第九十二話:インドラ洋海戦⑤
1943年5月11日09時45分天候快晴
セイラン島南部沖150km
日輪第一艦隊群
セイラン島上陸部隊を支援している日輪第一艦隊は、インドラ領から飛来する英航空隊に手こずっていた。
機体性能と練度は相変わらず三城航空隊の丁度良い経験値程度なのだが、戦力を小分けに遂次投入してくる為この場を離れる分けにも行かず日輪第一艦隊はセイラン島に足止めされていたのである。
とは言え、そもそもが三城航空隊は本来実戦に出せる練度では無く、信濃航空隊にしても旧一航戦や四航戦、五航戦と比べると練度は格段に低い。
そのような戦力で上陸支援より遥かに難易度の高い艦隊攻撃を行う事はリスクが高く、まして上陸支援と艦隊攻撃の両面戦闘などとても熟せる筈も無かった。
英航空戦力が思いの外脆弱で三城航空隊が思わぬ活躍をしたため忘れかけている将兵も多いのだが、本来三城(天城、葛城、赤城)姉妹とその航空隊は数合わせのハリボテなのである……。
「さてさて、叩けど叩けど湧いて来ますねぇ……。 こんな散発的な戦力投入は艦隊練度の低い我々への嫌がらせとしては有効でしょうが、普通なら戦術としては愚策だと思うんですけどねぇ……」
空母信濃の防空指揮所にて穏やかな思案顔そう言うのは、印洋派遣艦隊副司令『伊藤 誠司』海軍中将である。
軍人然としない細身の紳士である彼はその外見通り誰に対しても穏やかな口調と柔らかな物腰で接する事で知られ軍人より政府の高官と言われた方がしっくり来る人物像であった。
「はい、恐らくインドラ領内の各飛行場から戦力をかき集めて投入しているのでしょう、そのため統制が取れず戦力の遂次投入と言う行為に及んでいるのだと思われます」
伊藤の横で言葉を発したのは信濃艦長、柴村 雛菊海軍大佐である。
長い黒髪を後ろで束ね凛としたその立ち姿は19と言う齢をして周囲に立つ壮年の参謀達と何ら遜色は無い。
「ふぅむ、セイラン島を我々に占領される事は英国インドラ領にとって喉元に刀を突き付けられるようなものでしょうから必死になるのも分かりますが……。 しかしだとしたら配備されている戦力が余りにもお粗末過ぎますねぇ……」
「そうですね、開戦直前時点での英国空軍は航空機の旧式化が深刻化していて最新鋭機の量産も間に合っていなかった様ですので、インドラ方面の航空戦力を整備する余裕は無かった可能性が高いです。 そして現状ルエズ運河が使用出来無い状態にあるので尚の事でしょう」
「連合軍も、まさかルエズが落ちるとは思っていなかったのでしょうねぇ……」
「はい、それを成し遂げたゲイル陸軍のロンメル元帥の名は我が海軍にも轟いています、尤もそのロンメル元帥が南下した途端、連合軍の攻勢によってゲイル軍もルエズ運河が使用出来無い様ですが……」
「……ふむぅ。 その状況、我々にとって凶と見るべきか吉と見るべきか、悩ましい問題ですねぇ」
「っ!?」
「し、司令っ!? その発言は……」
伊藤の発言に驚いて口を挟んで来たのは雛菊では無く近くの参謀の一人で有った、雛菊は少し目を見開き黙って伊藤の表情を窺っている。
「ははは。 冗談ですよ、ええ冗談ですとも……」
そう言いながら伊藤は激戦が繰り広げられているであろう水平線の先を穏やかな表情で見据えているが、その瞳には僅かに普段とは違う険しさ浮かんでいる。
その時、伝声管に張り付いていた通信員が顔色を変えて叫ぶ。
「本艦8時方向より複数の所属不明機接近っ!!」
「っ!?」
「……ふむ」
電探員から伝声管で伝えられた情報を通信員が声を張り上げ復唱する、信濃から8時方向つまり南東方向より所属不明機が接近している事になる。
「敵機か味方機か、悩ましい所ですねぇ……。 ですが取り敢えずは戦隊全艦を対空戦闘に備えさせて下さい」
「はっ! 艦長より伊藤司令の指示を伝える、第三戦隊全艦対空戦闘用意っ!!」
伊藤の指示を受けた柴村雛菊が伝声管に向けて声を張り上げる、その指令は下部主艦橋の副長に届き通信員より各艦に伝えられた。
直掩機の零戦五型12機は航空管制から直に報告を受けた為か雛菊が対空戦闘の指示を出すため伝声管に噛り付いた時には所属不明機の居る方向へ向けて全速力で飛び去って行った。
雛菊の指示で第一艦隊第三戦隊の空母信濃、天城、葛城、赤城の機銃座が機敏に動きその銃口を空高く向けて敵機を待ち構える。
僅かに遅れて第一艦隊各戦隊の重巡部隊と防空護衛部隊も対空戦闘に備え機銃と砲身を可能な限り南東に向ける。
・
燦々と照り付ける太陽の下、機銃要員達は東の空を凝視しながら滴り落ちる汗を手拭いで拭う。
信濃の伊藤と戦艦榛名の志摩は各艦の艦橋から双眼鏡で南東の空を見ていた。
その時、通信員が叫ぶ。
「直掩機隊より入電! 【不明機ハ味方ナリ、動力切レ間近ノ為、至急二十二機ノ着艦願ウ】」
「む、味方機だと? 四航戦かっ!?」
第一艦隊に接近していたのは四航戦、空母飛鷹と隼鷹艦載機の零戦ニ型11機と九七式艦攻11機で有った。
飛鷹と隼鷹が大破し着艦が出来なくなったため、第一艦隊の空母群を頼ってここまで飛んで来たのであった。
零戦ニ型は増槽無しでも2300kmの航続距離が有るからまだ大丈夫であったが、九七式艦攻の航続距離は1000km未満の為、動力切れ寸前の機体が多く緊急を要した。
不幸中の幸いと言うべきか、第一艦隊の空母4隻には若干の空きが有った為、12機までなら何とか収容出来る。
だが問題は運用計画に無い22機もの緊急着艦を作戦行動中の空母にどう割り込ませるかであった……。
「……概案ですが、先ず飛行甲板上に待機及び準備中の機体を速やかに発艦させ、帰還して来た機は取り敢えず上空待機、残動力に余力の無い九七式を4隻に分けて着艦させ格納し、その後零戦ニ型は飛行甲板上で速やかに補給を行い搭乗員を交代させて空に上げれば……調整は必須ですが何とか回す事は出来るかも知れません」
「ふむぅ……。 三城の練度が少し不安ですが他に方法は無さそうですねぇ……では、そのように指示して下さい」
柴村雛菊が苦悩の表情のまま早口に概案を提案する、それに対し少し不安げに思案する伊藤で有ったが他に方法も無いため速やかに彼女の提案を承認した。
そうして信濃と三城からは出撃準備や待機をしていた機が慌しく空へと射出されて行く。
準備万端で待機していた零戦五型は兎も角、爆弾取り付け途中や未搭載の流星も緊急射出指示が出たため各空母の飛行甲板と航空管制から声にならない悲鳴が上がる事になった。
これは比較的練度の高い信濃でも同様であり練度の低い三城は更に混乱している事になる。
そしてそれは地上部隊への航空支援計画にも影響する為、艦隊旗艦である戦艦榛名の艦隊司令部にも混乱が伝播する事になった。
だが、その混乱を最悪の事態にしないよう尽力したのは柴村雛菊であった、航空機運用の知識とそれに伴う発想力を持つ彼女は信濃艦内だけではなく三城や榛名とも密に連携し細やかな運用計画と指示を提案する。
無論これは戦隊司令である伊藤の理解が有ってこそであり、本来であれば一艦長に過ぎない柴村雛菊の権限で行える事では無い。
とまれ、柴村雛菊の的確且つ細やかな指示によって四航戦に1機の損害も出す事無く救助する事に成功した。
しかし喜んでばかりもいられない、それはつまり飛鷹と隼鷹の被害が極めて甚大で有り救助した四航戦(内零戦5機の搭乗員)からの報告によって最悪隼鷹が失われた可能性すら有ったからである。
一方その頃の第十一艦隊、飛鷹と隼鷹は満身創痍ながら何とか生き残っていた。
とは言え飛鷹は飛行甲板の半分以上が陥没し隼鷹は弾薬庫への誘爆で左舷側が吹き飛んでおり、その衝撃で喫水線下にまで亀裂が及び浸水し左に大きく傾いている。
更に火災によって艦内外の至る所が黒焦げであり沈んでいないのが不思議なほどであった。
また飛鷹に座乗していた第十一艦隊司令片桐 吉辰中将が命に別状はないものの重傷を受けており軽巡名取に移乗していた。
このような状態で第二艦隊に随伴する事はどう考えても不可能である為、第二艦隊司令の西村提督の判断によって飛鷹と隼鷹はセルガポールまで退避する事が決まった。
問題は第十一艦隊の水雷戦隊をどうするかと言う事であった。
第十一艦隊の水雷戦隊は第一戦隊の軽巡名取、駆逐艦暁、響、雷、電、第ニ戦隊の軽巡夕張、駆逐艦春風、松風、旗風が残存しておりこれから英極東艦隊と決戦を行う第二艦隊にとって失うには痛い戦力で有った。
だが飛行甲板は大破しているものの、航行能力に問題はない飛鷹とは違い、隼鷹は最大速力が15kt程度にまで落ちている。
そのような状態の艦を護衛も無しに敵勢力圏で分離して放り出すのは人道的にも心情的にも問題が有った。
その為、第一戦隊(名取隊)を飛鷹と隼鷹の護衛に付かせ第二戦隊(夕張隊)を第二艦隊に組み込む事となった。
出来るなら損失艦の無い名取隊を組み込みたかっただろうが、既に片桐司令が名取に移乗している為、已む無く夕張隊を選択するしかなかったのだろう。
こうして第二艦隊から分離した飛鷹、隼鷹と名取隊を含む7隻は損傷した隼鷹の牛歩の歩みに合わせながらセルガポールを目指す事となり、夕張隊の4隻を戦列に加えた第二艦隊は英極東艦隊を目指し進撃を再開する。
その陣容は西村提督の座乗する独立旗艦、戦艦金剛を先頭に戦艦伊勢、日向、長門、陸奥が単縦陣で続き、その周囲を軽巡大淀率いる陽炎型駆逐艦8隻、軽巡北上率いる吹雪型駆逐艦3隻、そして軽巡夕張率いる神風型駆逐艦3隻が護っている。
「天気晴朗なれども波高し、か……」
「ふむ、ゼット旗でも掲げますかな?」
快晴の空に少し荒れた海面を見た西村提督が日輪海海戦の明言を呟くと参謀の一人がしたり顔で同じ由来のZ旗の話題を持ち出す。
「はは、『皇国の荒廃この一戦に有り』かね? それは大げさだろう、寧ろZ旗を掲げるべきは英極東艦隊ではないかね?」
「そうなると我々がバルディック艦隊となってしまいますな……」
「ふむ、そうなるか……。 ならば我々はバルディック艦隊の二の舞にならぬ様、一層の奮励努力を以って英艦隊と対峙せねばならんな」
西村提督が不敵な笑みを浮かべてそう言うと、周囲の参謀達も我が意を得たりとばかりに不敵な笑みを浮かべ賛同の言葉を口にする。
もっとも、英極東艦隊からしても本海戦がブリタニアス連合王国の存亡に直結する訳でも無く、状況も日輪海海戦と酷似していると言う分けでも無い。
ただ航空機主兵論が翠玉湾攻撃やマルー沖海戦など他でも無く日輪海軍によって実証された今日、戦艦は海戦の主役から引きづり降ろされ今後戦艦と言う艦種そのものが消え去る可能性すら有る。
つまり戦艦同士による純粋な海戦の機会など若しかしたら今後は無いかも知れず、本海戦が最後の戦艦同士の打ち合いになる可能性は決して低くは無いのである。
故に西村提督は呟いたのだろう、日輪海軍にとって……いや日輪国民にとって忘れ得ぬ最大の海戦で有った日輪海海の名言を、奇しくも戦艦同士の決戦となったこの戦いに重ね合わせ複雑な想いを馳せながら……。
「む、陸奥一号(水偵)より打電! 【敵艦隊見ユ、距離65000、我が艦隊に向け進行中】」
「うむ、決戦の時が来たようだな! 総員配置に付けっ!! 全艦全砲門対艦戦闘用意っ!!」
通信員が緊張した声で敵発見の報告をすると、西村提督は表情を険しく引き締め有らん限りに声を張り上げ戦闘用意を下令する。
参謀達や士官達も有らん限りの声で呼応し艦隊各所に散らばって行くと第二艦隊全体が慌しく活発に動き始めた。
艦内の士気は異様に高く、皆が英艦隊との決戦を今か今かと心待ちにしている程である。
そうして大日輪帝国第二艦隊はインドラ洋の輝く海原を意気揚々と突き進むのであった。