朔望《ペリオディックムーン》
閑散とした光の紐を手繰って、夜の中を彷徨う。
亜空間走路の初見は、星明かりで進む僻地に似ていた。道も無い。入り口で一緒だったティルフィアとは、いつの間にか、はぐれてしまった。ひとりになったら大変だ。アイジュマルは分厚い宇宙服の手袋越しにステイの手を強く握りしめる。アイジュマルの不安がわかるのだろう。ステイもその手を握り返した。
「ティルフィアは大丈夫かな」
「わからないけど」アイジュマルはヘッドアップディスプレイで亜空間走路の繋ぎ目を追った「自動巻き戻しはまだ有効だから、迷ったとしても来た道を帰るだけで良い」
「無理やり外に出てないか心配だ」
「出口の先に何があるかは、旅程補助が教えてくれるから、あまり変なところには出ないと思うけど…。そもそも選択した走路を進むだけなら迷うハズはないんだけど…」
亜空間走路を使うときは、いつもこうだ。パレアナは、そんな難しいことじゃないよ、といつも言っていた。そう、途中までは、そう…。アイジュマルは、いつもよくわからない理由で失敗していた。できるようになれば簡単だよ、と言われても、できないものはできなかった。
でも、今度はいつもと違う気がする。
こんなに長時間、亜空間走路を抜けていくのは、初めてのような気がした。冷静に考えれば、これはおかしい。そもそも亜空間は時間の概念がないはずだ。空間として欠陥があるから空間になれない亜空間。だから時間もない。
亜空間は夢に似ている。
どちらも時間が無くて、ただ何かが変化していくだけ。
ーー現実になれない何か
仄暗い薄暮のような場所に出た。
ステイとアイジュマルは、手をつないだまま草原の真ん中に立っていた。膝下丈に伸びた草、歪な地平線が見える。遠くない。何かがおかしい。
「やっと出てきたな」ヘルメットの中にセベレの声が響く「念のため、宇宙服を着てて良かったな。いいか、驚くなよ…」
「もう驚いてるよ」驚いているとはとても思えない、淡々とした声でステイが言った「ここはL1だ。正確にはL1にある天体。教授が、確か…、ヒスパニオラと呼んでいた」
「ああ、そうだ。L1だ。セベレが応じた「ティルフィアは月見台に着いたらしいぞ。亜空間を出てすぐに悲鳴があがって、あ、これは本人な。その後、しばらく応答がないんだが、マイクが周りの誰かの声を拾ってる。それ聞くと、どうやら、ティルフィア、気絶してるみたいだ」
「少し、高いところに出たかな。それで落ちたとか。むこうで回収してもらえたのなら、命の心配はないと思う」
「まあ、そういうことだ。それで、どうする? いったんこっち帰ってくるか? それとも、そこから直接月見台に行くか?」
ステイからの返事がない。
「おい、ステイ、アイジュマル、どうした」
「月が大きい」首を上げて、頭上を見つめたまま、ステイが言った「知識では知ってはいたが…、L1から見る月が、こんなに大きいとは」
「実際に見るまで気がつかなかった」アイジュマルがふり絞るように声を出した「これだけでも、来て本当に良かった」
うーん、確かにL1から見たら、月もデカいかな、実際に見ていないセベレには伝わらないようだ。
「私たちは、もうすこし、こちらにいるよ」ステイが返事をよこした「うん、できれば、アイボリーとオールインワンにも会いたいしね」
「もうすこし…、って」事情が飲み込めないセベレが大声で制した「酸素はどうすんだよ。2時間ぐらいしか持たないぞ」
「それは問題ないんじゃないかな。草も生えてるし」
「草?」
となりで、アイジュマルがヘルメットを脱いでいた。風が心地よい。
「ああ、草だ。事情はよく飲み込めないが、地球とあまり変わらない気がする」
「おい、待て、ステイ、状況もわからないのに、そんなとこに長居するなんて…」
ステイもヘルメットを脱いだので、セベレの声が遠くなった。セベレが心配するのはわかるし、悪いとも思うが、目の前の状況にどうしても抗することができない。
「行こうか、アイジュマル」
アイジュマルはうなずき、手を繋いだまま、黙ってステイに従った。
とくにアテがあったわけではない。
まっすぐ歩く2人、見渡す限りの草原は果てもなく続くように見えた。確かにヒスパニオラは小天体とはいえ、易々と踏破できるほど小さいわけではない。それでも、脚の許す限り、歩いてみたいと2人は思っていた。
思ったより重力がある。最初の違和感はそれだったかな、と思い当たった。地球上より軽いような気はするが、月面を跳ねて飛ぶみたいな軽さではない。もっともステイだって月に行ったことはないわけだが、本来、ヒスパニオラのような小天体上では、重力など地球の数十分の一なので、ほとんど感じることができないはずなのだ。まあ、超空間技術を使いこなすセドリックにとって、重力をいじることなど、朝飯前なのかもしれないが。
小さな機械音が背後でした。ステイとアイジュマルが振り向くと、何かが遠くから近づいてくる。
小型の車両、だがタイヤは付いていない。草原を滑るように飛ぶそれは、ステイとアイジュマルの隣で停止し、ガルウイングのドアを開けた。
「さあ、乗った、乗った」
車の中から声が聞こえる。ステイは躊躇しつつ声をかけた「君は?」
「オールインワンだよ」声が言った「そっちは反対方向だってば。そもそも、歩いてどこへいく気だ?
一周して俺のとこに来るまでに干からびちまうぞ。ヒスパニオラに来るなんて無茶してるんだ。こんなとこで怖がってもしょうがないだろ。乗った、乗った」
「ありがとう、オールインワン」アイジュマルは微笑み、ステイに先立って車に乗り込んだ。ステイは首をすくめたが、他にどうしようもない。座席に滑り込むとドアが閉まった。
「遠いところ、ようこそ」車内に声が響いた「月見台に行くつもりだったんだろう?」
「はい、その通りです」アイジュマルが答えた。
「いま、月見台とヒスパニオラは、ものすごく太い亜空間走路束で繋いであるんだ。環境改善用の機材やら、資材をこれから大量に運び込む。そのせいで、巻き込まれたんだと思う。ゴメンな」
「いや、こちらこそ」ステイが詫びた「忙しいところ邪魔をする形になってしまって申し訳ない。…ところで、ひとつ質問して良いか?」
「いいよー、答えられることならね」
「重力はどうなってる?」
「いま、0・8Gで調整してるよー。もっと、重い方が良いか、軽い方が良いかは、ユータと相談して決める予定」
「どうやって調整してるの?」と聞いたのはアイジュマルだ。
「ヒスパニオラの中心にミニブラックホールを発生させてるんだ。ヒスパニオラの構成物質がブラックホールに吸収されないように調整するのが大変だなー」
「アイボリーは元気?」
「うーん、どうだろなー」オールインワンは若干、自信なさげだ「生体機能としてはオールグリーン、まったく異常なしなんだが、テンション上がりすぎて、はち切れそうなんだよ。早くユータ来てくんないかなー」
「優多くんは、いつ、来れそうなんだ」
「37時間29分後、アイボリーの誕生日に来るんだよ。早く来い来い誕生日だよなー」
「本当にいそがしい時に来ちゃったみたいね」アイジュマルが小声でささやいた「いくらなんでも、おじゃま虫すぎるわ」
「ああ、そうだね」ステイも恥ずかしげにうつむいた「まあ、来てしまったものはしかたがない。なるべくおとなしくしていよう」
二人の思いを知るや知らずや、車内にオールインワンの鼻歌のような音楽が流れる。オールインワンが超ご機嫌なのは確かなようだ。




