第百三十三話:過信と慢心
日輪艦隊が一斉に転舵する中、今だ腹に対魔王魚雷を抱えるB29-D<デビルバスター>は執拗に戦艦武蔵を狙う。
既に左舷に10本、右舷にも7本もの対魔王魚雷を被雷した武蔵は欺瞞では無い浸水によって僅かに傾き艦内は悲鳴と怒号が入り混じる惨状となっている。
とは言え、艦中央の重要区画への損害は皆無で有り、浸水によって最大速力が低下しているものの、それでも60ktは発揮可能な状態で有った。
更に皮肉にも被雷によって発生した大量の水飛沫によって甲板上の火災が沈静化した為、一部の機銃と噴進砲が再稼働している。
もっとも、主だった機銃要員や機銃群長は軒並み戦死してしまった為、現在機銃座に居るのは予備人員と運搬要員であるが……。
「み、右舷より敵機っ!!」
「う、撃てっ!! とにかく撃ちまくれぇっ!!」
生き残りを搔き集めた数基の機銃座が拙い手つきで必死に対空砲火を打ち上げる。
しかし巨大なB29の機体は慣れない機銃員達の距離感を狂わせ中々命中には至らない。
噴進砲も装填した端から噴進弾を放つが、誘導弾でも無く装填速度にも難のある噴進砲は矢張り威嚇の域を出ていなかった。
「右舷より魚雷接近っ!! 雷跡3っ!!」
「た、対雷掃射……っ!!」
必死の抵抗をする機銃員達をあざ笑うかの様に悠々と巨大な魚雷を投下して去って行くB29、その置き土産に慌てて照準を合わせ射撃するが命中弾は得られず、次々と超巨大な水柱が立ち上がる。
その衝撃と水飛沫に機銃座は阿鼻叫喚となるが、艦橋も対応に追われ逼迫していた。
「4時方向より更に敵機っ!!」
「10時方向からも来ていますっ!!」
「んなぁっ!? も、もう駄目だぁっ!! 沈む、沈んでしまうぅううううっ!!」
「落ち着いて下さいっ!! 表層区画が浸水しているだけです、本艦の戦闘力も航行能力も未だ健在ですっ!!」
次々に飛来して来る敵機に和田艦長が狼狽し喚く、誠士郎が必死に宥めるがこれ以上被雷すると拙い事は彼にも分かっていた。
そんな武蔵を嘲笑うかの如くB29が迫り魚雷投下の頃合いを計っていた。
その次の瞬間、数発の乾いた射撃音と共にB29-D<デビルバスター>の機体表面が爆ぜバランスを崩したその機は巨大な水飛沫と共に海面に激突し爆散した。
「《ジャップの戦闘機だとっ!? 護衛のF4Uは何をしてーーぐぁあああっ!!》」
一瞬の出来事であった、武蔵を狙うB29-D<デビルバスター>の機体が次々と爆ぜ、低空飛行をしていたため一瞬で海面に激突し爆散したのである。
事態を察知した護衛のF4U編隊が慌てて迎撃に向かうが、剣の如き鋭利な機体は護衛のF4Uには目もくれず次々とB29-D<デビルバスター>を撃墜していった。
「零空だ、零空が来てくれたぞぉおおおおおおおっ!!」
その蒼空を舞う銀翼の機体を見た者達は次々に歓声を上げ歓喜に沸いた。
戦場の空気を一変させたのは救援要請を受け飛来した5機の零式制空戦闘機<剱>、零空の中でも特に獰猛と名高い中沢隊であった。
「戦闘機は後回し! とにかく超デカブツだけドーンと狙ってくよぉー!!」
中沢の嬉々とした弾む声に部下達も覇気良く応え、F4Uからの多少の被弾は厭わず次々とB29を撃墜していく。
「一瞬で潮目が変わった、流石は零空だね……」
「た、助かったのか? よ、よし、今の内だ、最大戦速で離脱せよっ!!」
「「「……」」」
中沢隊の活躍によって危機から脱した途端に声高らかに指示を出して来る和田であったが、誠士郎や栗田を含め艦橋要員達の視線は冷ややかなものであった。
「本艦だけ突出して如何する? 僚艦を置き去りにして逃げるつもりかね?」
「あ、いえ、そんなつもりでは……」
呆れ気味な口調で栗田提督にそう言われた和田は気不味そうに意気消沈し口篭る。
とまれ、沈没の危機を脱した武蔵は追撃して来る米艦隊を砲撃で牽制しながら海域からの離脱を図る。
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同時刻、日輪第一艦隊の連合艦隊総旗艦赤城の艦上では山本司令長官が重苦しい表情で思考を巡らせていた。
現在タルワでは地上と上空の両方で激しい戦闘が繰り広げられている。
地上ではタルワ守備隊と増援部隊が米上陸部隊を挟撃しているが、兵力と装備の差に加え海上支援の有無によって日輪軍側の旗色が若干悪くなっている。
上空では互いの攻撃機を喰い合う消耗戦の様相を呈しており、現状では互角の攻防で有るが戦略的に見れば、こちらも日輪側の負担が大きく不利である。
このまま戦闘を続ければ、先に息切れするのは間違い無く日輪側である事は疑いようがないからだ。
零空の損耗、武蔵の敗北、どちらも日輪軍の想定外で有り、だが想定して然るべき事態で有った。
然し軍令部と連合艦隊司令部は零空と大和型戦艦の性能を過信し、慢心してしまった。
それを危惧していた山本が次善の策として送り込んだ高潜隊は戦果不明で消息を絶ち、この不穏な流れを断ち切る事は出来なかった。
いつか瓦解する時が来る、それを理解していても結局それを止められなければ意味は無い。
その結果が今日の敗北なのだ。
山本は、そう己の至らなさを恥じた。
然し問題はこれからどうするべきか、である。
艦隊だけなら転進してナウラまで全速力で逃げれば良いが、それはタルワやマキリの守備隊と送り込んだ増援部隊を見捨てる事となる。
離島守備隊が戦線を放棄して撤退するには輸送艦が必須だが、制海権を米海軍に握られているため輸送艦が近付けず島からの脱出が不可能だからである。
かと言って戦い続けたところで何れ戦線が崩壊し玉砕する事になるだろう。
海軍とて戦域に留まり戦い続ければ甚大な被害が出る事は避けられない。
だが連合艦隊司令部内では継戦すべしとの意見が多数で有った。
その理由は第一艦隊を始めとする空母機動部隊が健在だからである。
航空機の損耗率を見れば健在とは言い難い状況となっているが、艦の殆どが手傷すら負っていない状態での転進は海軍の沽券に関わって来る。
つまり海軍の面子を守る為に戦い続けるべきと言っているのである。
無論、山本とてその心情は理解出来るし、窮地に立つ守備隊や自らが送り込んだ増援部隊を残しての撤退など考えたくも無かった。
だが此処で継戦した所で戦局の好転は望めず、徒に航空戦力を消耗し敗戦を早めるだけなのは火を見るより明らかであった。
故に山本は一時転進を決断する。
当然、継戦派は猛反対したが、其処に頃合い良く転進して来た武蔵を始めとする前衛艦隊主力艦が現れ、継戦派の将官達は其の惨状を見て絶句した。
其処には威風堂々たる浮沈艦の姿は無く、焼け焦げ傷付き傾き這う這うの体で逃げ帰って来る落ち武者の如き無残な姿を晒していたからである。
本来なら敵を引き連れている可能性のある前衛艦隊と空母機動艦隊が接触する事は無いが、実は山本が司令部内の継戦派に現実を突きつける為に指向性蒼子波通信を使って指示したのであった。
無論、敵の追尾を振り切っている事が条件で有り、霧雨型2隻による索敵によって敵影が無い事は確認している。
そしてその効果は覿面であり、継戦派の気勢は明らかに削がれたのである。
是によって艦隊は航空支援は継続しつつも一時ナウラまで後退、事の次第を軍令部へと報告し陸海軍上層部の判断を仰ぐ事となった。
軍令部と参謀本部がどれだけ揉めたかは割愛するが、結論だけを言えば守備隊のキルバードからの一時撤退が決定する。
それを受けて連合艦隊司令部はタルワ・マキリ撤退戦を立案する事となった。
その作戦は作戦参謀長である黒島 亀竜中将とその副官である神重 徳義少将によって策定され、その内容は大まかには夜陰に乗じて囮艦隊がタルワとマキリ周辺の米艦隊を強襲誘引し、その隙に輸送船団が守備隊を回収する、と言うものであった。
詳細には揚陸地点や進入角と速力など細かな指示が策定されているがここでは割愛する。
作戦を決行するにあたり艦隊を再編し損傷の激しい艦を除外する事となった。
その結果、戦艦武蔵と紀伊、駆逐艦清波は内地へ帰還する事となり、栗田提督以下第七艦隊司令部は空母昇龍へと移乗し同艦を暫定旗艦とした。
第七艦隊第一戦隊と第二戦隊は武蔵と紀伊の護衛の為に随伴する事となり、第七艦隊は二群に分断される事となる。
更に第七艦隊第三戦隊(空母戦隊)は一時的に第一艦隊と合流する事となり、同戦隊の護衛であった第四戦隊と第五戦隊はマキリの囮艦隊として抽出される。
第二艦隊は長門、伊勢、日向が第一艦隊へ合流し、同第二第三戦隊はタルワ輸送船団の護衛に、第四戦隊は囮艦隊として第九艦隊と合流した。
また第一艦隊第三戦隊はマキリ輸送船団の護衛として抽出された。
その編成は以下の通りとなる。
第九艦隊(タルワ囮)
独立旗艦:駆逐艦霧雨
第一戦隊:駆逐艦霧風、雪風、浜風、巻雲、磯風、時雨
第二戦隊:軽巡川内
第二艦隊第四戦隊(タルワ囮)
重巡高雄、空巡最上、熊野、鈴谷、三隈
第二艦隊(タルワ船団護衛)
第二戦隊:軽巡大淀、駆逐艦山雨、秋雨、夏雨、早雨、高潮、秋潮、春潮、若潮
第三戦隊:軽巡北上、駆逐艦初春、初霜、子日
第七艦隊分遣隊(マキリ囮)
第四戦隊: 軽巡能代、駆逐艦早霜、朝霜、秋霜、浜波
第五戦隊:軽巡鈴鹿、駆逐艦大月、山月、浦月、葉月、青雲、紅雲
第一艦隊第三戦隊(マキリ船団護衛)
軽巡吉野、駆逐艦春雲、天雲、八重雲、冬雲、雪雲、霜風、沖津風、朝東風
第九艦隊は艦隊旗艦と戦隊旗艦に高性能電探を備える霧雨型駆逐艦を配置し、第二艦隊第四戦隊の5隻と直接的に伝達出来るよう通信網を構築した。
第二艦隊第四戦隊は第九艦隊の麾下に付き、船団護衛の第二艦隊第二第三戦隊は松田 秋将少将が戦艦伊勢から軽巡大淀に移乗し指揮を取る事になっている。
マキリへと向かう第七艦隊分遣隊と第一艦隊第三戦隊にも中将クラスの将官が乗り込み万全を期す態勢を整えた。
とは言え作戦自体には問題が山積みであり、神重作戦参謀から提示された作戦概要は正に綱渡りの如き内容であった。
だが最大の問題は、この救出作戦がタルワとマキリの守備隊に伝わっているかが不明瞭である事だった。
タルワとマキリの地上施設は米軍の爆撃や砲撃で通信設備が完全に破壊されており、受信は小型の通信機でも可能だろうが、発信は不可能であろうと推測されている。
つまりナウラ基地から発信された作戦暗号電文が正しくタルワとマキリに届いているかどうかを確認する術が無いのである。
因みにそれなりに高出力の指向性蒼子波通信装置を設営しているタルワ増援部隊からの返信は確認されているが、増援部隊と守備隊の間には米上陸部隊が陣取っているため直接的(物理的)な連絡は実質不可能であり、守備隊からの通信への応答も無いとの事であった。
だが、返信が無くとも行かないと言う選択肢は無い、綱渡りだろうが不明瞭だろうが行くしかないのだ。
同胞を見捨てられないと言うのは勿論ではあるが、本戦争に於いて海軍はやらかしまくっていると言う点が非常に大きいだろう……。
戦争の原因こそ陸軍の暴走によるものであるが、本戦争に於ける陸軍の窮地の8割は海軍の慢心と不手際によるものだ。
ミッドランの慢心、ガーナカタルの失策、それらを大和の活躍によって挽回したかと思えば今回再度の慢心である……。
そろそろ全方位から責められる永野総長の胃が苦悩で擦り切れる頃合いではなかろうか……。
自業自得と言えばそれまでであるが……。
とまれ準備は整った、後は日輪海軍の伝統足る夜戦を以って苦境に立つ同胞を救い出すのみである。
マキリ方面より危険を伴うであろうタルワ方面の囮艦隊を指揮する第九艦隊司令片桐 吉辰中将は帽子を深くかぶり直し、眼光鋭く日没間近の水平線を睨み付けている。
例え艦隊が全滅の憂き目に遭おうとも、タルワの米艦艇の全てを引き付けて見せる!
片桐提督は不惜身命の覚悟を以って挑む決意をしていた。
やがて日は落ち、連合艦隊総旗艦赤城より作戦開始が下令される。
それを受けた各艦は推進機に蒼燐の火を灯し漆黒の海原をゆっくりと突き進み始めるのであった。




