天体宇宙船ヒスパニオラ
「まあまあ、ゆっくりしてよ。たいしたものはないけどさ」
居心地の良い居室に案内されたステイとアイジュマルは宇宙服を脱ぎ捨て、用意された部屋着に着替えた。ソファーも座り心地が良く。ここがL1天体であることを忘れてしまうほどだ。
「亜空間出たとき、すぐに声かけようと思ったんだよ」あいかわらずオールインワンは冗舌だ「そしたらさ、そっちの通信、みょうな暗号回路入ってる方じゃん、何であんなとこにアレシボリプライの技術なんか入れてんのよ。まあ、解析しても良かったんだけどさ。おたくら歩き出しちゃうし。あわてて追いかけたわけよ」
「重ね重ね、すみません」アイジュマルは、また謝った「宇宙服は出来合いのもの使ったの。出来合いと言っても、基本、宇宙開発用機材なんて軍事用と同じようなものだから、無駄にセキュリティ上げてあるのよね」
「あ、気にすんなって、別に文句言ってるわけじゃないから。俺も先走って、アイボリーとの接続切っちゃったから。暇ってわけじゃないけど、話し相手いないんだわ。もしよければ付き合って」
「そう言ってもらえると、すこし気が楽になるよ」
ステイは言いながら心配そうにつけたした「アイボリーとの接続を切った、というのは?」
「物理的に切り離すのはユータの仕事なんだ」オールインワンはまず前提から話し出した「だから、アイボリーと話し合うのを一時的にやめたってことだな。本格的な切り離しの準備なんだよ。ユータはシンタグマメソドロジーからデザイナーズチルドレンを解放する役目を負っている。俺は天体宇宙船ヒスパニオラの艦長となるべく設計されたけど、同時にアイボリーのシンタグマメソドロジーとしても機能している。アイボリーはシンタグマメソドロジーから出なきゃいけないけど。一方、ヒスパニオラを動かすには俺が必要だ。他の2人のシンタグマメソドロジーは、もう用済みだから、放棄しようが破壊しようが関係ないけど、アイボリーに関しては切り離しが必要なんだよ。わかった?」
ステイとアイジュマルは、うんうん、と、うなずきながら聞いている。ただ、個々の単語や固有名詞は理解できるものの、つながって文章になると、よくわからない。
「天体宇宙船、というのは?」
「宇宙空間を航行する場合、ある程度の物質量がないと生産活動が制限される。まあ、エネルギーは無尽蔵にあるとしても、エネルギーの物質転換には時間がかかるから、原料として持ち歩いたほうが良いってわけだ。現時点のヒスパニオラ、仮にヒスパニオラaとしとこうか、ヒスパニオラaは直径423キロメートルの小惑星をカイパーベルトから持ってきている。本来、この大きさだと球形表面になるには小さすぎるんだけど、重力補正のために中心にブラックホールを入れてあるので、ほぼ球形だ。その時の改造でスピン0という不自然な状態になってる。まあ、ラグランジュ1自体が不安定重力均衡点だし、いまさら? って言われたら、なんともなんだけど…」
うわあ、失敗したかも、ステイは後悔した。アイジュマルと目を合わせる。彼女も困った顔でうなずいた。このコンピューター、話好きすぎる。これは、止まらない。
「…一方、将来の構想として太陽系を離脱して航行を続けるとした場合、当然、資源の枯渇が心配されるわけで、それを考慮したヒスパニオラbは… え? 何? なに?」
突如、あわて出したオールインワンは、しばらく、あーでもない、こーでもない、と独り言を言っていたが、しばらくしてステイとアイジュマルに訊いてきた。
「ねぇ? クビトとかいう人、知ってる?」
「クビト? 誰?」
「知らないけど…」
「なんかアレシボ茶会に協力した、みたいなこと言ってるんだけど?」
「茶会に? じゃあ、知り合いかな?」
「クビト、クビト…。それってファーストネーム? ラストネームは?」
「ワンエム…とか言ってる」
「クビト…ワンエム…、あ、キュービット1M、それ地球の量子コンピューターです」アイジュマルがようやく合点した「亜空間の解析を手伝ってもらったの」
「あー、そういうこと、じゃ、一緒に話してみる?」
「ええ、ぜひ」
部屋の中に、もうひとつの声が響いた。甲高く、何か怯えるようにも聞こえる声だった。
「バイラモフさん、ステイさん、こんにちは。私は、南極にいます。ボロルマーさん、ファリアスさんと一緒にいます」
「キュービット1Mありがとう。私たち、L1にいるの」
「すみません、L1は失敗です。成功はムーンゲイザーでした」
「そうじゃないんです。キュービット1Mは頑張ってくれた。でも、月見台とヒスパニオラの間は亜空間頻値がとても高い。そういうことですよね。オールインワン?」
「ま、そうだけどね」オールインワンはまだ腑に落ちないようだ「あのさ、キュービット1M、キミの構造だと、こういうことできないハズなんだけど、どうなってんの?」
「セドリックさんが、改変してくれました。頑張った、ご褒美だそうです」
あんの、クソ親父がぁぁぁ。オールインワンの絶叫が響いた。思わず耳をふさぐ、ステイとアイジュマル。
「…あ、ごめん」オールインワンはすぐに正気を取り戻した「キミが悪いんじゃないから、キュービット1M、キミのせいじゃないから…」
オールインワンの怒りようから考えて、セドリックは、ぜんぜん変わってないんだな、とステイは暗鬱な気持ちになった。あのキレ様からみて、この程度のやらかしは日常茶飯事なのに違いない。
ーー優多くんが心配だ
「パレアナさんには、チクっといたんで」オールインワンはつとめて冷静に言った。
ーーパレアナ、あいかわらず、なのかな?
アイジュマルの脳裏に、セドリックを叱るパレアナの鬼のような形相が浮かび上がった。
「とりあえず、私たちは無事だ」とりあえず、が何を指しているか、ステイは意図的にぼやかした「他のみんなに、そう伝えて欲しい。キュービット1M、よろしく頼む」
「わかりました。伝えます」
「で、どうする?」オールインワンが話してきたのは、ステイとアイジュマルに向かってのようだ「ユータたちが来るまでここにいるかい?」
ステイとアイジュマルは互いに顔を見合わせる。相手の顔を覗き込むとうなずき、同時に顔を上げた。
「そうして貰えるとありがたい」
「あの、できたらで良いんですけど…」アイジュマルが、おそるおそる、といった口調で続ける「私は…、その…、一緒に宇宙に行きたいです」
「ここも十分、宇宙だと思うんだけど…」
「でも、行きたい」
「まあ、行きたいもんはしょうがないけど、たいして楽しいもんでもないよ」
「ダメですか?」
「そういうの決めるのは、ユータなんで、ユータに言ってくれる?」オールインワンは半ばあきらめたような声だ「自力とは言いかねるけど、いちおう、L1まで来たんだし、言ってみる権利はあると思うよ」
「ありがとう」
「宇宙に行くんですか?」キュービット1Mが驚きの声を上げる「想像もつかない」
「10年前から決まってたんでね」これまた諦観をにじませ、オールインワンが語る「そのように設計されてるんだ。いまさら行かないっていう選択肢は俺にはあり得ない」
「さっきは、何故、怒ったんです?」わからないことはいまのうちに聞いておこう、キュービット1Mはそう思った。
「それも設計の話しさ」オールインワンは言った「あのおっさん、その時の気分か何かで、設計以上の何かに変えてしまうことがある。やっちまったら元には戻せないのに…」
「でも、私は、賢くなって気分が良いです」
「そいつは、良かった。でも、その楽しい気分がいつまで続くかはわからない。あまり楽しくなくなったら、ボロルマーとファリアスに訊くといい。あとセベレか。間違ってもセドリックには訊くなよ。約束だ」
「はい、約束します」
ひと通りの挨拶をすませ、質問も終えたキュービット1Mは、回線を閉じた。




