第百ニ十二話:超感覚《クオリア》
蒼空を群れを成し飛行する300機を超える米戦闘機編隊。
日輪軍の破轟弾を警戒し密集陣形こそとっていないが、それでも蒼空を覆うほどの大編隊は圧巻である。
その最後尾付近に歪な菱型編隊で飛行する4機の白い戦闘機は、ウルキア人部隊であるスプリガン隊であった。
『《エイシュマット、前に出過ぎだ!! ハルミラーゼ、高度を維持しろ!! セヴェルグ……機体をちゃんと安定させろっ!!》』
先頭を飛行している複座機から隊長であるコール・ウラキーノ少尉の怒号に近い声が響く。
やはりコールが危惧した通り、3名の年若パイロットの技量は及第点以下で有るようだった。
更にコールの頭を悩ませているのは……。
『《アハ……アハハハッ!! すみません隊長、早く敵機を墜としたくて気が逸ってしまって……っ!!》』
『《ひぃあああ……高い……高いって!! 墜ちたら……墜ちたら死んじゃうぅってぇえええ!!》』
『《僕は……僕は……僕は出来る、僕は出来る、僕は出来るんだ……ああそうだ僕は出来る……だってリーニャさんが……そう言ってくれたんだっ!!》』
3名の若年パイロット達の不安定な精神状態だった……。
しかし、3人は別に精神疾患を持っている訳では無く、同調薬と称する薬剤を投与され感覚強化されている結果なのだ。
『《くそっ!! 技量も低い精神は不安定、こんな奴らの指揮何て無理だろっ!!》』
『《無理でもやるのが貴方の役目、リーニャの指示を忘れないで》』
『《チッ!! うるせーよウルキー女、お前なんかに言われなくとも分かってるさ!!》』
編隊飛行すら覚束ない若年パイロット達の技量にコールが吐き捨てる様に独り言ちると、後部座席のエメルティアが抑揚も感情の無い口調で苦言を呈して来る。
それにコールは舌打ちし口調を荒げながら反論する、と同時に出撃前の出来事を思い出す……。
《《良いこと? 敵との交戦はパフォーマンス程度に留めてエメルティアの安全を最優先にして頂戴。 最悪、あの子達を犠牲にしてでもエメルティアを無事に連れ帰るのよ?》》
端正な顔に感情を表す事無くそう耳打ちして来たリーニャ・パプリトンの言葉と、そして鼻を擽る上品な香水の香りを……。
『《……くそっ!! どいつもこいつも胸糞悪ーー》』
『《ーー方位3.1.5、上方8より敵機っ!!》』
コールが苛立ちを口に出そうとしたのと同時にエメルティアが叫ぶ。
『《なっ!? ほぼ直上じゃねぇかっ!! 全機俺に続けぇっ!!》』
叫ぶが早いかコール機が機体を右に傾け急降下を始める。
その次の瞬間、スプリガン隊の前方を飛んでいたF4U数機の機体表面が爆ぜ砕け爆散する。
『《敵機数は5機、形状と機動性から魔剣と断定》』
『《ちぃーーっ!! 俺達は最後尾に居るんだぞ、前衛が全く気付けないとか、どれだけ高空から来やがったんだ化け物めっ!!》』
エメルティアが抑揚も感情も無い口調で状況報告をし、コールは歯噛みしながら操縦桿を更に押し込む。
高空から突如飛来した日輪軍機にF4U編隊が攪乱され混乱する中、スプリガン隊は高度を下げ距離を取り様子見に徹している。
そのF4U隊を盾にする様な行為にコール自身内心穏やかではいられなかったが、上官から課された使命完遂の為と己に言い聞かせ罪悪感に耐えていた。
『《隊長ぉ、何で逃げるんですかぁ!? 俺達も戦いましょうぉおおっ!!》』
コールの行動に不満を漏らして来たのはエイシュマットと呼ばれた16歳の少年兵であった。
3名の若年パイロットの中では最年長で最も技量が高く活発な性格であるが、感覚強化の弊害によって攻撃性が増し暴走する危険性を孕んでいる。
『《ダメだっ!! 隠密機であるXFAF-02は敵機の不意を衝く事に特化した機体だ、今は機を待て!!》』
『《そ、そうだよぉ……下手に戦ったら死んじゃうってぇ……死にたくない……私は死にたく無いよぅ……》』
エイシュマットを諫めるコールの言葉の後に情緒不安定な怯える声で続いたのはハルミラーゼと呼ばれた15歳の少年(少女)兵であった。
元々の性格は虫も殺せない心優しい少女であるが、感覚強化の弊害で極端に死を恐れる傾向が増し3人の中で最も不安定な精神状態となっている。
『《僕は出来る……僕は出来る……僕は出来る……リーニャさんの……為に……っ!!》』
編隊の殿を雛鳥の様に覚束ない飛び方で飛行しながらブツブツと呟いているのはセヴェルグと呼ばれた15歳の少年兵であった。
彼は3名の若年パイロットの中でも特に技量が低くく素の性格は気弱で有った、だからリーニャはプロジェクトの為セヴェルグには特に優しく接していた、それによって彼女は彼の心の拠り所となっていたのだ。
その心の拠り所が自分達をエメルティアの為に使い捨てての良いと考えているなど想像もしていないだろう……。
『《お前達はまだ魔剣と戦えるレベルじゃない、今回は下手に戦おうとせずに生き残る事を優先しろっ!!》』
今回の出撃はコール達レインボー計画のメンバーにとって望まぬ出撃である。
彼等の目的はレインボー計画の完遂唯一つであり、敵機との交戦はデータ収集を目的としたものであって敵機の撃墜はそのついで過ぎない。
なので想定外に強過ぎる魔剣との戦闘は貴重な試作機と実験体を失うリスクばかりで旨味が無い。
だからこそリーニャは敵との交戦をパフォーマンス程度に留めろと、即ち戦っている振りだけして帰って来いと耳打ちして来たのだ。
23歳の血気盛んなコールはその方針に不満を隠し切れていないが、テストパイロットで有る以上計画の方針には従う他ない事も理解している。
『《あぁあああっ!! 右からも左からも敵が来てるぅっ!? 囲まれているのぉっ!?》』
空戦から何とか遠ざかり回避行動を取り続けるスプリガン隊、そんな中ハルミラーゼが怯えた口調で叫び出した。
だが米編隊は破轟弾を警戒して広範囲に展開しており、左右両翼の部隊の状況など肉眼で見える筈も無い。
『《落ち着けハルミラーゼ!! 何だ? 敵を感じ取っていると言うのか? エメルティア、ハルミラーゼの言っている事は本当かっ!?》』
『《……左翼と右翼の部隊が其々5機、先頭部隊が9機の魔剣と思しき敵機の攻撃を受けてる。 敵機の動きから攪乱が目的と推定》』
恐慌状態に陥りつつ聞き捨てならない事を叫ぶハルミラーゼにコールが声を荒げて後部座席のエメルティアに事実確認をする。
それを受けたエメルティアは数秒目を閉じると抑揚と感情の無い口調でハルミラーゼの言葉を肯定する状況報告を行った。
XFAF-02には剱の様なレーダーは搭載されていない(複座機は僚機の観測用の近距離レーダーを搭載しているが)
故に見えない筈の敵機の存在を感じ取っているハルミラーゼの言動と更に方位と数を正確に報告出来るエメルティアは科学理論の外側の力を使っているとしか思えないのである……。
そんなエメルティアの非科学的な能力を最初は全く信用していなかったコールで有ったが、魔剣との初接敵の際、視覚外から超音速で突っ込んで来る魔剣の存在をエメルティアが正確に感知した事から半信半疑ながらも信じる様になっていた。
『《たった24機で300機以上の米迎撃隊に突っ込んで来たってのかっ!!》』
10対1以上の戦力差で突っ込んで来る、それは常識では考えられない無謀な行為だが魔剣には常識と言う言葉は当てはまらない様な気がしコールは改めて戦慄を覚える。
その時、歪な機動で回避行動を取る友軍機がコール達の眼前に現れ、そして真上からの銃撃を受けて爆散する。
『《なっ!!?》』
突然の出来事に驚愕するコールの頭上から眼前を銀色の戦闘機が落雷の如く駆け抜けて行き、そのまま信じられない角度と速度で上昇し迫って来る。
『あっはぁ!! 《白鼬》見ぃつけたぁ! 皆ぁ、消えちゃう前にドーンと叩くよぉっ!!』
強烈なGに耐えながら無邪気な声と笑顔を浮かべコール達に迫って来るのは、零空隊屈指の戦闘狂である中沢琴音とその一味であった。
『《ーー全機散開っ!!》』
刹那の恐怖に戦慄するコールが咄嗟に機体を捻りながら叫ぶのと魔剣からの銃弾が撃ち上がって来るのは略同時であった。
若年パイロット3名もコールが叫ぶより早く反応し回避行動を取っていたがエイシュマットとセヴェルグは紙一重で躱したもののハルミラーゼ機が避け切れず直撃を受け機体下部が爆ぜる。
『《キャァアアアアアアアアアアアアッ!! そ、操縦桿が動かないぃいいいいっ!? た、助け……誰か助けてぇえええええええっ!!!!》』
魔剣の放った銃弾はハルミラーゼ機を撃ち抜きハルミラーゼ機は機体上下から白煙を噴き出し急速に高度を失っていく。
『《ぐ……うっ!! 全機光学迷彩起動っ!! ハルミラーゼ、脱出しろっ!!》』
コールが緊急回避による強力なGに耐え機体を制御しながら僚機に指示を出す。
それによってエイシュマットとセヴェルグが慌てて光学迷彩を起動し、コール機を含めるスプリガン隊の3機の姿が蒼空に溶けて消え去る。
『《そ、操縦桿が動かないぃいいいいっ!! 死に……死にたくない……っ!! 誰かたすけてぇえええええっ!!》』
しかし、白煙を噴きながら墜ちて行くハルミラーゼは完全に恐慌状態となりコールの指示も聞こえていない様であった。
『《ハルミラーゼっ!! 操縦席の左に有るカバーを開けてレバーを引けっ!!》』
『《た、隊長っ!? カ、カカカカバー!? レ、レレレレバー!? あ、あったっ!! これを引け……ば……え?》』
漸くコールの声が届きその指示に従ってレバーを引こうとするハルミラーゼ、しかしその眼前には既に海面が真近に迫っていた。
そしてハルミラーゼ機はそのまま海面に突っ込み、爆散する……。
『《うぉあぁあああああっ!!? ハ、ハルっ!? ハルが、ハルがぁああああああああああっ!!》』
『《そ、そんな……嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だっ!!》』
『《ハルミラーゼっ!? くそっ!! どうする……こんな序盤で光学迷彩を使う羽目になるとは……っ!!》』
突然の仲間の死、それによって只でさえ不安定なエイシュマットとセヴェルグの精神状態は更に掻き乱され真面な判断能力が期待出来るか怪しい状態で有った。
加えて光学迷彩を起動してしまった以上、戦うにせよ逃げるにせよ今即決する必要が有る。
XFAF-01とは違いXFAF-02は光学迷彩の再使用が出来ないからである。
『《こんのぉ、クソジャップがぁああああああああああっ!!》』
『《……エイシュマット機が加速、魔剣に突撃する模様》』
『《ーーなにっ!?》』
数秒のコールの迷い、それによって発生した時間的空白、それは頭に血が上ったエイシュマットが独断行動を取るには十分な時間で有った。
加えてコールには光学迷彩を展開した僚機の姿が見えない為、視覚による判断が遅れてしまい抑揚と感情の無い口調で放たれたエメルティアの報告によって状況を知った。
『《よせ、そいつ等はーー》』
『《ーーハルの仇ぃいいいいいっ!! 死ぃねぇえええええええええっ!!》』
コールがエイシュマットを止めようと声を張り上げる、がその声は届かずエイシュマットは怒りに任せた咆哮を上げ魔剣の背後を取り照準を合わせる。
『あはっ! 其処に居たんだぁ? そぉんなに殺気を出してちゃあ、せっかく姿を隠しても丸分かりだよぉ!?』
言葉と同時に機体を捻りながら瞳に怪しい光沢を宿し口角を上げる零空隊の紅一点、エイシュマットが狙ったのは選りにも選って零空隊で最も超感覚に優れる中沢琴音であった。
『《消えーー後ろぉおおっ!!?》』
直前まで照準内に捉えていた筈の中沢機が突如視界から消えた。
刹那、背後から殺気を感じ取り慌てて機体を捻るエイシュマットだったが中沢機の放った銃弾がエイシュマット機を蜂の巣にする方が早かった。
『《げぼぉぐぁっ!! こ、こんな……俺は……まだ……俺……》』
エイシュマット機は被弾した事で光学迷彩が解けコクピットは鮮血に染まる、そして白煙を纏い錐揉みしながら海面に激突して爆散した……。
『何だろう? すっごぉく感覚が研ぎ澄まされてる感じ……。 何か分かる……残りの白鼬は……そこかなぁ!?》』
エイシュマットを墜した中沢は嬉々とした表情で何も無い蒼空を凝視している。
果たしてその位置にはコール機とセヴェルグ機が潜んでいた。
『《……敵機が来る、何故? あのパイロットの超感覚が研ぎ澄まされている? 私達と共鳴する事で、覚醒して……いる? だとしたら……》』
エメルティアが相変わらずの感情も抑揚も無い口調で独り言ちる。
だがヘルメットの奥の彼女のこめかみからは一雫の汗が伝っている。
『《くそ、エイシュマットまで……っ!! このままじゃ拙い……。 セヴェルグ今すぐ此処から離脱ーー》』
『《ーーセヴェルグ、エイシュマットを殺した奴を撃墜して、リーニャに認められた貴方なら出来るよね?》』
あっと言う間に部下が2機も墜とされた現状に危機感を抱いたコールがセヴェルグに離脱の指示を出そうとした。
だがそのコールの指示は後ろから聞こえて来るエメルティアの声に被せられ阻まれた。
『《ーー!! も、勿論だよ、僕は出来る!! 僕になら……出来るんだっ!!》』
エメルティアの言葉に乗せられセヴェルグ機が一気に加速し中沢機に迫る。
『《エメルティア、お前……どう言うつもりだっ!? セヴェルグ待て、止まれっ!!》』
『《叫んでも無駄、無線は封鎖したから》』
エメルティアの勝手な行動にコールが激昂し彼女を問い詰める。
しかしエメルティアは悪びれる事も無く感情も抑揚も無い口調でセヴェルグとの通信を遮断した事を伝えて来た。
『《っ!! お前はーー》』
『《ーーセヴェルグが足止めしている今が安全に離脱出来るチャンス、リーニャの指示をもう忘れた?》』
『《…………了解だ、離脱する!!》』
自分の言葉を意に介さない無感情なエメルティアに、吐き捨てるような口調で了承の意を伝えたコールは、一気に機体を加速させ空域から離脱を開始した。
一方でエメルティアに焚き付けられ捨て石にされたセヴェルグは拙ないながらも必死に中沢機からの攻撃を躱し喰らい付こうとしていた。
『操縦技術は未熟なのに上手く躱すねぇ! まぐれじゃ無くとおっても感が良いんだねぇ!!』
自分の攻撃を躱されているのに上機嫌な中沢、戦闘を少しでも長く続けられる相手に好感を持つ、これが中沢が戦闘狂と言われる由縁の一つである……。
『でも、これで……お〜わりっ!!』
そう言って中沢はセヴェルグ機に向けて数発の射撃、それに反応したセヴェルグ機はギリギリでそれを躱す、が、それは中沢の罠であった。
セヴェルグ機が躱した先に偏差射撃を行う中沢、放った銃弾は吸い込まれる様にセヴェルグ機に命中する。
『《うわぁあああああ!! ぼ、僕は出来る…… 僕は出来る……筈なんだ……!! 僕は……リーニャさん……》』
それがセヴェルグの最後の言葉となった、直後彼の機体は爆散し、僅か15歳の少年は蒼空の塵と消えた……。
『あれ? もう一機は……逃げた? ……ふぅん、仲間を捨て石にして自分だけ逃げたんだぁ? 私、そう言う人……嫌いだなぁ……』
先程までの嬉々とした表情から一変、中沢の顔から表情が消え真顔になっている。
『皆ぁ、悪いんだけど周りの雑魚のお相手お願いねぇ? 私はぁ……あの卑怯者をドーンと追っかけるからぁ!!』
言うが早いか中沢は何も無い蒼空に視線を向け機体を急加速させる。
果たしてその先には少年兵を捨て石に逃げ去ったコール機が在った。