第1章(2) オリバー、心配される ②
翌朝は見立て通り、空にはどんよりとした雲が広がって薄ら寒く、大地の水分は大部分が土や草木に留まっていた。
オリバーは、朝からマンドレにんじんの学習をしたかったが、家の仕事、昨日積み残した雪囲い用の資材の確認と補修を行う必要があった。
それが終わると、今度は頼まれた買い物を集落内に配って歩いた。
どの家でも、脱穀以降の作業や冬支度などを行っており、オリバーの顔を見ると皆、今度は何の作物だったかという問いをかけ、誰もが曼荼羅という聞き間違いをした。
もし、仏様の御姿であれば皆やる気を出すだろうし、商品作物として優位性があるが、今にも絶叫しそうなあの顔では望み薄である。
ブロッコリーや、その前のパイナップルのように、日輪の国に似た作物がないものを作れと言われても、それで生計を立てるイメージを思い浮かべられない農業者達は、奉行からの命令であろうと冗談だと捉え、あんなのを持って来るとはお上は無知だと揶揄う口実を得た気になった。
パイナップルは果樹に属するため、普及指導員の果樹担当は、必ず雪が降り寒さを免れないこの地域で、常夏の果物をそもそも発芽させることの困難に非常に苦しんだ挙句、成し遂げられずに終わっていた。
集落では骨折り損のくたびれ儲けと笑われ、奉行には骨折り不足ではと小言を聞かされる、普及指導員とは因果な役割だと、授けられた者達の嘆息が止むことはなかった。
最後に回るのは名主の屋敷であった。
籬垣のある、集落内で最も広い敷地に入ると、下女が家回りで立ち働いていた。
ちょうど良いと荷物を事付けようとしたところに、「おお、オリバー君じゃありませんか」と当人が姿を現した。
「荷物を持って来てくれたんですね、手数をかけました」
彼、山本チャーリーは、この集落のとりまとめ役であり、税の徴収や要望の上申など奉行所との橋渡しを務めていた。
誰に対しても丁寧に離すチャーリーは、還暦前の髪には相当に白い物が混じり、目尻の皺は薄く刻まれているものの、頭の回転は若い頃より今の方が速くなっていた。
集落の経営も任されているチャーリーは、普及指導員が勘定奉行から何を仰せつかって来たのか知るべき立場にあり、また大いに興味があった。
そこで尋ねてみると、またしても聞いたことのない名前の作物だという。
「曼荼羅?」
「山本様で10人目でございますよ、聞き間違ったの」
「おやそうですか。ええと?」
「マンドレです、マンドレ。何だか、マンドレイクとかいう植物があるそうで、それをオタネニンジンに掛け合わせたそうで」
「へえ。どんな植物なんです?」
「それがまだ。実はこれから勉強するところで」
「そうなのですか。普及指導員の知識にもないものなんですね」
「はあ。何でも、舶来の品とかで」
気まずそうに答えたオリバーに、チャーリーはおっといけないと、「お奉行は、育て方について何か知恵を授けてくれましたか」と話を逸らした。
「いえ、お奉行自身は、農業は相変わらずさっぱりなんで。でも、いろは本が付いてきました」
「おお。ではブロッコリーよりはまだマシですね」
「いやあ、どうだろう……」
上手に軌道修正できなかったことを悟ったチャーリーは、「いずれ、進捗があれば教えて下さい」と、受け取った荷物の中から、手間賃と称して茶葉を一包み押し付けてから、彼を解放した。
チャーリーは、集落のためにも、今回の試行こそ何らかの成功をして欲しいと思いながら、オリバー相手に強くは言えなかった。
重い期待は勘定奉行から背負わされただろうし、舶来品ならばこの国に知見がなく、実際に難題なのだろうという推測も働いたが、何よりオリバーが話し上手でなく、言いたいことを飲み込んでしまう性質だと見ていたからだった。
事実と違うようなところは反論すればいいのに、言わずに顔にだけ出すから損をする。
普及指導員という肩書きを与えられ、集落の営農のリーダーが期待されているのと、じきに三十路になるのだから、もう少し喋れるようになればいいのだがとチャーリーは老婆心から心配をするのだった。




