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恋愛恐怖症  作者: 黒川 珠杏
【新しい街】
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初出勤

 私、来生優衣きすぎゆい


 今年29歳で、20代崖っぷちの独身。

 彼氏なしの完全お一人さまを満喫中の、白鳥しろとり市の新米住民です。


 今回の引越しは、一人暮らしを始めて3回目。

 気楽な独り身だから、異動や引越しなんて気にならないし、引越しって色々と気持ちが新しくなるから好き。


 ・・・荷物運びや片づけとかが大変なところは辛いんだけどね。


 彼氏いない歴もついに8年目を更新しました。

 男に頼らなくたって、女ひとりでだって必死に生きてやる!!

 なんて、粋がっているわけじゃないけれど、気楽な一人暮らしに慣れちゃって特定の人間がいなくても平気だなってわかっちゃった。

 今更って感じもあるし。


 それに・・・・・・




 私には、『恋をする資格』がないのです・・・・・・。




 ようやく見慣れてきた部屋からの空は、快晴。


 南向きのベランダから見える穂積川には、川沿いの桜並木が薄紅色に染まって寝ぼけた目に心地よく染み込み、爽やかな風と共に運ばれるせせらぎの音色が耳を弾ませる。


 川と桜って、なんてベストパートナー!

 しかも朝陽のプリズム付きなんて・・・

 目が幸せすぎる~~。


 こんな風に何気ない景色をのんびりと満喫して喜んでいるのって、案外私だけかもしれないけれど。

 でも、この束の間の朝の景色を幸せに思う瞬間、この町に来てよかったと実感する。


 ほんと、なごむわぁ・・・・・・。


 ふと時計を見ると、出勤予定時間まであと30分弱と迫っていた。


 ・・・・え?

 ちょっ・・・!やばっ!!

 コーヒー片手にのん気になごんでる場合じゃないじゃん、私っ!


「きゃあ~~っ!初出勤に遅刻しちゃう!!」


 のん気すぎる自分を悔やみながら、慌てて支度に取り掛かったのだった。




 先日まで住んでいた町でもお世話になっていた、全国規模を誇る派遣会社『リクルートライン』に異動願いを出したのは、つい一ヶ月前の事。

 派遣人事部のマネージャー、松川さんはかなり驚いていたけれど、やはりそこは身軽な独身の派遣の身。

 あっと言う間にこの白鳥市で請け負っている会社に交渉して、あっさりと異動決定。


 それまでの職場の雰囲気は悪くなかったし、仕事に馴染めなかったわけでもない。

 どちらかと言えばやりがいも感じていたほど楽しんで仕事をしていた。


 なのに、何故急に異動したいのか疑問を抱いた松川マネージャーは、理由を聞かせてほしいと優しく尋ねてきた。

 県をまたいでの異動だ。

 色々想像したであろう松川マネージャーに素直に理由を話すと、一瞬固まった。


 大した理由なんてない。

 ただ、3ヶ月前に偶然この白鳥市周辺へ一人でドライブに来た時、運命的に出逢ってしまったと思った。


 この町の景観に。


 どこか懐かしさを感じ、そこに居るだけで心が洗われる。

 一目惚れに近かった。

 穂積川も、町を囲む山の景色も、その雰囲気全てに。

 この町の景観に惚れこんでしまって、帰ってから心惹かれて止まなかったこともあり、引越しを決めてしまった。


 そんな理由一つで5年近くお世話になった請負会社を後にする決意をした私を、松川マネージャーは呆れながらも承諾してくれた。


 ちょうどこの頃、追い込みの生産も落ち着いていて、教えていた人たちもある程度仕事ができてきたのもあり、私の急な申し出も支障がなかったようだったので、請負会社からも特に引き留められることもなくあっさり許可が出たといっていた。

 それに、前の町が生まれ故郷でもないし、親や親戚、ましてや好きな人がいたわけでもない。

 それはこの新しい町にも言えることなんだけど。


 あまり賑やかな町に落ち着けないのも、この町を選んだ理由だったりもする。


 ・・・・・・つくづく私って、田舎モノだなぁ。


 新しい請負先、『株式会社ヤマムラテック』に着くと、この会社での担当マネージャーである播磨はりまさんが玄関前で既に待機していた。

 播磨マネージャーとは今日で2度目の顔合わせだ。


 初めて顔を合わせた時も思ったけれど、若手の俳優さんに居そうな感じの、かなりの爽やか系イケメンだと思った。

 しかも、なんとなくだけど年下っぽいというか、若さを感じて眩しく思う。


 ・・・なんか私、オバサンくさくない?


「来生さんおはようございます。改めまして、本日よりよろしくお願いします。」


 私より確実に2、3歳は年下であろう若いマネージャーは、高身長かつ細身の体によく似合うスーツをビシッと着こなして、真面目な挨拶をした。


「おはようございます。よろしくお願いします。」

「では、早速これを。」


 そう言うと、播磨マネージャーは手にしていたクリップボードから一枚のカードを取り出した。


「この会社のIDカードです。既に来生さんの個人番号が登録されていて入退室や勤務中に必要なのでくれぐれも失くさないでくださいね。

・・・・・・失くしたら、高いですよ?」


 なんて、イケメン俳優並みの整った笑顔で言う播磨さんって、結構怖いかも・・・。

 思わず背筋がピンと伸びてしまった。


 これは失くしてはいけない。

 渡されたネックストラップ付のIDカードを、早速自分の首に下げた。

 手に取ってみると、シルバーのカードに『ヤマムラテック』のロゴが描かれ、私の社員番号になる数字が印字されている。

 カードの厚さからして交通系のICカード同様、中にICチップが入っているんだろうな。


 今回派遣先として紹介された請負先の『株式会社ヤマムラテック』は、県内でも指折りの上場企業。

 事業内容は主に精密機器から事務用品など幅広く扱う生産ラインがメインになっているが、ほかにも小型機器の製造などもあるらしく、高度な技術と多種に渡る品種生産で今や世界からも注目されている企業である。


 その精密機械がかなりの精度を誇るものもあり、かなり徹底したコンプライアンスがあると初日に教えられ、私は驚きっぱなしだった。


 そんな大手企業の主戦力である生産ラインは社内で一番の稼働人数を誇る部署。土日と大型連休以外の24時間稼働をしていることもあって、生産ラインは朝から夕方、夕方から夜、夜から朝の3交代制となっている。

正社員はシフト制だが派遣社員はシフト制ではなく、一度この時間帯の勤務と決めたら本人の希望がない限り時間帯の変更は無いそうだ。たまに請負会社から勤務時間帯の変更を要望されることもあるようだが、基本的に本人の意向を確認し、了解しない限りは変更される事はないと聞いていた。

一番人手があるのは1班で、朝8時から夕方17時の時間帯。日勤と呼ばれる時間帯での勤務は主婦を中心に人気がある。続いて2班は夕方16時から深夜1時までの夕勤で、ダブルワークの人が多いらしく、夜型勤務を好む人が集まりやすいのが3班と呼ばれる夜0時から朝9時までの時間帯だそうだ。

 

 私はそこの3班を希望していた。


朝が弱いから、ではなく、それまでの会社でも夜勤だったのもあって、夜勤の方が慣れていたりするのが理由だ。


 実際、生産ラインに入っての勤務は明日からだけど、今日は社内の見学や案内、事務所で作業服の支給、社員証などの諸手続きや上司になる人たちとの顔合わせのための出勤だった。


そのため、この後の流れとしては、播磨さんと共に事務所に行って挨拶するのだと思うんだけど、播磨さんはなんだかいい澱むというか、言葉を選んでいるような顔をしていた。

何か問題でも発生したのかな。どうしたんだろう。


「来生さん。あの、実はですね・・・。今回なんですが・・・。」


 ふと、播磨さんが言いにくそうに話を始めた。

 確か、手続き当初に生産ライン3班に入ると話したら、勤務人員も不足してるのでありがたいと聞いていたのだけど、急に人が増えて私が入るところがなくなった、とか?


「当初は来生さんの希望通り生産ラインに入っていただくお話だったのですけれど、実はヤマムラテックさんから急募の要望部署を優先してほしいとの希望がありまして。もちろん来生さん次第ですが、できればそちらに入っていただきたいそうなんです。いかがでしょうか。」

「・・・えっと、難しいラインじゃないですよね?」

「ええ。確か来生さんは接客業の経験がおありでしたね?」

「はい。だいぶブランクはありますけれど。」


 播磨さんの声に素直に返事をする。

 確か、職務経歴書に接客業の経験があることを書いていたはずだ。


 それは、この派遣会社にお世話になるまで勤めていた業種で、かれこれ5年以上前の話だけど、それが今更なんだというのだろう・・・?

 もしかして社内売店のような場所に派遣されるのだろうか。


「あの、そこって売店か何かですか・・・?」

「いえ。実は営業部に入ってもらいたいと連絡があったんです。」


・・・・え?


「えっ、・・・・営業ですかっ!?わ、私、営業の経験なんてないですよ?」

「ええ。そうですよね。でも、誰しも営業は初心者から始まるものですから、案外やってみると向いているかもしれませんし、特に接客経験のある方は有利と聞きます。先方より経験のない方でもいいので早めの募集との依頼でして。

 それに、これまでいただいた対応や彦根支社からの報告書を改めて確認して、僕自身も来生さんの受け答えや人柄でしたら営業部でもご活躍できるのではと思いまして・・・。

 もしやってみて、どうしても自分に不向きだと思いましたら、その時には遠慮なく異動を申し出してください。早めに手続きいたします。」


予想外の『営業』と聞いて戸惑う私に、播磨さんが整った綺麗な眉を若干ハの字にしながらも、バインダーから2枚の契約更新の書類を手渡される。

そこには、当初の契約内容と、新たな『営業』と変更された旨が記された2種類の契約書だった。

『営業職』の方が本来よりも少し色のついた給料にもなっていて、本気度が伝わる。


「突然の変更は来生さんの当初の希望に添えないのでこちらも心苦しいのですが、できれば営業部でお願いしたいのです。ですが、もちろん強制ではありませんので、どうしても生産ラインの第3班がいいのであれば無理強いはいたしません。」


 心の準備もなく、いきなりの部署変更。

 自信なんて全くない私の気持ちを他所に、話しながらだんだんと顔色が暗くなるというか、本気で困ってる播磨さんを見て、思わず同情というか、こちらも困ってしまう。


 そんなすがるような目で見られると、弱いんですが・・・。


 確かに生産ラインでいたい気持ちもある。

夜に仕事して、昼間家でのんびり過ごす居心地の良さを手放すのはやっぱり惜しい。


 でも、もし。

 『営業』で、私が役に立つのならば・・・・・・。


 何となく新しいことにも挑戦しようという気持ちになっていく。


ーーー”成せばなる 成さねばならぬ 何事も ”だよ。ーーー


 かつて、そうやって私を励ましてくれた声が脳裏を掠める。


 そう、だよね。

 何事も、やってみなきゃ始まらない。

 播磨さんの言うとおり、やってみてダメならそこで次を考えればいいんだし。


 せっかく心機一転、新しい町にも来た事だしね。


 自分のステップアップに繋がる、新たな一歩になるかも、と心の奥でそっと祈る。


 手元の書類から顔をあげて、播磨さんの顔を見る。


「わかりました。自信はありませんが・・・私で良ければ。」

「本当ですか!?ありがとうございます!」


 ほっとする播磨マネージャーに、私まで安堵する。

 そうして、選ばなかった方の契約書を返還した。


「では早速、こちらの書類にサインを頂けますか?」


 そう言って渡されたクリップボードには、先日記入した契約書と似たものがあった。

 違う部分と言えば、『配属変更』の文言と、新たに私の署名捺印を書き込む欄がある部分だろう。


 私はそこに署名を記入すると、ビジネスバックのポケットから印鑑を取り出し捺印した。


「ありがとうございます。正直、助かりました。」

「いえ、でも、もし向いていないと感じた時には異動をお願いしますのでその時はよろしくお願いします。」

「わかりました。その時は責任もって対応いたします。」

「ありがとうございます。」


 新しい町、新しい仕事、新しい仲間。

 きっと、いい出逢いが待ってると信じて・・・・・・


 だけど、正直内心はバクバクしっぱなしで不安だけど。

 やると決めた以上、やってみよう。


 高い背中に続いて、不安でいっぱいいっぱいの私は、新たな挑戦へ一歩、踏み出したのだった。






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