桜の散る頃にお会いしましょう
吉祥さん、吉祥さぁーん。
背後から、呼ぶ声が聞こえる。
頑頭は振り返った。
「二瓶さん」
二瓶亮二だった。
二瓶は大きく右手を振りながら、頑頭に駆け寄ってくる。
実際、頑頭は少し驚いていた。ここがJAXAの筑波宇宙センターだったからである。JAXAー宇宙航空研究開発機構は文科省管轄であるため、経産省の二瓶がいるのはめずらしい。
ちょっと、お時間ありますか? と言う二瓶だが、あまり頑頭の都合を聞いている風ではない。むしろ、何があっても、という決意のほどがありありと顔に出ている。
「大丈夫です」頑頭は苦笑まじりに二瓶の誘いを受けた。たぶん、そうするのがいちばん簡単なはずだ。
半ば無理矢理というていで、頑頭は隣りの区画、産業技術総合研究所、厚生棟2階のレストランに連れ込まれた。一般公開展示施設に隣接し、本来、来場者であれば誰でも使えるはずのレストランなのだが、昼どきにもかかわらず、二瓶と頑頭以外に客が誰もいない。緊張を隠せないウェイトレスに、とりあえず、頑頭がコーヒーを注文すると「私もそれで」と二瓶が付け足した。
「いやあ、こんなところで偶然お会いできて、運が良かった」
二瓶の言葉に頑頭は笑みを返した。まあ、嘘だろう。おそらくJAXAの出口で待ち構えていたのだ。
頑頭はJAXAに挨拶に来ていた。吉祥学園設立の時に、多少無理をいった関係で、ほんのわずか宇宙開発の手助けをしていた。それが切れる。最後の挨拶だった。
ーー轍さん、無茶言うからなあ
頑頭は妻の笑顔を思い出していた。たった二人の児童のために、私立とは言え、学校法人を設立したのである。吉祥財団、というか、妻のあからさまなワガママなのだが、誰も逆らうわけにはいかなかった。金は売るほどあるので、補助金が必要なわけでは無いのが、せめてもだったが、それなら学校法人になんかしないで勝手にやってくれ、というのが文科省の言い分だ。そんな当たり前が吉祥家の当代に通じるわけもなく、しかも学校法人にしてみたところで、文科省の言うことなど微塵も聞く気がないのだから、迷惑以外の何者でもない。
宇宙航空研究開発機構に協力、というのは、頑頭にしてみれば、とばっちりも良いところだが、まあ、落とし所として致し方ない。
「JAXAから手を引かれる、と小耳にはさみましたが…」テーブルに置かれたコーヒーには目もくれず、二瓶が切り出した。
「はい」と頑頭は返事した「もう、お手伝いできるような状況ではなくなりましたので」
「それで、むこう、納得しましたか?」
「納得とか、そういうお話しではありませんので」
「…確かに、そういう話ではない」
「はい」
二瓶は両腕を胸前で組み、視線を自分の膝に落とした。考え込んだようにも見えるが。
あるいは、何も考えていないのかもしれない。
ああ、忘れてた、二瓶が大仰に言いながら、懐から名刺入れを出し、中の一枚を頑頭に差し出した「だいぶ前になりますが、一年ちょっとかな、異動しました」
「産業組織課知的財産政策室、室長ですか」
「ま、やってることは、あまり変わり映えせんですが」
二瓶と一緒に仕事をしていたときは、総務課の課長というポジションだった。頑頭も政策局の内情に詳しいわけではないが、あまり愉快な異動ではないように思う。
「すみません、私の方は名刺を切らしておりまして」
そもそも名刺など持ち合わせのない頑頭だが、とりあえず、取り繕って細かい話を避けることにした。名刺などいただかなくても吉祥さんを知らない人はおりませんよ、などと、二瓶もお世辞なのか冗談なのか、よくわからない返しをする。
「時に」二瓶は言いながら頑頭を真正面に見据えた。接続詞からして、会話をつなぐのに苦労しているようだ「お引越しなされたようですが、何方へ?」
「白道、月軌道が地球に落とす影ですが、その内側の洋上、1万5千メートルにある浮島のようなものに移りました」
うーん、と唸ったきり、二瓶はまた下を向いた。ご冗談を、とは言えなかった。事実そのものであることは二瓶も知っていた。
「その後は…」
「地球を離れることになると思います」
間髪入れずに返された言葉に、二瓶は二の句が告げなかった。
お困りですか、と問われた二瓶は、ん、んん、と首を振る。
そして、何故か笑った。
「まあ…、なんと言うか…、誰かに言われて来た、…そう言うことでは、ないんですな…」
「ほう?」
「ええ、そうです。報告書上げないかんとか、そう言うのは、もう、なんか、ずっと、昔に終わってしまっておりまして…。いや、終わってないのかも知らんけど…。まあ、誰に報告しようが、報告相手がどう思おうが、その先とか、もっとずっと上とか…、もう、いろいろ…、関係ない、と言うか、なんと言うか…」
しばらく、ああでもない、と誤魔化していた二瓶だったが、ようやく顔を上げると、言った。
「吉祥さんに、直接、会って聞きたかった」
「はい」
「たぶん、そう言うことだと、…そう思います」
頑頭はずっと二瓶を見ていたが、二瓶の方がやっと向けることができた視線を自分から逸らしてしまった。
ーーそう言えば
よくわからないが、この手のにらめっこで、頑頭は負けた記憶がない。とくに勝負していた気持ちはないが、こうも百戦百勝では、少し心配になってくる。もしかすると、自分には人として、何か欠けるようなところがあるのだろうか。
ーーそう言えば
優多くんのお父さんも、似たようなことを言っていたような気がする。
ーーこんど、きちんと聞いてみよう
頑頭は横を向いた二瓶の視線を追ってみた。窓の外、桜の木を見つめているように見えた。
桜は、
たいして風もあるようには見えないないのに、はらはらとその花びらを散らしていた。
「桜の咲く頃、と皆さん言いますが」
「はい」
「桜の季節は短い。咲いたとしてもすぐに散ってしまう。だから桜の咲く頃も、桜の散る頃も、時節としてそんなに差があるわけではない」
「そうですね」
二瓶は、桜から目を離せずにいた。理由はわからない。
頑頭は立ち上がった。椅子を引く音に、二瓶は驚いて頑頭に視線を戻したが、その二瓶に向けて、頑頭は右手をまっすぐに差し出したのである。
「桜の散る頃に」頑頭は笑顔を浮かべ、そう言った「また、お会いしましょう。今日はありがとうございました」
二瓶は、慌てて立ち上がると、差し出された手を包むように両手で掴み、固く握りしめた。




