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26.魔法覚醒

「もはや慈悲すら要らぬか、イレギュラー!」


 檀司郎の周りを囲むように黒い炎を展開させるアルベルト。溶解音と共に檀司郎が踏んでいる床が奈落へ落ちる。

 咄嗟に跳んで回避するが、先程まで立っていた場所はグズグズに崩れ落ち、不格好な穴が空いている。


「落ちてしまえば良かったものを。魔境までの直通ルートだと言うのに」

「冗談じゃない。魔境に挑むのは、後顧の憂いを断ってからだ」


 檀司郎は床に燻ぶり続ける黒い炎に腕を突っ込み、ヘルムに刻まれた魔法式へ魔力を流す。


「【其は奪い貪る暴食の(あぎと)──飢餓満たし(アンダバエ)】」


 注がれた魔力の属性によって特性が変わる飢餓満たし(アンダバエ)は、檀司郎の魔力によって変質し、受けた攻撃を反射させる魔法として機能している。

 黒い炎に焙られたプレートアーマーの籠手部分は既に溶け落ちる寸前だが、アルベルトの身体には変化が見られない。


 応報の魔法と化した飢餓満たし(アンダバエ)が、アルベルトに対して機能不全を起こしているのか。その答えは否である。


「貴様は何も聞いていなかったのかね? 魔法使いが纏う至高の神秘的防御の前では、そのような魔法擬きなど取るに足らぬ。ただの人類風情に、この私を止める事などできはしない!」

「カテゴリが違う、と。なるほど。名称は同じ魔法だが明確に差異があるわけだ。ならば次は呪詛を過剰に流し込んでみるか」


 音を上げるまでぶちのめす。魔法による効果が期待できない以上、次は呪詛。その次は愛欲転生(フィゾロア)の時間制限。そして、そして、そして──。

 大切なのは頭の回転を止めない事だ。思考が止まれば勝機を失う。ここで勝てなければ桃華を失う事になるかも知れない。


 それは檀司郎にとって最も受け入れられない結末だった。ゆえにどんな僅かでもいい。魔法使いの綻びを見つけ、アルベルトを殺すのだ。

 風を切り、怒声と共に鉄槌を振り下ろす。呪詛と殺意を込めながら。


 ◆


 己はいったい何者だろう。己はいったい何をしているのだろう。己はいったい何の為に生きているのだろう。

 自問は絶えず続けられる。それは呼吸も同然の事で、常に己というものを疑い続けている。


 まともな人間ではないだろう。それはうっすらと感じていた事だった。ダンジョンで目が覚めた時、ダンジョンに関する知識はあったがダンジョン外の事は何も分からなかった。

 海を見た事がない淡水魚が海という概念を正確に理解するかのような違和感こそが、己自身がまともな生物ではないと断ずる根拠であった。


 そんな自分を心配し、拾ってくれた恩人が居た。


『ネエク。記憶がないなら一度俺と一緒に来ないか?』


 気が付いた時から握っていた布の切れ端に刻まれていた名前。

『■ネ■ク■エ』──これを言いやすいように入れ替えただけの、自分の名前。

 一人だけの時はただの識別音でしかなかった。けれど恩人に名前を呼んでもらって、初めて自分がネエクである事に納得したのだ。


 己はいったい何者だろう。己はいったい何をしているのだろう。己はいったい何の為に生きているのだろう。

 自分に問い続ける言葉の答えは既にある。


 己はネエクで、恩人であるお兄さんに拾われた。

 己はお兄さんを手助けする為に、一緒にダンジョンに潜る。

 なぜなら、己はお兄さんに恩を返したいから。


 お兄さんに名前を呼ばれた時、初めてネエクは生きる事を肯定されたのだ。

 命の恩人を助けないという選択肢などネエクには存在しない。ヴァルトから貰った装具を手に、ダンジョン攻略を手伝い続ける。


「……?」


 そして現在。ダンジョン第四百八十七層にてアルベルトと檀司郎が激突し、初めて魔法使いという概念に触れた。

 桃華からのバフを受け取り、放った超顕示破砕大砲オ(オルデ)ルデ()ナフ・マキシマ(ナフ)でも傷一つ付かない理外の怪物。それを見て、ネエクは奇妙な感覚を掴んでいた。


 懐かしい。自分はこれを知っている。未知の力に対する反応ではありえないが、問題はそこではない。

 海水で生きられぬ淡水魚が海の知識を知っていたとして、いったい何ができるというのか。

 なるほど、魔法使いが放つ幻想というのは驚異的である。そして攻撃を弾く神秘的防御を貫通するには、その幻想を操らなければ土俵に上がる事すらできないと。


 ネエクの頭に流れるのは記憶ではなく記録としての情報。それは現状を打破しない。檀司郎の──恩人の助けになっていない。


「ネエクちゃん。何かあったんですか?」


 様子のおかしいネエクに気付いた桃華が声をかける。ネエクは桃華へ自分が感じた事を口にした。


「あの人が黒い炎を出した時、懐かしいと感じたんです。だから、どうしてだろうって……」

「懐かしい?」

「はい。あれが魔法使いの魔法と認識できた時、頭の靄が晴れたように。あの力を知っていると身体が叫び始めたんです」


 心臓が早鐘の如く打ち付ける様にも似た焦燥感は、果たして悲鳴か。それとも歓喜か。いずれにせよ、出自の知れぬ己の身に魔法使いの知識があったとしても役に立つ事は無い。

 なぜなら魔法使いになれるわけではないのだから。人類の進化形だとアルベルトは言うが、そこに至る方法など知る由もない。


 目の前のアルベルトも、アルフレイドという魔法使いの肉体を用いてようやくといった有様なのだ。それすら持たぬ自分が、どうして魔法使いに至れるというのか。


「……なるほど。ネエクちゃん。少し試したい事があります。協力してもらえませんか?」

「協力? でも……」

「檀司郎を助ける為なんです。私は、ネエクちゃんが魔法使いになれるのではないかと。その手助けができるのではないかと、そう考えています」


 桃華の言葉は一笑に付してしまいかねない妄言でしかなかった。しかしネエクは笑わない。笑えないのだ。

 魔法使いになれば、黒い炎に苦しみながら戦い続ける檀司郎を助けられるのに。そう願っているのはネエクも同じなのだから。


 助けたい。助けたい。助けたい。ダンジョン第二百九十八層で発生した異次元の人類、センリとの戦いでは何もできなかった。

 今もまた、何も出来ずに檀司郎の戦いを見ている。


 己はいったい何者だろう。己はいったい何をしているのだろう。己はいったい何の為に生きているのだろう。

 己はネエクで、恩人であるお兄さんに拾われた。

 己はお兄さんを手助けする為に、一緒にダンジョンに潜る。

 なぜなら、己はお兄さんに恩を返したいから。


 では、己はいつその恩を返すのか──?


「……桃華お姉さん。教えてください。どうすればいいですか?」

「私がネエクちゃんを導きます。目を閉じて集中してください。【其は守護を尊ぶ支配の一翼──支配守護結界(ナザレ=フィルカーラ)】」


 再び魔法を発動させ、ネエクへの命令を書き換える桃華。対象を庇護する代わりに自身の命令に従わせる支配魔法の一種。

 そして対象がその命令に自発的に従う時はその行動を強化させる。

 今、桃華が命令する事はただ一つだ。


「魔法使いへと進化しなさい!」


 光属性の魔力が支配守護結界(ナザレ=フィルカーラ)の効力を更に上乗せする。

 目を閉じたネエクに感じられるのは懐かしいと言う感情。そして、どうしてこんな事もできなかったのだろうという疑問。

 己は魔法使いなのだから魔法が使えて当然ではないか、という当たり前の感覚がネエクの意識に手繰り寄せられた。魔法使いの傲慢がネエクを支配し──。


「はい。桃華お姉さん、ありがとう。()()()()()()()()


 ──その上で、ネエクは感謝を述べた。全てを見下す事こそが傲慢であるのならば、ネエクは魔法使いにはなれなかったのか。それはもちろん、否である。


「【善き者達には豊穣を、悪しき者共に災いを】」


 欲龍の権能とは違う、ネエクの呪文がダンジョンに響く。それを聞いたアルベルトが攻撃の手を止めた。


「──バカなッ! それは、ありえないだろう。まさか貴様もイレギュラーなのか!?」


 アルベルトの言葉にネエクは答えない。アルベルトは愛欲転生(フィゾロア)という欲龍の権能を用いて魔法使いとなった。土台があったとはいえ、外部の力で覚醒できる事はアルベルト自身が証明している。


 であれば、魔法使いに対して懐かしいという感覚が急に湧いてきたネエクにもその土台があるのかも知れない。

 桃華はそう考え、支配守護結界(ナザレ=フィルカーラ)を使用してネエクを魔法使いへ進化させる案を実行した。


 その結果が今、結実する。


「【魔法覚醒(Extended)】!!」


 新たな魔法使いが生まれた瞬間であった。

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