第八十九話:インドラ洋海戦②
インドラ洋・英極東艦隊
旗艦プリンス・オブ・ウェールズ艦上
「《方位6.8.6、距離150,000より敵機接近!! 数は約30!!》」
「《何っ!?》」
「《東北東から敵機だとっ!? 我が艦隊の航空隊と入違ったと言うのかっ!?」
戦艦プリンス・オブ・ウェールズの艦橋でレーダー要員が声を張り上げるとサマヴィルは目を見開き思わず声を上げ、ウィリスは驚愕の表情で叫んだ。
「《くっ……。 いつの間に日輪軍に補足されていたのだ……!? 直掩機を迎撃に向かわせろ、それとユニコーンの残りの戦闘機も全て直掩に上げるんだ!!》」
「《長官、インドミタブルとフォーミダブルの戦闘機も上げた方が良いのではっ!?》」
「《……だめだ、それでは第二波が来ても即応出来なくなる……!》」
空母ユニコーンの艦載機だけを上げようとするサマヴィルの采配にウィリスが他の2隻の艦載機も上げるよう進言するが、サマヴィルはそれを跳ね除ける。
サマヴィルが懸念しているのは、フルマーの脆弱さとシーハリケーンの航続距離の短さ故の防空の穴であった。
日輪軍機(零戦)を相手取るにはフルマーでは力不足でシーハリケーン頼りだが、シーハリケーンの航続距離は巡航速で750kmしか無いのだ……。
その為この第一波を退けても第二波が来たら直掩のシーハリケーンは高確率で動力切れである。
シーハリケーンの2倍近い航続距離を持つフルマーは残るが、フルマーだけでは日輪軍機を抑える事は叶わない。
故にサマヴィルはインドミタブル、フォーミダブルの艦載機を第二波用に温存したのだが、この時サマヴィルは被雷して来る敵機をセイラン島攻撃部隊(日輪第一艦隊)の艦載機と勘違いしていた。
しかし実際は第十一艦隊の飛鷹と隼鷹から発艦した航空隊であった。
もっとも、敵機が迫って来ている事には違いは無く、成すべき事は迎撃で有る事に変わりは無い。
そんな緊迫した状況の中、空母ユニコーンから次々とシーハリケーン戦闘機が発艦していく。
ユニコーンは正空母でも軽空母でも無く、航空機補修施設を内部に持つ『航空機補修艦』と言う特殊な艦艇であるが、機能的には空母としても使える艦でもあった。
これはサマヴィルの航空隊増強要請に応えられないチャーチルがせめてもの誠意として送って来た艦であったが、サマヴィルはこの対応に到底納得はしていない。
全長290m、全幅48mと言う戦艦並みの幅の広い艦体で内部に修理設備を持つ為に全高が他の英空母と比べると高くなっており、艦載機数は露天駐機含め50機が搭載可能だが航空機補修艦としての機能を損なわない搭載数は30機程度で有る為、現在はフルマー10機、シーハリケーン10機、アルバコア8機の搭載に留まっている。
英極東艦隊の直掩機は先に上がっていたフルマー10機に緊急出撃したシーハリケーン10機を加え20機の編隊で日輪軍機を迎え撃つ。
対する日輪航空隊は零戦ニ型9機、九七式艦攻17機で構成された編隊であった。
日英両航空隊は上空で互いの姿を視認すると、シーハリケーンが零戦に向けて突っ込み、フルマーが九七式艦攻を狙った、それをさせまいと零戦はフルマーを狙い九七艦攻は最大速力で英艦隊を目指す。
シーハリケーンは時速820kmを発揮し武装も20㎜機関砲2基と言う零戦ニ型と大差ない性能を持っている様に思えるが、実際は20㎜機関砲射撃時の安定性が悪く旋回能力と反応速度の面でも零戦より劣っている。
その為、格上の零戦と渡り合うには搭乗員の練度に頼るしか無いのだが、英国側にとっては運悪く、飛鷹と隼鷹隊の零戦搭乗員の練度は非常に高かった。
だが、それでもフルマーが九七式を狙っている内はシーハリケーンに損害は出ず傍目にはシーハリケーンが優勢に見えた。
しかし零戦の精密な射撃によってフルマーが次々と撃墜されシーハリケーンも九七式を狙わなくてはならなくなってからは立場は完全に逆転する。
この時点で英国側はフルマー5機を撃墜され、日輪側は九七式2機が撃墜されていたが、九七艦攻隊は臆する事無く前進を続け英艦隊の対空圏内に突入する。
フルマーとシーハリケーンは味方の射撃の妨げにならないよう日輪攻撃機への追撃を諦め日輪戦闘機と雌雄を決する為に反転する。
日輪攻撃機の接近を確認した英艦隊は全艦が一斉に対空砲火を打ち上げる、それによって蒼空に無数に飛び交う機銃曳光弾と高射砲炸裂弾を掻い潜り10機の九七爆装隊が英空母の飛行甲板に照準を定め上空から急降下の頃合いを図り、5機の九七雷装隊が先頭の戦艦部隊に照準を定め低空から一気に肉薄せんとする。
「《右舷より雷撃機っ!!》」
「《っ!? 全艦緊急回避っ!!》」
通信士の報告にサマヴィルは戦慄しながらも努めて冷静に回避指示を飛ばす。
舵取りを各艦長の判断に委ねたのは、どう動くか分からない日輪雷撃機相手に少しでも小回りを効かせる為だ。
これが全艦面舵などと言ってしまうと回避出来るものも出来なくなる可能性が有る。
だが、サマヴィルの指示はある意味杞憂に終わる、日輪雷撃機は5機ともがプリンス・オブ・ウェールズただ1隻を狙って来たからだ……。
「《ーー面舵!! 出力最大っ!!》」
日輪軍機の動きを見てプリンス・オブ・ウェールズ艦長は戦慄の表情を浮かべたまま言葉は簡潔に声を張り上げ叫んだ。
その艦長の指示通り巨大戦艦プリンス・オブ・ウェールズは艦を左に傾けながら大きく右に旋回を始める。
傾いた艦上では機銃員達が必死の形相で踏ん張りながら自分達に迫り来る日輪軍機へ機銃を乱射していた。
且つて同型艦である戦艦ハウは一式陸攻と言う鈍重な攻撃機の放った魚雷で撃沈された。
それは戦艦が航空機如きに沈められる筈が無いと言う慢心も有ったが、脆弱な対空兵装もその一因であった。
故に英国海軍は可能な限り艦艇の対空兵装を強化した。
特に事の発端となったキング・ジョージ5世級戦艦の改装は最優先で行われ、元々搭載されていた旧式のQF40㎜ポンポン砲を最新式のボフォース45㎜対空機関砲に換装、増設し射撃装置も一新した。
しかし、それでも時速700km以上で飛翔する航空機に対して人間の目測で狙って当てるには難が有り、威嚇や制圧射撃の域を出ないのが実情であった。
だが対する日輪軍機も決して余裕と言う分けでは無かった、自身の周囲を飛び交う砲弾の風切り音と掠める振動、高角砲弾の炸裂による黒煙は視界を妨げ、一発でも食らえば即致命傷となる凶器が無数に自分の周囲にばら撒かれているのだから当然である。
゛当たらなければどうと言う事は無い ゛ ……それは裏を返せば、 ゛当たれば終わり ゛ と言う意味でも有るのだ……。
飛鷹と隼鷹の航空隊には二つの使命が有った、爆撃隊は英空母を攻撃目標とし最低でも飛行甲板を破壊して航空機の発着艦を不可能とする事、雷撃隊は英戦艦を攻撃目標とし1隻乃至2隻を撃沈する事である。
爆撃隊は高度を上げ急降下爆撃の態勢を取り、雷撃隊は英戦艦の動きに合わせ海面擦れ擦れを飛行する。
そして英戦艦の対空射撃を掻い潜り雷撃隊が魚雷を投下せんとしたその時、1機の九七艦攻が被弾し片翼が砕け散る。
その機体はバランスを崩し海面へと降下して行くが、機体が水面に接触する直前で魚雷を放ち、直後機体が海面で踊るように回転し砕け散った。
それを眼前で目撃した僚機の操縦士は血が出るほどに唇を噛みながらも続いて魚雷を投下する。
「《う、右舷前方より魚雷2本接近っ!!》」
「《ぐ、ぬぅ……っ!》」
「《左舷前方からも魚雷3本が接近中ぅっ!!》」
「《く……そっ!! 取り舵緊急回避ぃっ!! 総員、衝撃に備えろぉおおおおおおっ!!》」
悲鳴に近い通信士2名の同時報告、それを受けて艦長は左右どちらかは回避不能である事を悟った、そして即座に3本が迫って来ている左舷の魚雷の回避を選択し取り舵を取るよう命令する。
……プリンス・オブ・ウェールズは目立ち過ぎていた。
他の戦艦と違い1隻しか配備されていない事に加え、その艦容が異質で有った。
いや、異質……異形と言う意味ではネルソン級の方が大概だが、キング・ジョージ5世級の洗練された最新の艦容に四連装砲と連装砲の混合という特異な主砲配置によって醸し出されるある種の違和感は日輪攻撃隊隊長が猛烈な対空砲火に晒される中、即座に(或いは無意識に)標的に選ぶには十分であった……。
「《急げっ!! 対雷掃射……っ!!》」
「《だ、だめだ、間に合わんっ!!》」
「《右舷機銃員退避ぃいいいいっ!!》」
眼前に迫り来る2本の魚雷に慄く機銃員達、迎撃は不可能だと悟った機銃群長が退避指示を出すと一斉に走り出す機銃員達、その刹那、凄まじい轟音と衝撃が響き渡りプリンス・オブ・ウェールズの右舷から2本の巨大な水柱が立ち上がった。
更に左舷側の魚雷に対しても2本は何とか躱したが1本が左舷艦首付近に被雷し、またも巨大な水柱が立ち上がった。
「《右舷前部及び左舷艦首に被雷っ!!》」
「《くそっ!! 各部隔壁閉鎖、損害確認を急がせろっ!!》」
被雷により艦内に大量の海水が流れ込み退避警報が鳴り響くプリンス・オブ・ウェールズ、乗員達は已む無く仲間を犠牲にしながら懸命に水密扉を閉鎖し何とか浸水の拡大を防ごうと死力を尽くす。
しかし前方に損害が集中してしまった為、艦体が右に傾きながら艦首甲板まで海中に水没するほどの浸水を許してしまっていた。
「《くっ……! 傾斜復旧の為に艦尾への注水を行え!! それとーー》」
「《長官、ネルソンかロドニーへの移乗を……》」
艦長が必死に指示を出す後方でウィリス副司令がサマヴィルに旗艦移乗を進言する。
艦首が水没する程の浸水をしては、多少復旧した所で速力低下は免れず、真面な戦闘が行えるかも非常に怪しい、そんな状態の艦上で指揮を執るのは非常に危険と不備が生じる、なのでウィリスの判断は当然と言えた。
「《……分かっている! だが今はそれより空母だ! 如何なっている? 無事なのか!?》」
しかしサマヴィルは空母部隊の安否の方が気になるようで、険しい表情を浮かべて通信士に詰め寄っている。
その時英空母は対空砲火を潜り抜けて来た日輪軍機による急降下爆撃の脅威に曝されていた。
「《敵機直上ぉおおお!!》」
「《誰でも良い、撃ち落とせぇええええ!!》」
英空母(正確には航空機補修艦)ユニコーンの機銃群長が上空を仰ぎ見たまま絶叫に近い声で叫ぶ。
その彼の視線の先にはユニコーンの飛行甲板に向けて急降下して来る5機の日輪軍機の姿が有った。
九七艦攻隊はユニコーン目掛けほぼ垂直に落下する、爆撃手が投下スイッチに指を掛けたその時、九七式艦攻隊の真横から銃撃が奔り1機がその場で爆散、1機が制御を失い錐揉みし海面に落下して行く。
その攻撃はインドミタブルから緊急発艦した1機のシーハリケーンが放ったものであった、機体を駆るのは二十代の若きパイロットであり出撃命令が出ていないにも関わらず飛行甲板後方からカタパルトも使わず自力で発艦したのだ。
それは比較的軽量なシーハリケーンで有ればこそ出来た芸当であるが、それによって只でさえ少ない動力を余計に消耗したため稼働時間は限られていた。
だが、突如現れたシーハリケーンの攻撃に流石の日輪航空隊も驚きを隠せず、残り3機の九七艦攻の放った爆弾は全てユニコーンから外れてしまった。
『《ブラブナー少尉!! 貴様何をしている戻って来いっ!!》』
「《後5機いるはずだ……どこだっ!?》」
無線機から響く上官の怒号を聞き流しブラブナーと呼ばれた若きパイロットは日輪軍機の姿を探す。
だが周囲には味方の放った対空砲火が飛び交い、いつフレンドリファイアを受けてもおかしくは無い状況である。
それでも彼は臆する事無くフォーミダブル上空に日輪軍機の姿を確認するとスロットルを全開にし急行する。
だが既に2発の爆弾が投下されておりフォーミダブルの飛行甲板後方から爆炎が立ち上がる、ブラブナーは歯を噛み鳴らし、急降下する残り3機の敵機に吶喊する。
安定性の悪い機体を操縦技術で制御し照準を定め機銃を射撃し1機を撃墜、更にもう1機に照準を合わせた所で機体に激しい衝撃を受ける。
「《ぐぁっ!? く、くそ……っ!!》」
敵と誤認されたか運悪く弾幕に当たったか、味方の対空射撃によって右主翼と胴体部に被弾したブラブナー機は白煙を噴き出しながら激しい揺れに見舞われていた。
「《まだ……だぁあああっ!! ジョン・ブル魂舐めるなぁああああああっ!!》」
声の限り咆哮しながら機銃を乱射するブラブナー、元々悪い安定性が被弾で更に悪くなっている現状、照準もブレまくりもはや乱射する以外命中を期待する事は不可能であった。
だがジョン・ブル魂の執念が実ったのか、1機の九七式艦攻が被弾し爆弾は投下した物のその衝撃で大きく外す。
「《残り1機、喰らえぇえええっ!!》」
主翼から部品が脱落し更に揺れが激しくなっている機体を文字通りジョン・ブル魂としか言いようのない気迫で制御しトリガーを引くブラブナー、しかしその瞬間鈍い音と僅かな振動がトリガーに伝わるだけで弾は出てこなかった。
「《くそっ!! 弾詰まりったか……っ!! なら……っ!!》」
運悪く弾詰まりを起こす機銃、排莢レバーを何度か試せば解消する可能性は有るが、敵機は目の前で今にも爆弾を投下しようとしている、そんな動作をする余裕など無かった。
故にブラブナーが選択した行動は、機体による体当たりであった。
ブラブナーは揺れる機体を何とか制御し、機首を急降下している日輪軍機へと向ける、成功の見込みは殆ど無い、しかしこれによって日輪軍機の注意力が逸れれば爆弾を外すかも知れない。
「《いっけぇえええええええっ!!》」
シーハリケーンと九七式艦攻の距離が見る見る縮まり、互いの搭乗員の表情までが見える距離まで迫る。
次の瞬間シーハリケーンの左主翼が九七式艦攻の胴体に接触し砕け散る、九七式艦攻も胴体部が激しく損傷し圧力に耐えきれず機体が二つに折れ両機とも錐揉みしながら海面へと墜落して行った……。




