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 やっぱりというか何というか、ミセルはアマデウスの声には応えなかったけど、それでも私はここ一ヶ月の中で一番心が軽かった。だって一ヶ月の間ずっと動くことのなかった現状に、今日やっと変化が訪れたのだ。

 アマデウスが来てくれた。きっとこれで、事態は良い方向に動いてくれるはず。ミセルもきっと、少しずつ前を向けるようになる。私はそう信じている。だってミセルは、私の夫は凄いのだ。だってアマデウスは、私の友達は凄いのだ。


「今日はね、ハイリ。師匠が来たよ。もうひと月も経つんだから、良い加減魔塔にも顔を出せって。全く魔塔も中々気が利かない。一ヶ月も一年も、魔法使いにとっては瞬きみたいなものなのだし、もう少し放っておいてくれたってバチは当たらないだろうにね」

『でも、魔塔にはミセルのことを待ってる人がたくさん居るでしょう。生徒も弟子も、きっとミセルのこと待ってるよ。待ちくたびれてるかも』

「別に、働くのが嫌ってわけじゃないんだ。魔法について研究するのは楽しいし、嫌いじゃない。というより、とても好きだよ。それでも、今は時期じゃない。今の研究は、下手に人の出入りがあるところで取り掛かるわけにはいかないんだ。邪魔が入るのも困るしね」

『なら、もうやめたら良いのに。ミセルは今まで通り、自分の好きなことを研究してる方が良いよ。禁術とか、人体蘇生とか、元々そんなに興味があったわけじゃないでしょう?』

「それに、怒ってたしなあ、あの人。あからさまって程じゃなかったけど、あれは怒ってた。私は詳しいんだ。ますます行きたくなくなった。君の葬式をしてやれとも言われたし。だけど私は、そんなことをするつもりはないし、この点においては全く相容れないことが良く分かったね。多分顔を合わせたら最後なやつだ。師匠の説教は異様なほどに長いんだ」


 アマデウスが訪ねてきたからだろう。ミセルは珍しく、起きてすぐではなくて、多分研究がひと段落したところで"私,,に会いにきていた。"私,,が座っている揺り椅子に、向かい合わせるように置かれた椅子に座っている。


『……お説教で言うなら、私だって結構長いと思うんだけど』

「ああでも、説教で言うなら、君も中々長かった」

『っ、』


 くしゃりとあどけなく笑って言ったミセルに、私はグッと言葉を呑んだ。いつだって合わさっていた視線が今はどうしようもなく交わらなくて、ミセルは空っぽの私の身体を、前と同じ優しい目で見つめている。会話が成り立つことも、今はない。


 ほんの数時間前、アマデウスと話したことを思い出す。彼はミセルの元に行こうとする前、「君には酷なことを言うけれど」とひと言私に断った。


 ───私は、君の今の状態をミセルに話すつもりはないよ。君の言葉を伝えても、きっとあの子は踏み止まらない。それどころか君を取り戻すために、より一層外れた道を進んでいくだろう。


 予言じみたその言葉には、けれど確かに思い当たるところがあった。というか、今のミセルを目の当たりにしておいて否定できるはずもない。むしろ否定できる要素が一つもない。

 いくらいきなり死に別れたからといって、妻の身体をツギハギして一緒に暮らすような人になってしまったのだ。私はアマデウスの言葉に反発を覚えることもなかったし、それを素直に受け入れた。


 ただ、やっぱり少し悲しいのだ。こんなに側に居るのに、やっぱりミセルがそれを知ることはないんだなって思うと。


「覚えているかい?三年前、まだ出会ってそう長い時間が経っていなかった頃。君は右上半身を吹き飛ばした俺を見て、とても大きな悲鳴を上げた」

『覚えてるよ。忘れられるはずないでしょう、あんなの』

「だけど俺がや、って左の手を挙げると、君は今度は顔を真っ赤にして俺に詰め寄ったよね。死んだらどうするの、生きてて良かったって言って泣いてくれた。お説教が長かったのは、身体がそれなりに修復してからだったね。魔塔のベッドの上で寝込む俺に、君はコンコンと言い聞かせてきた。だけど、悪い気はしなかったな。説教をしながら、君が……」

『……泣いてたから?』

「君が……、泣いてたから。心配されるってこんな感じかって、不思議な気分だった」


 何度も聞いた話。何度も話してくれた話を、ミセルはそっと目を閉じながら再び語った。ミセルは何回だってこの話を聞かせてくれたのだ。だってこの話は。


「あの時、君は僕にとってただの研究対象ではなくなって、君と言う一人のひとが僕の世界に現れたんだ」

『……もう、そんなに言わなくたって覚えてるよ』


 優しく細められた赤い瞳。愛しげに緩められる口元。この話はミセルにとってとても大事な思い出だと、かつてミセルは語ってくれた。大切だから、私と話して、何度だって思い出したいのだと。


「……今日、師匠が来て」

『うん』

「はじめて、君が死んでもうひと月が経つんだって気が付いたよ。早いような、まだそんな時間しか経っていないのかと驚くような、変な感じだ」

『私からしたら、この一ヶ月はすごく長いように感じだけどね。だってミセル、毎日こうなんだもん』


 冗談めかして肩を竦ませる。きっと私は、この一ヶ月、どれだけ声をかけても触れようとしても伝えようと頑張っても、何も変わらなかったのが辛かったのだと思った。そのせいで、余計に後ろ向きになってしまっていたのだと思う。でも、今日、ようやく状況が動いた。だから今日は昨日よりも少しだけ、ほんの少し前向きな気持ちでミセルの横顔を見つめていられた。

 ミセルは相変わらず目蓋を閉じた"私,,を見つめたままで、いつも通りの、私が生きていた頃と変わらない優しい声で、「ハイリ」と私の名前を呼んだ。


「君のいない世界は、今日も酷く褪せていて。……君と出会わなかった頃に戻っただけのはずなのに、どうしようもなく心が痛い」

『……うん』

「きっと君は、今の私を知ったら酷く怒るだろう。前回の説教とは比べ物にならない時間、私を叱るかもしれない。呆れられて、嫌われるかも。それでも。……それでも」

『うん……』

「君に見捨てられるかもしれないことは、とても、とても怖いけど。それ以上に私は、君のいない今の世界が、どうしようもない程恐ろしい。まるで目隠しをされたまま、断崖の上を歩かされているようだ。君が叱ってくれるなら、もう一度、声を聞かせてくれるなら。……俺の名前を、呼んでくれるのなら。俺はどんなことをしてでも、必ず君を取り戻すよ」


 愛していると、話す声は酷く甘くて。私はまた、出もしない涙を堪えるようにキュッと眉間に皺を寄せた。


『……あいされてるなあ』


 嬉しいのに、嬉しいから、悲しいよ。


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