第六十一話:妖精の悪戯作戦
1943年6月2日 午前9時15分 珊瑚海海域 天候快晴
ニューカルドニアから西北西600kmの珊瑚海で米第51特務部隊が巡航速度(30ノット)で航行している、その中の一隻、試験機運用母艦インディペンデンスの飛行甲板ではXFAF-01とピクシーガーディアン隊(PG隊)のF4U4機がアイドリング状態で待機している。
マーベリック機とジェリガン機は給力ケーブルが繋がれたままカタパルトに設置された状態で、メリエール機とディハイル機はその後方に、そしてアルティーナ機は中央エレベーターに乗ったまま待たされており、かれこれ15分はこの状況が続いていた。
その原因は艦橋でテスラ博士と技術将校達が揉めている為であった。
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「《一体どう言うつもりだねっ!? こんな計画、私は認めた覚えも許可した覚えも無い……ゴホッゴホッ!!》」
「《は、博士、少し落ち着いて頂きたい、これはエレーナ女史が申請しキンメル長官がお認めになった正式な任務なのですよ》」
「《だから何故……ゴホッ! エレーナ君がこんな重要な事を勝手に決めているのだと……ゴホッゴホッ!!》」
体調の優れないテスラの代わりに計画を進めようとしていた技術将校とエレーナ達であったが、その事に気付いたテスラが怒り心頭と言った表情で艦橋に怒鳴り込み、技術将校に詰め寄ると同時にエレーナを睨み付ける。
「《あらあら、勝手にとは心外ですわ……。 博士の体調を慮り代わりに私が計画を次の段階へ進めていただけですのに……》」
「《それが勝手な事だと言っているのだっ!! ゴホッゴホッ!! アルティーナがどれほど貴重な存在か理解しておらんのかっ!!》」
「《勿論理解しておりますわよ? けれど、貴重だからと必要な実証実験を行わない何て、本末転倒ではありませんの?》」
「《ぬ……。 実験を行わないとは言っておらん! もっと安全性を確保した上でーー》」
「《ーーどうやってですの? 機体性能は簡単には向上しませんし、ステレス性能が日輪軍に通じるかどうかは、それこそ今回の任務を行わなければ分かりませんわよね?》」
「《そ、それは……! だ、だが……ゴホッゴホッ、ごふっ!?》」
「《んなぁ!? は、博士っ!?》」
自分に断りなく計画を進めようとしたエレーナにテスラは激怒するが、エレーナは顔色一つ変えず妖艶な笑みを浮かべて反論する、その反論に対し言葉を発しようとしたテスラは激しい咳の後吐血し倒れた。
「《いかん! 直ぐに軍医を呼べ!! 衛生兵に担架を用意させろ!!》」
エレーナ達のやり取りを離れた位置から胡乱気に見ていたシャイプス艦長であったがテスラが吐血した瞬間、機敏に動き迅速に指示を出す、艦橋内は険悪な雰囲気から一変騒然となった。
この状況に技術将校は狼狽え青くなって固まり、他の技術者達も呆然と立ち尽くしていたが、その中に在ってエレーナだけは狼狽える事も顔色一つ変える事も無く兵士の救命措置を受けるテスラを涼しい表情で見下ろしている。
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暫く後、知らせを受け飛んで来た軍医がその場で診察し、テスラの身柄は即座に医務室へ搬送された。
「《さて、それじゃあ実証実験を再開しましょうか♪》」
「 「 「《なっ!?》」 」 」
テスラが搬送された直後、重苦しい空気に包まれた艦橋内でエレーナが弾むような声と無邪気な笑顔でそう言った、その言葉と態度にシャイプス艦長はもとより技術将校達も唖然とする。
「《い、いや……テスラ博士があのような事になっているのに……》」
「《……?? だからこそ私が計画を進めているのでしょう? あの病状では計画総責任者の任は務まらないでしょうから、違いまして?》」
エレーナはキョトンと小首を傾げてそう言った、それは技術将校の言わんとしていた事が心底理解出来ていない様子であった。
「《ーーっ! ……エレーナ女史、貴女にはテスラ博士への敬意は無いのか……!?》」
「《勿論尊敬しておりますわよ? だからこそ計画が頓挫、などと言う事態にならない様こうして尽力していますの。 勿論、貴方様とキンメル閣下の為でも有りますのに、御不満ですの……?》」
「《ー-っ!? う……む……いや……不満と言う分けでは……。 ま、まぁ確かに一理ある、では貴女にお任せして大丈夫なのだな?》」
「《ええ勿論♪ 今回の実証実験、このエレーナ・フォン・ノイマンの名にかけて成功させてご覧に入れますわ♪》」
テスラを敬う感情が微塵も見られないエレーナに技術将校は不快感わ露わにするものの、キンメルの名を出されると言葉に詰まり手のひらを返すようにエレーナの主張を認めた……。
それに対しエレーナはまたも弾む様な声と満面の笑みで応える、そこにはやはりテスラの容体を心配する様子や敬意など微塵も感じられず、そのやり取りを見ていたシャイプス艦長は暫し唖然とした後呆れ気味に頭を振った……。
「《それでは改めてまして、妖精の悪戯作戦を再開致しましょう!》」
そう言って満面の笑みで両手を叩くエレーナ、その音を合図にしたかの様に技術者達と関係要員達が機敏に動き始める。
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『《航空管制からピクシーガーディアン各員及びピクシー01へ、待たせたな遊覧飛行の許可が下りたぞ、各員問題無いか?》』
『《やれやれ、やっとか、待ちくたびれて居眠りしてる奴は居ないだろうな?》』
『《はっ! そんなマヌケな奴いるかよ、ガーディアン2いつでも行けるぜ!》』
『《ガーディアン3、問題無い》』
『《ガーディアン4、大丈夫だよ~!》』
『《ピクシー01いつでもOKです!》』
待たされる事30分、ようやく任務の実行許可が下りたマーベリックは各隊員に冗談交じりの確認を行う、すると即座にガーディアン2ことジェリガンの皮肉を交えた応答が聞こえ、次にガーディアン3ことディハイルとガーディアン4ことメリエールの返事も聞こえた、そして最後にピクシー01ことアルティーナが応答し全員が問題無い事を確認する。
『《ガーディアン1から航空管制、こちらは問題無い、いつでもOKだ!》』
『《了解した、ピクシーガーディアン隊各機の発艦を許可する、幸運を!》』
航空管制からの発艦許可を受けたマーベリックは甲板誘導員にハンドサインを送り、それに合わせて作業員が素早く給力ケーブルを引き抜き機体から離れる。
『《ガーディアン1、トム・マーベリック、出るぞ!》』
『《ガーディアン2、ジェリガン・メイス、行くぜっ!!》』
先ずはマーベリック機が一気に前に射出され大空へと飛翔し、ジェリガン機もそれに続く。
その後ディハイル機とメリエール機も空へと上がり、残るはアルティーナ機だけとなった。
『《だ、大丈夫よアルティーナ、自分を信じて……。 日輪軍と戦う訳じゃ無い、見つからない様に行って帰って来るだけの簡単な遊覧飛行よ、だから大丈夫……》』
トーイングカーにカタパルトまで引っ張られる過程でアルティーナは必死に自分に言い聞かせ、ブリーフィングの内容を脳内で反芻する。
妖精の悪戯作戦とは、即ち強行偵察である。
目的地はガーナカタル島であり一定の距離までは護衛機を伴い接近し、そこから先はシルフィード単機で日輪レーダー圏に突入、その後は光学迷彩の限界時間までガーナカタル島の施設のや駐留艦隊などを機体下部に搭載したビデオカメラに収める事が任務である。
そして光学迷彩が切れたら高速を活かし離脱し護衛機と合流して帰還、と言う手順となっている。
確かに計画通りに行けば遊覧飛行に等しい簡単な任務だが、T・Cシステムに不具合が有れば一巻の終わりである、「見え無いから敵陣に突っ込め」と言われてお気楽に「はい、行って来ます!」と言える人間は歴戦の戦闘機乗りでもそう多くは無いだろう、まして僅か13歳のアルティーナが内心怖気づくのは当然であり、テスラが計画承認を渋った事も常識的に考えれば当然で有った。
しかし軍事技術の開発においては常識や人道的見地は往々にして軽視される、こと技術開発と言う側面のみを見ればエレーナの判断は正当化されてしまうのである。
「《カタパルトセット完了!》」
「《給力ケーブル取り外し完了!》」
「《ラインクリア確認!》」
苦悩するアルティーナを他所に甲板作業員達はテキパキと仕事を熟しXFAF-01がカタパルトに設置されると作業員から『いつでも射出可能』のハンドサインが出される、それに対しアルティーナは少し浮かない表情のまま『確認・準備完了』のハンドサインを出す。
『《……ピクシー01、アルティーナ・シオン、行きますっ!!》』
XFAF-01の白い機体が一気に前に押し出されその加重にアルティーナは僅かに声を漏らし顔を歪ませる、機体はそのまま一気に上空へと飛び上がりPG隊と合流すると隊列飛行へ移る。
『《よし、このまま300ノット(時速約550km)を維持し北に進路を取るぞ、全機はぐれるなよ!》』
アルティーナが合流した事を確認したマーベリックが隊に向けて指示を出すとアルティーナを含む全員が各々返事を返す。
PG隊はやや離れた菱形陣形でXFAF-01を囲い周囲を警戒しながら飛行している。
既に珊瑚海の制空制海権は日輪軍に掌握されつつ有る為、コメリア軍の勢力圏内と言えども油断は出来無いからである。
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『《マーベリック隊長、少し西に流れていると思います》』
『《お? そうか、サンキュー!》』
暫く飛行していると突如アルティーナが進路がズレていると言い、それを受けたマーベリックは疑う事無く言われた通りに進路を東に流した。
勿論、マーベリックは何の確証も無くアルティーナの言葉を盲信している訳では無く、彼女が超感覚とも言える方向感覚を持っている事を彼女との訓練時に自ら確認済みだからである。
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『《飛行距離的にそろそろ日輪軍の制空圏内だね……》』
更に暫く飛行しているとメリエールが計器を見ながらボソリと言った、その表情は不安げで心配そうな眼差しを横を飛ぶアルティーナに向けている。
『《……うん、それじゃあ……ここから先は私だけで行って来ます! みんな、また後で!》』
『《おう、行って来い! 何が有ってもここで待ってるからな!》』
『《ホントに気を付けて、もし敵に見つかったらすぐにアタシ達のトコに戻って来んだよ!?》』
『《……無理はするなよ》』
『《ちっ! さっさと行って、さっさと帰って来やがれ!》』
アルティーナは少し緊張した様子で有ったが、意を決した表情になると溌剌とした声で挨拶をし機体を下降させながら加速しガーナカタルを目指して行く、それにPG隊4人も応え各々のエールを送った。
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『《前方100kmにガーナカタル島の島影を確認! 周囲に敵影無し、このまま直進する!》』
アルティーナは溌溂とした声を発すると速度計を気にしながら進路を維持する、誤って音速を超えてしまうと衝撃波による大音響が発生してしまい被発見率が跳ね上がってしまうからだ。
巡航速度で有っても通常推進音はそれなりに轟くがXFAF-01の推進機は静音性を最重要視した特別製となっておりF4Uの半分ほどの音量に抑えている(その分出力に掛かるエネルギー消費量が多く通常動動力機とは相性が悪い)が衝撃波は現状機械技術でどうにか出来るものでは無く音速を超えないと言う対策しか取れない。
ちなみに現在アルティーナ機の通信は切っておりアルティーナが溌溂とした声で独り言ちているのはフライトレコーダーに記録する為で不安を紛らわす意図ではない……いや少しはその意味合いも有るかも知れないが事前に与えられた任務の一つで有る事は事実である……。
『《……目標間も無く30km、光学迷彩装置起動まで10秒前、9,8,7,6,5,4,3,2,1,今っ!!》』
アルティーナは起動スイッチのカバーを外しカウントダウンの後スイッチを押した、するとXFAF-01は周囲の景色に解ける様に姿を消して行く。
『《起動成功、予定のルートに入る!》
光学迷彩装置を起動したXFAF-01は日輪制空圏内を悠々と飛行しレーダー施設の位置や軍事施設の位置などを次々とビデオカメラに納めて行く、時折哨戒機が近くを通り肝を冷やすも見つかる事は無くホッと胸を撫で下ろす。
『《光学迷彩解除まであと1分……!》』
地上の軍事施設を軒並みカメラに納めたアルティーナは機首をサヴァ海峡へと向ける。
『《ー-っ!? あれは……あれが、魔王……!》』
驚嘆するアルティーナの視界の先には2隻の巨大戦艦が悠々と海面に浮かんでいる。
『《あと30秒、もっと、近くで……!》』
アルティーナは機体を旋回させ日輪巨大戦艦の正面へと回り込みギリギリまで高度を下げる。
『《あと20秒……!》』
アルティーナの駆るXFAF-01が僅かに速度を落としながら日輪戦艦を掠めルング方面へと飛び去って行く。
重厚な装甲と機密性に護られた艦内では誰も気付かなかったが、流石に見張り員と甲板作業員は聞き慣れない推進音に反応し騒然となった。
『《3,2,1,0……っ!》』
そしてルング方面へと向かう海上でXFAF-01の光学迷彩が切れ、ルングの蒼空に白い機体が浮き彫りとなる。
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「右舷上空に敵機っ!!」
「何だとっ!? 電探員と見張りは何をやっていた!?」
「それが……電探には何の反応も有りません!!」
「こっちもです、何も映っていません!!」
「馬鹿な、本艦の電探で感知出来無い航空機だとっ……!?」
「艦長、複数の見張り員から同じ報告が上がって来たのですが……最初は音だけが響き、突如空中に現れて飛び去ったと……」
「なに……? まさか米軍の新兵器だと言うのか? 直ぐに珊瑚海の大鷹と雲鷹に情報を送れ! それとルング基地司令部にも報告を!」
「ルング基地司令部より敵機来襲の通信有り、我が艦隊の機動部隊にも迎撃命令が下令されました!」
「ふむ、流石は井上司令だ行動が早い、第四戦隊(機動部隊)から迎撃機を緊急出撃させろ!」
「り、了解です!」
XFAF-01が姿を現した事によりルング基地と停泊していた艦艇は蜂の巣を突いた様な騒ぎとなり騒然とする中、迎撃の為に零戦三型と五型数機が緊急発進する。
この時、上空で警戒に当たっていた零戦五型がXFAF-01を発見し追撃しようとするが、圧倒的速度で引き離され見失っていた。
最早静音性を気にする必要の無くなったXFAF-01は衝撃波の轟音を轟かせながら元来た針路を辿り仲間との合流空域に向けて飛行している。
この時XFAF-01の速度計は時速1280km示している、即ち音速を超えており、前身であるXF4Uが急降下時に一時的に叩き出した音速を水平飛行で成しえているのである。
『《はぁはぁ……息が……苦しい……。 でも……後少し、後少しで合流空域に……》』
加速圧と極度の緊張で心身共に消耗しているアルティーナで有ったがもうすぐ仲間と合流出来るという事を支えに必死に操縦桿を握っていた。
その時、前方で何かが光る、次の瞬間全身に悪寒が走ったアルティーナは反射的に操縦桿を傾け機体を捻る。
強力な加重が消耗しているアルティーナの身体に掛かり苦悶の声を漏らすが、同時に機体下部のビデオカメラユニットと胴体の一部に銃痕が走りカメラユニットが爆散する、若し機体を捻っていなければ直撃を受けていただろう。
そしてアルティーナは攻撃を受けた瞬間に直感で悟る、あいつには今の自分では勝てないと……。