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Ⅵ 天使は想起す。


『天使情勢も知っといた方がいいぞ』


 ラミリルは一人暮らしの家のリビングでメディアに目を通すため、テレビをつけていた。面白いニュースなんてありそうにない。それどころか、人間との敵対関係を強調しようとするニュースばかりで、ラミリルは段々と気分が悪くなってきた。



『それでは、次のニュースです。三日前に天使政府が発表した「人間化装置」についての情報が入ってきました。』


 ラミリルは突然聞こえてきた、『人間化装置』という単語に反応して意識をテレビに向ける。テレビの画面には人間化装置の想像図のようなものが映し出され、幾つかの情報が書き込まれていた。


『「人間化装置」は天使を完全に人間に変化させる装置で、天使政府が一世紀前から開発を進めていたものです。この装置を利用することにより、人間にこちらの正体に気づかれることなく、での諜報活動を行うことが出来ます。それに加え――』


 テレビの中の音声が人間化装置について詳細の説明を続ける。ラミリルは近くにあったメモ用紙に話される内容を可能な限り細かく書き込んでいった。


 少しして、人間化装置についての説明が終わった。ラミリルは最後の一文字を書き終えると、緊張のため肺にため込んでいた二酸化炭素を吐き切ると共に持っていた鉛筆を机の上に放り投げる。

 カラン、という小気味良い音がすると同時、鉛筆はコロコロと机の上を転がっていった。


 少し疲れたと感じながらもラミリルはどこか興奮していた。確かに感じる。自分の作戦が成功へと向かっていることを。一週間ほど前にイムシスから突然計画を話されたときには成功すると思えなかった。しかし、イムシスに折れてよかったと、今になって思う。



 テレビの音声を右から左へと流し聞きながら、ラミリルは一週間前にイムシスが家に来た時のことを思い出す。




     *     *     *




 ラミリルは自分の部屋のベッドの端で蹲っていた。今だけは、何もしたくない。何も感じたくない。喜びも、怒りも、悲しみも。



 ラミリルは自分の家の呼び鈴が鳴っていることに、ある時気付いた。いつしか、自分の感覚さえ捨ててしまっていたラミリルは、その呼び鈴がいつからなっているのかが分からなかった。


 誰が来ているのか、そんなことはどうでもいい。今は誰が来ているとしても外に出ない。ラミリルはそう決め込んで、呼び鈴を無視した。


 それから、何分が経っただろうか。いや、何十分経ったかもしれない。それだけの時間がたっても、呼び鈴は鳴りやむことを知らなかった。


 感覚が少しずつ戻ってきたラミリルにとって、その呼び鈴の音はただただうるさかった。誰が来ているとしても外には出ないとさっき決めたはずなのに、ラミリルは立ち上がると玄関へと向かった。


 ラミリルは足取り重く、玄関へと歩みを進める。一分もすればつくはずの玄関が、いつになっても見えてこないかのような錯覚を感じながら、ラミリルは廊下を歩いた。


 今、自分はしっかりと前へと歩けているのだろうか。しっかりと地面に足をつけて歩いているのだろうか、とラミリルは不安になってくる。平衡感覚が失われ、地面の木目が自分に向かって襲い掛かってくるかのようだった。


 もう一度、先ほどよりさらに強く鳴らされた呼び鈴の音がラミリルを正気へと戻した。



 ラミリルはやっとの思いで玄関へとたどり着く。たったの一分ほどのことだったが、ラミリルの体感では一時間以上の時間が経過していた。


「今日は誰にも会わない………」


 相手を威嚇するように強い口調で言ったはずが、ラミリルの口から出てきたのはとても威嚇しているようには思えない、弱々しい声だった。想像以上に、自分の精神は壊れてきているのだと、この時ラミリルは知った。



「ラミリル……? 中に入れて」


 扉の向こうから聞こえてきたのは天使政府や人間撲滅協会の天使の声ではなかった。その声は、今までに何度となく聞いたことがある声だ。



「イムシス……? なんでこんな時に」


「説明してる暇はないから。こんな時で申し訳ないんだけど、ここを開けて」


 イムシスであっても、本当ならば扉のこちら側に入れたいとは思えなかった。しかし、その声音から緊迫している状況が伝わってくるようで、イムシスを放っておいてはいけない、とラミリルの脳内で警鐘が鳴った。


 ラミリルはイムシスと自分とを隔てている扉を開放し、イムシスを家へと入れた。


 イムシスは周りをきょろきょろと見たのち、素早い動作で玄関へと入り、後ろ手で扉を閉め、鍵まで閉めた。


「何かに追われてたりするの?」


 あまりに慎重すぎるその様子に、ラミリルは疑念を持つ。しかし、イムシスは首を左右に振り、否定の意を示した。


「ううん、追われてるのは私じゃなくて、ラミリル」


 イムシスは、まっすぐにラミリルの目を覗き込む。その眼には、心配の感情が映っていた。


 ラミリルは、自分が追われている、という事実に少し驚く。しかし、少し前のことを振り返って、確かに追われていても仕方ないのか、と思い直した。


「だけど、僕が追われてるからってイムシスまで慎重にならないといけないの?」


「この家の周りにも見張りの天使がいるの。だからこの家に入るのをできるだけ見られないようにしたかった」


 イムシスは話しながら、近くの窓が開いていることに気づき、窓を閉めてカーテンも閉めた。


 それほど慎重になるべきなのか、とラミリルは一人驚く。ラミリルの想像以上に、天使政府はラミリルを危険人物として認知しているのだ。



「まあ、あんなことになったんだから、しょうがないか」


 苦笑を漏らしながら、ラミリルは言った。感情は笑っていなかったが、今までで一番、自然に笑みを作れたはずだ。


「まあ、そうだね」イムシスも苦笑を含んだ笑みを浮かべる。


「それで、こんな大変な時にイムシスは何をしに来たの」


 イムシスは、どこかラミリルに執着している節がある。それでも、理由なくラミリルの家を尋ねたりすることはなかった。加えて、今はラミリルに関われば自分だって疑われるかもしれない、といったリスクを孕んだ状況だ。そんな状況でわざわざ家に訪ねて来る、というのは明らかな緊急事態なのだろう。



「ラミリルに、話したいことがあったの」


 イムシスの表情から、底が消えたようにラミリルは感じた。イムシスの瞳は底なし沼のように深く、油断すれば吸い込まれてしまうような気さえした。どこか、不思議な雰囲気を纏っているイムシスは、いつもよりも大人びて見えた。


「話したいこと……?」


 イムシスの普段とは違う雰囲気にラミリルは少々気圧され、無意識にも後退ってしまう。


「そう。ちょっと、面白い情報を手に入れたんだよね」


 そう言って笑うイムシスの表情は妖艶とも形容できる。


 ラミリルはもう一歩、イムシスから距離をとる。イムシスは一瞬表情を歪め、すぐに元の表情へと戻した。


「聞きたい?」


 イムシスは妖艶な笑みをもう一度、深める。ラミリルはこの先を聞いていいのか、と悩んだ。


 けれど、ここまで来たんだ。そう決意し、ラミリルは重く頷いた。



「じゃあ、単刀直入に言うけど、『人間化装置』っていうのがあるみたいなの」


 イムシスは、詳細の説明はせず、勿体ぶるようにしてそこで言葉を切る。ラミリルは、イムシスに弄ばれているような気がして、顔を顰めた。


 イムシスは忍び笑いを漏らし、愉しんでいる様子で、それが更にラミリルの神経を逆撫でする。


「はぁ……それが何なの。さっさと教えて」


 弄ばれることに嫌気がさしたのか、ラミリルはぶっきらぼうに尋ねる。イムシスは、それに対して嫌そうな顔をするわけでも、呆れるわけでもなく、愉しそうな表情を深めるばかりだった。それは妖艶というよりも少し怪しく、危険な雰囲気を纏っていた。



「うぅん、それが人にものを聞きたいときの態度なのかは気になるなぁ。ま、いっか。ラミリルもちょっとは元気になったみたいだし」


 イムシスは危険な笑みをしまって無邪気な笑みを浮かべる。一気に、その場に立ち込めていた不穏な空気は霧散したように感じられた。


 元気になった、のか。とラミリルは思う。確かに、イムシスとの問答を繰り返しているうちに少しは気持ちが晴れてきたかもしれない。イムシスがそれを狙って今までの一連の行動をとっていたのだと思うと、感嘆と呆れと、全て手の中で踊っていたことを理解した時の少々の苛立ちがラミリルの中に生じた。それらの感情が入り混じり、怒っているような称賛するような、そんな複雑な表情になる。



「じゃあ、『人間化装置』について、説明するよ。まあ、名前の通り、『天使を人間に』する装置みたいなんだけど、今のところ公表されているわけじゃない。けどまあ、私の両親のことは知っているでしょう?」


 イムシスは少々自虐を含んだ笑みを浮かべ、首をこてんと傾けた。


 ラミリルは、何度かは会ったことのある、天使政府に所属するイムシスの両親のことを思い出した。確かに、公表されていないような情報でも知っていておかしくはない。


「それが、天使政府にあるみたいなの。天使は人間に変身することは出来るけれど、連続して続けるなら時間に限界がある。けれど、その機械を利用すればずっと人間で居続けることが出来る。天使政府はそれを利用してにスパイを送り込むつもり。それで――」


 イムシスは、そこでもう一度言葉を切る。姿勢を少し低くし、イムシスはラミリルの目をまっすぐに見据えた。上目遣いにラミリルの目を見つめるイムシスは、高揚感あふれる表情で最後の言葉を発する。







「ラミリルは、霞ちゃんとずっと、一緒に居たいんじゃない?」






 ラミリルの視界が赤く染まる―――。













 次に視界が開けていた時には、自分は先ほどとは違う場所に立ち、蹲るイムシスを見下していた。



「何が……僕は、何をした?」


 ラミリルは混濁した記憶の中、自分が何をしたかを思い出そうとする。しかし、視界が朱く染まっていた間の記憶は戻ることがなかった。



「はは、最後の一押しになるはずだったんだけど………痛っ」


 イムシスは苦笑を漏らしながら、立ち上がろうとして顔を顰める。壁に打ち付けた背中に鋭い痛みが走る。


 ラミリルは何も厭うことなく、イムシスに手を差し出した。



「大丈夫? あんまり覚えてないけど、僕のせいだろうし……」


 ラミリルはバツの悪そうに差し出していない手で頬をかく。


 イムシスは眩いものを見るようにして目を細めつつ、ラミリルから差し出された手をしっかりと握った。



「じゃあ、今度は落ち着いて聞いて。」




 イムシスはそれてしまった話題を元の路線へと戻していく。

最後までお読みいただきありがとうございます。

『決行日』とは何かが明かされる、第二章・開幕です。

*が三つ続いていたら基本的に大きく場面が変わるか、時間軸が変化しますので、さっきとは違うとこなんだなぁ、くらいの認識でお読みください。

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