最果てにたどり着けない形
「寒い、寒いなあ、ここは」
防寒着の手袋をこすり合わせながら、ボロルマーが言う。
「南極なんだから、寒いの当たり前だろう」マルティナは容赦ない「寒いのが嫌なら、シンガポールに残ってれば良かったんだ」
「気まずいんだよ、あそこにいるのは。俺はセベレほど図太くない」
「そこは同感」めずらしくマルティナが同意した「もう少しの我慢だ。キュービッド1Mまで着けば、少なくとも防寒着が必要ない程度の環境にはなる」
「あと、どれぐらいで着く」
「あんたが、ぎゃーぎゃー、騒がなけりゃ、30分てとこだ。ヘリコプターの操縦てのは、簡単そうに見えて、意外と難しいんだよ」
「それは知ってる」
「知ってるんなら、黙ってろってこと。わかる?」
ボロルマーは返事の代わりに沈黙した。ヘリの速度は少し上がったような気がした。
「ミルクティーだ」ボロルマーは、2つあるカップのうちのひとつをマルティナに差し出した「塩入りだよ」
「ありがと」マルティナは笑顔で受け取る「最初飲んだときはさあ、何コレ、って思ったけど、慣れるとやみつきになるね。まあ、南極で飲むハメになるとは思わなかったけど」
「南極には、前から来たいと思ってた。けど、機会がなくてな」
「それで? 感想は?」
「寒い」
マルティナは、笑った。あいかわらず、つまんない男、と付け足すのも忘れなかった。
「まあな」
ボロルマーは、透明プラスチック窓で仕切られた向こうにある、巨大コンピューターユニットyに見入った「キュービッド1Mか…」
「そう、百万素子の量子コンピューター、人類の叡智の結晶」
「もともとは1kあれば、世界が変わるって言われてたんだ」ボロルマーはボヤいた「キュービッド1Mは量子アニール型だから、量子論理素子とは若干違うとは言え、もう百万だぞ。だってぇのに、ほとんど問題は解決していない」
「プログラミングが難しいんだ。通常のデジタルコンピューター、ノイマン型コンピューターのやり方が通用しない。今回だって、アイジュマルの奇天烈な無限平行演算を使ってどうにか形になってる。コンピューターが進化したって、人間が追いつかない。コンピューター自身が自分で自分を改良するようになってないからな」
「それは知ってる」
「何でも知ってるな。いいことだ」
「良くない。俺の知ってるのは、うまくいかないってこと。ダメな例ばっかりだ」
「失敗を知るのもいいこと」
「目の前に成功例があるのに…」
「確率共鳴で時々浮かび上がってくるだけだよ」マルティナは、さらりと流した「別の成功例でも見るかい? 別世界通信がある」
「あれはもっと酷い」ボロルマーは嘆いた「超空間からは無限大のエネルギーを取り出せます。超空間を生み出すには無限大のエネルギーが必要です。俺たちは、どっちも持っていない。超空間も無限大のエネルギーも」
「セドリックがどうして、超空間に手をつけたか」ひとりごとのように言ったマルティナは、塩ミルクティーを飲み干すと、ボロルマーに向いた「知ってる?」
「知ってる」
「そう、みんな知ってる」
みんなというのは、アレシボ茶会のメンバーのことだ。
「パレアナは不思議な子だった。教授が連れてきたから、あたしたちと同じだと思ったら、違う、って言うから2度驚いた」
「世界各国の研究機関に、ひょこひょこ、勝手に入り込んでたんだよな。超高電圧を扱う研究機器に亜空間走路の出入口ができやすい、って彼女は言ってた」
「だから、無理言ってスカウトした、って教授は言ってたけど…、最初は嘘だと思ってたんだよね、亜空間なんて。昔は…、いや、今だってとんでもない話だし…」
「けど、そのうち、セドリックが現れて、アレはパレアナと違って、他人が見てようが何だろうがお構いなしに出たり消えたりするから、信じる他なくなった…」
「最初は、パレアナも面白がってたんだけど。慣れちゃって、セドリックが突然現れても驚かなくなったんだよ」
「亜空間に対する知識も技術もパレアナのほうが上だったからな。たぶん、その点は、いまも変わらないんじゃないかな」
「だから、セドリックは超空間を使った、らしい。こっちは、いつもみたいに出てきたと思ってたから、なんとも思わなかったけど。パレアナの顔色が変わって…」
「いたのか? その場に?」
「いたよ。あと、ティルフィアがいたかな。ま、それは、いいや…。それで、パレアナが、恐ろしい剣幕でセドリックの横っ面引っ叩いたんだよ。二度とこんなマネすんな、この馬鹿、って言って。そしたらセドリック泣いちゃって、膝からくず折れて泣き止まないから…」
「そ、それで…」ボロルマーは恐る恐る、その先をマルティナに促した「どうなった?」
ボロルマーも、ここまで詳しい話は知らなかった。ボロルマーの態度が変わったせいか、マルティナはここで口をつぐんでしまった。どうにか先を聞きたいボロルマーは、言葉をついで宥めすかす。塩ミルクティーを追加したところで、ようやくマルティナが話し出した。
「…怒りぶちまけたら、パレアナも我にかえって、泣いてるセドリックを抱きしめたんだよ。それで…、うーん、なんだっけ、確か…、やるな、とは言わないけど、やる前に相談しろ、とか、人生適当に生きてんじゃない、とか、どうせできると思ってんだろうが、いつも上手くいくと思うな、いや、できるんだろうけど、もっと慎重にやれ、とか…」
「それで? セドリックは?」
「セドリック? ああ。泣きながら、ナニか言われるたび、うん、うん、て、うなずいてた」
ーーたぶん、それ、パレアナの言うこと、セドリックは聞いちゃいないな
パレアナの気を引くために超空間使ったとは聞いてたが、まさか、こんな話とは。ボロルマーもドン引いて口数もなくなり、マルティナも気まずそうに口をつぐんだ。
しばらく沈黙が続いた。新しくいれた塩ミルクティーも冷め切ったころ、小さく短めの警告音が鳴った。
え? あれ? コンソールに目を向けたボロルマーは、画面に釘づけになった。
「マルティナ、亜空間が収束していく。なんてこった、走路が開くぞ」
「ほんとだ。アイジュマルが、正しかった。いや、違う、彼女は間違っている」
「何がだ?」
「行ってはいけない。もう遅いんだ。アイジュマルは行ってはいけない。頑頭はダメだ。いや、彼がダメなのじゃない。ガントーの妻がダメだ」
「何故ダメなんだ?」
「あの女は恐ろしい。自分の夫に近づくものをすべて滅ぼす。たとえ、それが、自分の…」
「亜空間走路が…」ボロルマーが指差した先、その空間がおぼろげに揺れる。丸いとも、丸くないとも、縁があるようで縁がない、ただ、ゆらめきだけをもたらす、歪みの奥「アイジュマルはみんなで行く、と言っていた。それは俺たちの前にも開かれる」
よろよろと惹かれるように、亜空間走路の入り口に、ボロルマーは歩み寄った。
「行くのか、ボロルマー」
その声に、ボロルマーは立ち止まった。ボロルマーの顔から恍惚が消え、そして、暗雲とした二つの瞳が残った。
「ずっと、行けない理由を探していたんだ」
「何?」
「行けない理由だよ」ボロルマーは、不確かに瞬く眼前の亜空間を見ながら言った「同胞のこと、国のこと、手に入りそうな大金、未知の空間に対する危険、あるいは、自分の実力のなさ、頭の悪さ…」
ボロルマーの声を聞きながら、マルティナも最初は亜空間を見つめていた。しかし、いつしかその視線はボロルマーに焦点を結んでいた。
ーー同じことを考えていたから
「向こうに行けない理由を考えていた。でも、そうじゃなかった」
「そうじゃなかった?」
「無かったんだ」ボロルマーはマルティナのほうを向いた「俺にはむこうに行く理由がなかった」
2人はお互いの顔を見つめ合って、立ち尽くしていた。
亜空間は、あざやかなな光輪を揺らし、しばし、その場に存在したが、やがて、唐突にかき消えた。




