第2節:「悲鳴の後に」
握手会終了のアナウンスが流れ始め、会場全体には安堵と名残惜しさが混在した空気が漂っていた。
ファンたちは物販コーナーへ移動したり、メンバーに最後の挨拶をしようとしたりしている。
私、桜井未来はメンバーそれぞれの様子を確認しながら、自分の片付けを進めていた。
ところが、その穏やかな空気を引き裂くように――
「キャアアアアッ!!」
女の子の悲鳴が舞台裏のほうから響き渡った。
反射的に顔を上げる。今のはスタッフの声だろうか。
会場にいたファンたちがいっせいにざわめき始め、そわそわと後ろを振り返る。
スタッフ数名が慌てて走り出し、警備員もすぐに動く。
嫌な予感が、胸の奥を冷たく締めつけた。
「何かあったの?」
ひなたと雪菜が不安そうに顔を見合わせる。
私も何も言えず、かりんに目配せをした。かりんは小さくうなずいて、焦る気持ちを押し殺すように深呼吸をする。
そして、私は意を決して舞台裏へ走り出した。
カーテンをくぐり、奥まった通路を突き当たると、スタッフの声が飛び交うのが聞こえる。
「救急車、早く呼んで! 早く!」
「血が……やばい、止まらない! 誰か救急箱を持ってきて!」
「警察……警察にも連絡を……」
その光景に息を呑む。まるで映像がスローモーションで再生されているかのように感じた。
人だかりの中央に、白い衣装が見える。
私は足が震えるのをこらえながら、それでも近づかずにはいられなかった。
「莉音……?」
口にした瞬間、頭が真っ白になる。
そこには水無瀬莉音が倒れていた。
衣装の裾が赤黒く染まり、頬は青ざめ、目を閉じたまま動かない。
私はその場で崩れ落ちそうになるのを必死にこらえた。
「莉音! しっかりして、莉音っ!」
叫びながら駆け寄ると、スタッフの一人が「未来ちゃん、待って……危ないから!」と制止する。
けれど、止まることなんてできない。
私は懸命に莉音の肩を支え、名前を何度も呼んだ。返事はない。
「どうして……莉音が……?」
頭の中が混乱して、何をどうすればいいのかわからなくなる。
血の匂いが鼻を突き、目の前がぐらりと揺れた。
どこから出血しているのかも、まともに把握できない。
ただ、莉音の唇がかすかに震えたような気がして、私は心臓が一気に締めつけられた。
そのとき、後ろで誰かが「早く救急車を!」と声を張り上げ、別のスタッフが「警察にも来てもらわなきゃ……」と慌てて携帯を取り出しているのが聞こえる。
外の会場までその騒ぎが伝わったのか、ファンたちのどよめきが遠くから重苦しく聞こえてくる。何が起きたのかまったくわからない。
私は必死で莉音の顔をのぞき込みながら、かすかに動く脈拍を探した。
「莉音、お願い……目を開けて……」
私は泣きそうな声で呼びかけるが、彼女は何の反応も示さない。
押し寄せる絶望感をどう受け止めればいいのか、混乱して息が乱れた。
しばらくして、会場の外のほうでサイレンの音が近づいてくる。
ようやく救急隊が到着するのだろう。
スタッフがドアを開け放ち、救急隊を誘導している。
そのとき、不意に視界の端で何かが落ちているのが見えた。
莉音のスマホだ。
それを拾い上げてみたが、画面は真っ暗で何も映っていない。
さっきまで何か気にしていたはずなのに、今はロックすら解除されていない状態だ。私は握りしめたままスマホを離せず、混乱し続ける頭で「これが何かの手がかりになるんじゃ……」と考えた。
さらに、控室の隅には窓が少しだけ開いているのが見える。
こんな会場の裏側で、しかもまだ肌寒い時期。
わざわざ窓を開ける理由なんてあるのだろうか。
けれど、今はそんな細かいことを考える余裕もない。
救急隊が到着したことで、莉音は担架に乗せられ、バタバタと慌ただしく控室を出ていく。
私は廊下で立ち尽くしたまま、呆然とその後ろ姿を見送るしかなかった。
「……嘘でしょ、どうして……」
思考がまとまらず、頰が熱くなるのを感じる。
涙が溢れそうになるが、ここで取り乱すわけにはいかない。
何が起きたのか、どうしてこんなことに――頭が真っ白になっていく一方で、私の心は必死にこれが現実だと訴えていた。
会場内では警察らしき人物たちが入ってくる気配がする。
スタッフやファンは騒然とし、ロビーのほうからは心配げな声が絶えない。
私はぐったりと膝に力が入らないまま、ただ震える指先で莉音のスマホを握りしめるしかなかった。
次に訪れるのは恐怖か、それとも絶望か――私には何一つ予測できなかった。