XXVI 人間は顔を合わせる。
「うーん……教えない!! 名前で呼んでくれたらいいよ」
姓を尋ねるラミリルに霞はそう言うが、ラミリルは自分が気にするんだよ、と思いつつ、名前で呼ぶことを躊躇った。
「……最初からこれはがっつきすぎたかな……?」
霞は、ラミリルに聞こえない程度の小声でぼそりと呟く。
霞は、ラミリルに幾つも嘘をついていた。
そもそも、霞が堕天を決行したのは未知を体験するためではないし、人間に対する攻撃思想を持たないという要素はラミリルを選んだ一番の理由ではない。
それならば、わざわざ異性であるラミリルでなくとも、同性であるイムシスの方へと行っていただろう。そうではないのだ。
霞は、これまでラミリルとイムシス、キミエルの様子を見続けてきた。
その中で、何時しかラミリルの性格―――常に笑顔を絶やさず、穏やかで、周りをしっかり見ている、そんな性格を第三者なりに感じ、惹かれてきたのだ。
何とも、普通の理由である。だけども、天使たちを見ていて、そんな普通の性格を持つ者は殆ど存在しなかった。
人間に対する攻撃思想が激しく、穏やかでない者―――。
自分の利益ばかり考えて周りを見れていない者―――。
薄っぺらい表面上の笑顔ばかり絶やさず、実際には裏で行動している者―――。
そんな天使ばかりであった。
だからこそ、ラミリルの存在、その性格や考え方を眺めて知るだけでも、霞にとっては癒しのように感じられたのだ。
だから、このようにして会いに来た。せめて、友達とまで行かずとも、知り合いにでいいからなりたい。そう思って。
他の天使たちに見つかるわけにもいかなかったから、ラミリルの部屋に直行するという決断を下さざるを得なかったのは霞自身、少し困ったが、如何にか強行した。
初対面から名前呼びを半強制するというのも、何度もやめようと思ったが、そこで成功することが出来れば、一気に関係を近づけられると考えて火照る頬を隠しながら行動した。
これが、恋する乙女の行動力である。
「じゃあ、霞……でいいのかな?」
ふと、ラミリルの方を見ると、霞の視界にははっきりとこちらを向いて名前呼び、且つ呼び捨てで呼んでくる〝想い天使〟がいた。
はうっ、と叫んで跳び退りそうになるのを霞はどうにか堪える。
「うん、それでいいよ」
如何にか小悪魔的な表情を崩さないままに微笑み、霞は、心の中で息を吐いた。
―――意外と恥ずかしい!
自業自得だが、霞の心の中は実に平和的に、荒れていた。
名前呼びをさせたのは霞だが、実際、初めから呼び捨てをされるとは思っていなかったのだ。しかし、霞は知らない。天使の間では「さん付け・ちゃん付け・君付け」などは存在せず、呼び捨てか「様付け」であることを。
ピンポーン
心の中でもじもじと体をくねらせ、恥ずかしさをどうにか消費しようとしている霞をよそに、チャイムが鳴り響いた。
あっ、と声を漏らし、ラミリルはどうしよう、どうしよう、と呟きながら慌て始める。
ピンポーン
来る気配のないラミリルを急かすように、もう一度チャイムが鳴った。
「どうしよう、イムシスとキミエルと遊ぶ予定が……しかも僕の家で」
ラミリルは如何にか霞に事情を説明しようとするが、霞は未だに恥ずかしさを消化できていないようで、微妙に体を動かすばかりだ。
「ラミリルー、出掛けてんのかー?」
キミエルの声が遠くから聞こえてくる。ラミリルは更に焦りだし、霞を隠そうか、と考えだした。
「……あの、ラミリル? 私、会ってみてもいいかな……」
如何にか恥ずかしさを消化し、霞が復活する。しかし、復活して初めに口から出した言葉に、ラミリルもどうしたものか、と頭を抱えることとなった。
確かに、イムシスもキミエルも、人間だからと天使政府に突き出すということもないだろうが、心配せざるを得ない。今まで、こんな状況になったこともないのだから。
「だめ……かな?」
あぁ、上目遣い! と叫びかけて、ラミリルは口を掌で覆う。
「分かっ、た。じゃあ連れて来るよ」
如何にか冷静を装って返事し、ラミリルは急いで玄関へと向かう。もう一度、途中でチャイムが鳴った。
「ごめん、遅くなった!」
ラミリルが勢いよく開けた扉にぶつかりそうになって、キミエルはバックステップで避ける。
「私たちは大丈夫、何かあったの?」
上手く着地を決められず、バランスを崩してふらふらしているキミエルを放り置き、イムシスが返事を返した。
「ちょっと、突然の来客……で」
何処かしどろもどろになるラミリルに、イムシスは訝し気な視線を向けるが、すぐにそっか、と納得してお邪魔します、と家の中に入る。
「いっつもはリビングなんだけど、今日は僕の部屋でもいいかな?」
「っいいよ!」
突然のラミリルの提案に、これまでラミリルの部屋に入ってみたいと思いつつもラミリルから提案されなかったために出来なかった、イムシスが少々食い気味に賛同した。
「今来てる子が、イムシスとキミエルにも会いたいって言ってて」
ラミリルはイムシスとキミエルを連れて、廊下を歩きながら言った。
「へぇ、そうなんだ……」
「誰なんだ? その来客って」
「うぅーん……まあ、会ってみたら分かると、思うよ?」
やはり曖昧な返事ばかりだ、と思いながらもイムシスは従順にラミリルについて行く。ラミリルの言う来客が、曖昧な返事の要因なのだろうか。
「あんまり面白いものもないけど、どうぞ」
ラミリルの部屋の前について、イムシスとキミエルは「お邪魔します」と一言断って中に入った。
イムシスとキミエルは、部屋の中に入って先ず、違和感を感じる。
目の前にいる少女は、よく見る天使とは明らかに特徴が異なっているのだ。
白、とは言い難い黄色がかった肌の色、黒っぽい髪なら見たことがあるが、これほど綺麗で純粋な黒髪は、初めてだ。
「えっと……初めまして。霞です」
最初の緊張を思い出したのか、霞の様子は先程のラミリルに対するものとは異なっていた。
「イムシス、です……?」
「俺はキミエル……」
明らかに天使ではない、つまり人間であろう存在を前に、イムシスもキミエルも、どのような反応をするべきなのか迷う。
しかし、イムシスはそれだけでなく、自分も入ったことのないラミリルの部屋に見知らぬ少女が入っている事も衝撃だった。
「えっと……ラミリルとは、どのような御関係?なんですか」
イムシスは困惑しながら尋ねる。ここで彼女だとか、そんなものが出てこようものなら、イムシスはその場で崩れ落ちられる自信があった。
「いえ、初対面……でして。今日、初めて」
イムシスは、その言葉を聞いて一旦安堵する。
「―――っていうか、人間……だよな」
次はキミエルのターンだった。
キミエルはラミリルの部屋に少女、というよりもそちらの方が気になった。
「えっと……はい。堕天してきた、って感じ……ですかね」
どんな表情をしたらいいのかと悩んだ末ににっこりと微笑む霞だったが、明らかにそのような雰囲気ではないと数瞬遅れて気づく。
「やっぱり……って、ラミリル!? 説明してくれ、何もわからねぇ!」
ふと、友達の家に行きました。
そこに、絶滅危惧種の動物が正座して待っていました。
困惑ですね。
次回投稿
「XXVIII ヘブンアンドアース」
11月22日午後7時投稿予定です。
遂に、最終話となります。ご期待ください。




