第百十七話:武運長久の祈り
「《バ、バスに乗るのに軍票50枚だとぉっ!?》」
「《ふざけるなっ!! 通常の25倍じゃないか、そんな暴利が許されるものかっ!!》」
仏国人達は柴村が提示した運賃に激怒し詰め寄って来る。
軍票1枚は概ねパン一個分の価値が有る、21世紀の円換算だと100円前後となるので、今まで200円前後だった運賃が5000円前後になると言われれば仏国人が激怒するのも当然で有ろう。
「《……暴利? 自分達は白人だから島民と一緒のバスに乗るのはおかしいと言ったのは貴方達自身だろう? それはつまり島民より白人を優先しろ、と言う事じゃないのかな?》」
「《そ、そうとも!! そう言っている!! だがそれでバスの運賃が25倍になるのはおかしいだろう!!》」
「《そうだそうだっ!! 武力侵攻して占領した挙句に搾取しようとは、日輪人は恥を知らないのかっ!!》」
激怒しながら詰め寄る白人達に微塵も臆する事無く涼しげで爽やかな笑顔でそう言い放つ柴村に仏国人達は怒りに任せて捲し立てる。
話の内容が分からない戸高と運転手達は不安気な表情で柴村と仏国人を交互に見ている。
「《搾取? それは君達フランジアスがこの島の先住民達にして来た事だろう? 僕は君達が特別扱いをしろ、と言って来たからその要望を叶える為に必要な経費を上乗せした金額を提示しただけだよ? 君達が ” 我儘 ” を言わなければ増やす必要の無い車両と運転手、その維持費と人件費、まさかそれ等全てを我々に負担しろ、とでも言うのかな?》」
「《な……っ!? ぐ……それは、い、いや! そもそもバスや公共施設の使用は我々フランジアス人が優先で有るべきだろう!! だから我々は当然の権利を主張しているだけだっ!!》」
「《その認識がそもそも間違いだね、今まではどうだったのか知らないけれど、現在この島は我が大日輪帝国の統治下に有る。 その我々からすれば白人だろうが黒人だろうが優劣は無い、 ” 平等 ” 何だよ、それが気に入らないと言うので有れば対価を払って優遇措置を受けるか、我慢して平等を受け入れるか、或いはこの島を出て行くしか無いと言う事だね、お分かりかな?》」
「《ふ、ふざけるな!! この島は我々が祖父の代から50年掛けて開拓して来たんだ!! それを武力侵攻で占領して我々の権利を侵害し対価を要求するなど、許されるものか、恥を知れっ!!》」
柴村の言葉に仏国人男性は激昂すると島の所有権を主張し怒鳴り散らす、それに対し柴村は呆れた様にため息をついた。
「《その50年前に武力で島を占領し島民達を奴隷の様に扱い搾取して来たのは貴方達では? 島民達の権利を武力で奪った貴方達が、同じ事をされたら其れを非難し権利を主張する? 恥を知るべきなのは貴方達の方だと僕は思うけどね?》」
そう言うと柴村は爽やかな笑顔を仏国人達に向ける。
仏国人達は苦虫を噛み潰した様な表情で柴村を睨むが、それ以上言葉は出て来なかった。
「《それで? 仏国人専用バスはどうするんだい? 本当に必要なら手配するけど? 但しその場合は仏国人全員が島民用のバスに乗る権利は無くなるけどね? 勿論、そうなった経緯は我々から仏国人コミュニティに通達するから心配は要らないよ?》」
「《な……っ!?》」
「《お、おい、拙いんじゃ無いか?》」
爽やかな笑顔を維持したまま、その笑顔に圧力を増してこの件の事と次第を島の仏国人達全員に周知すると言う柴村。
その言葉を聞いた仏国人達の表情が焦りと困惑の入り混じったものになる。
片道50票の運賃など現在の自分達に払える筈は無い、労働力に逃げられたり人件費の高騰によって収入の激減した他の仏国人も懐事情に大差は無いだろう。
そんな状況下に置いて自分達の起こしたトラブルが原因で格安のバスが使えなくなる……。
そんな事になれば自分達は仏国人コミュニティから追放されるか、最悪殺される可能性すら有る……。
そう思い至った仏国人男性達の顔はみるみる青くなった。
「《黙って聞いていれば、黄色い猿が調子に乗るんじゃないわよ!! 私達は誇り高きフランジアス人なのよっ!! アンタ達ジャップとは人間としての格が違うのよっ!!》」
白人男性達が押し黙り騒動は解決するかに思えたその時、突如男性達の後ろに居た仏国人女性がヒステリックに喚き始める。
その発言に驚愕し見開いた眼で女性を見たのは仏国人男性達であった。
「《カ、カトリーヌっ!?》」
「《よ、止せ、言い過ぎだっ!!》」
「《ま、待ってくれ違うんだ、この娘はまだ子供で……っ》」
カトリーヌと呼ばれた女性の発言に更に血の気の引いた仏国人男性達は慌ててカトリーヌの口を塞ぎ柴村に対して言い訳を取り繕う。
「《誇り高く格が違う、と言うのならば其れに相応しい立ち居振る舞いをするべきじゃないかな? ノブレス・オブリージュ(高き地位に在る者はより重い責務が課せられる)は元々君達の国の言葉だろう? それなのに義務を全うする事も無く地位だけを望むなど、流石に厚顔無恥が過ぎるのではないかな? それが分からない程子供では無いと思うのだけど?》」
柴村は優しく微笑み諭す様な口調でそう言った、その言葉にカトリーヌは恥辱に顔を真っ赤にして打ち震えており、男性達もカトリーヌを拘束したままバツが悪そうに視線を逸らし俯く。
「《何れにしても、近日中に正式な治安維持組織が配備される予定になっているからね、貴方達の理屈は彼等には通用しないと思った方が良いよ。 若しそれで今回の様な騒ぎを起こせば、誰であろうと平等に裁かれる事になる、今後もこの島で生活したいなら肝に命じて置いた方が良いよ?》」
「「「「《……》」」」」
爽やかな笑顔を維持しながらそう言う柴村に対し仏国人達はすっかり意気消沈している、対照的に島民達は意気揚々と笑顔になっていた。
「何話してっか全然わかんねーけど、何とか解決したっぽいな?」
「ああ、その様だな」
完全に置いてけぼりにされた戸高達は、柴村の独壇場で推移して行く状況に視線を泳がせるくらいしか出来なかった為、ようやく騒動が収まる事に心から安堵していた。
その後、意気消沈しトボトボと場を後にする仏国人と意気揚々と仕事場に向かう島民達を見送り、バスの運転手達から凄く感謝された戸高達は漸く解放されたのであった。
「柴村、お前仏語ペラペラだったのかよ、何処で覚えたんだ?」
「アハハ、柴村本家は事業として貿易商を商っているからね、幼い頃から色々な国の家庭教師から教わっていたんだよ」
そう軽く話す柴村であったが ” 色々な国 ” とは英仏蘭迎露煌の6ヶ国を指しており、彼はその全てを14歳までには流暢に話す事が出来た。
「うへぇ……流石は平京柴村本家の御曹司だな、俺だったら絶対脱走してる自信が有るぜ……」
戸高が半目のゲンナリした表情でそう言うと柴村は爽やかな笑顔で笑う、正宗と班目は乾いた笑いを発していたが……。
「さってと、これからどうすっかな? この先は工場地帯だし歓楽街はまだ碌に店が無ーしなぁ……」
「もう少し経てば映画館とか劇場とかが出来るみたいなんですけどねぇ……」
そう言いながら戸高と斑目は建設中のレンガの建物を見る。
まだ基礎の部分しか出来てないレンガの建物は完成までに後数ヶ月は掛かりそうだ……。
その時、けたたましいサイレンの音が鳴り響く、音は町の電柱に等間隔で設置されているスピーカーから発せられている。
「これはっ!?」
「空襲警報……では無いな、緊急招集か」
「急いで戻るぞっ!!」
サイレンの音は内容によって発する音の間隔が違い、軍関係者とウィスコペアの住民や労働者はその違いを聞き分けられる為、島民が緊急招集のサイレンでパニックになる事は無い。
むしろ蜂の巣を突いた様に慌てているのは軍関係者の方であった……。
『サントコペア司令部より達する、第十三艦隊の乗員は速やかに艦に帰投せよ! 繰り返す、第十三艦隊の乗員は速やかに艦に帰投せよ!』
「な、何か有ったのかな?」
「わ、分かんないけど、急いで戻ろう!」
「オジサン軍票、ここに置いときます!! ご、ご馳走様でした!!」
突如鳴り響くサイレンと基地司令部からの放送に茶屋で寛いでいた三人娘もわたわたと慌てながら店を後にしパタパタと走り出す。
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「遅くなり申し訳ございません!! 戦術長、八刀神正宗、只今帰着致しました!!」
「ぜぃぜぃ……ふ、副航海長……げほっ! と、戸高竜成……帰着しまし……た……」
戦艦大和の作戦司令室には東郷艦長以下恵比須達三爺を含む幹部が揃っていた。
そこに僅かに息を乱した正宗と息絶え絶えの戸高が入って来る。
「来たか、座ってくれ」
東郷に席に座る様促された正宗は十束の隣に、戸高は西部の隣に座る。
「これで幹部は全員揃ったな、休暇中の者まで緊急招集した事で驚いただろうが、それだけ事は逼迫していると理解して欲しい……」
東郷が眉間に皺を寄せ重苦しい声色でそう切り出す、その様子に只事では無い事を悟った正宗達は固唾を飲んで東郷の次の言葉を待った。
「……キルバードが大規模な米艦隊の強襲を受け、第五艦隊は壊滅し第九艦隊は半壊、陸上部隊が奮闘しているがこのままでは一週間足らずで陥落するだろうとの事だ」
「そんなっ!?」
東郷の言葉にその場の全員が動揺する、キルバードは中部太平洋に置ける防波堤であり、それが抜かれると言う事は日輪海軍の最重要拠点であるトーラクが危険に晒されると言う事になる。
万が一トーラクが陥落する様な事にでもなれば、コメリアの攻撃が日輪本土に到達する可能性も出て来るのである……。
「で、では今すぐにキルバードに向けて出撃でしょうか?」
航海長の西部が血の気の引いた表情で東郷に伺いを立てる。
「……いや、山本司令長官はキルバードへの強襲はパヌアツを手薄にさせる為の揺動だとお考えだ、以って我が第十三艦隊はパヌアツの守りからは外せないと仰せだ」
「……確かに、その可能性は有りますが……。 しかしキルバードが陥落し、それによってトーラクまでもが落ちる様な事になれば、今度は我々が補給線を寸断されます!!」
「ああ、山本司令長官もそれを懸念されている、故に……武蔵を第七艦隊に編入させ同艦隊をキルバード諸島に派遣するおつもりらしい」
「な……っ!? 姉妹艦を分けて運用すると? 本気ですか!?」
東郷の言葉に正宗は眉を顰め怪訝な表情を隠す事無く苦言を呈した。
通常、戦艦は姉妹艦と同じ艦隊で運用される事が殆どで有り、加えて大和と武蔵には連動射撃と言う強みがある筈であった。
それを態々分けて運用すると言うのは普通に考えれば愚策としか言い様が無いが……。
「うむ、戦術長の疑念も分かる……。 だがこれは第七艦隊司令の、栗田中将たっての希望なのだ……浮沈艦は一つの艦隊に2隻も要らんだろう、とな……」
「それは……っ!」
正宗は異を唱えようとして言葉に詰まる、栗田司令の言にも一理あると思い立ったからである。
現状、大和型戦艦は無敵に近い、1隻だけでもその存在感は圧倒的で有り米国に膨大な戦力的負担を強いる事が出来る。
ならば大和と武蔵を分けて要衝に配置し睨みを利かせる事は効果的だと言えるかも知れない、と。
「どの道連合艦隊司令部からの指令は出ているのだ、我々がどうこう言える問題では無いだろう」
熟考する正宗を横目に十柄が呆れた様な表情で言った、嫌味な言い方だが確かにその通りでは有るため正宗は諦めた様に溜息を吐く。
「うむ、これは決定事項だ。 だがサモラ諸島に米艦隊が集結しつつあると言う情報も入って来ている、若しパヌアツへの本格侵攻が有れば、この大和が艦隊の盾と成り剣と成り敵を撃滅せねばなるまい、皆覚悟して任務に臨んで欲しい」
東郷が眼光鋭く威厳ある声でそう言うと、その場の全員の表情が引き締まる。
武蔵が離れる以上、この大和が艦隊の命運を背負い戦わねばならない、それが浮沈艦と呼ばれるこの艦の使命であると皆が決意していた。
「……覚悟と言っても、この艦は浮沈艦なんだから命の危険は無いよね? ね? 大丈夫なんだよね?」
「この艦は旗艦なのだから、あまり前に出ず後方から指揮に専念した方が良いかも知れない……」
「そもそも、どうせ指揮は東郷艦長が執るのだから儂ら地上勤務の配置が良いのでは?」
……三爺を除いて……。
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1943年11月20日11時30分、戦艦武蔵は第七艦隊と合流する為、単艦ソロン諸島へ向けて出港した。
正宗と戸高、そして斑目は去り行く武蔵の姿を眺めながら静かに敬礼し柴村の武運長久を祈る。
そして武蔵からも柴村が大和と信濃に向けて敬礼し、同期の武運長久を祈った。
だがこの時、パヌアツから東に2200km離れたサモラ諸島では、スプルーアンス提督率いる米第51特務部隊がモンタナ級戦艦6隻を引き連れ、400隻規模の大部隊を編成し集結しつつあった……。




