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恋愛恐怖症  作者: 黒川 珠杏
【新しい街】
5/56

まだまだ。


翌日。



「おはようございます。」


 定時より30分着くように早く家を出たのには理由があった。


 昨日、一度だけ教わった記憶を頼りに、今の私の職場となった部署へ迷わずたどり着けるかどうか、それが問題だった。


出勤してくる人たちの流れに沿って社内に入ることは出来ても、営業部まで案内してと申し出るのには勇気がいるし、まだ誰が営業部の人か顔も覚えていない。


同じ時間帯に出勤してくる人の約半分は、生産ラインの人たち。

その生産ラインの人達は途中で別れてしまうため、なんとしても自力で辿り着かなければならないと思ったのだ。


その上、玄関から営業部は一番遠いときた。


心細い思いをしながら、記憶半分、勘が半分でどうにか『営業部』と書かれた入り口を見つけた時には思わず息を吐き、既に今日の仕事をやりきったような疲労に襲われかけた。


途中何度か行き止まりだったけれど、無事定時15分前には着けてほっとする。


挨拶をしながら開かれたままの扉をくぐるとそこには数人の社員が既に出勤していた。


「あっ!来生さん来た!

おはようございますー!」


 私の顔を見た瞬間、花が咲いたような笑顔をした一人の女性が駆け寄ってきた。

 確か、昨日一瞬だけ挨拶をした、同じ派遣先の・・・名前、何だっけ?


「本当だったら昨日挨拶するはずだったけど、改めて。同じリクルートラインの平岡菜月(ひらおかなつき)です。よろしくね。」


 昨日、柿本課長が言っていた同じ派遣先の先輩だ。

 そう言えば昨日は挨拶する間もなかったっけ。


「は、はいっ。来生優衣です。よ、よろしくお願いします・・・。」

「そんなに緊張しなくていいよー。歳も変わらないくらいだと思うし、敬語とか気にしないで気軽に『なっちゃん』とか呼んでいいからね!」

「え!?そんな・・・。」


 なんて、気さくに話してくれる平岡さんがすごい人に見えてきた。

 すぐ人見知りする私には、いきなりここまで気さくに話せないから・・・。


 でも、正直こんなふうに接してくれるのは嬉しくて、胸の中が温かくなる。


「うそだー。なっちゃんのほうがだいぶ年上でしょ?」


 そう言って平岡さんの少し後ろから話に入ってきたのは、播磨さんとはまた違う雰囲気の長身・細身の男性。

 昨日の山手さんとはまた違ったジャンルのおっとりとした雰囲気の彼は、片手に缶コーヒーを持ちながら「はじめまして、森上です」と挨拶してくれた。


「もー、うるさいなー。森上さんは黙ってて!それより昨日初日にしてあの山手さんとだったでしょ?いっつも以上に機嫌悪くして帰ってきたからすっごく心配だったの。なにか煩いこと言われたでしょ?」


 昨日。

 会社に着いた時には定時を過ぎていたこともあり、そのまま帰っていいと言われて、言われるがままに帰宅した。

 正直かなりへこんでいたのもあり、アレ以上は精神的に限界だったのもあって、事務所に顔を出す事なくIDカードだけかざして帰宅してしまったんだった。


 IDカードはタイムカードの役割も果たしているので、社内に入るときと出るときは必ず出入り口のところにあるカードセンサーにカードをかざさないといけないルールである。

 そもそもICカードをセンサーかざさないと社員出入り口の扉すら開かない『鍵』の役割もあるので、うっかりカードを忘れたり失くしたりはできないという事だ。

 しかも、ICカードには使用者の名前なども登録されているので、誰が何時何分に出入りしたという記録も残る。

 そのため、IDカードを他人に貸すことも禁じられているのだ。


「あー、わかる。昨日、確かにヤマさん機嫌悪かったもんねぇ。でもってあの後課長からも呼び出し食らってたし」

「課長も山手さんに説明するの遅いのよ。山手さんって表と裏がハッキリしてるし、仲間内には平気で裏の顔見せて毒吐きまくるから、いきなり教育担当は無理だって私からも事前に課長にも言ってあったんだけど、急に来ること決まって教育担当として空いてたのが山手さんだけだったのよね・・・。大丈夫だった?」


 心配されていたんだと思うと、さらに胸がじんわり熱くなる。

 いつの間にかこういう優しさに弱くなってしまっていたらしく、素直に嬉しいと思う。

 そして、新しい出会いもまだ始まったばかりだと気づく。


 まだまだ、ここでは可能性がある。

 頑張れる。


 そう思うと、自然に笑顔になれた。


「あ、はい。何とか・・・。ありがとうございます。」


 確かに柿本課長も癖のあるヒトだって言っていたけど、彼は私の予想のさらに上を行くほどの表裏のあるヒトだった。


 だけど、山手さんの言う事は筋の通ってる事でもあったから、私もかなり反省させられた

 だから、彼と初日に組めた事は私にとって『勉強』と『経験』になった。

 仕事は甘いことばかりじゃないんだって思い知ったいい経験。

 そう思えば、これから彼と組むのも苦じゃない。

 そう思ったんだ。


「もーっ!私、来生さん今日来ないんじゃないかと思うくらい心配したんだよ?ホント、来てくれてよかったよー!そうそう!今日は安心して!山手さん、直行直帰でもう出ちゃってて、来生さんは今日は私とこの森上さんと一緒にここの営業部の事務所内でのこと覚えてもらう事になってます。よろしくね。」

「え・・・?外回りはいいんですか?」

「うん、事務(なか)を覚えるのも仕事だって。課長がね。」


 そう言って笑顔をくれた平岡さんに、心底安心する自分がいるのに気づいた。

 なんだかんだで、気を張ってたのは確かだったから、やっぱりほっとした。


「はい、よろしくお願いします。」


 営業に来たというのに、この気持ちは不謹慎かもしれない。

 本来ならもっと外を回って覚えなくてはいけない事も多いだろうに・・・。


 確かに営業という職種に関してはまだ自信がない。

 叱咤されて先に進むなんて、子供みたいだけど・・・。

 この年になって、叱咤されることも少なくなった今からこそ、余計に山手さんみたいな指導が的確なんじゃないかと思える。


 あとは、自分の心持ちの問題なんだ。


 泣いたって笑ったって、すべてが勉強。

 すべてが自分の(かて)になる。糧にする。


 昨日一晩反省してたどり着いた答えはこれだけだけど。

 けれど、まだ始めて一日目でギブアップはしたくない。


 この父親譲りの負けず嫌いで頑固な性格のせいで何度痛い目を見たかわからないけれど、だけどやっぱり異動を願い出るには早い気がした。


 初めてづくしだから。

 これからなんだ。


「んじゃあ、席案内するからこっち来てね。」

「ありがとうございます。」


 新しい仲間、新しい職場での日々はまだ始まったばかり。

 心の中で気合を入れ直し、温かい笑顔の待つ職場への新たな一歩を改めて踏み入れたのだった。




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