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ミセルとの出会いは、私が16歳だった頃に遡る。
当時の私は一人目の夫を喪ったばかりで、喪服に身を包み、養母に習いながら生まれて初めての喪主を勤めていた。ミセルはその葬式に、参列者として現れたのだ。
一人目の夫、ラエトゥスは魔法使いではなかったが、騎士ではあった。当時は隣国との戦争が発生していて、魔法使いやその前身である魔術師と共に戦うことも珍しくはなかったという。
とはいえラエトゥスは、ミセル程の有名人と関わりを持てるほどの階級ではなかったから、随分と驚いたことを覚えている。
そう。ミセル・フォルトムはとてつもない有名人だったのである。
魔塔の研究者。多くの理論を提唱し、人類の発展に貢献し続けている偉大なる魔法使いにして考古学者。哲学や文学にも精通していて、新しい星を見つけたこともある。「魔法は全ての学問と通じている」というのがミセルの口癖だったので、必然的に凡ゆる分野に造詣が深くなったのだろう。ミセルほど、年代性別問わず多くの人に知られる魔法使いは早々いない。ミセルの名前は彼が開発した様々な物と一緒になって生活に浸透していたのだ。あの時はまだこの世界の常識に疎く、国の端っこに住んでいた私でさえ名前を聞いたことが何度もあったし、ミセルが執筆した本を読んだこともあった。
だから、ミセルがラエトゥスの弔問に訪れたということは、あっという間に町中を駆け巡る一大ニュースとなった。ラエトゥスの親戚でもあった養母や義両親はミとてつもなく感動して、あちこちがお祭り騒ぎ。私もまた、「あんたの旦那は本当に立派な人だった」と何度も声をかけられた。
もっとも、ミセルの訪問の理由というか、身も蓋もなく言うなら目的は、ハナから私だったのだけれど。
私、ハイリ・イノセこと祈瀬羽衣里は、元々ここではない別の世界から迷い込んでしまった人間だった。
生まれも育ちも地球という星の日本という国。もっと言うなら東北地方。15歳の春、階段からうっかり足を踏み外すみたいにして世界の境界を踏み外し、ある子爵家の庭に迷い込んでしまった正真正銘の異世界人が私だったのである。
こういうことは、とても珍しい現象ではあるけれど、並外れて稀というわけでも無いらしい。
子爵夫人であった養母は庭の散歩中、いきなり現れた私に驚きながらも事情を察して保護をして、いきなり家も家族も友達も、世界さえ失ってしまった私を哀れみ引き取ってくれたのだ。文字からこの世界の常識まで教えてくれて、嫁ぎ先まで世話をしてくれた。それが養母の親戚であったラエトゥスだったのである。
しかし結婚と言っても、私とラエトゥスは夫婦というよりは、むしろ兄妹のような感覚に近かったように思う。
私としては15でお嫁に行くなんて早すぎると思っていたけれど、この世界では寧ろ大抵の女の子は14歳で誰かの妻になるものらしく、年若い女の子がいつまでも独り身で居ると色々と不都合が現れるらしかった。だからラエトゥスは私の事情を知って、ただ「家族になろう」と手を差し伸べてくれたに過ぎなかったのだ。彼はまだ二十代も前半の若々しい青年だったけれど、騎士となる為に十代の頃から寄宿学校に入っていた関係で妻を娶っていなかった。恋よりも仕事に熱心な人で、たくさんの人を助けて、たくさんの人に慕われるような騎士だった。
養母にとっては、そんなラエトゥスに良い加減身を固めさせる意味でも、私が身を守れるようになるという意味でも、色々と都合が良かったのだろう。ラエトゥスが根っからの善人だったということもある。私達の縁談はトントン拍子に話が進んで、私達はあっという間に夫婦になったのだ。
しかし夫婦になったと言っても、早すぎる結婚に戸惑っていた私と、ただただ人の良いラエトゥスの仲が急速に進展するようなことはなかった。彼は不安がる私を気遣って「少しずつお互いを知って行こう」と提案してくれて、寝室も分けることになった。その代わり食事は出来る限り一緒に取って、その日一日にあったことを話し合うという取り決めを作ったのだ。
私にとってのラエトゥスは兄のような存在であり、きっとラエトゥスとっての私も妹のようなものだったと思う。
彼を愛していたのかはわからない。それでも、確かに好きだった。恋人かと問われたら首を横に振るけれど、家族かと問われたら戸惑いながらも頷けるような関係性。もしかしたら、いつかは男女として愛し合える未来もあったのかもしれない。
ラエトゥスが、死んでしまいさえしなければ。
若い騎士見習いを庇ったのだという。とても彼らしい理由でラエトゥスは死んで、最期の言葉は彼に庇われた騎士見習いが聞いた。
「お前には才能がある。生き残れよ。家族に、泣くなって伝えてくれ」と。それが彼の最期の言葉だったらしかった。
私は、きっととても悲しかった。断言出来ないのは、そう言えるほど長く彼と過ごしたとは言い難かったからだ。ほんの数ヶ月夫婦で居ただけだった。私よりもラエトゥスのことが好きな人はあの町にいくらでも居て、だけど私が妻だからという理由で、私が喪主をすることになった。
たくさんの人が、彼のお葬式に現れた。
たくさんの人が、彼に白い百合の花を手向けた。
たくさんの人が、彼の死を悼んでいた。
ミセルはそんな中、目的を持って入り込んできた魔法使いだったのだ。
ミセルは魔法使いであり、魔法使いということはつまり研究者でもあった。多岐に渡る分野を研究している彼にとって、異世界人は是が非にも手に入れたい研究サンプルであったのだ。
文字は読めないのに言葉は通じて、全く別の世界きら現れるのに同じ人間の形をしている。過去の記録から、子供を残せることさえ分かっている。ミセルは異世界人という存在に強い興味を抱いていて、私に接触してきたのである。
この世界に迷い込んでくる異世界人という存在は、並外れて稀というわけではないけれど、とても珍しい存在だった。
ミセルは言葉を飾らないで言うところの人でなしのような性格をしていて、そんな存在である私を手中に収める為に、ラエトゥスから託されただとか彼の親友だっただとか、あることないことを捏造して私の身柄を引き取ったのだ。
ミセルはこの世界の英雄に等しくて、誰もが知る高名な魔法使いだった。誰もミセルを疑わず、ラエトゥスを喪ったことで再び家を失った私はただ流されるがままにミセルについて王都へとやってきた。
それが、はじまりだった。