序章
諸君の中に、マンドレにんじん、という作物をご存知の方はおられないはずだ。
マンドレにんじんとは、名が体を表す通り、マンドレイクとオタネニンジンを掛け合わせて作られた作物である。
この作物は品種改良により、数か月前に諸君のディメンションには存在していない、とある国の農業研究所の中で誕生したばかりで、名称はつい先週名付けられたところであって、研究以外の目的で作付されたことはない。
ここでのマンドレイクとは、諸君の世界に現存するナス科マンドラゴラ属の植物、釣鐘状の紫の花を付ける観賞用のあれではなく、根が人型で、採取しようとするとすると地上部が手から逃げまくり、とうとう引き抜かれると悲鳴を上げて、耳にした人間を昏倒させる伝承植物の方を指す。
"この世界線"では、マンドレイクは、産地と生産者はごく限られるものの実在する植物であった。
古くから魔法や呪術などに用いられ、毒薬、麻薬、媚薬、不老不死の薬の原料になるとされていたが、毒薬と媚薬はともかく、不老不死というのは、そのような効果が得られるのを至上としたが誰も達せないおとぎ話であった。
もっとも、程度の高い強壮作用は持ち合わせていて、体力のない者に使うと死を招く劇薬であるため誰にでも適応があるわけではないが、うまく合えば命の危機を脱させることもあり、そのような場合は不死の妙薬めいて見えた。
入手が非常に難しいことが、さらにその誤解を深める要素となった。
もう片方のオタネニンジンは、高麗人参と呼ばれている、諸君が知るものとほぼ同じである。
実にさまざまな薬に原料として使われ、消耗した精気を回復し、邪気を取るなどの効果を有する、最も重要な材料の1つであった。
こちらは、悲鳴こそ上げないものの育てるのは容易ではなく、収穫まで数年かかり、今植えているものが良質な出来栄えになるかどうか、長く気を揉むことになる。
多すぎる水と太陽にごく弱く、畝を高めに盛った上に日除けをかけなければならないし、植えっぱなしではなく途中で掘り起こして植え戻す作業を要するなど、通常のニンジンと比べると格段にコストとリスクの高い作物である。
その2種を掛け合わせることは、両方の形が何となく似ており、オタネニンジンも悲鳴を上げそうだという一研究者のささやかな思い付きから始まったわけであった。
研究者というものは物事をとことんまで突き詰め、高い壁こそ越えたいと意気込む性質であるから、冗談にしか思われないこの研究テーマにのめり込み、何としてでも成果を得ようと昼夜汗を掻いた。
根の形が似ているだけで、植物としての種別は全く異なるマンドレイクとオタネニンジンの交配は、始める前から困難が保証されていたが、2種の欠点をなくし、長所を伸ばせるように、研究は始められた。
なお、マンドレイクをどうやって入手したか、その辺は諸君のディメンションには存在していない研究所である点から察していただきたい。
掛け合わせて得られる成果の絶対条件としては、マンドレイクの要素である悲鳴を喪失させることであった。
採取するのが命がけでは、商品作物にはなり得ない。
それから、オタネニンジンの育て辛さを緩和することも目標となった。
育て辛さの原因要素は種々あったため、全てを改善することは難しいし、あまりに弄り回すと別な欠点が生まれたりする。
それに、手を加えすぎて薬効が大きく落ちることになっては掛け合わせる意味を失う。
失敗は風物詩、期待した結果を得られずに試行した回数は数知れず、気が遠くなるほどの長い時間がかかることも厭わず取り組んだ結果、研究者の約30年の集大成が、農業研究所の試験圃場にて、文字通り実を結んだ。
品種の特徴の全てが想定した通りにはならかったが、この程度であれば商業作物として成立するだろうという域までは到達した。
完璧に仕上げるためにはあと何十年かかるか掴めない中で、まず各農業者が作付をし、生産・流通させる中で新たな発見が期待できるだろうという目論見のもと、一旦研究を完成としたのだった。
完成した作物は、性質を見る限り、新たな種が生まれたのではなく、オタネニンジンの改良種とするのが正確であるということが分かった。
マンドレイクの要素がはっきり見て取れるのは、根の外見に残る明らかな人型であった。
オタネニンジンでは、人間の姿に似る場合もあるという程度であったが、掛け合わせた品種では常に人型に育ち、採取しても叫ぶようなことはなかったが、苦悶の表情に悲鳴の口は開いたままという何とも不気味な見た目の所有者となった。
ただ、オタネニンジンが元々、土によって出来映えがかなり変わる作物であるため、研究所の土壌ではそうなるだけという可能性も大いにあった。
育て辛さの方は、若干の改善、例えば採取までの年数が1~2年縮むとか、病害虫に多少耐性ができたという程度で、劇的な改善を施すには至らなかったが、もしかすると他の土地では違いが出て来るのではという期待も抱かれた。
また、肝心の薬効については、成分分析の結果、オタネニンジンの効果に強壮作用が加わったような結果が導き出されたが、これも数値上の話であって、実際服薬した時にどのような効果が現れるかは未知数であった。
農業者が試験作付し、その土地の医師や薬師に処方の検討をしてもらって、追加研究の必要性や方向性が見えて来る。
研究所はそのように結論付け、信頼できる農業者のいる国に、マンドレにんじんの種子と作物を送って、試験作付を依頼した。
試験に留まらず、各土地でうまく生産ができればそのまま商業ベースに乗せて構わない、そのような条件を提示すると、少しでも財政を豊かにする起爆剤になることを期待して、大抵何か国かは応じる。
日輪の国もその1つであって、依頼がはるばる海を渡って日輪の地に辿り着いたその時が、この国でのマンドレにんじん事始めとなった。
そしてこの話は、東の最果てにある日輪の国で、佐藤オリバーという男が、マンドレにんじんの種子を受け取るところから始まる。




