第1節:「空席のセンター」
まるで空が一段と灰色になったような朝だった。
今日は、水無瀬莉音の死後初めてのライブ。
会場はいつもと同じライブハウスだが、そこに漂う空気は明らかに違う。
ファンも私たちメンバーも、誰もが大切なものを失くしたことを知っているからだ。
ライブ前の控室に集まったのは、私桜井未来と、橘かりん、天野雪菜、そして篠宮ひなたの四人。
いつもなら「頑張ろう!」と掛け声をかけ合うのに、今日は信じられないほど静かだった。
衣装に着替えながら、かりんが無理やり明るい声を出す。
「莉音の分まで頑張ろう。ステージは私たちの場所だから……ね?」
けれど、その言葉に誰も返事をしなかった。
雪菜は黙ったままリボンを結び、ひなたはうつむいている。
私も声を出そうとして息を呑む。
頑張ろうと言われても、あの笑顔がもういないステージなんて、どうやって立てばいいのか――。
やがて始まったライブ。
本来センターに立つはずの莉音の場所は、あからさまに空席のままだ。
ファンの前に出た瞬間、その空席の重みが胸を締めつける。
スポットライトに照らされる客席を見回すと、みんなが悲しみと不安を抱えた表情をしていた。
(莉音の場所が、ぽっかりと空いている……。でも、私たちが歌わなければ、誰が歌うんだ?)
そう自問しながらも、曲がスタートすれば身体が勝手に動く。
ステージは非情に進行していくからだ。
かりんが必死にリードしようとする。
雪菜は震える声でどうにかハーモニーを合わせる。
ひなたは目に涙を溜めたまま、いつもより声のトーンが低い。
それでもファンを笑顔にするために、歌わなきゃいけない。
ファンの声援にも、いつものような熱気は感じられない。
むしろ、悲しみや戸惑いが混ざっているのがわかる。
なかには、SNSでリアルタイムに状況を伝えている人もいるようだった。
@LF_Official
本日のライブについて多くのご意見をありがとうございます。 水無瀬莉音の件につきましては、まだ捜査が継続中です。 本日は予定通りライブを開催いたしますが、皆さまのご理解をお願いいたします。
運営によるその投稿が、さらにファンの複雑な思いをかき乱している。ネット上では、こんな声が飛び交っていた。
Xの実況投稿(抜粋):
@mika_idol
「莉音のいないラストフレーズ、痛すぎる…見てるだけで泣ける」
@idolwatch333
「センター空席って演出かと思ったけど、違うよね…正直、キツい」
@kamakiri_rev
「運営は何事もなかったかのようにライブ続行って…どうなの?
でもメンバーは頑張ってるし、責められないんだよな…」
曲が終わると、ステージ上にはやりきれない空気が漂う。
MCもぎこちなく、明るい言葉を無理矢理並べるしかない。
ファンが揺れるサイリウムを見ても、心からの笑顔を返せない自分がいる。
(でも、やるしかない。莉音がいたステージを守るために――)
私は必死に声を張り上げ、ファンへありがとうを伝え続けた。
悲しみをこらえながらも、みんなの期待を裏切らないようにと。
ライブはそうして辛うじて幕を下ろした。
楽屋へ引き上げる途中、私はひそかに客席を振り返る。
ここに莉音がいてくれたなら、どんなに心強かったか。
あの空席は、まるで私たちが失った一部そのものだ。
だけど、ステージに立つことはやめられない。
私たちが歌を止めたら、莉音も二度とここに戻れない気がしてしまう。
重苦しい思いとともに、私は心に決める――疑いがあろうと、悲しみがあろうと、私たちは前に進むしかないのだ、と。
こうして、空席のセンターを残したまま、ライブは終わった。悲しみに包まれつつも、私たちはなおも歌い続ける――真実を知るために。