第1世代デザイナーズチルドレン
F16のコクピットに収まったジャック・ステイは、まだ、迷っていた。
F16ファイティングファルコン、アビオニクス改修も行われていない旧型で、タイ王国空軍の主力戦闘機であるグリペンには電子戦で一歩ゆずる。とは言え、逆に、不可視障壁に代表される思考防御に影響を受けにくいため、成層圏巨大飛翔体攻略に有利である。
この機体は、ジャマーの影響を受けるほど、賢くないのだ。
「成層圏巨大飛翔体の位置は白道上、正午の位置、高度1万5千メートル、対地相対速度480メートル毎秒だ」
シオーネ・セベレの声がヘルメット内に響く。
「ずっと、月を狙い続けているということか」
「月じゃなくてL1だと思うが」
「直線上にあるから、どちらとも言えんな」
「大きさはどれぐらいだ?」
「レーダーじゃなくて、重力偏差だからな。よくわからんが、10キロ四方ぐらいだ。鉛直方向はわからん」
「人工物か」
「脚のないデカいテーブルみたいなもんだ。UFOで間違いない。隕石じゃないのは確かだ。形もスピードも自然物じゃ、ありえない」
「レーダーにも映らんしな。たぶん、目視でも見えないだろう」
「どうする気だ」
「もうすぐ、タイの領空内だ。国際法上は領空侵犯が成立しそうな気もするが、こっちから声かけてもなしのつぶてだろう。威嚇発砲なんぞしても、無視されるだけだろうし、こっちも武力行使なぞする気はない」
「賢明だよ。話し合いか?」
「向こうが聞く耳持たんだろう」ステイは笑った「相手からみたら、蝿が飛んでるようなもんだ。まともに相手などする気にもならんだろうさ」
ーー今回に限ったことでもないが
ステイは、先日の会議に来てくれた日本人のことを思い出していた。彼は礼儀正しかったし、あるいは、きちんと話しをしたなら、力を貸してくれたかもしれない。セドリックは相変わらずだったが、思えば、彼も初めのころは、もう少し、話しができたような気すらする。
すれ違いというほどのものではない。こちらが悪いだけだ。
「幸い、旧式とは言え、速度と到達高度は足りてる」無線の先のセベレに話しているつもりだが、自分に言い聞かせているような気もする「飛翔体上空で追いついて、相対速度をゼロにしてみる」
「それから、どうする」
「エルロンロールで反転飛行に入り、ベイルアウトだ」
「正気か?」ヘルメットの中でセベレの声が割れ鐘のように鳴った「下に何もなかったら、どうする気だ」
「オマエのことを恨みながら、地獄にでも落ちるさ」
「くだらない冗談はよせ」
「ちゃんとあるんだろう? 何か地面みたいなものが。あるんだよ。信じてる」
「俺の言うことなんか信じるな。帰ってこい。他に方法があるはずだ」
「あるかもしれないが、もうそろそろ我慢できなくなった。この状況をどうにかしたい」
「タイ空軍に連絡する。帰還命令を出してもらう」
「無理だな」
「何だと?」
「少将なんだよ、私は」ステイは厳かに言い渡した「実働パイロットとして空軍の最高位だし、たとえ形式上は、上司でも、私に命令できるものはいない。継承権が何位かなんてのは忘れたし、コネの使い方として褒められたものではないが、今回だけはやりたいようにやらせてもらう」
無線を切ったら、セベレのことだ。何か思いついて、こっちの計画を台無しにしてくる可能性がある。ステイは、喚き続けるセベレを聞き流して、アフターバーナーを点火した。
正直、セベレには感謝してもしきれない。彼のおかげで、さっきまでの迷いは吹っ切れた。
もちろん、セベレにそんな心の内を曝け出すようなつもりは、全くない。
ステイにとって射出は初めてだった。訓練できるようなものではないので、やむおえないが、上手くできたかどうか、自信はなかった。
射出座席が遠くに落ちて行く。与圧服の両手両足を伸ばし、大気を掴むように体を広げた。パラシュートを開くのは、本来なら、もっと高度が下がってからだが…
ーーあるんだよな、下に
何故か、笑いが込み上げてきた。
馬鹿なことをやっている。そんなことはステイ自身がいちばんよくわかっている。心理障壁はアユタヤで鹵獲したものを分析し、対処方法については理解している。実際に装置を起動して心理障壁の中で行動できるように訓練もした。不可視障壁も動作原理は同じようだから、真剣にやれば、下にあるものは見えるはずだ。
ステイは眼下に広がる大空を見つめて精神を集中した。心理障壁は、脳内の情報の流れを操り、実際に認識されうる事象をすり替える。これは人間の脳だけでなく、コンピューターでも同じだ。レーダーは物体による反射波を正確に検知するのだが、情報処理の段階でキャンセルされ、画面には何も映らない。人間の場合、目は網膜上で結んだ像を神経を通して脳に送るが、その後、脳内で認識する過程を阻害されるため、対象物が見えなくなる。アユタヤの障壁は運動神経を邪魔するため、思うように動けない。不可視障壁は知覚認識神経に作用する。だから、本来あるはずのものが見えない。
ステイは、高速で認識し始めた。デザイナーズチルドレンの脳は、神経路が常人の半分な上に脳細胞の数が多いので、ジャマーにたいして迂回路を作って、本当の信号を取得できる。基本、心理障壁は、通常人やコンピューターの計算速度をベースにしているので、超高速で駆動するステイの脳を騙すことはできない。
眼前に突如、広大な土地が現れた。
思ったより近い、ステイはパラシュートを開いたが、気圧の低さも相まって思うように減速できない。
ーーこんなもんか
もともと無茶な計画ではあったので、多少の齟齬は織り込み済みとも言える。成功の望みみたいなものはほとんどなく、止められるだろうと思ったから、周りには言っていなかっただけだ。
徐々に近づいてくる地面、降下訓練で体験した対地速度とあまり変わらないような気もする。いや認識速度が倍になっているのなら、相対的に対地速度は倍だ。いや、他の可能性も、そもそも絶対的な高度が違う…
目まぐるしく動く脳内の思考に呼応するかのように、地面がぼやけ出した。ステイは再び目の前の地面に集中した。余計なことを考えるな。目の前のものを認識することを怠れば、たちまち、すべては無へと帰る。
目を見開くステイの、視線を何かが横切った。
ーー鳥?
ーー鳥が飛んでる?
ステイの体を何かが捉えた。
降下速度は、いきなりゼロとなり、しかし、衝撃はなかった。
大地に激突することなく、ステイは空中で停滞していた。
ーーあれは?
眼下彼方に見える草原に、何かが見える。
ーー少女が…
この距離で、本来ステイには見えるはずのないヴィジョン。
少女はポシェットから取り出した黒いサングラスをかけ、ステイを見上げる。
少女の傍には、さっきの鳥。
ステイは後ろから、首に衝撃を受けた。
首根っこを掴まれたような感触に、ステイは真っ黒な空間に投げ出される。
気がついた。
目を開けて、ベッドの上で飛び起きた。
「このバカもんが」
部屋の中に怒声が響いた。
「前からバカだとは思ってたが、これほどとは、思わなかったぞ」
声の方を向くと、椅子の袖に片肘かけた老人がいた。こちらを睨んでいる。
「教授…」
「ああ、そうだよ、俺だ。レオンハルト・ベルンシュタインだ」レオンハルト・ベルンシュタイン教授は、椅子に腰掛けたまま、ステイを叱り飛ばした「何で、あんなマネをした? ことと次第によっちゃぁ、ただではおかんぞ」




