ俺の直属の上司である。
この人が俺の前にやってくるのは二通りの時しかない。
俺がなにかをやらかした時か、酒を飲む相手が見つからなかったときだ。
今日はどっちだ、いや、考える間もなく前者だろう。
彼とてさっきまで眠っていた病人を呑みに誘うほど非常識ではない。
とすると、俺は何かをやらかしたのだろうか。
三日間の間に、もしくは眠る直前に。
「狗谷飼育官補、君は今日付けで飼育官への昇進が決まった。 クラッカーでもならしてやりたいところだが……病院ではお静かにって自分で言っちまったからな」
……昇進?
何を言っているんだこのおっさんは。
ポケットから取り出した金と銀の縞模様のクラッカーを持ち、紐をつまんでゆらゆらと揺らしている。
催眠術かなにかだろうか。
そんな方法をとるなんて、ドッキリにしてもタチが悪い。
「ドッキリに催眠術を使うなんて随分と無粋じゃないですか」
「催眠術? 何言ってんだお前は、スクーターに撥ねられて頭でも打ったのか?」
呆れたような顔でどうしたもんかと頭を掻く銅島さん。
どうやら会話が噛み合ってない。
スクーターに撥ねられたとか言ってたけど、なんのことやら。
まずは俺の身に何が起こったのか、それを聞くのが先決だろう。
「あ、あの……銅島さん!」
「失礼します」
俺の声は、開けっ放しの病室の扉から入ってきた女性の声に阻まれた。
「私から簡潔にお伝えします……狗谷飼育官補、先日起きたスクーター暴走事件での活躍と功績を讃え、あなたの飼育官への昇進を認めます、とのことです」
銅島さんに続いて意外な訪問者である。
いや、銅島さんが来たということは彼女が来るのは決しておかしくないことではあるが、眷獣官の末端も末端の俺のところにやってくるのかと、少し驚く。
彼女は月上亜里沙、銅島さんの秘書だ。
俺の頭の中の疑問符はなくなるどころかどんどん増えていく。
百歩譲って昇進は理解したとしてもそれに至った活躍と功績……スクーターに撥ねられたんじゃなかったか。
「まだわかってないような顔してんな」
「少し簡潔過ぎたかしら……?」
「じゃあ、よく聞いとけよ。 お前は三日前、その身を挺して暴走するスクーターを停止させ、犯人を無傷で確保したんだ」
頭の中ですべてがつながった。
俺の三日前の記憶の最後、そこに一瞬映っていた金髪の女が暴走スクーター事件の犯人であり、俺はそれを何らかの方法で逮捕したのだ。
我ながら凄まじい眷獣官根性だ。 あの一瞬で犯人を傷つけないように絶妙なタイミングと当たり所でスクーターを体で停止させ、朦朧とする意識の中犯人に手錠をかける。
なるほどこれなら昇進も頷ける。
それにしてもこれって……
「……俺、めっちゃかっこよくないですか?」
「ぷっ……」
銅島さんが吹き出しかけた。 自画自賛が過ぎたのか。
「これ以上はなにも言わないほうがいいと思うわ、狗谷飼育官」
いつもは常に真顔な月上秘書も少し口角が上がってた。
「月上さんまで!」
「まあ……これ以上無自覚に傷をえぐらせるのもよくないから、そろそろ本題に入るぞ」
「本題、ですか? 銅島さんと月上さんがここに来た本題って俺の昇進の話をするためでしょう」
「それもそうなんだが……なんていうのかな、それに関連してお前の飼育官としての初めての仕事を持ってきたんだ。 今日はそれについてのお話。 月上、説明頼む」
「はい。 狗谷飼育官、あなたには先日確保された来嶋 サキ《くるしま さき》氏の事情聴取をしてほしいの」
「事情聴取……ですか?」
さっきから確保に事情聴取、単なる言い間違いではなさそうなのでなにか裏がありそうだ。
いやな予感がする。
もしかしてなにか面倒なことに巻き込まれているんじゃないか。
いや、十中八九巻き込まれている。
「いやぁ……それがね……事情が事情で……」
やっぱりな。
すごく申し訳なさそうにして俺から目をそらす月島秘書。
「君も気が付いたみたいだけど、私たちが逮捕じゃなくて確保とか、取り調べじゃなくて事情聴取って言ってるのはね、彼女はまだ逮捕されてなくてあくまで重要参考人ってことなの」
「現行犯で逮捕されたんじゃないんですか!?」
「その辺の話はお前を撥ねた女に聞けばわかるだろ」
「そうね……今回あなたに事情聴取を担当してもらう来嶋サキ氏、正確に言えば来嶋サキ眷獣官補に……ね」