ある事件現場で見つかった手記
私の名前は明智耕助。
東京で私立探偵を営んでいる。
今日は以前ある殺人事件を解決した時に知り合った二流の刑事、西山警部に呼ばれて、正月だと言うのにこの事件現場にやってきた。
「……どうしてまた万雪さんも一緒にいるのかね?」
会って早々、西山警部はそう質問してきた。
その表情はもう既に諦めが入っている。
「恋人だからです! ねっ? こうちゃん!」
現役アイドルとして有名なまゆきは、私の腕に絡みつき、頬を擦り付ける。私も黙って頷いた。
西山警部もそれには答えず、私に白い手袋を付けるように指示すると、ビニール袋に入った小さな手帳を手渡す。
「これは?」
「この事件現場で発見された、被害者が病院に搬送される当日まで書いていたと思われる手記だ。なにか奇妙なものに狙われているような記述があるんだが、君にはこれを調べてもらいたい」
「拝見します」
私はそっと手帳を取り出し、再生紙の厚紙のような表紙を開く。
以下はその手記の記述である。
『1月1日 ――晴れ。
今日から日記をつけようと思う。
いつか奴らを討ち倒す事ができた時のためにも、なるべく詳細な日記を残すべきだと思ったからだ。
奴らを完全に根絶やしにする算段が付けば、世界中の人々に感謝されるはずだ。
……なんだろう? 天井裏から物音がする。
おかしい、この家には俺一人しか居ないはずだ。
まさか、奴らが……
そんなはずは……ダメだ、一度逃げよう、しかしどうやって?
……まて、あの窓枠をカサカサと動きまわる黒い影は何だ?
あぁ! 窓に! 窓に!』
一日目の手記はここで急に途切れていた。
私は西山警部と顔を見合わせる。まゆきは字を読むのが嫌いなので、私の背中に抱きついて背中に熱い息を吹きかける遊びに没頭していた。
私は2ページ目をめくる。
『1月2日 ――くもり。
朝起きて。昼寝して。夜寝た。』
短い文章。
私は黙って3ページ目をめくる。
『1月3日 ――くもり。
きのうとおなじ。』
4ページ目以降をパラパラとめくるが、そこには何も書かれていなかった。
パタンとノートを閉じ、目を上げた私に、西山警部が勢い良く説明を始める。
「被害者は1月4日に病院に搬送されていて、まだ意識不明の重体だ。この手記の1ページ目に書いてある『奴ら』と言うのが――」
私は、頬を擦りつけてくるまゆきを真顔で撫でながら、警部の言葉を遮った。
「これは……三日坊主ですね」
「そっか! さすがこうちゃ……きゃー!」
まゆきの悲鳴に、その視線の先を見ると、窓枠をカサカサと這いまわるおぞましく黒い生き物の姿が目に入った。
「ただのゴキブリじゃないか」
西山警部は傍らにあった新聞紙を丸めてバチッと潰す。
潰れた虫を見て「ふぇぇ」と私の胸に顔を隠すまゆきを抱きしめていると、西山警部の元に警察病院から連絡が入った。
「警部、被害者の意識が回復しました。昨夜遅く、ゴキブリを退治しようとしていたら気分が悪くなり、自分で救急車を呼んだそうです」
その報告を聞いて、私は西山警部の肩を叩くと、机の上にある「塩素系殺虫剤」と「酸性殺虫剤」を指さす。
「ふむ。まぜるな危険……と言うことですね」
「こうちゃん! かっこいい!」
まだ私の胸に顔をうずめているまゆきがそのままの格好で叫ぶ。
西山警部は新聞紙を取り落とすと、殺虫剤を鑑識に回した。
私はもう一度警部の肩を叩くと、まゆきと一緒に初売りへ向かうのだった。