第八十三話:ニューカルドニア攻防戦➄
日輪第七艦隊第四戦隊の敗走は米戦艦の猛攻を受けている同艦隊旗艦、戦艦紀伊の下に送られ紀伊の艦橋内に重い空気が充満していた。
「米駆逐艦の煙幕はまだ切れんのかっ!?」
「まだ展開している様ですっ!!」
「いくら何でも長すぎるぞ、どうなっているのだ
っ!?」
「うーん、この状況を創り出す為に煙幕を多く積み込んでいたのかな?」
途切れない煙幕、至近距離で立ち上がる巨大な水柱、未だ遠い陸地、全ての要素が艦隊司令部からじわじわと冷静さを削り取り艦橋内に焦燥感が伝染し重苦しい空気を醸し出している。
その時である、突如紀伊の二番主砲付近から爆炎が立ち上がり鈍い振動と共に艦橋の視界が爆炎で塞がれる。
「何事だぁっ!?」
「二番主砲基部に直撃弾っ!!」
「くそっ! 損害はっ!?」
「基部外殻大破っ!! 二番主砲、旋回不能っ!!」
「ぐぅ……っ! 主砲基部が抜かれただとっ!? 敵戦艦の主砲は紀伊型と同等だと言うのかっ!?」
戦艦紀伊の防御は舷側最大厚で700㎜装甲が施されており、これは自艦の主砲である45口径60㎝砲に20km前後の距離で耐えられるよう設計されているが、主砲防盾と基部は800㎜装甲が施されている為、設計上は17km前後までは耐えられる筈であった。
つまり本来であれば、この距離(17km前後)でもサウスダコタ級の45口径58㎝砲では紀伊型の基部は抜けない計算になるが、当然ながらサウスダコタが使用している砲弾はSHSであり且つ強装薬で撃っている為、この距離で紀伊の主砲基部を抜いて来たのである。
とは言え、800㎜複合装甲は伊達では無く砲弾は外殻装甲によって貫通力を大幅に減衰され内殻防御機構によって食い止められたため内部の損害は軽微で有った。
旋回装置の損傷は痛手だが、砲弾の誘爆等が無かった事は紀伊型の防御力が優秀で有る事の証左になっただろう。
大和と言う異常な艦の存在が無ければ、戦艦紀伊は間違いなくこの時代に在って最強の戦艦として名を馳せるに足る艦であった……。
だがそんな艦を以ってしても、この状況では米戦艦のレーダー射撃の前には無力で有った、バーベット直撃の数分後には右舷艦尾付近に命中弾を受け、内火艇発着口付近が大破、非装甲部で有った為に被害は航空機格納庫にまで及んだ。
しかしこの時、紀伊と尾張の航空機格納庫内には航空機は存在せず、代わりに上陸部隊用の糧食等の入った木箱が詰め込まれていた。
これは黒島参謀長の発案で有り当初山本と神重は反対したが、煌華大撤収の負い目から海軍が陸軍に対して最大限に配慮している事を示す為に紀伊と尾張すらも兵站に協力している所を見せるべきとし、偵察や観測は重巡の水偵を使えば良いと熱弁されて山本と神重も折れてしまったのである。
だが若し紀伊と尾張に水偵が搭載されていたとして、この状況を打開出来たかと言えば、そうとは言えないだろう。
日輪軍が弾着観測の為に水偵を飛ばしたとしても、米戦艦は煙幕の中に潜んでしまえば良いだけだからだ。
◇
「《日輪軍の観測機はまだ確認出来無いのだね?》」
「《はい、レーダーでも目視でも確認出来ていません》」
「《ふむ、まぁ我々としても煙幕の中には入りたく無いから都合は良いが……。 それで、煙幕は後どのくらい持つ?》」
「《そうですね、あと30分程が限界と思われます》」
「《ふむ、それじゃあ作戦通り煙幕展開を完了した駆逐戦隊はそのまま日輪輸送船団を攻撃、我々は少し距離を取りつつ是を援護だね、豪州本土への航空支援要請は如何なっている?》」
「《それが、豪州陸海軍司令部に爆撃要請を行ったのですが戦闘機の航続距離不足を理由に爆撃機の出撃を断って来ました……》」
「《ふむ……そうか、まぁ、彼等もポートモレンビー航空戦で手痛い目に遭っているからな、直掩機無しでは渋るのも仕方ない、か……。 それで? 我が軍の航空隊司令部は何と?》」
「《……それが、マッカーサー元帥が更迭される事が決定した事で引継ぎによるトラブルが相次ぎ、今はとても手が回らないとの事です……》」
「《成程、ね……。 仕方ない、我々だけで可能な限り日輪上陸部隊を叩くとしようか……》」
リー提督は軽く溜息をついた後、仕切り直す様に顎に手を当てながら海図と備え付けのレーダーパネルを注意深く睨む、そこには自艦を中心にいくつかの白い点が存在し、敵味方の艦艇の位置や射撃した砲弾と着弾による水柱等が備に表示されている。
その時、レーダーパネルに自艦前方を左に向けて高速で横切る艦影が表示される、この時米艦艇は全てサウスダコタの左側に展開しており、サウスダコタの右側に展開してるのは豪州艦隊だけである、つまり……。
「《これはまさか、豪州艦隊が日輪輸送船団に接近しているっ!?》」
状況を即座に把握した瞬間いつもは冷静沈着なリー提督が珍しく慌てた様子で叫ぶ。
然も有ろう、邪魔になら……安全の為に日輪艦隊から離れるよう指示を出した筈の豪州艦隊が勝手に全速力で日輪輸送船団に接近しているのである。
それは輸送船団の手前に展開している紀伊と尾張に接近していると言う事でもある、即ち自殺行為なのだ……。
「《フランクリン提督(豪州艦隊司令)に直ぐ引き返すよう伝えるんだっ!!》」
「《報告! 豪州艦隊旗艦アンザックより入電! 【是より我が艦隊全火力を以って敵侵略部隊の撃滅を敢行する、リー提督におかれては我がオストラニア海軍栄光の一歩を妨げる事無きよう切に願う】……。 以上ですっ!!》」
「《……》」
「《リ、リー提督、如何致しますかっ!? 昨今の情勢下でオストラニア戦艦にもしもの事が有れば、どんなに事情を説明しても豪州政府と豪州国民は我々に更なる不信感を持ちますぞっ!? 若しそうなれば……》」
「《……ああ、分かっている、分かっているとも……。 駆逐戦隊は煙幕展開を直ちに中止し豪州艦隊を援護せよ! 我々はこのまま砲撃を続行しつつ日輪戦艦と距離を詰めるっ!!》」
リー提督の指示で煙幕の展開を中止した米駆逐戦隊が日輪艦隊と豪州艦隊の間に割って入る形で日輪艦隊への妨害行動を行い、戦艦サウスダコタとノースカロライナも自艦に日輪戦艦の注意を向けさせるために薄くなりつつある煙幕をくぐり距離15000まで接近する。
当然この米艦隊の行動は極めて危険な行為であり戦術的には愚策中の愚策であるが、功績欲しさに暴走する豪州艦隊を守るには已むを得ない危険であった。
この米豪艦隊の動きに日輪艦隊も機敏に反応し、輸送船団を護衛していた第二戦隊(能代隊)が妨害行動を取る米駆逐戦隊に対して迎撃行動に入り、2隻だけとなってしまった第四戦隊も是に合流する。
その間に豪州艦隊は45ノットの速力で日輪輸送船団に迫り、先行する豪州駆逐艦6隻が日輪海防艦と会敵し砲撃戦を繰り広げ、その後方から豪州戦艦アンザックとアランタ、重巡サーベラスとプラティパスが日輪輸送船団に砲撃を浴びせる。
その状況に豪州艦隊司令である『マーカス・フォン・フランクリン』中将は嬉々として目を輝かせていた。
然もあろう、開戦から今日までオストラニア海軍は日輪海軍に煮え湯を飲まされ続けて来たのである、リー提督にとっては迷惑極まりないが、ようやく真面な反撃が出来る瞬間がやって来たと喜ぶのも仕方ないと言えば仕方ないのかも知れない。
が、然し現実は無情で有った、日輪海防艦と交戦していた豪州駆逐艦から次々と爆炎が立ち上がったのだ。
豪州駆逐艦は英国から払い下げられた旧式駆逐艦と、そのライセンス生産で建造された豪州産が混じっている。
だが旧式艦とは言え、れっきとした駆逐艦である、本来なら速度も火力も劣る海防艦に遅れを取る事など無い筈であった。
通常海防艦は最大で30ノット程度しか出せない低速艦であり、兵装も12cm砲と爆雷くらいしか積んでおらず運動性能は高いものの加速力では駆逐艦に数段劣る。
しかし、今現在豪州駆逐艦が戦っている日輪海防艦は最大速力45ノットを発揮し巡航速度30ノットで艦隊に追従が可能な高速海防艦で有ったのだ。
搭載砲は従来の海防艦と同じ12cm連装砲2基だが、海防艦にしろ駆逐艦にしろ何方も紙装甲なのは変わらない、なので当たらなければどうと言う事は無いし当たれば12cm砲だろうが 15cm砲だろうが何方もしっかりと損傷を受ける。
その海防艦としては高性能な艦が20隻、豪州駆逐戦隊の3倍以上の数である、練度も性能も低い豪州駆逐艦が相手取るには聊か荷が重すぎたのである……。
その結果、豪州駆逐艦は3隻が爆沈し、2隻が大破、1隻が傾いたまま航行不能となり事実上全滅してしまった。
そして日輪輸送船団に向けての豪州戦艦と豪州重巡の砲撃も全く当たらなかった、先ず装填速度が想定の2倍以上掛かっており火器統制に関しても指揮官からしてマニュアル片手にやっている有様であった。
これは練度が低い事も原因だがアンザック級戦艦の構造にも問題が有った、基本的な性能自体はクインエリザベス級とさして変わらないアンザック級だが、レーダーや照準装置、装填機構などは英国から最新式の技術を取り入れている。
しかし、欲張って色々取り入れた結果、英国の技術を元に構築されていた元々の設計案では未熟な建造技術の問題で再現が難しく、困った豪州の造船技師達は自分達のやり易いように設計図を弄ったのだ、その結果艦内構造が複雑になり、それによって様々な問題を抱えた艦になってしまったのである……。
「《ええい、何をしておるか! 全く当たらんではないかっ!!》」
豪州艦隊旗艦、戦艦アンザックの艦橋司令席で杖を片手に苛立っている高級将校の軍服を身に纏っている丸みを帯びた男性は豪州主力艦隊司令『マーカス・フォン・フランクリン』中将である。
「《も、申し訳ございません閣下、何分機器が最新式なもので扱った事が無い者が多く……》」
「《言い訳など聞きたくはないっ!! リー提督に大見栄を切って出て来てこの体たらくでは儂の立つ瀬が無いではないかっ!! 言い訳する暇があるなら指示の一つでも出してジャップの艦に弾を当てろっ!!》」
叱責を受けアンザック艦長が言い訳をするが、当然それはフランクリン司令の逆鱗に触れ更なる叱責を受ける羽目になってしまう。
だが、艦長からして艦の設備を把握し切っておらず、その状態で指示を出したからと言って当たらない物が当たる様になる筈が無かった。
その時、豪州艦隊周辺に十数本の巨大な水柱が立ち上がる、当然日輪海防艦の砲撃などとは規模が違う大きさの水柱である。
「《な、何事だぁっ!?》」
「《か、艦隊左舷後方より日輪戦艦からの砲撃ですっ!!》」
「《ジャ、ジャップの戦艦はコメリア艦隊から攻撃を受けているのでは無かったのかっ!? リー提督は何をやっておるのだっ!?》」
まるでリー提督の不備の様に喚いているが、リー提督の指示を無視し日輪戦艦の前にノコノコ出て来る決断をしたのは自分自身である。
もっとも、この言いようからすると米戦艦から攻撃を受けていれば自分達に照準が向く事は無いと勝手に思い込んだ上での決断だったのだろう。
普通に考えて米戦艦に攻撃出来ない所に主防衛目標である輸送船団を攻撃されては、その照準が全力で自分達に向く事になるのは自明の理で有る筈だが、マーカス・フォン・フランクリンという人物はどうにも自分の都合の良い様に物事を解釈する人間のようであった。
「《ま、ままま拙いぞっ!! 日輪戦艦の主砲は51㎝なのだろうっ!? そんな物をこの距離で受けたら……っ!?》」
「《あの……閣下、51㎝は戦艦ナガトの主砲口径です、あれはジャップの最新鋭艦ですから恐らくサウスダコタ級と同等かそれ以上の主砲を積んでいるかと……》」
「《な、尚の事拙いではないかっ!!》」
ようやく事の拙さに気付いたフランクリンは顔の贅肉を震わせながら焦りに表情を歪める。
だが日輪戦艦からは容赦無い砲撃を受け続け戦艦アンザックとアランタの周囲には巨大な水柱が立ち上がり続けている。
「《い、今のは近いぞっ!?》」
「《き、夾叉を受けていますっ!!》」
「《し、司令、このままでは危険です、退避をっ!!》」
「ぐぬぬ……っ! アンザックとアランタを失う訳にはいかんか……。 仕方無い、全艦反転離ーー》」
日輪戦艦紀伊と尾張の砲撃に戦々恐々となる豪州艦隊司令部の将校達、その中の一人が撤退を進言するとフランクリンは僅かに悩んだ後、反転離脱を指示しようとする、が……。
その次の瞬間、戦艦アンザックの左舷中央が爆ぜ爆炎が立ち上がり、艦全体が強い横揺れに見舞われる。
「《あ、当たったのかっ!? ひ、被害はどうなっているっ!?》」
「《左舷に直撃弾!! 舷側及び甲板が大破しましたっ!!》」
「《四番副砲及び火器管制室と射撃司令発令所大破、火災発生っ!!》」
「《……これが日輪戦艦の火力……。 たった1発で中枢に大ダメージを受けたと言うのか……》」
次々と上がって来る被害報告にフランクリンは呆然と立ち尽くしたまま呟く様に言葉を溢し、勝ち目が無いと思い知った豪州艦隊は急激に面舵をとり踵を返すように離脱を図る。
然しそれを逃すまいと紀伊と尾張がアンザックとアランタに対し砲撃を浴びせ続け豪州艦隊も逃げながら反撃するが、その砲撃は紀伊と尾張からかなり離れた位置に着弾し続けている。
それを何度か繰り返していた時、突如アンザックの二番主砲塔から轟音が響き、砲身から勢いよく煙が噴き出す、それは日輪戦艦の砲撃が命中した訳では無く主砲の尾栓の不備による暴発であった。
この事故でアンザックの二番主砲塔は完全に沈黙し、それによって艦橋の指令系統も混乱した事で砲撃その物も停止してしまっていた。
その間アランタが懸命に砲撃を敢行していたが、尾張の放った砲弾がアランタの三番主砲正面防盾を貫通し主砲後部のバーベット内側に当たった所で炸裂、アランタの三番主砲塔が吹き飛び艦体が軋むほどの衝撃が奔る。
「《アランタ被弾っ!! 後部主砲塔が1基大破した模様っ!!》」
「《な、何故向こうの弾ばかり当たるのだぁっ!! 我が軍の練度は一体どうなっているぅっ!!》」
混乱の最中に飛び込んで来た凶報に既に精神的に限界を迎えていたフランクリンは砲撃が当たらない事に金切り声で怒鳴り散らしているが、そもそも射撃発令所が壊滅し(予備発令所や射撃指揮所は現在だが……)全速力で逃げている上に練度まで低いのだから真面に照準が定まる筈が無かった。
「《そ、それは……。 で、ですが速力は我々が上のようです、徐々に引き離しておりますぞっ!!》」
フランクリンの叱責から逃れるため艦長がどもりながらそう言うが、日輪戦艦が低速なのは砲撃の為であって最大戦速では同等で有った。
その艦長の発言の直後、今度はアンザックの三番主砲塔が吹き飛ぶ、これは紀伊の砲撃が命中した為であった。
距離が離れつつ有るとは言え、日輪戦艦の射程外に逃れるにはまだ時間が掛かる、日輪戦艦の砲撃精度を考えると逃げ切れるか非常に妖しく艦橋内の将校達の表情は一様に沈んでいる。
その時、日輪戦艦の周囲に巨大な水柱が十数本立ち上がり、僅かに薄くなった煙幕の中から白煙を纏いながら米戦艦サウスダコタとノースカロライナが最大戦速で現れる。
「《日輪戦艦、前方距離12,000で捕捉っ!!》」
「《アンザックとアランタは無事か?》」
「《……満身創痍のようですが、沈んではいないようですっ!!》」
「《よし、次からは制圧射撃では無く狙って行くぞ! 面舵45左舷砲撃戦、目標日輪戦艦! 撃てぇっ!!》」
煙幕を突き抜けたサウスダコタとノースカロライナは艦を左に傾けながら右に大きく旋回しその主砲砲身を日輪戦艦へと向け、リー提督の号令で一斉に砲弾を放った。