第百十四話:キルバード沖海戦④
行く手を阻む数多の砲火に晒されながら巨大巡洋艦に向かって猛然と突き進む日輪駆逐艦敷波。
その左側背遠方より駆逐艦時雨と涼風が探照灯照射と主砲による援護射撃を行っている。
とは言え最大速力によって揺れる砲身から放つ砲弾は米大型巡洋艦に掠りもしていないが……。
米大型巡洋艦も猛然と突っ込んで来ている敷波に警戒心を全てを注ぎ、主砲副砲全ての砲門を以って砲撃しているがあまり多くの至近弾は与えられておらず、砲撃のリズムも何処かぎこちない。
恐らくは新造艦にありがちな不具合か練度の低さによる不備によるものなのだろう。
それらは日輪駆逐艦にとっては好都合で有り、敷波はぐんぐんと米大型巡洋艦へと迫る。
そして距離6,000mを切った所で急激に面舵を切る敷波。
左舷側を晒し2基の四連装魚雷発射管の照準を米大型巡洋艦に合わせる。
満を持して水雷長が発射指示を出そうとしたその時、敷波の艦首が爆ぜた。
それは米大型巡洋艦では無く、視界外の米戦艦からの砲撃が命中したものであった。
正面から戦艦の砲弾を真面に受けた敷波の艦首は無惨に大破し、爆発の衝撃によって一番主砲塔基部が歪み一番主砲が使用不能となった。
更に外殻の亀裂は喫水線下にまで及び大量の海水が艦首に流れ込んでいる。
だが敷波の水雷長は臆する事無く声高々に魚雷の発射を下令する。
その命令に従って敷波の甲板上から投下された8本の魚雷は扇状に広がりながら米大型巡洋艦に向かって行った。
更に敷波は残された2基の主砲で砲撃を敢行するが、この時既に艦首から沈み始めていた。
米大型巡洋艦は敷波の魚雷発射直後、大きく取り舵を切り回避運動に入っている。
日輪海軍の誇る九五式酸素魚雷は目視で確認する事は困難で有るが、この時期の米海軍のソナーの性能は飛躍的に向上しており、魚雷の落水音と推進音を聴知し早期に回避運動を取る事が出来た。
だが、早期に回避運動を取れる事と上手く魚雷を躱せる事は別であった様で、最後尾に展開していた一隻から2本の巨大な水柱が立ち上がる。
更に魚雷への回避運動を行なった結果、米大型巡洋艦と敷波の距離は4,000m程にまで接近し、米戦艦部隊は味方への誤射を恐れて砲撃を停止する事となった。
敷波は損傷した艦体を押して至近距離で砲撃を加える。
それによって何発かの命中弾を受けた米大型巡洋艦も各個反撃に転じ、今度は敷波が数発の直撃弾を受ける事になってしまう。
それが致命傷となり、敷波は鈍い金属音を響かせながら左に横転し暗き海底に没していった……。
だが僚艦2隻、即ち時雨と涼風はこの隙に米大型巡洋艦の脇を突破し、脱兎の如くマーセルに向けて走り去ろうとしていた。
間近の脅威(敷波)を排除した米大型巡洋艦は主砲を右に旋回させ、レーダーのデータリンクに従いその砲身を姿の見えない日輪駆逐艦に向ける。
そして4基12門×3の砲身が一斉に火を吹き、逃げる日輪駆逐艦の周囲に砲弾の雨を降らせ始めた。
「ちっ! 不規則に蛇行しろ、狙いを定めさせるな!!」
砲声と共に周囲に立ち上がる水柱、その間を掻い潜る様に蛇行しながら疾走する時雨と涼風。
米大型巡洋艦の練度故か不具合なのか、相変わらず集弾性能と射撃のリズムは悪いままであり、それ故に日輪駆逐艦に命中弾や至近弾は無く徐々に米大型巡洋艦との距離が開いて来ていた。
だが砲撃の有効射程圏外にはまだまだ遠く状況は決して良いとは言えなかった。
「ここでまた待ち伏せとかは御勘弁願いたいですな!」
「洒落にならんから冗談でも止めてくれ、だが警戒はしておけよ!」
激しく揺れる艦橋内で時雨艦長で有る西野とその航海長が口角を上げながらこんな遣り取りをしているが、その目は全く笑ってはおらず、鋭く前方を睨んでいる。
見張り員からの報告で僚艦の涼風は時雨の右舷2,600mを航行しているらしいが、双眼鏡を覗いている訳でもない西野からは確認出来なかった。
だが突如漆黒の海原に砲声とは明らかに違う爆音が轟き、時雨の右舷側の海原に一点の灯りが灯る。
「今の爆発音とあの火は何かっ!?」
西野は咄嗟にそう声を張り上げるが、状況的に分かり切っている事であった……。
「涼風被弾っ!! 轟沈の模様っ!!」
部下から辛そうな声で報告が上がって来る、それは西野の想定していた通りの内容であり驚く様子も無く、歯噛みしながら只一言「そうか……」と呟いた。
とうとうこの時雨が第五艦隊唯一の艦となってしまった。
その強運か或いは悪運に、西野は只々険しい表情で眼前の海原を睨んでいる。
そして時雨は振り返る事無く只管疾った。
砲弾の雨と立ち上がる水柱を掻い潜り、漆黒の海原をただ只管に疾った……。
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どのくらい疾ったのか、どのくらい経ったのか、気付けば砲声は聞こえなくなり砲弾の雨も止んでいた。
周囲を見渡すと東の空が白み、日の出が近い事を告げていた。
「周囲には艦影も機影も見当たりません、一先ずは逃げ切れたと見て良いでしょう……」
「ふむ、速力30ktに減速、対空対潜警戒は厳としたまま第一戦闘配備は解除、各自交代で休息を摂れ!」
西野艦長の指示で艦内の総員配置が解かれ配置要員の三分の一が休息に入る。
まだ安心するには早い位置では有るが、数時間に渡って極限の集中力を要求され続けた乗員達には敵襲の可能性が残っているからこそ最高の能力を発揮し続けられる様に休息が必要なのだ。
夜が明ければ視界も開け敵を発見し易くなるし敵に発見され易くもなる、故に休める時に休む事も用兵の基本である。
「珈琲をお持ちしました、どうぞ」
「おお、すまんな」
総員配置が解かれた暫く後、下士官が艦長達に淹れたての珈琲を持参する、それを西野以下幹部達が嬉しそうに受け取ると一口飲んで僅かに頬を緩ませる。
「……本当に、時雨以外は皆沈んでしまったのですな……」
珈琲を飲み干した副長が何もない周囲の海原を見渡しながらボソリとそう言った、その言葉に航海長や砲雷長達も辛そうに俯く。
「……最終的に離脱の決断をしたのは艦長であるこの西野だ、諸君等は何ら恥じる事無くこのまま職務を全うして欲しい」
「か、艦長、それは……」
西野艦長の言葉に副長が言い淀む。
唯一の生き残り、それは良く言えば幸運だろうが悪く言えば臆病と誹られる……。
副長と砲雷長が玉砕を主張したのも、生きて誹りを受ける事を恐れての事で有った。
だからこそ西野艦長の言葉に副長は掛ける言葉が続かなかった。
西野を責めている訳では無いが、矢張り友軍と共に玉砕して置けば良かったと内心思っているからである。
それは離脱を進言した航海長も同じ気持ちで有り或いは西野もそうかも知れない。
何隻かの僚艦と共に離脱出来ていれば 誹りも分散されるだろうが、只一隻生き残ったでは全ての誹りを一身に受けてしまう。
無論、艦隊司令の指示によって転進(離脱)したのであるから軍規には何ら抵触はしていないし、何らかの問題は有るならば、その責任は下令した艦隊司令である近藤に有るだろう。
しかし問題は沈んだ艦の遺族や親族友人達の ” 感情 ” であり、そう言った者達は理屈より感情を優先させ、生き残りを” 幸運 ” とは見做さない場合が多い。
そして関東軍の暴走でも分かる様に、日輪人は理屈よりも感情を重視する傾向にあり、それは日輪特有の美徳を生み出すが、転じて悪しき風習の温床とも成り得ている。
即ち軍規や道理がどうあれ、唯一生き残ってしまった時雨への風当たりは相当強いものになるであろう事が予想されるのである……。
◇ ◇ ◇
某日
某海域
某艦内
「支えが足りん、水圧に負けるぞ!!」
「もっと木材を持って来いっ!!」
「排水ポンプはどうなっているっ!?」
「いま(排水)ホースを運搬中だ!!」
通路が膝上まで浸水している艦内で応急班と思われる乗員達が木材やゴム材などを使って外殻からの浸水を懸命に食い止めようとしている。
通路は突っ張り棒にされた木材と浸水した海水によって通行が困難となっており、その脇を太いホースを持った応急班員達が木材を掻い潜り海水の重みに抵抗しながらやって来る。
その艦は至る所に砲撃による損傷が見受けられ艦体は右に傾き、艦尾の先は甲板まで水没している。
艦の右側には木々が鬱蒼と生い茂る無人島らしき島が有り、短艇が艦と島を行き来している様子が見て取れる。
その小島から持ち出したと思われる木の枝や草が艦の上部建造物や砲塔に取り付けられており、どうやら島に偽装しようとしているらしかった。
「舵と主機の進捗はどうか?」
「は、浸水した主機室へと続く通路の確保に全力を尽くしている所です、操舵装置は損傷区画が水没している為に確認すらままならない状態でして、先ずは艦内の海水をどうにか致しませんと如何にも……」
艦長からの質問に船務長が神妙な面持ちで報告書を読み上げる、その内容はつまり ” 復旧の目途は立たず ” と言う事であった。
現在この艦、日輪帝国海軍重巡洋艦青葉は ” 漂流中 ” であった。
先ず、操舵装置の破損により舵が ” 殆ど ” 効かない、殆どと言うのは両舷推進機と艦首側面推進機を駆使し僅かに進路を変える事は可能であるからだ。
その方法によって何とか米戦艦部隊に単艦突撃と言う玉砕不可避の状況を回避する事が出来た。
そのままマーセルに向かえれば良かったのだろうが、米駆逐艦との戦闘によって各種電探類が全損し、米駆逐艦2隻は撃破したものの、死に際の敵が放った魚雷1本が右舷に命中してしまう。
電探を失って以後は目視によって周囲警戒を行い、不確かだろうが誤認だろうが敵の可能性が有るなら兎に角逃げた、浸水と格闘しながら全速力(36ktに低下)で逃亡し何とか敵の影響範囲からは逃れられたものの逃走の際の混乱によって自艦の正確な位置情報を失ってしまう。
更に追い打ちを掛ける様に航行速度による水圧によって破孔部からの浸水が深刻化し残りの主機室も浸水し停止してしまった。
そのため現在は予備動力への緊急接続によって推力を確保しているが、その最大速力は2kt程度しか発揮出来ず、精々姿勢制御を行うので精一杯であった。
通信設備も長距離無線は電探と共に死んでおり近距離無線が何とか使える程度となっている。
もっとも何処に敵が潜んで居るか分からない此の状況で電波を発信する訳にはいかない為、設備が生きてようが死んでようが使えない事には変わりない。
つまり現状青葉は、動く事も助けを呼ぶ事も出来ず艦を地道に修理しながら糧食を節約し無人島で食料を調達する生活を余儀なくされている状態、と言う事であった。
幸い予備動力によって艦内の電力は生きており、海水ろ過装置によって真水の確保は出来る為、飲み水には困らない。
蒼燐の動力は通常電力として使う分には青葉の残動力でも数年は持つので目下の不安要素は食料と医薬品、そして何より生きて日輪に帰れるのかと言う事になるだろう。
とは言え、青葉乗員の規律は高く保たれていた、文明の灯である電気が使えると言う事も大きいのだろうが、何より陸地が近くに有ると言う事が心理的な安心感を与えているのだろう。
その為、青葉艦長は乗員達に交代で島の探索を行わせていた、これは生命線である無人島の全容を知る為でも有るが、乗員達の気晴らしも兼ねている。
青葉の艦橋には二番主砲塔と同じ高さの前方に迫り出している部分が有る、これは青葉型の設計の元である古鷹型に置いて、且つて山形の主砲配置を取っていた名残で青葉型の二番主砲塔と艦橋の間にも不自然な ” 空白 ” が存在していた。
それを見た当時の造船中将が『歯抜けに見え見栄えが悪い』と言う理由で艦橋前部を増設させた物であり、内部は戦闘指揮所が拡張され、天板部分には機銃が2基備えられている。
この発想は三番主砲塔を失った摩耶に踏襲され最新の回転式多銃身砲が増設されたが、本艦に設置されているのは当時のままの30mm連装機銃であった。
その機銃座の前に在り、2基の主砲塔を望みながら手すりに身を寄せる青葉艦長は晴れ渡る蒼空を見上げ僅かに溜息を吐く。
「さて、我々が戻るのが先か戦争が終わるのが先か、何方にせよ前途は多難だな……」
その青葉艦長の呟きは、爽やかな蒼空の風に掻き消された……。




