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架空戦史・日輪の軌跡~~暁の水平線~~  作者: 駄猫提督
第一章:東亜太平洋戦争
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第九十九話:垣間見える闇

「零戦ニ型だと? まさか四航戦……か?」

「後方より更に航空機接近、零戦と九七艦攻です!」


 長門(ながと)艦長が上空を飛ぶ5機の機影を確認しながら怪訝な表情で言葉を零す、そこに通信員から更なる報告が上がり、程なく長門(ながと)の頭上を新たに6機の零戦と11機の九七式艦攻が通過する。

 それは正しく第一艦隊に緊急収容された飛鷹(ひよう)隼鷹(じゅんよう)の艦載機、第四航空戦隊であった。


 九七式艦攻は6機の爆装隊が上空をそのまま進み、5機の雷装隊は高度と速度を下げて標的であるロドニーに接近する。

 対するロドニーは主砲の砲撃に影響されない艦尾側の僅かな対空砲と対空機銃で迎撃を開始し長門に対する砲撃も継続している。


 その対空砲火の中に吶喊したのは爆装隊の6機であった、6機の九七式爆装隊は対空散弾の黒煙を切り裂き機銃弾を躱しながらロドニー上空で機体を翻し一気に急降下を始める。

 ロドニーも必死に迎撃するが(まばら)な対空砲火は日輪軍機を撃墜する事は叶わなかった。

 九七式艦攻は懸吊(けいちょう)されている爆弾を切り離すと一気に機体を翻し離脱体勢に入る。

 そうして日輪軍機から投下された6発の爆弾は不気味な風切り音を立てながらロドニーの甲板に向けて落下する。

 次の瞬間ロドニーの後部甲板から爆炎が立ち上がり粉砕された対空兵装の残骸が宙を舞う。

 そこに今度は5機の九七雷装隊が滑り込み腹に抱える魚雷を次々とロドニーに向け投下する。

 

 満身創痍のロドニーに其れを回避する術は無く、5本の魚雷は次々と命中しロドニーの右舷側に巨大な水柱が連続して立ち上がる。

 艦全体に激しい衝撃が響き渡り大量の海水が一気に流れ込む、こうなってはダメコンも何も無く成す術も無い……。


 程なくロドニーの艦体は軋み鈍い金属音と共に横転を始め主砲塔の砲弾が転がり落下すると凄まじい轟音と共に艦が破裂し砕ける。

 そして日輪航空隊の攻撃開始から僅か10分、七大戦艦(ビッグセブン)の一角であった戦艦ロドニーは悲鳴の様な金属音を響かせながら海中にその姿を没して行った。


 余りにも呆気ない七大戦艦(ビッグセブン)の最後に、同じ七大戦艦(ビッグセブン)の一角たる戦艦長門(ながと)の乗員達は何とも言えない複雑な表情でロドニーの沈んだ水面を見据えている。


 あのまま長門(ながと)とロドニーが戦い続けていれば、沈んでいたのは長門(ながと)かも知れなかった、例えロドニーを沈めても港までもたない程の損傷を受けたかも知れなかった。

 つまり四航戦は間違い無く長門(ながと)を救った英雄なのだ、長門(ながと)の乗員達も其れに異論は無かった。

 然し其れでも拭い切れない、釈然としない胸の内の複雑な感情、それはどうしても表情に現れてしまう。  


 自分達(ながと)と陸奥があれ程力を振り絞り、死力を尽くして尚沈め切れなかった宿敵(ロドニー)を四航戦は呆気なく撃沈してしまった……。


 自分達(ながと)と陸奥の努力と犠牲がまるで徒労で有るかの様に……。

 

 その胸を()ぎる思いに多くの長門(ながと)乗員は四航戦に歓声を送る事が出来ず、只々立ち尽くしていた……。

 

 無論、長門(ながと)陸奥(むつ)の戦いが徒労などで有る筈は無い。

 四航戦がロドニーを呆気なく撃沈出来たのは長門(ながと)陸奥(むつ)の攻撃によって瀕死で有ったからに他ならない。

 だがあのまま長門(ながと)が戦い続けていたなら、ああも呆気なく決着が付く事が無かったのもまた事実で有った。


矢張(やは)り、戦艦の時代は終わってしまっていたのか……」


 長門(ながと)艦長は宿敵(ロドニー)が浮かんでいた水面を物悲し気に見据えながらそう呟いた……。


 とまれ、海戦は日輪軍の勝利に終わりインドラ洋に置ける趨勢(すうせい)は決した、この後13日未明にはトランコメリーに陸軍3個師団が上陸し程なく是を占領、同日早朝には第一艦隊航空隊の空爆により英モルディバ基地が壊滅、同日正午にモルディバ司令部が全面降伏した。


 15日午後にはコロボンが陥落し16日正午にはトランコメリーにセイロン司令部が設置された。


 19日には陸軍がコロボンに進駐し海軍陸戦隊は少数を残しモルディバへと移動しセイラン島は実質陸軍に任せる形となった。

 またアダマン・ニコパル諸島からインドラ独立連盟の兵士約4000名と指導者であるセバル・チャドラ・ボースがトランコメリーに到着し暫定司令部を設置した。  


 損傷の激しい第二艦隊(特に戦艦長門(ながと)金剛(こんごう)伊勢(いせ)日向ひゅうが)はセルガポールまで回航し同港にて応急修理を受け、その後本土で本格的な修理を受ける手筈となっている。


 第一艦隊はセイラン島航空隊の配備が完了するまでインドラ洋に展開したままとなり、暫定的にトランコメリーを母港と定めた。

 志摩提督は第二艦隊が事実上壊滅している現在の状況でゲイル軍からダマルガス攻略の支援を要請される事を懸念していたが、当のゲイル軍はそれどころでは無い状況に陥っていた。


 この時ルエズ運河北口の港湾都市ポートパシャは連合軍の激しい攻勢を受け続けており、ダマルガス攻略の為に派遣される予定であった高速戦艦シャルンホルストとグナイゼナウ、空母グラーフツェッペリンに軽空母ヤーデとエルデを擁する迎印洋艦隊はイルタニア王国のターレント軍港で足止めされていた。


 連合軍は英国艦隊からキングジョージ五世級戦艦とイラストリアス級航空母艦が、自由フランジアス艦隊からダンケルク級戦艦とリシュリュー級戦艦が投入されており、是を迎印洋艦隊(とイルタニア艦隊)の戦力で撃破する事は数的にも性能的にも不可能であった。


 その為ゲイル海軍総司令部は戦艦ビスマルクとティルピッツの派遣を国防軍最高司令部(ヒドゥラー総統)に具申するも、ヒドゥラーは本国が手薄になる事を恐れてか自国(ゲイル)最強の戦艦であるビスマルク級の地中海派遣を渋った。

 このヒドゥラーの判断によって北アフリナ戦線を戦っているロンメル旗下のゲイルアフリナ軍団は苦境に立たされる事となるが、そんなロンメルにヒドゥラーから下された命令は『死守せよ』であった……。


 そんな混沌とした状況下でダマルガス攻略など出来る筈が無く、志摩提督の懸念は杞憂となった。

 若し予備戦力の無いこの状況下でゲイル艦隊がダマルガス攻略に乗り出し支援要請が有れば、日輪第一艦隊はセイラン島の情勢が不安定なまま艦隊の全戦力を出撃させなければならないであろうからだ。


 日迎艦隊が遠く離れていれば物理的に協力は不可能だが、同じインドラ洋に在って協力を拒めば理屈によっては協定違反となってしまう。

 そうで無くともヒドゥラーの機嫌を損ねれば、非協力を理由に技術支援を撤回しかねない、故にもしゲイルから協力要請が有れば日輪艦隊は是を拒む事は難しかったのである。


 だが向こう(ゲイル)から協力要請が無いので有れば日輪側から態々薮の蛇を突く必要は無い、仮にゲイルがルエズ運河の支配権を失ってもインドラ洋の制海権を日輪海軍が握っていれば日輪帝国の目的で有る援蒋ルートの遮断は達成出来るのだ。

 ただ日輪第一艦隊司令部の強硬派の中には、日輪単独でダマルガス攻略をするべきと言う意見も少なからず噴出していた、だがこの意見は志摩提督によって却下されている。


 こうした状況の中、日輪軍によってセイラン島の整備は着々と進み翌6月上旬には基地機能の復旧が完了し、インフラ整備に取り掛かっていた。

 基地航空隊の配備もほぼ完了していたが、ダマルガス島北部のディルゴ・アスレス基地まで逃れた英極東艦隊の牽制の為に第一艦隊は引き続きインドラ洋に残る事となった。


 そんな中、6月中旬にルエズ周辺の情勢が変化した、突如ヒドゥラーが方針を転換し戦艦ビスマルクとティルピッツに加え、空母グラーフ・ツェッペリン級ニ番艦ペーター・シュトラッサーを擁する艦隊を迎地中海艦隊として送り込んで来たのである。


 この方針転換の裏にはゲイル本国で建造中であった新造艦群の戦力化の目途が立ったからであると言われている。

 更にターレント軍港の迎印洋艦隊とイルタニア艦隊までもが動き出したとの情報を受けた連合軍艦隊は撤退するか此の海域に留まり上陸部隊への支援を続けるかの判断を迫られる。

 だが此処でロンメル率いるゲイルアフリナ軍団が動いた、電光石火の機動戦術によって3倍近い数の連合軍を打ち破ったのである。

 其れが決定打となり連合軍艦隊は北アフリナ攻略を断念し撤退、グロースゲイル第三帝国はルエズ運河の支配権を守り抜いたのである。


 そうして戦艦シャルンホルスト率いる迎印洋艦隊の艦艇が悠々と運河を渡り紅海の極東国防艦隊と合流を果たした。


 此処からのゲイル艦隊の動きは速かった、印洋艦隊を加え再編した迎極東国防艦隊は即座に作戦参謀のルーヴェルト・フォン・ロイター中将を通じ日輪第一艦隊に協力要請を出した、その翌日には紅海を南下しアデル湾に移動する。


 要請を受けた日輪第一艦隊も即座に出撃し6月21日にアラブラ海で合流する。


 正規空母4隻を中核とする日輪第一艦隊の前に現れたのはシャルンホルスト級戦艦2隻、グラーフツェッペリン級空母1隻を中核とし軽空母2隻、重巡4隻、軽巡6隻、駆逐艦9隻で編成された艦隊であった。

 その後方には補給艦6隻を含む兵員輸送船40隻と揚陸艇20隻が展開している。


 攻撃の主力となるのは空母グラーフ・ツェッペリンに軽空母ヤーデとエルデの艦載機となる、グラーフ・ツェッペリンはゲイル初の主力空母で有り全長330m、全幅52mで速力は50kt、艦載機数は露天駐機合わせて60機となっている。

 そのグラーフ・ツェッペリンに随伴する270m級の軽空母がヤーデ級で艦載機数は露天駐機合わせて25機である。

 航空兵力は日輪艦機動艦隊と合わせれば十二分で有るが、問題は前衛艦隊の薄さであった。


 前衛艦隊主力であるシャルンホルスト級2隻は1936年に竣工した新型艦で有り全長340m、全幅43mのやや細身の艦体に52口径45.5㎝三連装砲を3基搭載し、速力は55kt発揮可能であるが装甲は舷側400㎜、甲板200mmと巡洋戦艦に近い艦となっている。


 故に砲撃能力では問題無いものの防御面に不安が残り、プリンス・オブ・ウェールズと真面に撃ち合えば2対1でもシャルンホルスト級が敗れる可能性すら有った。


 然し結果論で言えばその心配は杞憂であった、ダマルガス近海には英極東艦隊の姿は1隻も見当たらなかったのである。

 

 ダマルガス島はディルゴ・アスレス基地まで後退した英極東艦隊であったが、基地とは言えディルゴ・アスレスにはドック施設はおろか真面な港湾設備も備わっていない、その為ディルゴ・アスレスで僚艦と合流した英極東艦隊には本国から帰還命令が出されインドラ洋から離脱していたのであった。


 その為ディルゴ・アスレスには常駐護衛艦隊の仮装巡洋艦や海防艦しか展開しておらずゲイル軍の艦上攻撃機であるJu87C/Eメーアシュトーカと日輪軍の艦上攻撃機流星の餌食となった。


 更にディルゴ・アスレスとその周辺飛行場から飛来したフルマー戦闘機とアルバコア攻撃機はゲイル軍艦上戦闘機であるBf109Tメーアシュミットと零戦五型によって血祭りに上げられ英国軍は呆気無く制空制海権を奪われた。


 6月23日正午にはゲイル国防陸軍インドラ軍団がディルゴ・アスレス周辺に上陸し、海上からはディルゴ・アスレス基地に向けて戦艦シャルンホルストとグナイゼナウによる艦砲射撃が行われた後、日迎爆撃隊によって空襲が行われた。


 翌24日にはゲイル国防陸軍インドラ軍団がディルゴ・アスレスに到達するが、その時にはディルゴ・アスレス守備隊は抵抗力を失っており、同守備隊司令部が降伏しディルゴ・アスレスは陥落した。


 そのディルゴ・アスレスには日迎共同でダマルガス司令部が設置され、日輪軍も約500名の陸戦隊が配備された。

 この後、基地施設の復旧と整備、捕虜の収容と現地住民への対応などが日迎共同で行われたのだが、その捕虜と現地住民の扱いに関して日迎の間で衝突が起きた。


 正確に言えば日輪陸戦隊と衝突したのはゲイル国防陸軍では無く、ゲイル国防陸軍(インドラ軍団)に随伴して来ていた黒い軍服の集団であった。 

 その集団の名称は『黒十字親衛隊』であり通称SS(SchutzStaffel《シュッツシュタッフェル》:護衛部隊の意)と呼ばれ、ゲイル国防軍とは異なる指揮系統の下にある。

 その目的も国防軍とは異なり、その名が示す通り黒十字党(シュヴァルツクロイツ)とヒドゥラー総統に忠誠を誓い、総統の安全と党の保全を最優先に動く【ヒドゥラーの私兵】である。

 その思想はヒドゥラーの【アーリア人優生思想】に染まっており非アーリア人を駆除の対象(・・・・・)としか見ていない者達で構成されている。


 そんな者達が捕虜や現地住民への対応を行えば如何なるかなど語るまでも無いだろう。


 日輪軍にも傲慢な態度や横柄な態度を取る者は少なくは無い、神皇の統べる大日輪帝国は神国であり其の国に仕える自分達は神兵であると豪語する者達も居るには居る。


 だが、そう言った者達でさえ捕虜を虐殺したり現地住民に暴行や略奪を行う者は少ない、是は日輪軍の軍規が厳しいと言うのも有るが、最大の理由は【君子は取らず、良く民を養うべし】と言う大日輪帝国の統治理念が軍将官に行き渡っているからであった。


 欧州列強の国々は支配する植民地の原住民達を「民」とは見ておらず「搾取する為の家畜や奴隷」と見なしている。

 対して大日輪帝国は植民地の原住民達を「民」として扱い「現地発展の為の人的資源」と見なし様々な教育を行っている。


 どちらも先進国の身勝手には違いないが現地住民に(もたら)す結果には雲泥の差が出る事になる。


 基本的に島国である日輪人が欧州列強の植民地と関わる事は殆ど無く、その実態を知るのは一部の外交関係者やトーラク諸島など委任統治権移譲の際に現地に赴いた者達くらいであった。


 そしてSS構成員達は植民地支配に関して最も過激で差別的な思想を持つ者達がヒドゥラーのアーリア人優生思想の下に集まったと言って過言では無い、つまり欧州列強の植民地支配の実態を殆ど知らない日輪人がいきなり最悪の植民地思想を持つ者達を目の当たりにしてしまったと言う事になる。


 それに憤慨した日輪海軍陸戦隊の将校と日輪人を下民と見下す黒十字親衛隊の将校の間で諍いが起き、両隊員を巻き込んだ衝突にまで発展してしまった。

 互いに銃を突きつけ合う一触即発の状況にはなったものの、歓談中であったロイター中将と伊藤中将が慌てて割って入り両隊を引き離す事で何とか事態を納める事に成功する。


 だが国防軍とは指揮系統の違うSSの行動はロイター中将はおろか艦隊司令や陸軍軍団長でさえ抑え切る事は出来ない為、この問題が解決した訳では無かった。

 そもそもSSとは関係無い国防軍将兵にしてもSS隊員程では無いが捕虜や原住民を奴隷や家畜と考えている者は少なくは無い。

 これは国の価値観の相違では済まされない問題で有り、遠くダマルガスの地で垣間見えた迎第三帝国の実態は日迎同盟の行く末に暗い陰を落としたのであった……。


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