XXI 人間は問う。
ここまでの捜索で、彼らの疲労は限りなく限界に近付いていた。
身体的疲労だけではなく、文字だとかファイルだとかを確認し続けた精神的疲労は堪えるものであった。
「もう、全部見尽くしたんだよね」
ラミリルが呟く。しかし、イムシスの返事は何処か曖昧だった。
「本当は、まだある。けど……危険がありすぎる。それでも、行く?」
イムシスの問いに、ラミリルとキミエルは同時に重く頷いた。イムシスが重い腰を上げる。
「未だ探していない、最後の場所。それは、大天使カリススの執務室」
ラミリルとキミエルの表情が明らかに固まった。
大天使カリススの執務室を、今から捜索しなければならない、のか。
天地戦争がいつ終わるか分からない、この状況で、袋のネズミのような状況に陥るかもしれない、カリススの執務室を捜索するのか。
「大丈夫。もし見つかったとしても、私がどうにかする」
イムシスはそう言ってラミリルとキミエルを安心させようとするが、実際には大天使カリススに対しての有効打を確保しているわけではなかった。
「行こう。まだ、諦めたくない」
ラミリルのその一言で、彼らは動き出した。
天使政府直属のこの施設は、大天使カリススの執務室を含む天使政府と直接つながっている。そのため、大天使カリススの執務室まではものの十分程度で到着することが出来た。
天地戦争の終戦を宣言するアナウンスは未だに聞こえてこない。しかし、万一の可能性を考慮して、イムシスは先に部屋に入って危険がないことを確認する。
十五畳程度の執務室には、万年筆の立てられた執務机、革の背表紙光る書棚が置かれていた。大天使の執務室にしては豪奢なつくりというわけではなく、最低限の必要を満たす程でしかなかった。
「この執務室に、『人間化装置』が隠されてる可能性があるのかな」
ラミリルは何処か虚しさも孕んだ声で呟く。イムシスも、そこまで広くもないこの部屋に、それほど隠し場所があるようには感じなかったが、ここまで来て諦めるわけにもいかない。
「少なくとも、『人間化装置』についての情報はあるはず……探そう」
ラミリルとキミエルはまた書類を探すのか、と嘆息したが、その選択を避けるわけにもいかない。彼らは書棚や執務机の引き出しを探し始めた。
「……ん? これじゃねぇか?」
十分ほど経って、キミエルが声を上げた。
ラミリルとイムシスがキミエルの持つファイルを覗き込む。
―――「人間化装置」について
ファイルの表題を見て、ラミリルとイムシスは確信した。自分達の知りたい情報はここに在るのだろう、と。
期待を込めた眼差しがファイルに向けられる。キミエルはイムシスとラミリルに確認を取ってファイルを開いた。
―――「人間化装置」についての報告書
以下、「人間化装置」についての報告であります。
「人間化装置」の研究は以前より進んでおりません。人間側のプロテクトの分析が人間の妨害により難しく、進んでないことから人間の特徴を模してプロテクトを潜り抜けることのできるようにする技術は開発できておりません。
今後も、人間のプロテクトを分析することが出来るまでは「人間化装置」の開発は進まない。これが我々研究所一同の見解であります。
これらのことを根拠にして、既に実行されております、「人間化装置」の存在を偽装し、天使の士気を高める計画についてはこのままでは破綻する可能性がある、とここに提言させていただきます。
ラミリルは、文章を読んで愕然とする。
イムシスも、キミエルも同様であった。
最後に、少しばかりの希望を託し、報告書の出された日付を確認するが、二日前、と非常に直近であった。
これで、ラミリルたちの希望は完全に潰えた。
「……ぁ、ごめん………無駄な希望を、持たせてしまって」
この作戦における最たる功労者であり、最も心血を注ぎこんできたイムシスが、作戦の破綻を悟った時、最初に出てきたのは懺悔と謝罪であった。
この時、イムシスは酷く後悔と自責の念に駆られていた。ラミリルを無理やりに説得して今回の作戦を立案したのは、他でもない自分だ。そして、ラミリルがその作戦の存在にどれだけ希望を持っていたか、それを一番知っているのもイムシスであった。
ラミリルの悲壮感をはかり知ることは、イムシスにもキミエルにもできない。
「ラミリル………」
何か、慰めの言葉を掛けようとしたのだろうが、キミエルの唇はラミリルの表情を見て動かなくなった。
無理やりにでも、笑おうとしているような、そんな表情。これまで、笑うときの支えとなっていた、希望を失っても尚、如何にか笑おうとしていたのだ。
「皆……良いんだよ―――」
ラミリルが口を開いたその瞬間、ラミリルの唇は先程のキミエル同様に動きを止めてしまった。
「―――ラミリル、人間になりたいの?」
聞き覚えのある声。
見覚えのあるその顔。
きょとんとした愛らしい表情。
「なん、で……?」
ラミリルは視線の先に突然現れたその少女に、疑問を投げかけることしかできなかった。
イムシスとキミエルも、ラミリルの様子がおかしいことに気づいて視線を追い、そのまま体を硬直させた。
「霞……あなた、何でここに?」
最初に唇にかかった硬直を解いたのはイムシスであった。
少女に―――ラミリルの恋したその少女に投げかける疑問。全員が思っているであろうことだった。
「やっとだよぉ。雲上指定区のプロテクトの分析には時間がかかった……」
霞は、話しながら一人だけ雰囲気が違うことに気づいた。イムシスとキミエルは呆然とした様子で、ラミリルは泣きそうだ。
「ふふ、終わったものも、もう一回始めればいい。そうでしょ、ラミリル?」
ラミリルは、霞の言葉を聞いて、最後に話した時のことを思い出す。「関係を形あるものに。そのために、明確な終わりを」そう言って別れた、最後のあの日を思い出す。
「霞……! そうだね、うん、間違いない」
示し合わせた様に、ラミリルと霞は抱き合う。ラミリルは、目に涙をためながらも如何にかその雫で頬を濡らすことのないように我慢した。
実際の日数で言えばそこまで長くもない時間だが、その精神的日数は万年に値した。それだけ、会っていないのだ。話していない。見ていない。こうして、抱き合うのも何時振りかと言う感覚であった。
十秒程度の抱擁に、キミエルはもらい泣きのように涙を目に溜め、イムシスは邪と知りつつも、嫉妬という名の花を心の中で愛でていた。
「でも、流石は愛の力。霞も、雲上指定区から出れば只じゃ済まないというのに」
イムシスは、いつまでも抱擁を止めようとしないラミリルと霞に皮肉を交えて言葉を投げかけた。しかし、どちらも皮肉には気づかない。
「そりゃそうだよ。私は、愛ゆえにラミリルを捨てた女だからね」
どこか自虐的にも聞こえる言葉を、霞は返した。イムシスは虚を突かれたようにきょとんとした表情になる。しかし、すぐに笑い出した。
「それもそっか」
イムシスは、ここで霞と自分の差を明確に理解した。理解してしまった。
ラミリルに対する気持ちは、自分も負けていないと思っていた。だけれど、実際にはどうだろう。自分は愛ゆえにラミリルを捨てる、ということが出来るだろうか。
思案顔になるイムシスだったが、そんな暇はなかった。
ジリリリィィィ!!!!!
全員の表情が強張った。
―――サイレンだ
天地戦争が終わったのだろう。つまり、天使軍が、大天使カリススが帰還する。
「もう、ここからの脱出は厳しい。隠れよう!」
イムシスは咄嗟に周りの間取りを思い出し、そう判断を下した。
この執務室の前には一直線の廊下が二十メートルほど続いている。そして、大天使カリススはすぐにでも帰還してくるだろう。天地戦争が終わった、というサイレンは天使軍が鳴らしているのだ。つまり、天使軍が帰還しているということ、カリススが最低でも帰還を始めているということだ。
天地戦争終戦のアナウンスを聞きながら、それぞれイムシスが指し示したところに隠れる。ラミリルが隠れたところは、書架の下、小さいタンスの中だった。幸いにも、カリススはタンスの中にほとんどものを入れていない。如何にか全員が隠れることが出来た。
しかし、ラミリルは少しして気付く。タンスの壁には小さな穴が開いている。
穴から、小さく光の筋が差し込んでくる。見つかりはしないか、とラミリルは不安になったが、廊下からは足音が響いてくるのが聞こえた。もう、隠れる場所を変えることは出来そうになかった。
「では、事後処理は任せた」
大天使カリススが、執務室に入ってきた。身に纏っていた装具を片づけ、執務机の前に腰かける。ラミリルらはカリススが何らかの用事で執務室を出て行かないか、と期待しながら息を潜めていた。
しかし、別の意味でカリススの脅威は去ることとなる。
ギィ、と戸が開く音が聞こえて、ラミリルはまさか、誰かが外に出たのかと早くなる鼓動を抑えながら小さな穴に目を当てた。
そこから見えたのはイムシス、キミエル、霞、そのどの姿でもなかった。
長い金色の髪を、後ろでくくっている。光の加減かも知れないが、その髪は所々白く光っていて、メッシュのようだった。
その天使を見て、カリススは表情を明らかに変える。青ざめ、血の気が引き、動揺を隠せないように肩を震わせる。足も震えているのか、カタカタと音が聞こえてきた。
「ミ、ミカエル様……何故ッ……」
カリススは、そう、言った。
プロテクトの分析ならまだしも、剥がすとかおかしいんですよねぇ……
人間政府の最高機密であり、超高等技術なんですけど……
次回投稿
「XXIII 大天使は提言した。」
11月11日午後7時投稿予定です。ご期待ください。




