5.イレギュラー
声なく、影なく、気配なく。夥しいアラクネが二人を物理的に圧し潰す。
しかしアラクネは糸を罠とし獲物を捕らえる習性で、この手の肉弾戦はアラクネの得意とする戦法ではありえない。ありえないならば、その状況を作り出しているのは目の前にいる破落戸に他ならない。
「一つ、アラクネは許可なく糸を使ってはならない。一つ、アラクネは許可なく言葉を発してはならない。一つ、アラクネは攻撃以外で肉体を有してはならない」
指を一つずつ折りながら破落戸は喜色をぺたりと張り付ける。
「もう一つルールがあるのだが、今は関係ないか。……堪能してくれたかね? これこそが私の支配法律制定。決められた規則に従わせる支配の魔法だ。支配対象は自身よりも劣るもの。つまりはモンスターでなくてはならないがね」
制限こそあるものの効果は極めて強力だ。支配対象を決めてしまえばおよそ遵守不可能な法でさえも、物理的制約すら無視して守らせる。
攻撃以外で肉体を有してはならないというルールが顕著だろう。これを守らせるために、支配の魔法は攻撃行動を行わないアラクネの肉体を霊体に置き換えている。
つまりアラクネの群れがいないのではない。攻撃行動を行っていない為に幽霊化して見えていないだけなのだ。
「常在型の魔法……珍しい破落戸ですね。先程の詠唱は効果時間の延長が目的ですか」
魔法には常在型と起動型が存在する。魔法式へ魔力を流してセットアップ状態にして魔法を発動。その後、魔法式の魔力を失活させて魔法効果が残るのが常在型で、残らないのが起動型だ。
魔法式のセットアップ上限は一つのみ。自身の魔力で二つ以上魔法式をセットアップさせると魔力が干渉して相殺され、魔法を発動させる事が出来なくなる。
赤く輝いていた破落戸の左手の指輪も、今は銀色に光るのみ。つまりは魔力を失活させ、魔法式のセットアップを解いている。
「やっている事はブリーダーと大して変わらない、か」
攻撃行動が終わる前に、檀司郎と桃華に群がったアラクネが絶命していく。光属性の魔力に焼かれたり。鉄槌の一撃で首の骨を砕かれたり。圧が足りぬと無残な死体が山と転がる。
この二人にとってアラクネ程度はどれだけ群れようと問題ない。そもそもアラクネの適正階層は五十二層だ。この階層にしても群れと糸による罠が厄介なだけで、それ以外に特筆して警戒するものは何もない。
「見事、見事。なるほど、やはりこの程度では傷すら負わないか」
破落戸が頷きながら呟いていると、突如檀司郎目掛けて無数の糸が射出される。しかし射出元は相変わらず幽霊化したままだ。つまりアラクネはこれを攻撃行動だと認識していないのだろう。
「む……!?」
解せない。檀司郎は破落戸の言葉を思い返す。アラクネは許可なく糸を使ってはならないというルール。それは支配法律制定という支配魔法が齎した絶対的な強制力を持つ法則だ。
であるならば破落戸の言葉は虚言だったのか。檀司郎がそう思い至った瞬間、勝ちを確信したかのような笑みを浮かべながら見透かしたように言葉が飛んでくる。
「不思議かね? 大した事ではない。言っただろう、天才とは即ち法律の想定を超えてしまう存在だと。同じ事だよ。支配の魔法で敷かれた法則を超える存在が生まれ、模倣し、伝播する。支配法律制定の真髄とはつまり、天才を生む土壌を整える事なのさ」
纏わりつく感触を鎧の上から確かめながら、檀司郎は首を傾げる。確かにこれはアラクネの糸ではない。糸にしては太過ぎるし、何より物理的な圧迫感が一切ない。
これが天才とやらの、ルールを超える才能だと言うのか。檀司郎が胡散臭い破落戸に目を向けると、なぜか破落戸は困惑の表情を隠さない。
「お前は、何だ? なぜ死んでいない? これは呪詛を編みこんだ殺意の縄だ。少なくとも地上の人間で呪詛に触れて生きていられるのは、あらゆる害意を打ち消す光属性の魔力持ち以外にいない筈だが」
「あぁ、なるほど。そういう事か」
檀司郎は余裕をもって頷き返す。ようやくこの破落戸の余裕ぶった顔を歪ませる事が出来たようだ。
「俺に呪詛は効かない。そういう体質なんだよ」
呪詛とはダンジョン内でしか効力を発揮しない他者を害する力の総称だ。魔剣や妖刀の類、怪異や言霊、そしてダンジョン長期滞在による知識汚染などなど。諸々含めて呪詛と呼ばれるのだ。
檀司郎はその力を完全にシャットアウトできる。それは破落戸にとって予想外の出来事だ。呪詛が効かぬ人類など、想定できる筈もない。
「呪詛で繋がっているなら話は早い。鬱陶しいアラクネを全て殺す。【其は奪い貪る暴食の顎──飢餓満たし】!」
己のグレートヘルムに刻まれた魔法式に魔力を流す。飢餓満たしは他者から力を一時的に奪う魔法だ。魔力の属性によって奪えるものが変化する。
桃華が持つ光属性ならば他者から光を奪い失明させる。火属性ならば熱を奪い低体温障を引き起こさせる。水属性ならば水分を奪い脱水症状を……では、檀司郎はどうであろうか。
「俺の魔力に属性はない。学園の魔力測定で不可判定を貰い、呪詛が効かないという体質がなければ入学すらできなかった。だけど、これはこれで便利なものなんだ」
檀司郎の飢餓満たしは、他者から与えられたものをそのまま返すという真逆の性質として機能する。想定されていない魔力を流されて発動しているので、魔法自体が動作不良を起こしてバグっている。
先程、アラクネから与えられたのは人を簡単に殺せるほどの呪詛。ではそれを返せばどうなるか。答えは乱立する柱からボトボト落ちてくるアラクネの死体が物語っていた。
「なるほど、なるほど。光属性の姫君の傍にイレギュラーとは。いつの時代でもやはり厄介だ」
破落戸の言葉は諦観と、そして檀司郎への殺意で染められた。
「桃華嬢が私たちの求める姫君なのか確認しておきたかったが、貴様は不要だ。この舞台から消えてもらうとしようか」
演者の仮面はもう要らない。剝き出しの殺気が檀司郎を貫いた。




