第百ニ十四話:ジェイソン・B・オルデンドルフ
黄昏時の赤く肥大化した太陽に照らされる巨大空母に次々と疲弊した様子の航空機が舞い降りて来ている。
各艦の飛行甲板は作業員と航空機で溢れ、現場と管制室からは責任者と思しき兵士が口早に指示を飛ばしている。
帰還して来る機体はパイロットは疲弊しているが損傷機は思いの外少ない事が作業員達にとっては救いであった、だがそれは魔剣の攻撃を受けた機はほぼ確実に撃墜されるからでありパイロットからすれば絶望であっただろう……。
だが絶望し疲弊するパイロット達を慮る余裕は無く、日没までに全ての帰還機を着艦させなければならない飛行甲板上と格納庫内は紛れも無く戦場の様相を呈している。
そんな息つく暇も無く忙殺される飛行甲板の作業員と格納庫の整備員達を尻目に、通夜の様に静まり返り何もしていない集団が空母レキシントンⅡの格納庫の一角に存在していた。
整備するべき機体が待てど暮らせど帰って来ないチャンプ・ヴォート社のXFAF-02整備チームである……。
「《どういう事!? なぜ誰も帰って来ないのっ!? もう一度航空管制に問い合わせてっ!!》」
慌しい格納庫内の一角でヒステリックな金切り声を上げているのはチャンプ・ヴォート社の制服を着た金髪女性、リーニャ・パプリトン技術主任であった。
そこには知的なキャリアウーマンの姿は無く、焦燥感に苛立ち狼狽え周囲に当たり散らすヒステリックなだけの女性が右往左往していた……。
その後、日没直後に最後と思われる機体が着艦した事で艦隊は着艦作業を終了してしまう。
その判断に半狂乱となったリーニャが艦橋に怒鳴り込み、スプリンガン隊の出撃を強制して来た参謀少将のアルファン・ハボンを問い詰めるがハボンが意に介さなかった為に激昂したリーニャが彼に掴み掛る一幕があった……。
結果リーニャは艦橋から摘まみ出され兵士の監視の元、自室謹慎となってしまう。
そして自室に軟禁される事数時間、時計の針が21時を指し示めそうとした時、リーニャの部屋に慌てた様子の部下が飛び込んで来た。
「《しゅ、しゅしゅしゅ主任っ!! た、たった今、エメルティアが味方駆逐艦に救助されていると報告が有りましたっ!!》」
女性の部屋のドアをノックもせずに開け放ち開口一番息荒く捲くし立てる部下の言葉に、リーニャは口を半開きに唖然としている。
しかし、それも数秒の事で、部下の言葉を理解したリーニャの表情は真っ青になり、その唇は小刻みに震えだした。
「《エ、エメルティアが……XFAF-02に乗っている筈のエメルティアが……どうして駆逐艦に救助されていると言うの? そんなの可笑しいわよねっ!? XFAF-02は? 機体はどうなったのっ!? ねぇっ!!?》」
「《しゅ……主任!? おおおお落ち着いて下さいっ!!》」
真っ青な表情のまま、目を血走らせ迫って来る上司に部下の男性は怯えて廊下まで後づ去る。
彼女の監視の為に扉の前に立っていた兵士が諫めようとするが、その血走った眼で睨まれ、その場に固まってしまった。
「《ねぇっ!! XFAF-02はっ!? 私のXFAF-02はどうなったのっ!? 1機くらいは無事なのでしょう!? ねぇ!? ねぇっ!!》」
血走った眼で凝視され両肩は力の籠った彼女の両手に固定され逃げ場を奪われた部下の男性は僅かに涙目になって怯えている。
監視の兵士は気の毒そうに部下の男性を見てはいるが助けに入る様子は、無い……。
「《い、いやぁ……そのぉ……駆逐艦から届いたエメルティアの報告によるとですね……エメルティア以外の隊員は全員死亡、機体も……全機全損……つまり……そのぉ……全滅、との事らしいです……》」
部下の男性は上擦った口調で歯切れ悪く、リーニャの様子を探る様に、しどろもどろと言葉を紡ぐ。
「《……ぜん……めつ……???》」
部下の言葉を聞いた瞬間リーニャはその場に固まり視線は虚空を彷徨い、そして膝から崩れ茫然とする。
「《あ、あの主任ーー》」
「《ーーい……嫌ぁああああああああああっ!! 私のスプライトがぁあ あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!!》」
部下が恐る恐る声を掛けた瞬間、リーニャは両手で頭を抱えたまま蹲り断末魔の叫びの如く絶叫した……。
その様子をドン引きした表情で見下ろす部下と兵士は互いに顔を見合わせ、部下は肩を竦め兵士は呆れた様に溜息を吐いて頭を振った。
その後、リーニャの絶叫は暫く続いたと言う……。
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一方で空母エンタープライズの艦橋ではハルゼーが異名で有る猛牛の如く荒れに荒れていた。
然も有ろう、結果だけを見れば魔剣を1機も撃墜する事が出来ず自軍は50機もの喪失を被り、殆ど損害を出す事無く目標地点に到達出来た日輪攻撃隊の空爆によって米上陸部隊は甚大な損害を出してしまったのだ。
戦術的には完全な敗北である。
ただ、その後に統制を取り戻した米迎撃隊は奮戦し、8機の魔剣を大破後退させている。
これによって4名の剱操縦士が重傷を負い内地療養を余儀なくされていた。
剱の操縦士は現状替えが効かない為、先の柳生を含めて5名の操縦士を失った事になる。
更に大破した機体はナウラ基地では完全には修理が出来無いので夢島工廠(皇京湾から南に100kmの円形列島にある基地)に送られる事となり、現地で稼働可能な剱は16機(八咫烏除く)にまで減少していた。
一騎当千の剱が9機も稼働不可となった事実は、制空を剱に頼り切っていた日輪軍にとって数値上より遥かに大きな損害であった。
だがその事実をハルゼーが知る由も無く、報告書に書かれている文章はハルゼーにとって絶望的な内容にしか見えなかった。
故に今、エンタープライズの艦橋では激昂した猛牛が暴れているのである……。
「《ーー合衆国の戦闘機は紙ででも作られているのかぁっ!? それともパイロットに小学生でも使っておるのかぁああああっ!!》」
「「「「「「《……》」」」」」」
「《いや流石に紙はーー》」
「《ーー黙れ!》」
「《ふぐぅっ!?》」
激昂するハルゼーにまたも情報を読まない情報士官が口を挟もうとするが、周囲の将校が素早く彼の首に腕を巻き付け口を塞ぎ、事なきを得る。
その後も暫くハルゼーの怒号は響き渡り、参謀達は神妙な表情で猛牛の嵐が過ぎ去るのを待つのであった……。
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「《はぁ……はぁ……はぁ……。 それで? 上陸部隊の現在の状況はどうなっている?》」
一頻りストレスをぶち撒け落ち着きを取り戻したハルゼーが、参謀達を眼光鋭く睨み付け問う。
「《は、はいっ!! 日輪軍の空爆を受けたタルワとマキリの上陸部隊は陸軍が1割、海兵隊が2割の損失を被った為、前線を後退させヒル陸軍中将の指示で制圧済みの各島から兵員を抽出し再編中です》」
「《ふむ、穴蔵のジャップに動きは無かったのか?》」
「《は、はい!! トーチカと地下壕のジャップが打って出て来る事は無く、爆撃によって混乱した友軍が後退し立て直す事が出来た様です》」
「《ふむぅ……下手に打って出るより籠城して援軍を待ち挟撃する腹積りか……》」
部下の報告を聞き獰猛な表情のまま思案するハルゼーに部下達はその一挙一動を固唾を飲んで見守っている。
当然、情報の読めない情報士官は将校の太い腕で拘束されたままである……。
「《日輪側に揚陸の動きは?》」
「《現在の所有りません》」
「《マキリ方面にはポウノール艦隊とアイオワ級戦艦を擁する主力分遣艦隊が、タルワ方面にはモントゴメリー艦隊とターナー艦隊、そして戦艦11隻を擁するオルデンドルフ艦隊が展開しておりますからな! ジャップの脆弱な上陸部隊では歩兵一人とて上陸出来んでしょう!!》」
「《ふん、ジャップは必ず夜陰に乗じて上陸して来る、最悪魔王を投入して来る可能性も考えておけ》」
部下の報告にハルゼーは鼻を鳴らし忌々し気に魔王の名を口にする。
本来の予定ではタルワとマキリの飛行場を確保しており基地航空隊を運用出来ている筈であった。
そうすれば対魔王の秘策を使う事が出来のだが、トーチカに立て篭もる日輪軍を放置して飛行場を確保するなど出来よう筈が無かった。
若し今、魔王がこの戦場にやって来れば、カルヴァニック作戦は瓦解する可能性が非常に高い。
キルバード攻略艦隊の総力を以ってすれば、如何な魔王とて戦闘不能には追い込めるだろう。
だがそれには相当数の損害を覚悟せねばならず、それではキルバードを足掛かりにマーセルを落とし、ミクロンネイシア諸島を経てトーラク、マリアヌ諸島に到達する事を目標とするカルヴァニック作戦の遂行は不可能となってしまう。
そして、ハルゼーのその懸念は現実のものとなりつつあった。
米国が魔王と恐れる大和型戦艦、その二番艦武蔵が今まさに、米艦隊に迫っていたからである。
日輪艦隊はタルワ西北西60km海域を30ktで東南東に南下しており、先頭に第九艦隊の軽巡川内、駆逐艦雪風、浜風、巻雲、磯風、時雨、霧雨、霧風が対潜警戒を厳にしつつ展開し、その後方に第七艦隊旗艦戦隊の戦艦武蔵、紀伊、尾張、同第一戦隊の重巡吾妻、浅間、日高、春日、同第ニ戦隊の軽巡六角、駆逐艦巻波、高波、清波、玉波、涼波、早波が展開している。
第七艦隊の空母機動部隊である第三戦隊とその護衛である第四、第五戦隊及び第二艦隊は輸送船団を伴い120km後方に展開し、揚陸の機会を窺っている。
この時、米前衛艦隊であるモントゴメリー艦隊(重巡10隻、軽巡4、駆逐艦12)はタルワ南西20kmに展開しており、日輪艦隊とは直線距離で70kmの位置に在った。
そして11月23日22時18分、日米艦隊は略同時に互いの存在をレーダーに捉える。
ただこの時モントゴメリー艦隊が補足したのは日輪第九艦隊のみであり、その後方に展開する魔王の存在に気付いたのは、その砲撃を受けた後であった。
「《ほ、報告っ!! 重巡イェール轟沈、ヨセミテ大破っ!!》」
「《ボルチモア級が一撃轟沈だとっ!? サ、魔王だ……魔王が居るぞぉっ!!》」
「《た、退避だっ!! 後退しろぉっ!!》」
たった1発の命中弾で頑強な筈のボルチモア級の艦体が砕け爆沈する様を眼前で見せ付けられたモントゴメリー艦隊は魔王の存在を感じ取り恐怖に慄いた。
「《オ、オルデンドルフ艦隊に支援を要請しろ、今すぐにだっ!!》」
同型の僚艦が無残に砕け散る様を見たモントゴメリー提督もまた恐怖に慄き、後方に展開している筈のオルデンドルフに助けを求める。
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「《サ、魔王だとぉっ!?》」
モントゴメリーからの救援要請を通信手から受けた戦艦コロラドの艦長は血の気の退いた表情で叫ぶ、その口調は恐怖で上ずっていた。
「《こ、この艦隊の速度では今直ぐ離脱せねば間に合わんっ!! 閣下、今すぐ全艦に転舵の御命令をっ!!》」
艦隊参謀も魔王の名を聞き青ざめながらオルデンドルフに即時撤退を進言する、その口調は矢張り恐怖で上ずっている。
「《……また儂の前に立ちはだかるか、魔王……》」
それまで座して沈黙していたオルデンドルフがゾッとする様な声で呟くと勢いよく杖を床に突き立て甲高い金属音を響かせながら立ち上がる。
「《か、閣下?》」
この艦隊に配属されてからと言うもの、覇気無く自虐に走るオルデンドルフの姿しか見て来なかった参謀達は息を呑んだ。
「《魔王を撃退せねば間違い無く作戦は瓦解する、此処で迎え撃つしかあるまい》」
「《なっ!? か、閣下それは……っ!?》」
「《ほ、本艦隊の主砲はコロラド級が20in(50㎝)で他の艦は18in(45㎝)しか有りません、至近距離ですらアイオワ級の23in(58㎝)砲が効かなかった魔王を沈める事は物理的に不可能ですっ!!》」
眼光鋭く冷静な口調で魔王迎撃を口にするオルデンドルフに周囲の参謀達が慌てて諫めに掛かる。
オルデンドルフ艦隊が最新鋭戦艦のモンタナ級で構成されているならまだ勝機は有るだろうが、旧式戦艦で固められた艦隊では犬死しに行くようなものだと参謀達は焦っていた。
「《ふん、確かに、この旧式艦隊では魔王の装甲に傷一つ付けられんだろうな……》」
「《そ、その通りです閣下、ですので此処は速やかな撤退をーー》」
オルデンドルフが部下の意見を肯定した弱気な発言をしたと思った部下はここぞとばかりに撤退を進言しようとする、が、それはオルデンドルフの「《だが》」と言う言葉に遮られた。
「《魔王を撃退するのに何も装甲を貫く必要は無い、レーダーや射撃装置を破壊し魔王の眼を奪うのだ、リー提督の二番煎じだが老兵らしい戦い方だろう?》」
冷静なだが獰猛な笑みを浮かべてそう言い放つオルデンドルフの迫力に誰も反論が出来なかった。
其処には自虐に腐った老兵の姿は無く、腕の無い左袖口を翻し金属製の杖を床に突き立て義足となった左足をものともせず威風堂々たる立ち姿で隻眼の眼光鋭く漆黒の海原を睨み付けるジェイソン・B・オルデンドルフ提督の姿が在った。