第七十八話:迷走の第51特務艦隊
脱出した乗員達の眼前で横転し、飛行甲板を晒しながら転覆した護衛空母ホーランディアは突如大爆発を起こし艦が裂け砕け、悲鳴の様な金属音を響かせながらあっという間に水底に没して行った。
その様子を米第77任務部隊の司令官ジョン・D・キンケイド中将は救助された水雷艇の船上で茫然と眺めている。
「《提督、この状況で旗艦の移乗は危険です、このままリフータ基地へ向かいますが宜しいでしょうか……?》」
「《あ、ああ、そうだな……そうしてくれ……》」
呆然とするキンケイドを慮る表情で参謀の一人が話し掛けると、キンケイドは呆然としたまま気の抜けた返事を返す。
キンケイドはそのまま部下達に連れられ船内に入り、それを確認した船外要員の合図によってキンケイドの乗る水雷艇は海面を滑るように疾走しその場を後にする。
それに続く様に重巡6隻、軽巡4隻に、駆逐艦4隻と水雷艇4隻も対潜警戒を厳としつつ離脱して行き、残った軽巡2隻と駆逐艦5隻が対潜哨戒を行いつつ日輪駆逐艦に制圧射撃を行い、水雷艇15艇が沈没艦の乗員の救助活動を行っている。
日輪駆逐艦はそれ等の艦艇に攻撃を加えるでもなく、残存艦を追うでも無く大きく南に旋回した後、北に針路を取り離れて行った。
この時、米駆逐戦隊のソナーマンが、日輪駆逐艦に追従する複数の推進音を捉えており、日輪潜水艦も此の場から去った事を確認した。
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暫く後、駆逐艦島風艦橋に柴村岬と並んで立つ女性士官が横目に岬を見ながら口を開く。
「艦長、敵艦隊は今だ有力でしたが、見逃して良かったのでしょうか?」
「……敵機動艦隊の撃滅と言う目的は達せられたでありますし敵余力の存在の有無も不明であります、以って秘匿兵器たる高潜隊をこれ以上危険に晒す事は得策では無いであります」
「……必死で仲間を救おうとしている敵に絆された訳では有りませんよね?」
「む、無論であります! 自分は栄えある大日輪帝国海軍の軍人でありますよっ!? て、敵に絆されて手心を加える等、有ろう筈が無いでありますっ!!」
そう言う割には岬の声は上ずり目線も不自然に泳いでいる、その様子に副官の女性は納得したふりをしつつ苦笑する。
だが岬の内心はどうあれ、その判断自体は間違いと言う訳では無かった。
いや無論、後々味方を殺すかも知れない敵に情けを掛けるなど軍人として在るまじき行為で有るが、高潜隊を危険に晒すと言う点に関しては間違いでは無いと言う事である。
対潜警戒を疎かにした敵を待ち伏せて不意を突いた初撃と沈没音を隠れ蓑に意表を突いたニ撃目とは違い、今は敵も対潜警戒を厳にしている。
その状態で潜水艦が雷撃を行うには最悪駆逐艦と真正面からやり合う事になりかねず、そうなるといくら高速だろうと深海に潜れようとほぼ確実に負ける。
潜水艦の運動性能では駆逐艦の動きには勝てない、例え相手が55ノット程度しか出せない旧式駆逐艦でも、加速力と旋回力が違い過ぎるのである……。
ある程度距離が有り、進行方向が同じで有れば60ノットの高速で逃げ切る事も可能であろうが、相対でもすれば高確率で爆雷の餌食になる。
それくらい潜水艦にとって駆逐艦は天敵なのだ。
「も、もうそろそろ良いで有りましょう! 第十三艦隊旗艦大和に打電! 【我、敵機動艦隊軽空母六隻を撃滅セリ、当方に損害無し】と送るであります!」
まるで誤魔化す様に、だが満を持した得意気な表情で柴村岬がズビシッと正面を指差し声を張り上げる、その指の先に有るのは大海原のみであるが……。
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一方ピラ・パウア沖10kmでは日輪パヌアツ攻略艦隊が集結し、給力艦による給力や応急班による応急修理が行われている。
とは言え、工作艦が有る訳では無い為、あくまで応急修理の域は超えておらず、右舷に魚雷を受けた重巡磐手は傾いたままで、大和と武蔵の機銃群も殆どが沈黙したままであった。
その上空は10機の零空隊の《剱》の直衛によって守られており、本来直衛を行うべき八航戦各機は大鷹の格納庫内で修理中である。
そして戦艦大和の会議室内では今後の方針を話し合う為、第五艦隊司令の近藤を始め各戦隊の幹部が集まっている。
つい今しがた駆逐艦島風より【我、敵機動艦隊軽空母六隻を撃滅セリ、当方に損害無し】の電信を受け、議題はこのままパヌアツ方面で睨みを利かせ米残存戦力の掃討を行うか、本隊と合流する為にニューカルドニアへ進撃するかの二案に分かれた。
主にパヌアツ残留案は近藤提督が、ニューカルドニア進撃案は神重作戦参謀が主張しており、第五艦隊の指揮権を有し階級も上で有る近藤中将と作戦指揮権を持つ神重准将の主張は守勢か攻勢かの違いでどちらにも理は有るため会議は紛糾する事になった。
損傷艦の多い第五艦隊はこれ以上の進撃となれば脱落艦が出るのは必定で有る事に加え、パヌアツ攻略艦隊の主目的が元々敵艦隊誘引の為の囮で有った事から近藤提督の姿勢は頑なであった。
対する神重作戦参謀の言い分は、米機動艦隊は既に撃滅しているため囮としての役割は完遂しており、以って臨機応変に打って出るべき、と言う物で有った。
ただ実は米機動艦隊は撃滅され切っておらず第51特務艦隊が残ってるのだが、襲来した米航空隊は基地航空隊と入り乱れ数も多く、乱戦になってしまったため日輪軍はその存在を把握し切れていなかった。
一方、その米第51特務艦隊も《剱》によって壊滅させられた部隊の生き残りを収容し、今後の行動で意見が割れていた。
「《だから何度も言っているだろう、日輪軍は我々を捕捉していない、このままニューカルドニアへ戻るべきだっ!!》」
「《馬鹿なっ!! 貴官こそ何度言えば分かるっ!? このまま日輪軍の勝手を許し仲間を見捨てて逃げるなど言語道断!! キンケイド艦隊と合流し反撃に打って出るべきだっ!!》」
艦隊旗艦、重巡ボルチモアの会議室内で睨み合っているのはインディペンデンス座乗の技術将校と艦隊参謀の将校である。
その様子を艦隊司令であるスプルーアンスは頬杖を突きながら呆れた表情で傍観している。
その時、伝令兵が慌てた様子で入室し参謀の一人に報告書らしき物を渡す、それを見た参謀も顔色を変えスプルーアンスの下に走り寄るが、技術将校と艦隊参謀はそれに気付く様子は無く声を張り上げ自分の主張をぶつけ合っている。
「《我々にはキンメル長官より賜った優先すべき任務がある!! この艦隊の本来の任務を忘れたのかっ!?》」
「《忘れて等いない! だが、この状況で試作機の開発を優先するなど視野が狭いにも程があるっ!! 我々は今や合衆国最強の機動艦隊なのだ、それを安全な位置で遊ばせる余裕が有ると思っているのかっ!!》」
「《いやだからこそ日輪軍共を圧倒出来る新兵器が必要なのだろう!! この艦隊の受けた任務は、その開発データの蓄積とそれを護る事だっ!!》」
「《だから、それではーー》」
「《ーーあ~ちょっと良いかな?》」
「《ーーっ!?》」
「《……!?》」
侃々諤々とより熱を帯びる技術将校と艦隊参謀の議論をスプルーアンスの少し呆れた様な声が遮る。
「《今入った情報によると、第77任務部隊は日輪の高速潜水艦の襲撃を受け空母が全滅、ニューカルドニアも日輪機動艦隊の空襲と上陸部隊の侵攻を受けているらしい》」
「《なっ!?》」
「《そ、そんな……っ!!》」
スプルーアンスは手に持った書類に目を落としながら冷静な口調でそう言った、その言葉にその場の誰もが驚愕し動揺しているが、スプルーアンスは気に留める様子も無く言葉を続ける。
「《つまりニューカルドニアも今や最前線、第77任務部隊と合流しての反撃も不可能、我々は孤立無援と言う分けだ……。 さて、この状況でニューカルドニアへ向かえば魔王に捕捉されるかも知れないし、我々だけで反撃に転じても返り討ちだろう。 と言う訳でその議論、まだ続ける意味は有るか?》」
「《……っ》」
「《し、しかしまだ我々は十分戦えます!! 提督はそれをどうお考えなのかお聞かせ願いたい!!》」
スプルーアンスの冷静な問い掛けに技術将校は押し黙り、艦隊参謀は少し怯みながらも問い詰める様に言葉を返す。
「《ふむ、そうだな……。 私としては攻撃機全機と戦闘機20機をリフータ基地に向かわせ、我々はソルディエゴまで引き上げようと考えているが?》」
「《なっ!? 友軍を見捨て艦載機を捨て石になさるおつもりかっ!?》」
「《見捨てるとか捨て石とか人聞きが悪いな……。 航空隊を此処から出撃させてリフータ島までの飛行ルートに日輪艦隊が居ればそれを攻撃してからリフータ基地に向かえば良いし、居なければそのままリフータ基地に着陸して以後基地戦力として運用して貰えば良い。 いつ沈められてもおかしくない護衛空母に艦載するよりよっぽど安全に運用出来るだろう? そして我々はソルディエゴで新たな艦載機を搭載し再び此処に戻ってくれば良い、それとも他に良い案が有る者は居るか?》」
そう言ってスプルーアンスが周囲を見回すが、会議室内の十数人の参謀や士官はバツが悪そうに視線を逸らすだけであった。
「《……居ない様だ。 では、ソルディエゴと言う事だな。 さぁ方針は決まった、皆、迅速に動いてくれ、敵はいつまでも待っていてはくれないぞ?》」
司令席から立ち上がり手を叩きながらフランクな口調でそう言うスプルーアンスだが、その言葉には明らかに有無を言わせない圧が込められており、皆が緊張した面持ちで敬礼した後弾かれる様に散っていく。
程なくしてインディペンデンスを除く5隻の空母から次々と艦載機が発進して行く、42機の攻撃機は半数づつ爆装と雷装に分けられ20機のF6Fヘルキャットが護衛として共に飛び立つ、その様子を重巡ボルチモアの艦橋から眺めるスプルーアンスの表情は非常に不機嫌で有った。
「《海軍のメンツを守る為の生贄か……。 自分で指示しておいて何だが、本当に気が滅入るよ……》」
「《仕方が無いさ、基地航空隊やキンケイド艦隊が壊滅し我々も艦載機の半数を失っている状態では真面な作戦行動は取れない、だから撤退は正しい判断だと思うし、その為に陸軍に配慮し且つアイツ等を黙らせるには艦載機をニューカルドニアに残すのは必要な事さ……》」
椅子に座りながら眉を顰め不機嫌そうに呟くスプルーアンスをフォローするのは彼の副官で親友でも有る『ノートン・L・デヨ』海軍少将である。
彼の言葉使いがフランクなのは、スプルーアンスの発言が艦隊司令としてでは無く友人に対しての愚痴の様なものだったからだろう、そして彼が言ったアイツ等とは艦隊参謀を初めとする反撃派の者達の事で、確固たる戦略や戦術に基づいて反撃を主張しているので有れば良いが、負け続きの海軍がこれ以上逃げる訳にはいかない、と言う強迫観念から出ている戦略も戦術も伴わない主張である為、デヨ少将の言い方がぞんざいな表現になっているのである。
しかし、表面的には海軍の誇りを重んじる【良き軍人】と映る為、周囲の同調を得易い、故にその扱いをぞんざいにする訳には行かず彼等を納得させる為には【戦術的撤退】である事を示す必要が有ったのだ。
「《やれやれ、只でさえ日輪軍は手強いんだ、せめて内輪揉めに巻き込まれるのは勘弁して貰いたいものだね……》」
そう言うとスプルーアンスは大きく溜息を尽き、それを見たデヨ少将は肩を竦め苦笑する。
その時、通信員からの報告を受けていたボルチモア艦長が突如声を張り上げる。
「《なっ!? 状況を分かって言ってるのかっ!?》」
「《……どうした? 何か有ったのか?》」
その様子を見咎めたデヨ少将が艦長に問いかける。
「《そ、それが、インディペンデンスから通信が有りまして、エレーナ嬢が試作機の実験の為に発艦許可を求めて来ていると……》」
「《……》」
「《……あのレディは一体何を考えているんだ? これ以上トラブルを増やすのは勘弁してくれ……》」
艦長からの返答を受けたデヨ少将は頭を押さえて俯き黙し、スプルーアンスは一度天井を仰ぎ大きな溜め息をついた後、うんざりした様子で言葉を零す。
「《……返答は如何致しましょうか?》」
「《……当然、不許可に決まってーー》」
艦長の問い掛けにそうスプルーアンスが言い掛けた時、通信員が誰かと通信しながら何やら焦った様子でチラチラとスプルーアンスの方を見て来る。
「《……何か嫌な予感がするのは私だけか?》」
「《心配するな、僕もだよ……》」
スプルーアンスが半目で引く付きながら口角を上げ言葉を発すると、デヨ少将も朗らかな笑顔で共感の意を言葉にする、無論二人とも心から笑っている訳では無い……。
「《ーーあ、あの……? インディペンデンスから……と言うよりはエレーナ嬢本人から直接通信が入っています、特務権限を行使してスプルーアンス司令と直にお話したい……と……》」
「《キンメル長官から与えられた特務権限……か、これは……》」
「《ああ、嫌な予感的中だ……。 これは簡単に拒否は出来そうも無い、な……。 本当に、勘弁して欲しいよ、まったく……》」
そう言うとスプルーアンスはオロオロと狼狽えている通信員に回線を回すよう指で合図し、うんざりした表情のまま、備え付けの受話器を手に取った。