プロローグ
――― 3月某日。
私はただ一人、川のほとりに佇んで、ぼんやりと足元に流れる清澄やその周りの景観を眺めていた。
澄み渡った、青い空。
うっすらと流れる、白い雲。
幼い頃から過ごしたかの地を髣髴とさせる、耳に馴染む心地よい流れ。
今日から私はこの町の住人になるんだ。
ヨロシクね。
一人、一足先にこの町に来て、真っ先にこの清流・穂積川の河川敷を訪ねたのは、ここがこの町で一番最初に気に入った場所だったから。
ふと、水面を掠める風が鼻をくすぐる。
踊るようなせせらぎも、私を落ち着かせる。
やっぱり・・・
川辺って好きだな。
心地、いいな。
何となく、一目惚れに近かったけれど、この町に決めてよかったと、改めて思った。
『海と川、どっちが好き?』なんて、聞かれることがあるとするならば、私はすかさず『川』と答えるだろう。
母なる海よりも、川のほうが好きと言う私を、周囲はよく『変わり者』と笑った。
でも実際、海のない町で川と戯れて過ごした私には、川のほうが馴染みがある。
言うなれば、『心の故郷』と呼んでもいいくらい。
それに、川を望む景観はいつでも私の心を癒してくれた。
海だって、行った事がないわけじゃない。
何度か足は運んだ事がある。
けど、私にはあの独特の潮風が合わなかった。
私は・・・
『海が似合わない女』。
『失恋しても、海には行かないひねくれ者』。
それでいい。
私はもう、二度と恋をしないと誓ったのだから・・・・
失恋の慰めなんて、必要ない。
ただ唯一。
この流れのせせらぎだけが私の恋人。
それで、いい。
プルルルル・・・
ポケットの中の携帯電話が私を現実に戻す。
「はい、来生です」
通話ボタンを押した後、ふと左手首の腕時計を見る。
予定時間より若干早いけれど、引越し業者が無事到着した連絡だった。
「すぐ行きますのでもう少しお待ちください。はい、失礼します」
電話を切って、携帯の画面を見る。
また、新たなスタートが待ってるんだと、画面の中に一つ、息を落とす。
さて。
荷物も届いた事だし。
新しい我が家に馴染む準備に取り掛かるとしますか!
でも、その前に・・・
一旦背を向けた水面にもう一度向き直り、
「お世話になります」
小さな声でそう呟くと、新しい町の古い主に一礼をした。