第九十八話:インドラ洋海戦⑪
伊勢と金剛から南方60km海域、そこでは4隻の巨大戦艦が艦体に炎と黒煙を纏い激闘を繰り広げている。
右舷に砲を向け撃っているのが英国戦艦ネルソンとロドニー、同航で相対するのが日輪戦艦長門と陸奥である。
どちらの艦も激しく損傷しており、ギザギザの破損した外郭からは炎と黒煙が立ち昇っている。
長門は艦首甲板から左舷後部にかけて中破乃至大破しており三番主砲も無惨に抉れ黒煙を吐きながら沈黙している。
陸奥は左舷中央から後部にかけて大破しており四番主砲も完全に大破沈黙してしまっている。
ネルソンは艦橋基部の司令塔が抉れており三番主砲も大破、右舷中央から後部にかけて激しく損壊している。
ロドニーは一番主砲塔が大破、艦首右舷から右舷中央にかけて激しく損傷しており、その際に機関部をも損傷し最大で20ktしか発揮出来なくなっていた。
現在4隻の戦艦は速力20ktで航行しながら戦っている、その為ロドニーは残った機関をフル稼働させているのだが、負荷の掛かった畜力炉からは明らかに異常音が響き渡っている。
「《ロドニーより入電! 【機関不調につき15ktへの減速を求む】以上です!!》」
「《むぅ……ロドニーの限界が近いか……っ!》」
黒煙に巻かれるネルソンの艦橋でロドニーからの報告を受けたサマヴィル提督が唸る、その頭部には痛々しく包帯が巻かれている。
「《しかし今減速しては日輪戦艦に頭を抑えられる可能性が……!》」
「《分かっている、だがこのままではロドニーが保つまい……速力を15ktに減速させろ……》」
日輪戦艦も消耗はしている、だがダメージ比率で言うなら4対6で英艦隊が押されている。
その状況で無理をさせロドニーが脱落すれば逆転の芽は完全に潰える、そう考えたサマヴィルはウィリス副司令の意見に理解を示しつつも減速を命じる。
対する長門と陸奥はウィリスが懸念した様な動きは見せず英艦隊の速力に合わせて来た。
実はこの時、陸奥の機関も損傷しており最大25ktに低下していたため機関に負荷が掛かっていた。
故に英艦隊の減速は日輪艦隊にとっても願ったりであった。
現在日英艦隊は速力15kt、距離20kmで撃ち合っている。
最初は17km程の距離で撃ち合っていたが損傷が増大し始めた頃からどちらとも無く今の距離に落ち着いたのである。
然し20kmは長門型戦艦とネルソン級戦艦の想定交戦距離で有り対50cm砲の安全距離でも有る為、互いに重要防御区画に対する致命打を与える事が難しくなっていた。
その結果、非装甲部や上部建造物への被害が目立ち始めレーダーや測距儀が損傷し命中精度が落ちるなど泥沼の様相を呈して来ている……。
その最中戦艦ネルソンの通信機に入って来た情報に通信員が青ざめた表情でサマヴィル達に向き直り口を開く。
「《く、駆逐艦隊から入電! 【数百機の日輪軍機が接近中、撤退の許可を求む】い、以上ですっ!!》」
「《……インドラ南方方面軍では抑え切れ無かったか……》」
「《提督……》」
「《ああ、時間を掛け過ぎたな、ここまでだ……。 艦隊全艦に伝達、現時刻を以って全ての指令を破棄する、各自全力を以ってディルゴ・アスレス(ダマルガス島北)まで退避せよっ!!」
サマヴィルの指示は直ちに英艦隊全艦に伝達され、日輪水雷戦隊と交戦していた駆逐艦艦隊は踵を返す様に離脱を開始し、戦艦金剛を追い詰めていたウォースパイトも即座に反転し海域を離脱して行った。
問題はネルソンとロドニーであった、万全の状態でも長門型はネルソン級より優速で振り切る事は困難であり、まして20ktしか発揮出来ないロドニーが逃げ切る事は不可能に近い。
サマヴィルが苦悩しているとロドニーからネルソンへ打電が送られて来る。
【ネルソンよ行け、我は日輪と雌雄を決する、女王陛下万歳】
その打電を発した直後、ロドニーは速力を上げ面舵を切りながら長門に砲撃を開始する。
そのロドニーの行動にサマヴィル以下ネルソン乗員はロドニーに向け一斉に敬礼すると速度を上げて離脱を始める。
その英艦隊の行動に長門と陸奥の艦長達は困惑していた。
無線封鎖をしている訳では無いが第一艦隊からは何の打電も無く、第一艦隊航空隊の攻勢を第二艦隊は全く把握出来ていなかったのである。
これは英艦隊に攻撃を勘付かれる事を嫌った志摩提督の指示によるものであり第二艦隊司令部の落ち度と言う訳では無い。
だが長門と陸奥にとっては戦果を挙げる好機であった、敵は自艦(長門型)と同列に名を連ねる七大戦艦の一角である、僚艦との共同戦果だとしても撃沈出来れば十二分の栄誉となるだろう。
長門と陸奥の乗員達は砲撃しながら接近して来るロドニーに嬉々として照準を集中させ声高らかに砲撃指示を出す。
ロドニーの2基6門の砲撃に対し長門と陸奥併せて6基12門が反撃する、単純に倍の火力だが覚悟を決め突撃を敢行しているロドニーは臆する事無く立ち上がる水柱と水飛沫を掻い潜り突き進んで来る。
ロドニーの砲撃は長門に向いており陸奥は被弾を警戒する事無く砲撃に集中出来ていた、そのため陸奥は長門に先んじて夾叉得る事に成功し艦内は歓喜に沸いた。
ワシントン軍縮条約によって建造途中であった陸奥は本来であれば廃艦となる運命で有った、だが日輪政府は進捗七割の陸奥を無理矢理竣工させ完成した艦であるとし国際連盟に対し半ば強引に保有を認めさせた。
その結果米国にコロラド級戦艦2隻を、英国にはネルソン級2隻の建造を認める事となってしまった。
そんな難産によって生まれた陸奥はその経緯から日輪国民に非常に愛される艦となったのである。
反面、戦艦としての活躍の機会は全く無く、翠玉湾攻撃、ミッドラン海戦ともに出撃こそしたものの航空機動部隊に主力の座を奪われ後詰に追いやられ、ミッドラン以降も連合艦隊旗艦とその僚艦として後方待機が続いた。
長門型より老齢な金剛型や伊勢型、欠陥戦艦と揶揄される扶桑型までもが実戦投入される中、長門と陸奥だけは後方待機と言う不遇が続いた。
それは国内外に連合艦隊旗艦として広く知られ長く日輪国民に愛されて来た長門型の喪失を連合艦隊司令部が恐れたからと言われている。
最新鋭艦の紀伊型や大和型の存在は軍事機密として一般国民には秘匿されていた為、日輪国民にとって戦艦と言えば長門以外有り得ないと言っても過言では無かった。
そんな長門型が沈めば国民に厭戦気分が広まってしまう可能性が高いと連合艦隊司令部は考えていたのである。
しかし紀伊型や大和型戦艦の存在が国民に知れ渡った今なら長門と陸奥に何か有っても問題無いと考えている訳では無い、今回の遠征はあくまで迎国からの想定外の要請による結果である。
閑話休題
とまれ、迎国の思惑によって漸く日の目を見る事が出来た長門と陸奥の士気は明らかに伊勢や金剛より高く特に攻撃に集中出来ている陸奥の艦内は気勢と高揚感に包まれており砲兵などは血まみれで尚、嬉々とした表情を浮かべるなど異様な光景が広がっている。
ロドニーの砲撃が長門の周囲に水柱を立ち上げ長門と陸奥の砲撃がロドニーの周囲に倍の水柱を立ち上げる。
何度目かの応酬の後、遂に陸奥の砲撃がロドニーを捉え舷側と甲板が爆ぜ破片が高く宙を舞う。
それでも尚ロドニーは爆炎を纏いながらも怯まず突撃して来る、対して火災が既に消し止められ悠然果敢に砲撃を敢行する長門と陸奥の姿はどちらが敗者でどちらが勝者かを如実に表していた。
……然しそんな最中、事件は起こった……。
突如響き渡る轟音と立ち上がる爆炎、それは集中攻撃を受けているロドニーからでもロドニーから攻撃を受けている長門からでも無く、攻撃に晒されていない筈の陸奥からであった……。
陸奥は三番主砲塔付近から激しい爆炎が上がっており艦体は裂けくの字に折れ砕けつつある……。
折損部から大量の海水が一気に流れ込んだ陸奥は艦首がゆっくりと持ち上がり天を仰ぐ、すると一番主砲塔と二番主砲塔の砲弾薬が重力に従って落下し、次の瞬間前部砲塔部が爆ぜ艦が裂け爆炎が噴き出し艦首が鈍い金属の引き千切れる音と共に海面へと崩れ落ちて行く……。
そして艦全体が瞬く間に海中に没して行くと折れた艦首も沈みゆく艦体に引き摺り込まれ、日輪国民に長く愛された戦艦陸奥の姿は水底へと消えていった……。
陸奥の突然の爆沈に長門艦内は騒然となり長門艦長以下艦橋要員は情報収集に追われた。
「どう言う事だ? 陸奥は何故沈んだっ!?」
「分かりません、火災は鎮火していた筈ですし砲撃を受けた形跡も有りませんでした……」
艦長の問い掛けに副長が力無く応える、副長の言う通り陸奥の火災は鎮火していた、砲撃も受けていたのは長門であり陸奥に砲弾が向かった形跡は無い。
ならば何故陸奥は沈んだ?
長門艦長が思考を巡らせ、やがてハッと息を呑む。
「……潜水艦か……?」
長門艦長がそう思い至り呟いた後、苦悶に顔を歪ませる。
若しそうで有れば次は長門が危ない、だが長門には敵潜水艦を探知する水中聴音機も水中探信儀も装備されていない。
観測機を飛ばして上空から確認させる方法も有るが、対艦戦闘中に発艦作業など出来る筈も無く、そもそも長門の艦尾甲板に搭載されていた観測機はネルソンからの砲撃によって破壊されてしまっていた。
後出来る事と言えば見張りを増やすか、早急にこの海域から離脱する事くらいである。
長門艦長の表情は焦燥感に歪み剥き出しの歯は砕けそうなくらいの力で食い縛られている。
「右舷に至近弾っ!!」
「ちぃっ! 此処で引けるものかっ!! 進路照準そのまま、英戦艦を撃沈しろっ!!」
苦悩の末、意を決した艦長が声を張り上げ下令した、その命に従い長門の3基6門の51cm砲がロドニに向け一斉に火を噴く。
長門とロドニー両艦とも一歩も引かず互いに撃ち合いその身を削り合う、艦が爆ぜ爆炎と共に破片が宙を舞い艦内を爆圧と灼熱の炎が駆け巡る、兵の断末魔の悲鳴が爆発音で掻き消され業火と黒煙が彼等の姿を覆い隠す。
「喫水線下に被弾、浸水発生っ!!」
「四番主砲大破、応答途絶っ!!」
「火災区画拡大、消火が間に合いません!!」
「ぬぅ……っ! 浸水区画閉鎖! 四番主砲火薬庫に注水! ……救護班の5割を、消火に回せっ!!」
次々に送られてくる報告に艦長は迅速にそして冷徹に対応して行く、それでも艦は炎と煙に包まれ左に傾いて行った。
だがそれはロドニーも同様であった、艦の殆どが炎と煙に覆われ右に傾き、稼働している砲塔は三番主砲塔だけとなっている。
このまま戦い続ければ例え相手を撃沈出来たとしても生還出来るか非常に怪しい状態になりつつあった、そもロドニーは現時点でほぼ絶望的だろう……。
既に趨勢は決していると言って差し支え無かった、英艦隊には健在な艦は略存在しておらず、対して日輪第一艦隊は略々無傷で有り第一艦隊だけでもモルディバの殲滅は可能であろう。
つまり長門が此処で引いたとしても最早大勢に影響は無いと言う事であった。
長門艦長もそれは理解していた、一艦の艦長としては撤退を選択すべきだと分かってもいた、だがそれでも撤退を決断し切れないでいるのは一戦艦乗りとしての矜持に他ならなかった。
敵戦艦の内1隻を逃し、2隻がかりで満身創痍の敵艦すら沈め切れず、戦いの最中に散った陸奥の仇も討てず、その陸奥の乗員を置き捨て自艦だけ逃れる、そんな醜態を晒すくらいなら此処で敵艦と相討つ方が余程戦艦乗りの矜持は保てるだろう……。
例えそれが戦術戦略的に、軍人として艦長として愚かな決断であろうとも……。
故に長門艦長は撤退のニ文字が頭を過ぎりはするものの、その決断を下す事はどうしても出来なかった、それが愚かな誤りで有ると理解しながらも……。
「左舷中央に直撃弾っ!!」
「主機損傷、最大速力28ktに低下っ!!」
「左舷浸水被害甚大っ!!」
「か、艦長……っ!!」
「ぬぅ……っ! 右舷に注水、少しでも傾斜を復原しろ! 針路取り舵、艦首を敵艦に向け正面砲撃戦に移行するっ!!」
三番四番主砲塔を失った長門が態々横腹を晒す必要は無い、故に艦首と一番二番主砲をロドニーに向け正面砲撃に切り替える。
対するロドニーも被弾面積を狭めるため可能な限り長門に対し艦を立て応戦している、だがネルソン級の三番主砲塔は構造上正面に指向出来ないため斜め45度の射角で砲撃しており必然的に針路も長門に対し45度の角度となっている。
この時、両艦の距離は12,000にまで接近しており互いに主砲防盾すら貫徹可能な距離で有った。
ロドニーは無理が祟り損傷した機関が潰れ最大速力は10ktに落ち込んでおり長門も15ktに速度を落としていた為、少ない砲門による目視での砲撃でも命中弾は期待出来た。
だが長門は陸奥が沈んで以降精彩を欠き砲撃命中精度が明らかに低下していた。
これは僚艦を突然失った動揺も有るだろうが、艦長が潜水艦を警戒しながら指揮を執っている事が要因として一番大きかった。
そして正面砲撃に切り替えた数分後、長門の二番主砲塔が爆ぜた。
ロドニーの放った砲弾は一番主砲塔の天板と二番主砲の中砲に掠りながら二番主砲塔防盾を貫通し装弾中の砲弾を巻き込みながら炸裂、その爆炎と爆圧によって給弾室の砲弾と装薬が誘爆し長門の二番主砲塔は無残に吹き飛んだのである。
不幸中の幸いで有ったのは弾薬庫の誘爆は避けられた事であろう……。
その後、長門もドロニーに命中弾を与えるが、砲弾は既に大破していた二番主砲塔基部を抉っただけに留まり、その後方の三番主砲塔には届かなかった。
その結果に長門艦長が歯噛みした直後、今度は長門の艦首左舷から爆炎が上がる。
その直後、喫水線ギリギリに空いた破孔とそこから発生した亀裂によって艦内に大量の海水が流入し艦が軋み鈍い金属音が響き渡る。
それによって長門の傾斜は更に増し砲旋回に影響が出始めていた。
……此処が自分と長門の死に場所か……長門艦長が諦めか覚悟を決めたその時、何処からともなく甲高い音が響き渡り、直後数機の航空機が頭上を飛び越えて行く。
それは聞き慣れた推進音と機影、零式艦上戦闘機ニ型であった。




