第六十五話:軍神と蛮勇
『や、やややばいですよ、こ、このままじゃ挟み撃ちです!! そ、そそそれに手足の感覚が無くなって来てるしもう限界ですっ!! あ、ああ後はルング基地航空隊に任せて直ぐに高度を下げてやり過ごしましょうっ!!』
『……正直、僕だってそうしたいです……。 けど撃墜数がたった3機じゃルング基地航空隊でも抑え切れないでしょう、何としても半数は撃墜しないと……っ!』
極限の寒さと戦況に声と身体を震わせながら弱音を吐く羽柴を立花が諫めるが、そう言う立花の吐く息も白く手足も僅かに震え明らかに顔色も悪い。
それは他の搭乗員達も同様であり、いくら高地訓練で低い大気圧下の耐性を得ているとは言え限界がある。
そもそも機内温度-50℃下での作戦行動など訓練でも行っていない。
『連隊長より各機に達する!! ルングは南太平洋域に置ける制空権の絶対防衛線で有り是を死守せねばならんっ!! 以って我等第八航空戦隊は今より捨身の吶喊を敢行する!! 零戦隊は前方の一群、瑞雲隊は後方の一群に対し全機突撃、一機一殺の覚悟を以って尽忠報国の義に殉ずるべし!!』
突如発せられた連隊長の無線に八航戦各機に緊張が走る、それは撤退も回避行動も取らず敵機に食らい付き体当たりしてでも撃墜せよと言っているのである。
『ー-っ!! ……任務了解した、これより瑞雲隊は反転し後方の敵機を迎撃する!! 全機速力180ノット(時速約330km)で我に続け!』
連隊長の指示に毛利は表情を曇らせるが、眼前の敵機をルングに到達させる訳にいかない事は事実であり、意を決して号令をかけ速度を落としつつ機体を翻す。
それに他の瑞雲も追従し一斉に機体を真横にし旋回すると迫り来るB29の一群を正面に捉えた。
この時、前方のB29編隊は速力を時速500km程まで上げ、後方のB29編隊は時速600km程で迫って来ていた。
『ギリギリまで機体を振って照準を定めさせるな! 後は擦れ違い様に操縦席を撃ち貫け、行くぞっ!!』
言うが早いか、毛利は不規則な機動を描きながら敵機編隊に突撃し他の機もそれに続く。
当然の事ながら敵機編隊からは迎撃の弾幕が上がり瑞雲隊は曳光弾と炸裂弾の黒煙の中を掻い潜り敵機に肉薄せんとする。
その最中出雲二号が被弾し機体の部品をばら撒きながら墜落していく、この高度では脱出しても凍死か窒息死、操縦席の気圧が漏れても命は無い……。
『畑中っ! 鶉川っ! くっそぉおおおおおおおおっ!!』
出雲一号の伊達が同僚の死を目の当たりにし咆哮するが、その間にも武蔵隊の1機が被弾し錐揉みしながら墜ちて行く……。
そんな中、いち早く機体を安定させB29に銃撃を浴びせたのは立花機であった、射撃機会は僅か2秒程度、その間に立花はB29の風防を的確に撃ち貫きギリギリで機体をロールさせ標的と擦れ違い、即座に機体角度を修正し敵の銃弾を躱しながら次の敵機に照準を合わせて引き金を引く。
時間にして10秒にも満たない僅かな間に3機のB29が立花の攻撃によって操縦不能に陥り急速に高度を下げて行き敵機編隊の中を駆け抜けた立花機は機体を翻し追撃態勢に移る。
その立花機に僅かに遅れて僚機達も突入するが立花機の様に立ち回れた者は居なかった。
殆どの者はB29の弾幕の前に照準すら定まらず、狙い通り操縦席を撃ち抜けたのは毛利機と伊達機だけであった。
更にこの突入の最中、織田機と斎藤機が被弾し機体から白煙を吐き出していた。
『被弾した機は下がりなさい! 後は私達がー-』
上杉が織田と斎藤を慮り叫びながら機体を翻した直後、上杉機に銃痕が奔り同時に風防が鮮血に染まる……。
『がはっ!! ぐっ……。 と、虎雅、無事……ですか……?』
左肩から夥しい出血をし吐血する上杉だが後部座席の長尾を慮り振り返る、しかしそこには顔の上半分が無くなった長尾の無残な姿が有った……。
上杉は僅かに目を見開くがすぐさま前を向き操縦桿に力を込める、すでに機内は凍り始め上杉の身体も至る所が凍結して来ていた。
無線からは毛利や他の隊員達の悲痛な叫び声が聞こえて来る、しかし自身の命が長く無い事を悟った上杉はそれに応える事はせず速度を上げ操縦桿を前方に倒し眼下に迫る敵機を無言で睨み付ける。
そして上杉機はそのまま敵機に突っ込み体当たりする。
その衝撃で外殻が爆ぜ大爆発を起こした敵機は近くの友軍機1機を巻き込み木っ端微塵に爆散した……。
『上杉、長尾っ!! ……くそっ!』
『なぁっ!? 敵に突っ込んだってのかっ!? くそ、ふざけんじゃねーぞぉ上杉ぃっ!!』
『そんな……。 上杉さん達まで……』
上杉と長尾の死に動揺する織田と立花、口惜しそうに声を押し殺す毛利、声も出せず絶句する斎藤と徳川、しかし彼らに感傷に浸っている時間は無い、今この瞬間も無数の弾丸の攻撃に晒されているのだ。
『ー-っ!! み、道子さん、動力が漏れてますっ!! 速度を落とさないと……』
『くっ……! 駄目よ追撃出来無くなる、速度は維持するわっ!!』
『母艦まで動力が保たなくなりますよ!?』
『だからってこのままーー』
『斎藤、もう良い! お前と織田は高度を下げて帰投しろ!!』
『ま、まだやれますっ!! いざとなったら上杉さんの様に体当たりしてでもーー』
『ーー馬鹿な事を言うなっ!! 命令だ、帰投しろ!!』
『ーーっ!?』
動力残量を気にする塩屋に継戦を主張する斎藤、そんな斎藤(と織田)に帰投するよう促す毛利に彼女は食い下がるが、その時発した言葉が毛利の逆鱗に触れる。
『……了解です』
『ちっ! しょうがねぇな、降りるぞお蘭!』
普段声を荒げる事の無い毛利の剣幕に斎藤は消え入りそうな声で呟くと速度を落とし下降して行く。
同じく織田も不貞腐れた様子では有るが素直に指示に従い速度を落として下降する。
これで瑞雲の残機は僅か7機、弾切れも近く状況は絶望的で有った。
だが立花を筆頭に毛利達も果敢に攻勢に出てB29の推進機を1機破壊する事に成功する。
しかし片翼3基、両翼で6基もの推進機を持つB29にとって1基や2基の推進機を失う事は大した痛手にはならならず、その進行を止めるまでには至っていない。
そんな中、前方の零戦隊より緊急無線が入る。
『こ、こちら雲鷹隊三番機! れ、連隊長が戦死された!! 残弾数もゼロのため……こ、これより我らは連隊長の最後の言葉に従い、た、体当たり攻撃を敢行する!!』
『ー-っ!? ま、待てっ!!』
『し、神皇陛下ぁばんざぁいっ!!』
『だ、大日輪帝国ぅ……ば、万歳っ!!』
『うわぁああああああー--か、母さー-』
無線から聞こえる彼等の声は震えていた、それは寒さ故か死の恐怖からか、それはもう誰にも分からない。
彼らはその身と命を弾丸と成し3機の敵機の撃墜と引き換えに散華したからだ……。
『ー-っ!! くそっ……!! 何て事をっ……!!』
『いや、見事な最期だった、彼らは靖国の軍神となり未来永劫語り継がれるだろう、我等も続くべきだ!』
零戦隊の行動に毛利は怒りと苛立ちを露わにし叫ぶ、しかし武蔵隊の朝倉は零戦隊の行動を称賛し自分達も玉砕すべきと発言した。
『……駄目だっ! 連隊長が戦死されたのなら指揮権はこの毛利に移る、よって体当たりによる玉砕は許可出来ない!! 弾切れや動力不足の機体は速やかに高度を下げ帰投しろ、これは連隊長命令だっ!!』
『わ、我々に……生き恥を晒せとっ!?』
『生きる事は恥じゃ無い!! 生きて経験を積み敵を討ち続ける事こそ尽忠報国だっ!! だから今は退けっ!!』
『ー-っ!? し、しかしー-ぐっ!?』
『二人とも、敵の攻撃が集中して来ている、言い争っている場合じゃ無いぞ!!』
伊達の言う通り毛利と朝倉が言い争っている間にも当然敵の攻撃は続いている、速度も上がり機動が制限されていく中で撃墜こそ免れているものの被弾する機も増えている。
『これより先程損傷させた敵機に集中して攻撃を仕掛ける! 撃墜に成功しても失敗しても是を最終攻勢とし全機空域を離脱しろ!!』
弾幕を掻い潜る中、無線から毛利の張り上げた声が聞こえる、それに不服そうな朝倉を含め全機が応え残り少ない弾丸を一斉に損傷した敵機に叩き込み始める。
しかし当然敵機も必死に抵抗する、周囲の敵機も援護射撃を行い八航戦は銃弾の嵐の中を突き進むことになった。
そんな中、武蔵隊の1機が直撃を受け機体表面が弾けると一瞬で後方へと後退していく、亜音速で飛行している為、速度の落ちた機体は一瞬で置き去りとなる。
それでも八航戦各機は果敢に攻撃を続け、更に推進機を失ったB29は編隊速度を維持出来なくなり徐々に脱落していく。
絶好の好機であったが、しかしここで瑞雲各機の機銃から弾切れの音が響き始める。
『ちっ!! 弾切れだっ!!』
『僕もです!!』
『くぅっ! 自分もです!!』
『限界か、全機空域を離脱ー-』
弾切れの機体の続出に毛利が離脱指示を出そうとした次の瞬間、毛利機の機体表面に銃痕が奔り右主翼が砕け散ると毛利機は一気に後方へ脱落していく。
『毛利さんっ!?』
『隊長っ!!』
『ぐっ! 俺……ザザ……大丈……ザザ……全員……離脱……ザザザ……』
『隊長は何とか無事なようですね、僕達も離脱しましょう!』
『……待てっ! 離脱は認めん、我々は零戦隊に続き敵機に体当たり攻撃を敢行する!!』
『ー-なっ!?』
一瞬で遥か後方へ後退して行った毛利からの無線は途切れ途切れとなりやがて連絡が付かなくなった為、立花が毛利の指示に従い離脱しようとするが武蔵隊の朝倉がそれを遮る。
『待って下さい! 毛利隊長の指示はー-』
『ー-毛利は撃墜され生死は不明!! ならば指揮権はこの朝倉に引き継がれるっ!! 零戦隊は勇敢に散って行ったのだ、我々だけ生き残るなど……そのような無様な生き恥は晒せん!! 全機敵機に向け体当たりを敢行せよっ!! さすれば我らは靖国に祀られ御国の軍神と成れるのだっ!!』
『ー-っ!? くっ!』
『……え? ち、ちょっと、立花准尉……? ま、まさかこんな馬鹿げた命令に従わないですよね!?』
『……それは、でも……』
『ちょ、ちょっと准尉!? な、何を迷ってるんですか、毛利隊長の命令は離脱だったんです、なら死にたがりの馬鹿の命令何て無視して離脱しましょうよ!!』
朝倉が雄弁に玉砕命令を下令する、しかしそれに羽柴が血の気の退いた表情で必死に異を唱える、もっとも血の気が引いているのは極寒の冷気の中に在るからかも知れないが……。
『馬鹿げた……いや馬鹿の命令だと言ったかっ!? 今の発言は誰だぁあっ!!!』
『立花機の羽柴ですよ!! だってそうでしょう!? 立花准尉はたった一人で4機の超でかぶつを撃墜したんです、今迄だって多数の敵機を墜として来た空戦の名手ですよっ! これからだって数多の敵機を撃墜してくれる筈ですっ!! そんな准尉をたった1機の敵と引き換えに玉砕させるなんて馬鹿のする事でしょうっ!!』
『ー-ぬっ!? な、なればこそ不名誉な生き恥を晒すなど有るまじき行為でー-』
『ー-死ぬ事が名誉だと思ってる時点で前提が間違ってんですよ!! 勇敢に戦った結果死ぬのと自ら死にに行く事は全く違います、それは勇を履き違えた蛮勇です!!』
『ー-な、ぐ……。 だがー-』
『毛利隊長も言ってたでしょう、生きて経験を積み敵を討ち続ける事こそ尽忠報国だと!!』
羽柴の言葉に朝倉が激高し無線が音割れせんばかりの声量で叫ぶが、しかしそれに羽柴は猛然と反論する、普通は上官に反論するなど懲罰ものだが黙ってれば命に関わるのであるから羽柴も必死であった。
「……帰って何と報告するのだ? 帰って何と報告するっ!? 零戦隊は敵を道連れに玉砕し、我々は弾切れで逃げ帰って来たと報告するのかっ!? ふざけるなぁっ!! そんな不名誉……そんな生き恥……晒せるものかぁああああああっ!!!」
羽柴の言葉に一旦は押し黙った朝倉であったが、ポツリと一言呟いた後、堰を切ったように激昂し叫び始める。
『いや、だからー-』
『ー-もう良いっ!! 臆病者の戯言は沢山だっ!! 上官の命令は絶対である、先ずは立花、貴様達から逝けっ!! この朝倉が見届けてやるっ!!』
『ー-っ!! ……了解です。 立花機、吶喊します!!』
『なっ!? た、立花准尉っ!?』
尚も食い下がろうとする羽柴の言葉を遮り立花機に玉砕を命じる朝倉、それに立花は若干戸惑うが止む無く従う。
『准尉、待って下さい!! こんな馬鹿げた命令ー-』
『ー-命令は絶対です、これより最大速力で左斜め前方の敵機に体当たりします』
「た、立花准尉、被弾した事にして離脱しましょう! 織田さん達もそれで離脱してるんです、絶対大丈夫ですよ!」
あくまで命令に従おうとする立花に苛立ちを隠せず焦った羽柴は無線機を切り立花を説得に掛かる。
「命令を無視する事は出来ません、僕は家族の名誉の為に此処に居ます。 僕にとっては、命より名誉の方が大事なんです!」
「そんな……オイラは嫌だっ!! オイラにだって家族が、妻と幼い子供がいるんだっ!! オイラが死んだら寧々子は……妻は、子供達はどうなるっ!? 嫌だ、こんな馬鹿げた命令で死にたくないっ!!」
立花の言葉に羽柴は絶望し蹲り叫ぶ、羽柴も立花の家庭事情は聞いている為、立花の言葉を受けて説得は無理だと悟ったのだ……。
「……戦死者の遺族は国に手厚く保護されます、だから僕達が死んでも家族は生きて行けます!」
「それは国が残ってればの話だろう! 敗戦国の身寄りのない女子供がどうなるか、何も分かっちゃいないっ!!」
「ー-っ!? 羽柴さん? 貴方は自分の言ってる事がー-」
「ー-分かっているともっ!! 分かっているから言ってるんだっ!! 日輪はコメリアには絶対に勝てないっ!! 勝てないって分かってるからっ!! だからオイラは死ぬ分けにはいかないんだっ!! オイラが死んだら本土に進駐する鬼畜米帝共から誰が妻と子供を守るんだっ!? オイラが守らなきゃいけないんだっ!! 生きて帰って、妻と子をっ!! だから、だからこんな……こんな所で死にたく無いっ!! 死ぬ分けにはいかないんだぁあっ!!」
慟哭、嗚咽、兵士としては見苦しく、だが夫として父としては真摯な姿が其処に在った、そんな羽柴の姿に立花は迷い押し黙る。
『何をしている立花ぁああっ!! 貴様も臆病者の非国民かっ!!』
『ー-っ!? と、突入角を測っていただけです、これより突入します!!』
だがそんな立花に朝倉からの叱責が飛ぶ、その声にビクリと身体を反応させた立花は再度意を決したように操縦桿に力を込め機首を敵機に向ける。
そして立花が加速し今まさに体当たりせんとしたその時、前方から轟音が響く。
立花は思わず操縦桿を引き敵機すれすれで機体を躱し前方を見る。
そこで立花の視界に入ったのは次々と爆散し堕ちていく敵機の姿であった。
 




