第九十五話:インドラ洋海戦⑧
「《マレーヤが、沈んだか……》」
戦艦ネルソンの艦橋にてマレーヤ爆沈の報告を受けたサマヴィルは驚くでも憤るでも無く、目を伏せ静かにそう呟いた。
「《はい……砲撃を受け弾薬庫に引火したものと思われます……。 しかし日輪戦艦のヒュウガも大破し戦線を離脱しております、ですので完全に撃ち負けたと言う分けでは有りません……》」
「《そうで有ろうよ……。 クインエリザベス級は前大戦から王国海軍を支えた熟練艦だからな……》」
サマヴィルもウィリスも落ち着いた口調で話しているが、その額からは暑さ故では無い汗が滴り落ちている。
然もあろう、乗艦である戦艦ネルソンは三番主砲と艦橋下の司令塔が直撃弾によって壊滅沈黙し、艦全体を見れば至る所に大小の砲弾を受け爆炎と黒煙に包まれている、いつマレーヤと同じ運命を辿っても不思議は無い状況で有った。
それでもネルソンに残された2基の三連装砲塔はその黒煙を振り払う様に轟音を響かせ宿敵長門に向け砲弾を放ち続けている。
対する長門も艦体に炎と黒煙を纏いながら砲身から轟音を轟かせ応戦している。
戦艦長門の放った砲弾は2発がネルソンに命中し上部建造物後部と右舷中央舷側を抉り爆炎と共に破片が宙を舞う。
その両艦の後方に展開する日輪戦艦陸奥と英戦艦ロドニーも同様に撃ち合い爆炎に包まれ激しく損傷していた。
陸奥は左舷中央から艦尾に掛けて爆炎に包まれ四番主砲塔は右砲身だけが上がった状態で大破している。
ロドニーも一番主砲塔の左半分が抉れ左砲身を失った状態で沈黙し艦首右舷側に空いた破孔から海水が流れ込んでおり艦内で応急要員が対処に追われている。
その更に後方に展開する日輪戦艦伊勢は英戦艦ウォースパイトからの攻撃で五番主砲と六番主砲が大破沈黙しており、それを好機と捉えたウォースパイト艦長はサマヴィルの承認を得て伊勢に対して距離を詰めて来た。
それを嫌った伊勢は逆に距離を取ろうとした結果右に逸れて行き、ウォースパイトと共に戦列から離れて行った。
一方で日輪戦艦金剛と英戦艦ロイヤル・サブリンは、速度を生かしサブリンの左舷側に回り込もうとして来た金剛の動きに翻弄されたサブリンが慌てて右に転舵した結果、他の艦から大きく離れていた。
金剛は最初に受けた艦首(舳先)の損傷以外にも左舷側中央の副砲砲郭が無残に抉れ、その傷は艦体内部深くにまで達していた。
これはサブリンからの砲撃で受けた傷で有り、数メートルずれていたら機関直撃で金剛の足が止まっていた程の損傷で有った。
これを受けて西村提督は真正面からリヴェンジ級戦艦と撃ち合うのは危険だと判断し、隊列から外れる事を覚悟で速度を生かした機動戦術に切り替えたのだ。
ただ、艦首(舳先)が大破している金剛は、そのまま全速力を出すと艦首から大量の海水が流れ込む事になる為、ロドニー同様此方も応急班が必死に防水処置(水密扉閉鎖及び溶接等)を行っている。
「右舷砲撃戦、撃ち方初めっ!!」
左舷に甚大な被害を受けている金剛はその傷を庇う為に砲身を右舷側に旋回させ優速性と機動性を生かしサブリンの後方から砲撃を行おうとする。
対するサブリンは主砲の射角を取ろうと必死に艦体を捩るが、速力でも機動性でも金剛に劣るサブリンでは中々思う様には行かなかった。
金剛型は分類上は巡洋戦艦と呼ばれ、純粋な戦艦であるリヴェンジ級と比べて軽量なその艦体は側面噴進機による旋回効率が良く、速力を犠牲に火力と防御を重視したサブリンを翻弄している。
更に命中精度に関しても金剛が有利であった、それは搭載している射撃電探と射撃制御装置の質である。
旧式艦と言えど流石にこの時期の戦艦には射撃レーダーが搭載されているが、その性能は技術的、費用的、時間的制約によって様々に差が出ている。
航空機が戦場の主役となりつつある現状に置いても各国海軍上層部に置いてはまだ戦艦の信頼性を重視する者達も多く、それ故に戦時下においそれと戦艦をドック入りさせる訳にも行かなかった(新造艦建造の為にドックの空きが少ないと言う理由も有るが)
その為、射撃レーダーの取り付けや射撃制御装置の換装はドック艦や簡易施設に等によって行われる事が多く、大規模な改装は各国各艦共に難しかった。
しかし第二次ソロン海海戦で大破した金剛と榛名は長期(修理が比較的短期間で終わるこの世界に置いては)のドック入りを余儀なくされた為、皮肉にも最新の近代化改装を受ける事が出来たのである。
それによって金剛は旧式戦艦群の中では最も近代的な装備を持ち、この戦闘の中で搭乗員達もその扱いに大分慣れた今、同条件下であればサブリンより先に命中弾を与えられる可能性が高かった。
対するサブリンは苦境に立たされていると言って差し支え無いだろう。
金剛が動き出す直前、ウォースパイトより【我に続け】の打電が有りサブリンはその打電に従い金剛に対し距離を詰めようとした所、逆に背後に回られた為、焦って右に旋回してしまいウォースパイトと逸れてしまった。
そこで焦らずウォースパイトと行動を共にしていれば金剛にここまで翻弄される事は無かっただろう。
いくら金剛が小回りが効くと言っても図体の大きい戦艦で有る以上駆逐艦のような軽快さは無く、射撃制御装置の優位性が有ったとしても、2隻に挟撃や集中砲火を受ければ、その優位性を発揮する前に撃沈されてしまう可能性が高かった。
だからこそサブリンはウォースパイトから離れるべきでは無かったのだが金剛の思わぬ行動に焦り、そして同時に巡洋戦艦に純粋な戦艦であるリヴェンジ級が敗れる筈が無いと言う驕りも有った。
それはユトラント沖海戦に置ける戦訓(戦艦に必要なのは速度より防御力)から来るものであり実戦で証明されている事実ではあった。
若しユトラント海戦時の金剛とサブリンが戦えば、最初から機動戦術で挑んだとしても高確率で金剛は撃沈されただろう。
金剛がユトラント海戦で活躍出来たのは前衛に展開する英戦艦隊の存在が有ればこそだったのだ。
結局の所、戦艦が砲撃を命中させるにはある程度速度を落とし敵艦との距離を合わせながら撃つしか無い。
その時に求められるのは敵の砲撃に耐え得る装甲と敵艦の装甲を抜ける砲火力なのだ。
故に装甲の薄い巡洋戦艦は所詮巡洋艦の延長に過ぎず決戦兵器としてはニ線級に過ぎない事がユトラント海戦で露呈してしまった。
無論、大日輪帝国海軍もその戦訓を踏まえ金剛型の装甲を強化した、それによって高速戦艦と呼べる程にはなったものの、元々格上だった戦艦と正面切って戦える程の強化とは行かず、結局は巡洋戦艦の域は出ていなかった。
だからこそ西村提督は正面からの撃ち合いを止め機動戦術に変えた、そこには最新の射撃制御装置への期待も有っただろう。
とは言え、機動戦術によって金剛が圧倒的に有利なったと言う分けでは無い、46㎝砲弾を確実に有効化する為に概ね16000の距離で撃ち合っている為、一撃でもサブリンの48㎝砲弾が直撃すれば重要防御区画ですら先程の比ではない損傷を追う危険を常に孕んでいるのである。
なので金剛は速力30ktから50ktの間で緩急を付け、至近弾を受け始めたら旋回し弾を当てるより避ける事を優先している。
これが大和で有れば日和の電脳を介して制御される砲安定装置によって70ktの速度で旋回しながらでも砲撃を命中させる事が不可能では無いが、通常の艦艇に搭載されている射撃制御装置で同等の芸当を熟す事は(現在の技術では)不可能であった。
なので金剛は堅実に交互撃ち方(一斉に全ての砲を発射するのではなく、砲を交互に発射する事で一方の砲が発射されている間に、もう一方の砲は再装填や照準修正を行う射撃法)で弾着観測を行いサブリンをその散布界(弾着範囲)に捉えんとしていた。
「敵艦前方に至近弾っ!!」
「よし、夾叉だ、一斉射撃用意っ!!」
直前に敵艦後方への至近弾を与えていた事から金剛艦長は夾叉(同一諸元で発射した複数の砲弾が敵を挟むように弾着する事)を確認すると一斉射撃を命じる。
それを受けた金剛の4基の主砲塔は左右両方の砲身に砲撃諸元の仰角を付け、一斉に射撃する。
金剛の4基8門の砲身が一斉に火を噴き、砲弾は緩い放物線を描きながら彼方16km先の英戦艦ロイヤル・サブリンに向けて飛翔する。
次の瞬間、サブリン左舷から爆炎が立ち上がり副砲塔や装甲の一部と思われる破片が宙を舞う。
だがサブリンも着弾直前に主砲を射撃しており、その砲弾は不気味な風切り音と共に金剛の至近距離に着弾し水柱を立ち上げた。
「右舷後方に至近弾っ!!」
「ちっ! こっちも夾叉を受けたか! 回避……いやリヴェンジ級なら装填に時間が掛かる筈だ、もう一斉射放てっ!!」
金剛艦長は至近弾を受け即座に回避するか迷ったが、折角捉えた砲撃諸元を失う事を惜しみ相手の装填速度を考えた結果、もう一斉射浴びせた後に回避行動を取っても間に合うと考え射撃を命じる。
「くそっ! 旋回が止まっていた奴さんの四番主砲が復活してやがるっ!!」
金剛が再び一斉射を放った直後に双眼鏡でサブリンを監視していた参謀の一人が吐き捨てる様にそう言った、嫌な情報では有るが回避に専念したい金剛艦長はそれを聞き流しながら「最大戦速、面舵10度!!」と声を張り上げ下令する。
その指示によって金剛が速度を上げ右に旋回を始めた直後、再びサブリンの4基8門の主砲が火を噴いた、砲弾は緩い放物線を描きながら不気味な風切り音を共に金剛に迫り、そして次の瞬間複数の水柱と同時に爆炎が金剛の二番主砲塔付近から立ち上がった。
金剛は激しい衝撃に襲われ艦内に警報音が鳴り響く。
「損害報告っ!!」
「に、二番主砲に直撃弾っ!!」
「二番主砲塔完全に沈黙、応答有りませんっ!!」
「くっ! 応急班を向かわせろ、現場判断で弾薬庫への注水も許可する!!」
艦橋内は騒然となりながらも統制は失われてはおらず、艦橋要員達は整然と指示通り各所へ伝達を行う、西村提督と参謀数名は艦橋窓から炎と黒煙の中に沈黙する二番主砲塔を険しい表情で見据えている。
サブリンの放った砲弾の一発が金剛の二番主砲塔基部に直撃し貫通、内部を衝撃波で蹂躙しながら反対側から突き抜ける直前に起爆し装填中の砲弾や装薬を巻き込み爆発した。
それによって二番主砲は衝撃で不自然に揺れ動いた後、あらぬ方向に向いたまま沈黙する。
だがそんな金剛よりも甚大な損害を受けていたのはサブリンの方で有った、金剛が回避行動直前に放った砲弾は4発がサブリンの左舷中央から後部にかけて直撃しており三番主砲塔が大破、損傷した左舷側に直撃した砲弾は機関部にまで達し、サブリンの最大速力は8ktにまで低下していた。
それでも尚サブリンは戦意を失う事無く残った砲門で金剛を攻撃するが、混乱の最中で砲撃諸元を失った事によってあらぬ方向に空しく水柱を立てるだけであった。
それは急激な旋回を行い且つ二番主砲への対応に追われる金剛も同様であったが、最新型の射撃電探と射撃制御装置の扱いに慣れて来ていた搭乗員達は巧みに照準を合わせ程なく至近弾を出す。
だがサブリンも必死に抵抗する、炎と黒煙に覆われた四番主砲塔は視界を遮られ真面な射撃が出来なくなっていたものの、前部2基の主砲と1基だけ残っていた副砲が全力で応戦している。
サブリンの砲火力で有れば一発でも直撃させられれば逆転も有り得た、だがその命中弾を与える事が今のサブリンには非常に困難な事で有った。
そして金剛の主砲と副砲が一斉に火を噴き放たれた砲弾はほぼ停止しているに等しいサブリンに次々と命中して行く。
艦が爆ぜ装甲が抉れ爆炎と共にサブリンを構築していた残骸が宙を舞い放物線を描きながら海面に落ち無数の水柱を立てて行く……。
既に艦全体が炎と黒煙に包まれていたサブリンであったが、それでも尚残った二番主砲塔が最後の力を振り絞るが如く応戦している、それは恐らく最後の執念だったのだろう。
しかし喫水線付近に多数の砲弾を受けたサブリンは大量に浸水し徐々に左に傾き始める。
それによって唯一生き残っていた二番主砲塔も遂には停止し、英戦艦ロイヤル・サブリンはその戦闘力を完全に喪失する。
相手からの抵抗が無くなった事を確認した金剛は戦闘状態を維持したまま砲撃を止め固唾を飲んでサブリンを凝視していた。
この時サブリンは艦全体が炎と黒煙に包まれ至る所で爆発が起きており傾斜はどんどん酷くなっている。
そしてロイヤル・サブリンの艦長が総員退艦を下令した10分後、艦は大爆発を起こし悲鳴のような金属音を響かせながら爆炎を抱いたままゆっくりと水底に没して行った……。
『総員、勇敢なる英国海軍戦艦に、敬礼っ!!』
沈みゆくサブリンの姿を見た金剛の搭乗員達は歓喜に沸くが、突如艦内外に響き渡った西村提督の声に総員が静まり返ると神妙な面持ちで英戦艦ロイヤル・サブリンに向けて一斉に敬礼をする。
彼のユトラント沖海戦時にロイヤル・サブリンは就役していなかったが、姉妹艦のリヴェンジとロイヤル・オークは金剛と共に戦っている。
故にこの西村提督の行動は命を懸けて戦った相手に対する敬意と言うよりは且つての友に対する哀愁であったのかも知れない。
この海戦がこれで終わりならサブリンの搭乗員の救出を行うと言う選択肢も有ったが、今だ決着は付いておらず伊勢は直ぐにでも応援が必要な状況で有るかも知れなかった。
そのため西村提督はロイヤル・サブリンの沈没位置を海図に記録させ、金剛艦長に伊勢と合流するよう下令する。
その名を受け金剛は最大戦速を以って伊勢の下に針路を取った。




