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Ⅸ 天使は苦みを。


 作戦の決行日が、刻一刻と近づく中、ラミリルは毎夜毎夜、眠れぬ夜を過ごしていた。


 気分の高揚か、これから起こる事への不安と緊張か。


 ラミリルに深い眠りへの入場券が与えられることはなかった。


 加えて、少し眠れたかと思えたときには、酷い夢を見る。霞との思い出、その中でも、悲痛で思い出したくないような、そんな思い出。


 思い出さないようにと記憶の引き出しに鍵をかけたはずなのに、鉄でできた南京錠は何時しか錆びて千切れ落ちてしまったようだ。



 作戦の決行日まで、あと3日というこの日もまた、ラミリルは悪夢に襲われていた。

 






 夢の中で、ラミリルはやけに冷静に思考を働かせていた。時にある、意識を持った夢見である。だからこそ、この夢が自分の中のいつの記憶であるかについても何となく理解できていた。いや、理解してしまっていたのだ。



 確かこれは、カリススとの奇跡の衝突の後のことだったか、と考えながら、ラミリルはあたりを見回す。すぐそばに、自分と霞がいた。


 カリススが去った後に、こうして二人で話したことはしっかりと覚えている。けれど、それを思い出そうとしたことはなかった。思い出せば、昏い過去を掘り起こすことになるのだから。



「人間と、天使って、これほどまでに間に溝のある、そんな関係なんだね……」


 哀しそうな表情をしながら、霞はそう言って夢の中のラミリルに語り掛ける。霞は確かにラミリルに話しかけているというのに、その視線はラミリルの顔ではなく、足元へと向かっていた。


「私たちがこうやって喋ってるだけでも、お互いに危険を集めてるってことだもんね……」


 霞がそうやって言葉を紡ぐ中、夢の中のラミリルは霞が何を言わんとしているのかを理解し始めた。どうにかして、その言葉が紡がれるのを防ごう、とラミリルは手段を探す。


 咄嗟に伸ばされた腕は、霞に届くこともなく、宙を掴んでそのままゆっくりと下ろされた。



「元々、私たちの関係なんてあってないようなものだったんだよ……」



 そうじゃない、と。


 そう言って否定することが出来たのなら、その後のことも変わって居たのかもしれない、とラミリルは夢の中の二人を見ながらそう思った。


「私が、ラミリルの告白を、受けなかったら、良かったのかもね」


 その言葉こそ、ラミリルにとっては致命傷だった。ここで、涙がこぼれても、仕方がない、と言えるほどには、ラミリルにとって言われたくない、認めたくない言葉だった。



 それでも、否定することは、どうしてもできなかった。



「でも、私はこれでよかったと思う。それに、私たちの関係をなかったことにはしたくない」


 霞がそう言った時、ラミリルの心の中には希望の光が灯された。霞は、自分との関係をなくそうとは思っていないのだと、そう思えるだけで気持ちが明るくなるようだった。





「私たち、別れよっか」






 少しの希望を持ったからこそ、その希望が打ち砕かれる瞬間の衝撃は大きかった。


 これが、順接か逆接かなんてどうでもいい。話の展開的に、ここは関係の維持を強行するだろうという、指摘もする気になれなかった。



 ただ、拒否したい。


 拒みたい。


 この関係を終わらせたくない。


 ただ、その一心を、ラミリルは抱いた。


 それでも、そんなことは思うだけに留まる。成し遂げられるはずもなくて。


 喉まで上がってきた言葉を、何かがせき止めた。それは、ラミリルの理性なのか、何なのか。



「関係は、始まりがあって終わりがある。だからこそ、その関係があった、って言えるんだと思う。だから、しっかり終わらせて、その存在だけでも残したいの」


 霞の言葉も、ラミリルには届かなかった。別れ、というものも予想しなかったわけではない。明らかに存在自体が違うラミリルと霞では、理不尽な別れも予想していた。それでも、実際にこうして別れが来てみれば、その衝撃は天から地に堕とされるにも勝り、果てには感覚から思考まで、全てが止まってしまうほどだった。



「そろそろ、騒ぎを聞きつけて人間政府が来ちゃうかな……これで、お別れ」


 そう言って霞はにこやかに手を振る。その時、ラミリルの思考に、一片の影が差した。霞は、今までこうなる結末を望んでいたのではないかと、別れるという決断をしたにもかかわらず、にこやかに手を振っているのが、その証拠ではないかと。



 けれど、ラミリルはすぐに気づいた。霞の瞳に水の膜が張られていることに。


 それを見て、ラミリルの思考の影は消え去る。


 ラミリルも、にこやかに、手を振った。心が闇に侵されていくのとは裏腹に、ラミリルの表情はにこやかになる。



 もっと早く、堕ちればいいのに――――。



 ラミリルは、霞の姿越しに人影を目視する。まだ、こちらには気づいていないのだろうか。


 そして、霞の視界から、ラミリルの姿は消え去った。


 ラミリルは下を、地上を見つめ、唇を噛んだ。しかし、天使であるが故に血が出ることはない。人間なら、出血の痛みと、鉄のような苦い、血の味で昏い気持ちを紛らすと霞から聞いたことがある。けれど、天使であるが故に、そんなことは出来ない。



 ただ、人間ではなく、天使であるがゆえに。




 この時ほど、ラミリルが人間を、そして天使をお互いの存在を、意識したことはなかった。

 



 こうして、ラミリルが、自分が地上へと堕ちていくのを見ながら、ラミリルは視界が黒に染め上げられていくのを感じていた。



 そして、もう一度視界が開けたときには、ベッドから見上げる自分の家の天井があった。


 夢だと、そう分かって夢を、自分の記憶を見ていた。


 悪夢だとわかっていても、それによって受ける心的外傷は意外に大きかった。



「『人間化装置』……ホントにあるんだろうか」



 今更ながらにそんなことを呟いてしまうラミリルは、自嘲の笑みをこぼす。


 ラミリルはどこか、直感的なもので『人間化装置』がないことを感じていた。何の確証もない。自分の根拠のない言よりも、両親からの情報だと、情報源を明かしているイムシスの論の方が圧倒的に信憑性が高いことは理解している。けれど、何故か、そんなものはない、と否定していた。


 これは、イムシスの話を聞いた時から感じていたことだ。けれど、その時は目の前の利益しか考えていなかった。


 霞とその存在の差を一切考慮せずに、一緒にいられるかもしれない。そんな希望をちらつかせられて、飛びつかないわけもなかった。


 だからこそ、イムシスを信じた。それなのに、自分の中のどこかではその決定を皮肉じみた表情で俯瞰している。


 あまり、いい気分というわけではなかった。長い付き合いのイムシスを信じられていないことが、人間関係に関する義務感の強いラミリルにとって最も、嫌な気分になることだった。


「どうせ、今更後戻りなんてできないんだ……」



 一見して、決意を固めたように聞こえる。けれど、実際には言葉一つで決意を固めることなんてできない。何度も考え、思考錯誤を繰り返しても、まだ届かない。


 何らかの分岐点があって、追い詰められて、それでやっと決意が固まる。酷い場合はそれでも決意は固まらない。



 ラミリルは、考えたのか。分岐点に差し掛かって、追い詰められたか。実際、はっきりとした選択肢があるから分岐点、というわけではない。心の中で、気持ちが切り替わるところ、それもまた、分岐点と言うことが出来よう。


 ラミリルは、何を分岐点とし、真に決意を固めることが出来たのか。その決断の最期を想定して、それでもなお、決意を揺るがすことなく行動できるのだろうか。


 ラミリルの心の中では、葛藤があったのかもしれない。



「あと三日で、作戦の決行日だ。『人間化装置』があるかどうかなんて関係ない。これは、天使と人間、それらの間にある、溝に対する反抗なんだから」


 誰に言うでもない。強いて言うなら、自分に対して、ラミリルはそう言うと、自分を肯定するようにして小さく頷いた。



 先ほどの問いを繰り返す。この時までに、ラミリルは分岐点を通過したのだろうか。追い詰められたのだろうか。



 その解は分からない、だ。



 しかし、少なくともこの言葉を発した時、ラミリルの中で決意は固まっていた。





 この後、揺らがずいられるかは分からないが。

最後までお読みいただきありがとうございます。


一章が終わった時の登場人物紹介を覚えているでしょうか。

ラミリルと霞のキーワードはそれぞれ、「お互いの名前」と「〝十日前〟」でした。

その、〝十日前〟がこれです。


次回投稿

「Ⅹ 天使は録を読む。」

9月24日午後8時投稿予定です。ご期待ください。

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