第百三十五話:キルバード撤退戦②
タルワ守備隊は現在総勢約7,000名が生存しているが内3000名は軍属(文官、技師、給仕等の非戦闘員)であり、実質的な戦闘員(兵士)は4000名程度となっていた。
これは米軍侵攻前の半分以下で有り、既に部隊としての機能は崩壊しつつあった。
その渦中に齎されたのが大本営からの撤退命令であった。
それに対するタルワ守備隊の反応は二つに割れた。
撤退命令に納得せず徹底抗戦を主張する者達と、命令を遵守するべきと考える者達である。
主に前者は陸軍が多く、後者は海軍が多かった。
無論、陸軍の中にも命令を遵守すべきと考える者や海軍の中にも徹底抗戦すべしと考える者は居たが、概ね前者は陸軍、後者は海軍が多いと言う事である。
徹底抗戦派は苦労して築き上げた砲郭や地下壕を敵に明け渡す事を良しとせず、立て籠もれば半年は戦えると豪語した。
だが、実際は食料も弾薬も一週間と保たない事は明白である為、命令遵守派は此処で玉砕するよりも一時撤退し体勢を立て直すべきと論じた。
普通に考えれば最高司令部より撤退命令が出ているのであるから、軍人で有れば忸怩たる想いは有れど命令に従うべきである。
だが此処で抗戦派は日輪人特有の武士道を前面に押し出して来た。
「此処で退いては尽忠報国の義に殉じた戦友達に顔向け出来ん!! 矢尽き刀折れ身一つになろうとも最後の一兵まで戦い抜いてこそ靖国で待つ彼等に胸を張って再会できようと言うものだっ!!」
これは大本営からの撤退命令に対するタルワ守備隊陸軍司令『山崎 保法』陸軍少将の言葉である。
合理的に考えれば死者に殉じて損害を増やすなど軍人として愚の骨頂である、が、武士道を重んじる日輪軍人にとって其れは美徳であった。
其の美徳を是とする日輪陸軍の気質が先の天州事変を引き起こしたのであるが、陸軍内では其れが正しいと言う認識である者が多い為、海軍に比べて意識改革が難航している。
とは言え
若し『名誉と誇りを捨てても命が助かれば良い』と皆が考えるならば、其れは即ち侵略を受け入れる無抵抗主義で有り、其の主義が本当に成立するならば戦争など起こり得ないだろう。
だが命を賭してでも捨てられぬ思いが有るからこそ人は戦うのである。
故に散った者達の犠牲に殉じる事を誤りと断じる事は難しい。
其れこそが、捨てられぬ思い ” 名誉と誇り ” で有る事は間違い無いからだ。
然し、望まぬ者にまで名誉と誇りを笠に着た玉砕を強いるのは悪しき風習に他ならない。
その是非を陸海軍の幹部達が侃侃諤諤と討論する中、陸軍士官に連れられ司令壕に入って来たのは第二艦隊からの伝令、芦田二郎上等海兵と他2名の海軍陸戦隊隊員達であった。
「おお、島外からの伝令か、ご苦労だったな」
「はい、いいえっ!! とんでも御座いませんっ!! 大日輪帝国海軍第二艦隊第二戦隊旗艦、大淀陸戦隊所属の芦田二郎上等海兵以下三名、松田戦隊司令の命の下馳せ参じましたっ!!」
「うむ、第五艦隊司令の近藤だ。 見ての通り基地司令の意見が割れている、私は間借りさせて貰っている身なもので口を挟む事も出来ないのでな、少し待っていてくれ」
「ーーっ!? こ、近藤提督でありましたかっ!! よくぞご無事でっ!!」
芦田達に歩み寄り声をかけて来た海軍将校、誰有ろうキルバード沖海戦で行方不明となっていた第五艦隊司令、近藤 信松海軍中将であった。
「ああ、内火艇で何とかタルワ基地まで辿り着いてな、だが基地の通信設備は完全に破壊されていて、傍受される危険が有る内火艇の無線を使う訳にも行かず、連合艦隊司令部に伝える事が出来なかったのだよ」
淡々と語る近藤に、芦田は何とも言えない表情をするしか無く、また近藤に第五艦隊の現状を聞かれた時には更に困惑し体中から脂汗を噴き出していた。
とは言え、上官を誤魔化す事は出来ない芦田は苦悶の表情で生き残りが駆逐艦時雨1隻であった事を伝えるしか無く、それを聞いた近藤は一言「そうか……」と発した後、近くの椅子に崩れる様に座り気持ちを落ち着ける様に大きく深呼吸をしている。
「漂着した者達からも有る程度の状況は聞いていたが、時雨1隻か……」
近藤提督は明らかに落胆した様子でそう言葉を零した。
結果論だけで言えば敵に立ち向かい勇敢に戦って全滅した方が良かったかも知れない。
逃げた結果、1隻しか残らなかったと言う事実は、決断を下した近藤を打ちのめしていた。
その時、机を強く叩く音が壕内に響き渡る。
「もう良い、正論は沢山だっ!! そんなに生き恥を晒したければ海軍だけ逃げれば良いっ!! この基地は我ら陸軍だけで死守し最後の一兵まで戦い抜くっ!!」
両者平行線の議論に憤慨し両拳で机を殴るのは山崎陸軍少将であり、対峙するのはタルワ基地海軍司令『柴崎 康次』海軍少将であった。
「大本営の命令遵守が生き恥だと言うかっ!? 命令が出ている以上、貴官の言い分は只の我儘であるっ!! それを一絡げに陸軍全体が玉砕を望んでいるかの如き発言は控えて頂きたい!! そんなに死にたければ志願者だけで死守でも玉砕でもすれば宜しい!!」
山崎の言葉が貴賤に触れた柴崎も憤慨し、彼を睨み付け声を荒げ言い放つ。
「な……っ!? わ、我儘……だと? 言うに事欠いて我が義憤を我儘と抜かすかぁあああっ!!」
今度は柴崎の言葉に山崎が激昂し顔を真っ赤にあろう事か腰の軍刀に手を掛けた。
その山崎の行動に驚いた陸海軍の参謀達は慌てて両者の間に割って入り二人を引き離す。
柴崎は歯噛みし山崎を睨み付け、山崎は部下に抑えられながらも未だ興奮状態であった。
「じ、重要な会議中失礼致します! じ、自分は大日輪帝国海軍第二艦隊第二戦隊旗艦、大淀陸戦隊所属の芦田二郎上等海兵でありますっ!! ま、松田司令よりお預かり致しました宮崎閣下からの書状を陸軍司令官殿にお渡し致したくっ!!」
一触即発の状況の中、伝令の芦田上等海兵が震えながら上擦った声を振り絞る。
その言葉に、その場の全ての視線が芦田に注がれる。
其れはまるで猛獣の檻に仔兎が迷い込んだかの如き様であり、芦田上等海兵は可哀想な程に緊張し打ち震えている。
「宮崎からの書状、だと?」
僅かに冷静さを取り戻した山崎は軍刀から手を離し芦田上等海兵を睨み付ける。
芦田上等海兵は蛇に睨まれた蛙の様に硬直しながら油の切れたブリキ人形の様な動きで一通の書状を差し出した。
その書状を受け取り封を開けた山崎は疲労と緊張で双眸下に隈が浮き出ているが、その眼光は鋭く視線が手紙に注がれている、周囲の者達は固唾を飲んで其の成り行きを見守った。
やがて手紙を読み終えた山崎は僅かに息を吐き目を閉じる。
「宮崎め、痛い所を突きおる……。 だが、尤もではあるか……」
山崎は溜め息混じりにそう言葉を吐き出し、手紙を机の上に置き隈の濃い眼で見据える。
宮崎からの手紙には次の様に書かれている。
【遙か海を隔てたる遠つ地の同期の君へ 君の事なれば名誉の為とて死を急がむとすべし されど其れは許されぬ事なり 基地の構へを熟知し反撃を為す要の将兵が徒に玉砕せしむは、奪還の機を失はしむる敵を利する行爲なり 眞に國を憂ふる志あらば生きて奉公に務めたし】
是は即ち『お前は名誉の為に死に急ぐだろうが、反撃の中心となるべき兵を失わせるのは利敵行為だ、国を大事に思うなら反撃の機を待て』と言われているのである。
同期によって自身の思考が完全に予測されていた事に加え、指摘の内容もまた尤もである為、流石の山崎も閉口するしか無かった。
ただ実は柴崎も似た様な事は言っていたのだが『陸(軍)が東を向けば海(軍)は西を向く』と揶揄される程に日輪陸海軍は伝統的に仲が悪く、その言葉を真面に聞いてはいなかったのである。
「遠き地の同期に斯くも諭されれば是非も無し、助言に従い生き恥を晒そう……」
その山崎の言葉に柴崎は破顔し、気が変わらぬ内にと迅速に行動を開始する。
方針が決まってからの日輪軍の行動は早かった。
機密文書は焼却され兵装は地下壕から海岸まで持ち出され海没処分とされた。
将兵の中には神皇陛下から賜った兵装を捨てる事に難色を示すものが多かったが、意外にも山崎が率先し是を指示した。
この行動は士官学校時代、山崎と宮崎が転進(撤退)戦術について語り合った時、自分ならこうすると宮崎の持論を聞き、当時は神皇陛下から賜った兵器を捨てる等けしからんと憤慨した山崎であったが、この状況で兵装を持ち帰ろうとすれば、その分人命を危険に晒す事になると理解し宮崎の持論に習ったのであった。
タルワ基地の放棄は1.5km先に陣取る米軍に気取られぬよう迅速かつ物音を立てぬよう行われ、軍属や傭人等から先に大発動艇へを乗り込んでいく。
大発動艇は数十隻が輸送艦と海岸を往復しており、周辺を軽巡北上、駆逐艦初春、初霜、子日が米上陸部隊と水雷艇の存在を警戒する。
その更に沖では軽巡大淀率いる駆逐艦8隻が米艦隊を警戒しつつ展開している。
「ん? これは!? 方位3.3.7(北北西)、距離12,000にて艦船と思しき3つの波形を確認、速力20ktで我が方に接近中です!!」
「な、何だと!? 今輸送艦は動けん、拙いぞっ!!」
「くっ! 島陰で探知が遅れたか!」
「やり過ごせれば良いが、希望的観測は後手を生むか……。 已むを得ん、第三戦隊(北上隊)は輸送船団の護衛を、第二戦隊が敵艦隊を迎撃する! 全艦抜錨!! 対艦戦闘用意!!」
第二艦隊第二戦隊旗艦、軽巡大淀より松田戦隊司令の命令が下ると、各艦は迅速且つ整然とした艦隊行動を見せ敵に備える。
艦隊で最大の火力と装甲を持つ大淀は先頭に立ち、艦前面に背負い式で備える2基の20㎝三連装砲塔をまだ見えぬ敵の方向へと旋回させる。
その後に続く陽炎型駆逐艦8隻(山雨、秋雨、夏雨、早雨、高潮、秋潮、春潮、若潮)も単縦陣で追従し、大淀と同じ方向に主砲と魚雷発射管を向けている。
「敵艦隊との相対距離、間も無く9,000を切ります!」
「敵速20kt、動き緩慢にして我が方を探知する気配無し!!」
「幸いにも敵艦は電探を持たない旧式のようですな」
「ああ、大淀の電探はさほど高性能とは言えないが、有ると無いとでは大違いだな」
「はい、このまま機先を制し敵本隊に伝達される前に仕留められれば最上なのですが……」
「うむ、本艦にも電探射撃が有れば……な」
参謀の言葉に松田戦隊司令が艦橋窓から見える2基の主砲を見ながら呟く。
大淀は阿賀野型軽巡とほぼ同時期に竣工した新型軽巡であるが、景光が関わった艦ではないため艤装は旧態依然とした性能に落ち着いてしまっている。
その上、水上機母艦としての能力を持つ為に艦後部に格納庫を設けた結果、主砲は前部2基のみとなり戦闘艦としての火力は阿賀野型より劣っている。
更に搭載予定で有った新型水上偵察機・紫雲の開発が遅れている為、格納庫には仮設司令設備が詰め込まれ、本来の運用とは全く違った形で使われている艦であった。
「敵艦隊との相対距離、8,000!」
「敵艦を肉眼で視認!!」
「よし、全艦単縦陣を維持し取り舵に備え!! 指示が有るまで発砲を禁ずる!!」
漆黒の海原を大淀を先頭に一列を成し航行する第二艦隊第二戦隊。
松田戦隊司令の指示に艦内外はより一層の緊張感に包まれ、砲雷要員が固唾を飲んでその時を待つ。
「敵艦隊との相対距離、7,000!」
「敵速20ktを維持、針路変わらず!!」
「全艦、魚雷一番から四番まで発射っ!!」
「魚雷発射、一番から四番よーそろ!!」
先ずは魚雷発射が下令される、8隻の駆逐艦より日輪海軍の誇る九五式酸素魚雷が一斉に放たれ音も航跡も無く米駆逐艦へと忍び寄る。
「魚雷発射完了、弾着まで約2分50秒!!」
「よし! 全艦、左舷砲撃戦用意っ!!」
魚雷を放った日輪艦隊は隊列を崩す事無く、結果の出るその時を待つ。
一方で米駆逐艦隊も漸く異常に気付く。
「《艦隊左舷前方に多数の艦影を確認!》」
「《何だと? 主力艦隊はジャップを追撃している筈だが……艦長、念のため打電を送ってみますか?》」
「《ーーいや、あれはジャップだっ!! 全艦敵に対して艦首を向けろ、魚雷が来るぞっ!!》」
3隻のベンソン級駆逐艦の1隻、ケントリックの艦橋で臨時指揮官に任命されていた艦長が慌てて叫ぶ。
だがその次の瞬間、僚艦2隻から巨大な水柱が立ち上がった。
空かさず暗闇に灯る僅かな発砲炎の光、その直後にケントリックの周辺に砲弾の水柱が複数上がる。
「《敵艦発砲、砲撃を受けていますっ!!》」
「《カーク、ローブ、共に轟沈っ!!》」
「《くそっ! 敵の数はっ!?》」
「《分かりません!! 巡洋艦を含むーー少なくとも6隻以上と推定っ!!》」
「《ーーっ!! ええい、フレッチャー級ならレーダーで先にジャップを捕捉出来たものをっ!! だから旧式のベンソン級では哨戒に向かんと言ったのだっ!!》」
絶望的な状況にケントリックの艦長は狼狽し上官への不満を撒き散らす。
ベンソン級駆逐艦は1942年末まで建造が続けられた艦であるため旧式とは言えない艦であるし、フレッチャー級も初期ロットではレーダーを装備していない艦も多いため、この艦長の不満は若干お門違いではあった。
ただ若し、ケントリックにレーダーが装備されていたり、彼に最新ロットのフレッチャー級が与えられていれば結果は違ったものになった可能性は確かに高かっただろう。
「《か、艦長、如何なさいますか?》」
「《如何もこうも有るかっ!! 全速力でUターンして逃げるんだよっ!! 直ぐに本隊へ救援を打電しろ!!》」
狼狽し感情のままに声を張り上げるケントリックの艦長であったが、指示そのものは的確であった。
ただ惜しむらくは、彼と彼の艦には ” 武運 ” が無かった、と言う事である。
日輪艦隊との距離は既に4,000mにまで迫っており、高性能とは言えないまでも水上電探を持つ大淀からは逃れる事が出来なかった。
またレーダーを持たない故に、日輪艦隊の動きを把握する事も出来ず、名将と名高い松田司令の指揮の前にまんまと誘い込まれる形で包囲され、集中砲火を受け敢え無く撃沈されてしまった。
全く良い所の無い様に見えるケントリックであったが、逃亡の最中に発した救援電信が後に日輪艦隊を苦しめる事になるのが彼の艦にとっては唯一の救いであろう……。