XXV 人間は堕天する。
一頻り、こんなことがあった、あんなこともあった、と思い出話をして、ラミリルらは流れで解散となった。
しかし、ラミリルの帰路には、霞もついてきた。
イムシスはその事を目撃して、表情を少しばかり歪める。これから何があるのか、頭脳明晰なイムシスは理解してしまうのだ。
しかし、イムシスは一息吐いて自分を落ち着けようとする。
『なんたって、私は愛ゆえにラミリルを捨てた女だからね』
霞の言葉を思い出す。確かにそうだ、とその時自分は納得した。
ラミリルが危険にさらされないよう、霞は自分との決別を半強制的にラミリルに課した。それは、真に愛ゆえの行動だったのだろう。
では、自分はどうだろうか、とイムシスは思案する。
今回の作戦は、ラミリルの為にと立案し、行動したものだ。しかし、本当にラミリルの為という純粋な理由だけで行動していたのかと問われると、安易に頷けない。
ラミリルの為、ということも勿論あった。それでも、ラミリルに対する感情を証明したい自分の為のものであったのではないか、という疑問が自分の中にはっきりと存在するのも事実であった。
実際どうであったのか、本人であるイムシスも理解できていない。
しかし、それはもう、どうでもいいことだ。
霞とラミリルの話が偶然にして聞こえ、今回のことは全て、ラチェリスの掌中であったことを知った。
よく考えてみれば、これまでに感じた気配や、裏で動いていた策謀は全て、ラチェリスのものだったのかもしれない。
そして、自分の行動もすべて、ラチェリスの奇跡によって予言されていたことで、神によって云わば、決められていたことなのだ。
ならば、自分の動機などどうでもいいではないか。
全て、決められたとおりに操り人形が如く行動しただけなのだから。
それだけなのだから、操り人形の感情など、知らずとも良いのだ。
だが、ただ一つ。イムシスは過去の自分に反論したい。
自分がラミリルに対する思いで霞に負けたと感じた自分に、反論したい。
自分は、霞とラミリルのお互いの幸せを知っている。
そして、自分の持つ欲望についても自分自身理解している。
その上で、イムシスはラミリルの幸せを優先し、自分の欲望からラミリルを捨てたのだ。そう考えれば、ラミリルへの愛ゆえにラミリルを捨てたといっても良い。
霞に、ラミリルへの愛でも負けていないのだ。
ただ、花を咲かせる為に種を蒔けていなかっただけだ―――。
イムシスははぁ、と短く溜息をつき、ラミリルと霞の背中を一瞥し、帰路に就いた。イムシスの惜別を象徴する夕焼けが、イムシスを照らしていた。
* * *
「ラミリル、私がに降りてきた時、言った言葉、覚えてる?」
霞はとっ、と駆けてラミリルの前に立ち、上目遣いにラミリルを見上げる。
ラミリルも、頷いた。
「終わったのなら、もう一度始めればいい。そうだね……僕も、初めからそう思えていたら、もっと良かったのかもしれないけど」
「そんな事もないよ。全て、この日の為だったんだ」
「そうだね」
気持ちを落ち着けながら、ラミリルは〝始まった頃〟を想起した。
…… …… ……
『―――君は、天使なんだよね』
そう言って、初めてラミリルの目の前に霞が現れた時まで、遡る―――。
霞は、天界での生活に飽きてしまい、新しい未知を体験するために、地上―――もといラミリルの部屋に降り立ったのだという。
「天使情勢を、知って尚、来たの?」
ラミリルは尋ねる。現在の天使情勢は、カリススの圧政のもと、人間撲滅へと大きく舵を切っている。人間である霞など、天使政府の役員に見つかれば即捕縛されるだろう。
そんな状況でも、霞は自らの好奇心を満たすために堕天を決行したのか、と。
「でも、私は知ってる。地上の天使の中でも、少数派ではあるけど、人間を嫌っていない天使がいる。貴方と、その友達はそうだってことも、知ってる」
初めは、霞は物静かな子だと、ラミリルは思った。
初対面だからか、緊張しているようにも見える。その瞳は、「知ってる」と言いつつも、知らないからこその怯えを映していた。
確かに、ラミリルは人間に対する憎悪など、毛頭持っていない。
霞の言う友達―――イムシスとキミエルだろう―――も同じくだ。
加えて、特に天使政府に対する忠誠心が高いわけでもない。大天使カリススの圧政については、天使たちも直接口にせずとも、不満を持っているという現状だ。
だから、霞という人間が現れた今も、ラミリルはその場で天使政府に突き出そうなどとは思っていなかった。
「それで……何をしに来たの?」
ラミリルは、お互いに沈黙し出した空気に耐え切れず、口を開く。
しかし、霞はラミリルの言葉一つ一つにも警戒しているようで、時に肩を震わせたりしている。
「大丈夫だよ、さっき君の言った通り。僕も、多分僕の友達も、君を天使政府につきだしたり、追い出したりはしない」
ラミリルはこういう時にどのようにして怯えを解けばいいのか知らない。万が一にも、自分の言葉でさらに怯えさせてはいけないとラミリル自身も少々怯えながら、声を掛けた。
「うん、そうだねっ……」
少し安心したのか、霞は調子を取り戻し、小悪魔的な笑顔を浮かべる。ラミリルは少しドキリとしながらも、これが本当の性格なのだろうと思った。
「えっと、それで、ここには何を……?」
ラミリルは落ち着いたであろう霞を前に、先程もした質問を繰り返す。
ラミリルは軽く自分の部屋の中を見回すが、ここに面白いものは何もない。
最低限の物しか自分の空間に置いておかない性格のラミリルは、自分の部屋に奇抜なものなどは一切置いていなかった。
霞は、天界から観察していて、人間に対して嫌悪感だとか、攻撃思想を持っていないことを確認できたラミリルのところへと来たのだろうが、ここではもてなすことさえ十分にはできない。
「何かしに来た、っていう明確な目的は無いんだけど……」
霞は言葉に詰まる。衝動的に堕天を決行したが、実際思い返してみると明確な目的など持っていなかったのだろう。
「じゃあ、まずはお茶淹れてくる……ね」
ぎこちない風になりながら、ラミリルは一旦部屋をあとにする。
床に正座し出す霞を閉める扉の間から見つつ、そっとラミリルは扉を閉める。
はぁ、と詰まっていた息が吐かれた。突然現れた霞にも、ラミリルは辟易することはしていなかった。しかし、どうしても緊張はしてしまう。
幼馴染であるイムシス以外、ラミリルは異性との関わりがなかった。加えて、イムシスでさえラミリルの家はあっても、部屋に入ったことはない。
しかも、第二の異性の知り合いはまさかの突然現れ、人間なのだ。
「中々に凄いことになったなぁ……」
ラミリルは霞に聞こえていないか、後ろを確認しながらもう一度溜息をついた。
「はい、自慢できるものもないけど」
そう言って、ラミリルは霞の前に淹れてきたお茶と何時だったか、イムシスからもらっていた洋菓子を出した。
「ありがとう。―――あ、このお菓子、地上にもあるんだ」
霞はそう言いながら、一口お茶を口に含む。
「えっと……これからどうするの? 天界には、帰れるの?」
お茶を嗜む霞に、ラミリルはいくつか質問する。ラミリルとしては、ぎこちない沈黙は得意ではない。如何にか、どちらかだけでも話している状況を作りたかった。
「帰ろうと思えば帰れるから安心して。でも、これから……ねぇ」
どうしよう、と顎に手を当てながら、霞は思案する。
「えっと、まず自己紹介だけしても良い? 呼び名がないとお互い大変だし。僕はラミリル。えっと……よろしく?」
「私は霞。よろしくっ」
霞の自己紹介に、ラミリルはまごついた。
「天使は姓がないけど、人間は姓もあるんだよね……そっちは?」
ラミリルも、人間については幾らかの知識がある。霞の見た目や、名前から察するに彼女は極東類的人類なのだろう。それならば、姓があるはずだった。
ラミリルの言ったように、天使には姓がない。つまり、常に名前で呼び合っているわけだが、人間相手となると何故か名前呼びが恥ずかしく感じられた。
「うーん……教えない! 名前で呼んでくれたらいいよ」
完結まであと少し!
ここからは少しだけ、ラミリルと霞の出会いを振り返ります。
次回投稿
「XXVII 人間は顔を合わせる。」
11月19日午後7時投稿予定です。ご期待ください。




