Ⅳ 大天使は奪われ。
これは二千九百年ほど前の話―――。
天使たちが地に堕とされ、彼らは荒廃した世界に過ごしていた。天使たちは地に広がり、天界にいたころの秩序は跡形もなく消え去っている。
そして、秩序をなくした天使たちに追い打ちをかけたのが〝神罰〟だった。
堕天使は神によって作られた掟を破った。その責任は連帯的に天使たち全体に降りかかり、一部の神に選ばれた天使以外は神の洪水によって洗い流された。
残った天使たちはたったの少し。神は天使たちに子孫を残すための機能と、その欲求を植え付け、減った天使たちを自分たちで補充できるようにした。こうして、天使たちは地に広がり、元の人間と同じような存在となった。
統率が取れなくなりそうな程に、天使たちの数は増え続けた。
大天使であったミカエルが、天使たちの統制を執っていた。
ある日、ミカエルは天使たちを一つの場所に集めた。
「天使たちはこの地で増え広がった。最早私一人で統率することは難しい。そこで、百の統率者、千の統率者、万の統率者を立てる。それぞれで集団を作り、細かい統治をおこなえるようにする。また、私に万一のことがあった時のため、緊急時代理を務めるものとして天使を選び出した」
ミカエルは天使たちを前にして緊張の色を表情に浮かべず、威厳に満ち溢れる表情でそう告げた。その宣言を合図に、ミカエルの横にある天使が歩み寄り、立ち止まると天使たちに視線を向けて胸を張った。
「こちらが、私の代理人、天使カリススだ。私に万一のことがあった場合、彼に臨時の指揮を執ってもらう。」
大天使ミカエルの宣言は、途中から天使たちの歓声に打ち消された。そこにいる皆が大天使ミカエルの決定に賛同し、それを支持した。
しかし、その賛辞の対象に、天使カリススは含まれていなかった。
その後、集会はつつがなく行われ、それぞれの集団の長として誰を任ずるか、ということをミカエルが告げていった。そして、それらの天使たちと天使カリスス、そして大天使ミカエルによって、新しい天使政府、という機関が発足した。
またある日、大天使ミカエルは天使たちを一か所に集めた。前回に集めたときよりも、更に天使たちの数は増えていた。
「我々天使は神によって天から人間を見守るものとして創造された。しかし、今はこのようにで過ごしている」
大天使ミカエルは天使たち全員に聞こえるよう、声を張り上げる。その声は空気を震わせ、天使たち全員に届いた。
「神はいつか介入され、我々をもとの立場へと戻してくださる。それまで、我々は神の決められた時までこの状況を打破しようとしてはならないのである。」
大天使ミカエルは自らの考え方を語った。そうすれば、当然のように全ての天使はその考えに賛同した。同調圧力という言葉では片づけられない。それほどに大天使ミカエルに対する天使たちの賛同の仕方は異常であった。
しかし、天使の中には大天使ミカエルの考えに反対する者もいた。人間は自分たちからを奪った存在である。打倒し、撲滅することこそ必要なことである、と考えていた。そして、その考えを持つ天使たちの筆頭は、天使カリススであった。
ある時、カリススはミカエルに自らの意見を話した。
「人間は我々の立場を奪い、見上げるはずの雲を見下ろしています。我々は人間を踏破する必要があると考えます」
カリススは、この考えにミカエルが賛同するのならば、大きな力になると思っていた。ミカエルの影響力をもってすれば、ある天使の呟きすらも全天使の総意と変わる。
「いや、これは神が与えられた試練と考えられる。これに耐える事こそ、神が望まれていることだろう。」
ミカエルは、カリススの思惑通りには動かなかった。ミカエルは自らの考えを一切曲げるつもりはなく、硬く地に突き刺さる杭のように構えていた。
カリススは何とか説得を試みようとする。しかし、それもミカエルの精神力の前では無力なもので、何の意味も持たなかった。
何度も説得しようとしてそれらすべてを否定された、その瞬間、カリススの脳内にある邪悪な考えがよぎった。カリススはミカエルに気づかれないよう、目だけを動かして周りを見回した。ここはミカエルの執務室で、誰一人として護衛のような存在はいない。カリススが信頼されているからである。
「あなたは、今はもう天使としての力を失っている。ただの拘束具によっても、あなたを無力化することは可能だ。」
カリススは言葉から敬語と熱意をはぎ取り、冷静すぎる声音でそういうと、ミカエルを押し飛ばし、その上にのって体重で押さえつける。
ガチャリと。金属同士が噛み合う音が鳴り、大天使ミカエルの手に手枷がはめられた。その手枷はカリススが罪を犯した天使を取り締まれるようにと、常に携帯している鉄製のものだった。
「こんなことをして、何になるというんだ。天使に寿命はない。私という存在を隠すことが出来ても、消すことなどできない!」
ミカエルは声を大きくしてカリススを叱責する。しかし、カリススの表情は氷像の顔のように冷え固まり、変化を見せなかった。
「あなたという存在が消せないことくらいはわかっている。天使を存在ごと消せるのは偉大な神のみだろう。だが、音のもれないところに隠しておけば存在を実質的に消すことは可能なんだ」
カリススはそう言うと、ミカエルの口に布を詰め込み、動くことのできないように足枷もはめた。そうしてから、ミカエルを誰も知らない秘密の空間に隠した。ミカエルは最後まで抵抗しようとしていたが、その抵抗もむなしく、カリススは実質的にミカエルの存在を消すことに成功した。
ある日、天使たちは一か所に集められた。しかし、天使たちを前にして現れたのは大天使ミカエルではなかった。
「今日は大事な報告がある!」
天使たちの前に立つ天使カリススは声を張り上げた。
天使たちがざわめく。何故、ミカエルでなく、カリススが出てきたのか、と。カリススはその呟きを聞いて、表情を歪めた。一瞬、カリススの表情が般若の面のようになる。しかし、カリススはすぐに表情筋に力を入れ、元の顔へと戻した。
「最近、大天使ミカエル様が我々にも姿を見せておられない。何が起こったかについては分かっていないが、これをミカエル様ご自身が宣言された『緊急時』と捉え、私が代理に就く!」
天使たちの騒めきがさらに広がった。大天使ミカエルの不在、という事実が天使たちから安心感を奪い取る。ミカエルありきの秩序を保っていた天使たちは、これから無秩序な状況に堕とされるのか、と不安がった。
天使たちにとって、ミカエルは統治者であった。理想、という言葉で片づけられないほどに有能で、ミカエルに対する態度は最早信仰とさえ呼べるものであった。
だからこそ、ミカエルがいなくなった、という事実が天使たちに大きな影響力を持った。カリススがその代理として立つ、ということを宣言しても、その不安は取り除かれなかった。そのことに、カリススも気づいていた。だからこそ、カリススにとってはそれが一番の不満であった。
「また、ミカエル様は自分が一世紀の間姿を見せない場合、臨時で私に大天使の立場を譲り、もう一度現れたときにその立場を返上させる、ということを述べておられた。一世紀の年月が経つまでにミカエル様が現れなかった場合、その言葉通りに行動することを了承願いたい」
カリススは、虚偽を述べた。
カリススがミカエルの存在を消そうと考えたのは、自分の考えに反した考えを持ち、それを頑なにして変えようとしなかったからだ。しかし、この時、カリススはミカエルの大天使という立場に嫉妬心を抱いた。
そして、実際に奪った。ミカエルは手枷、足枷、猿轡によって移動は勿論、会話さえできない状況である。一世紀の間現れないことは確実だ。一世紀の間待つ必要はあるが、長い目で見ればカリススにとって大きな利益だった。
勿論、天使たちは全員カリススが代理を務めることに反対した。しかし、ミカエルがカリススを代理に立てていた、という事実を反芻した天使は順々にその口を閉じた。
そして、一世紀の月日が経ち、天使カリススは大天使という立場に立った。その一世紀の間、ミカエルが待ち望んだ神の介入は一切なかった。天使たちも、神は既に不干渉を決めておられるのだ、という認識に変わってきていた。
そして、大天使カリススの存在に異を唱えるものは既におらず、時代の流れに乗るのを得意とする天使たちが大天使カリススの側についていた。
大天使カリススは大天使ミカエルとは違い、カリスマ的才能を用いた政治ではなく、その圧倒的権力を利用した恐怖政治を行った。大天使カリススが間違っている、ということには誰もが気付いていた。しかし、カリススを代理、大天使と任じたのは誰あろう、ミカエルである。その事実が、天使たちに大天使カリススという存在を認めさせ、その存在に従わせていた。
こうして、大天使カリススという存在が作られた。
お読みいただきありがとうございました。
急に過去話ということで、ペーストして細部修正している作者もほへぇー、となっております。
ところで、ミカエルの人望は凄いです。現実にいれば、世界平和だって実現するやもしれないほどの人望な気がしてます。
次回投稿
「Ⅴ 天使は星空下で。」
8月26日投稿予定です。ご期待ください。




