第百八話:鋼鯨の回遊
1943年8月20日 09時30分
夢島群島人口洞窟潜水艦基地
伊号901潜 戦闘指揮所
「各科総員配置確認!」
「各科総員配置ヨシ!」
「動力軸接続!!」
「動力軸接続ヨーソロ!」
「各駆動部確認!」
「各駆動に問題無し!」
「錨上げ!」
「錨上げヨーソロ!」
全長384mの巨躯を誇る伊号901潜の艦内では乗組員達が別所司令の指示の下、忙しなく動き回っている。
艦の中枢に備えられる蒼燐核動力炉に動力軸が接続され、畜力機で節電稼働していた機器に強い光が灯って行く。
「よし、全艦、重力潜航用意! 重力制御装置に動力接続!」
「重力制御装置に動力接続ヨーソロ! 接続後、動力回路開きます!」
「重力制御装置に動力伝達開始!」
「重力制御装置の全回路異常無し!」
「重力制御装置、起動します!」
伊号901潜の戦闘指揮所内では粛々と潜航準備が行われ、その様子を木手技術少将が満足げに見ている。
が、然し、彼等の発している単語は通常の潜水艦の潜航とは全く異なるもので有った。
それはつまり、伊号901潜の潜航能力は大和にも搭載されていた重力制御によるものだと言う事である。
「よし、重力潜航開始!」
別所司令が力強く指示を出すと、中枢に備わっている重力制御装置の駆動音が高鳴り伊号901潜はゆっくりとその巨躯を海中に沈めて行く。
「バラストタンクを使わずに潜航するとか、未だに如何言う理屈なのか分かりませんな……」
皆が緊張の面持ちの中、そう発言したのは別所の副官であった。
彼は未だに慣れない潜航方法での緊張を少しでも和らげる為に軽口として発言したのだが、自分の背後にこの艦を造った第六技研の所長代行が居る事を考えるべきであった……。
「ほほぅ? 重力制御の理論を知りたい、と!?」
「へ? あ、いや、自分は……」
「宜しい! 不肖この木手が懇切丁寧に説明しよう!!」
「あ、その……別に……」
「重力制御装置は、正式名称『蒼子転移型量子重力場制御装置』と言い、その基礎理論はグラビトン反応制御モジュールに基づいて量子重力場を操作し、物体の質量と距離に応じて重力を調整する、具体的にはハドロン共鳴状態を生成し、蒼子と重力子の相互作用を制御する訳だ! これにより重力場を操作し理論上は物体を浮遊させたり引力を増減させたりすることが出来ると言う事だよ、分かったかね?」
「……」
「……」
「あ、ああ、まぁアレだ、天性の才を持つ者だけが到達出来る境地で有り素晴らしい技術だと言う事は分かったとも! なっ?」
興奮気味に意気揚々と技術理論を語る木手に副官と参謀達は目が点となり固まってしまった、已む無く別所がフォローに入り部下達に同意を促すと、全員が首振り人形の様にコクコクと頷く。
当然だが別所も重力潜航の理屈を100%理解している訳では無い。
重力潜航は簡単に言えば艦の重量を増減し潜航と浮上を行うもので利点は従来の潜航(注水潜航)よりも早く静かに潜水が可能な点で、欠点は非常に燃費が悪いと言う点であろう。
その為、現状は蒼燐核動力炉搭載艦以外では実用的では無い。
また理論上は空中浮遊も不可能では無いとされているが、重力制御装置に甚大な負荷が掛かる事と、仮に浮遊した所で姿勢制御の問題が解決出来ていない為、実用化には至っていない。
「潜航深度150に到達、各部異常無し!」
伊901の安全深度は理論上12000m程とされており、深度150mどころか深度1000mでも僅かな軋みすら発生しない事が確認されている。
それでも確認作業を怠ら無いのが日輪帝国海軍の水準の高さを物語っていた。
「無音航行、両舷微速!」
「無音航行、両舷微速よ〜そろ!」
伊901は水上速力60kt、水中速力80ktを発揮する2基の主推進機が備えられているが水上艦とは違い噴射光が漏れない構造となっている、更にその静音性能は伊200型より優れており20ktまでは無音航行が可能で50ktまでは静音航行が可能となっている。
反面燃費の悪さは凄まじく重力制御装置同様蒼燐核動力炉搭載艦以外では実用的では無い。
「境域探信音放て!」
別所の指示でゆっくりと海中を移動する伊901より《コーン》と言う狭域探信儀の探信音が発せられ、戦闘指揮所では乗組員達が緊張した面持ちで探信儀のモニターを凝視している。
そこには探信音の反響によって洞窟の岩盤の形状が映し出されており、その情報を元に伊901潜は舵を取っている。
「進路深度そのまま」
「進路深度そのままヨーソロ!」
「水門通過!」
伊901の巨体はゆっくりと海中を微速で前進し水門を抜ける、遣迎艦としてゲルマニアまでの往路の長期航海を経た乗組員達も、伊901の巨体が特殊な地形にある水門を通過するには神経を尖らせる。
その難関である水門を抜けた瞬間、別所を始めとする艦橋要員達の口から安堵の吐息が漏れた。
「そろそろ良いか、聴音手、周囲に艦船の感は有るか?」
「…………付近に艦船の感無し!」
水門を抜けて少し経った頃、別所は聴音手に周囲のソナー探知を行わせる、視認や電探による探知を行えない海中の潜水艦は、音によってしか全ての情報を得る術が無い、従って海中や海上の様子を探るには基本的に聴音手の耳に頼るしかないのである。
探信儀の探信音によって探知する事も可能では有るが、それは万が一潜んで居るかもしれない敵に自艦の位置を知らせる行為であり、味方しか居なかったとしても探信音を受けた側は大騒ぎになるから余程の緊急事態でも無ければ推奨されない方法である。
因みに水門前で使った探信音は効果範囲を自艦周辺に絞った狭域探信儀の物であるため問題は無い。
「よし、潜望鏡深度まで浮上せよ!」
「潜望鏡深度まで浮上ヨーソロ!」
別所の指示で伊901はゆっくりと海面間近まで浮上し、そこからは更に慎重に浮上し艦橋の一部だけを海面から露頂させる。
こうする事で伊901は漸く視覚と電探を頼りに航行する事が出来る様になった、無論これは日輪勢力圏内で制空制海権を掌握しているからこそ可能な事である。
ここから伊901潜は約2日を掛けて浜須賀に向かう事になる、本来なら数時間程で到着する距離だが、他国の人間を乗せている事から航行時間で人口洞窟潜水艦基地の位置を予測されない様にする為の軍規に則った行動である。
「総員配置を第三種配備に移行、但し各監視網は厳とせよ!」
別所から総員配置が解かれ何名かの艦橋要員達は敬礼した後、退出していく。
艦内でも自室に戻る者や食堂に向かう者、風呂に入りに行く者などの往来が活発になる。
そして、その中には元実験体のウルキア人達の姿も有った。
彼等彼女等は住居区画に限り自由に食堂や風呂などの施設を利用する事を許可されている。
欺瞞とは言え実際に2日も航海するのだから、その間ずっと部屋に閉じ込める訳には行かないとの別所の判断であった。
基地にいた頃は警戒心の抜け切らなかったウルキア人達も日輪人の親切で丁寧な対応に殆どの者は心を開いており、子供達も色々と世話をしてくれる衛生班の看護婦(女性看護師)達に懐いている。
「浜須賀に着いた後、ウルキア人達はどうなるのでしょうな?」
艦内の食堂に食事を摂りに来ていた木手がカレーを美味しそうに頬張る子供達を見ながら向いに座る別所に問う。
「木手技術少将、君は河豚計画を知っているか?」
「……確か30年代に発案されたウルキア難民の天洲国乃至龍海への移住計画ですな。 しかし日迎伊三国軍事同盟の締結や国内外の情勢変化によって実現性が無くなり頓挫したと記憶しております」
「うむ、計画の中核はヨーロッパ諸国のウルキア人に対して天洲国や龍海への移住を勧めるようコメリアを介して説得しようとした。その目的はウルキア人の経済力の恩恵を日輪が享受する事、つまり日輪に資本を投資させる事、だったがな……。 だが日迎同盟を重視する松岡外相等の反対と国際情勢の変化によって実現不可能となってしまった計画だ、然し、現在その河豚計画を基礎としたウルキア人自治区の整備計画が挙がっていてな、それが樋口陸軍中将主導の『海豚計画』だ!」
そう別所が不敵に口角を上げ言い放ったところで配膳係が二人分のカレーを運んで来る。
「おお、あの樋口閣下主導の計画とは! ……しかし河豚の次は海豚、ですか?」
別所の言葉に木手は感嘆しながらもその名称にやや疑問を呈する。
「ははは、まぁそう言うな、河豚計画とは『ウルキア人の受け入れは日輪にとって非常に有益だが一歩間違えば破滅の引き金ともなり得る、以って美味だが猛毒を持つ河豚を料理するようなものだ』と発案者が語った事に由来する物だ、発案理由を含めて決して好意的な名称では無い事が分かるだろう? 故に好意的に伝える為の我らが海の友たる海豚、と言う訳だ!」
別所は運ばれて来たカレーにスプーンを指しながら楽し気に言う、それに木手は苦笑するしか無かった。
「それで、具体的にはどう言った内容なので?」
「うむ、私も詳しくは知らされておらんが、基礎部分は変わらん筈だから当初の計画通り天洲国内か龍海租界を整備拠点として考えていると思う、とは言え元ハルベン特務機関長であった樋口中将が陣頭指揮を執っているのだから恐らくは天洲国内になるだろうな、その上で人道支援を至上命題としてウルキア人保護の為に動く、と言った所らしい」
「おお、樋口中将らしい方針ですな、それならばあの子等の行く末は明るいと考えて良いでしょう、安心しました」
「うむ、だがその明るい未来を確実にする為にも、この戦争の一刻も早い終結を実現せねばな」
「確かに、その通りですな……」
そう言うと二人は真剣な表情で頷き合う、カレーを掬ったスプーンを持ったまま……。
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8月22日 10時40分
皇京湾浜須賀軍港
二日間の航海を経て伊号901潜は目的地の浜須賀軍港の入口である皇京湾に差し掛かっていた。
普段であれば多数の軍艦や民間船が行き交う皇京湾の出入り口には殆ど船の往来は見当たらず、海面へ浮上しその姿を蒼空の下に晒した伊号901潜は悠々と湾内を航行している。
これは秘匿兵器である伊号901潜の入港の為に浜須賀鎮守府が港湾施設に戒厳令を敷いた為であった。
「おお、戦艦三笠が見えてきましたな!」
「うむ、いつ見ても優雅な艦容だ」
伊901の艦橋頭頂部に立つ別所と木手が皇京湾の海風を受けながら左舷側に見える全長200m級の旧式戦艦を見て感嘆する。
その戦艦三笠は日露戦争時の聯合艦隊総旗艦であり、東郷京八郎元帥の座乗艦として日輪海海戦を戦い、大日輪帝国を滅亡の危機から救った救国の英雄艦である。
姉妹艦の朝日と敷島は工作艦に改装され現役で就役しているが、三笠は記念艦として当時の姿を残したまま、皇京湾を通る船を見守る様に浜須賀の東側に係留されている。
全長は220m、全幅は36mで35㎝連装砲を前後に背負い式で4基備え速力は35ktを発揮した、大きさや武装では現代の戦艦とは比べるべくも無いが、それでも威風堂々帝都の入口を見守る三笠の存在感は今だ健在で有り決して色褪せてはいない。
そんな三笠に別所と木手は敬礼を捧げ伊901潜は浜須賀軍港へと舵を取る。
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「む、あれはゲイル軍のUボート……な、何だアレはっ!?」
木手は浜須賀軍港の港湾に停泊している2隻のゲイル軍Uボートを見付け怪訝な表情をするが、更にその奥に巨大な潜水艦を発見し驚愕する。
然も有ろう、その巨大潜水艦は伊号901潜と比べても遜色ない全長で有った。
「ほう、どうやらゲイルも巨大潜水艦を建造していたようだな、態々浜須賀に寄越したのは本艦に驚かされた事に対する意趣返しか、自尊心の高いヒドゥラーらしい事だ」
ゲイルの巨大潜水艦を見て、伊900型がダントツの巨大潜水艦だと自負していた木手は愕然と固まっていたが、別所は不敵な笑みを浮かべ鼻で笑う。
遣迎作戦で旧フランジアス領ブレストンに寄港した伊号901潜を見たゲイル兵達は非常に驚いていた、別所達を出迎えたブレストン市総督(ゲイル国防陸軍大将)も顔が引きつっていた為、ヒドゥラー総統に報告した可能背が高い。
そうなれば自身の著書で日輪人を『三等人種』と記していた(和訳版では削除)ヒドゥラーの自尊心が傷付けられた事だろう。
だからこそ本来なら秘匿兵器である巨大潜水艦を極東にまで送り込んだのだと思われる。
「矢張り流石は大迎第三帝国と言わざるを得ませんな……。 しかし、乗って来たのは恐らくゲイル技術団の後発隊でしょうが、何とも間の悪い事で……」
「うむ、潜水艦基地で貴官と揉めたSSの連中も合流しているで有ろうから鉢合わせは避けねばな、まぁそれは古賀司令(浜須賀鎮守府司令)も分かっておられるだろうから上手く調整して下さっている事だろう」
「是非そう有って欲しいですな、あの能面のような顔の連中とは二度と会いたくはありませんので……」
木手は腰に手を当てうんざりした表情で頭を振る、その様子を見て別所は快活に笑った。
その笑い声を乗せ伊901は港湾管制の指示のままゲイル艦から最も遠い埠頭へ向けて進んで行った。
~~登場兵器解説~~
◆伊号900型潜水艦
全長:384 m
艦幅:42 m
速力:水上60kt / 水中80kt
(静音航行50kt / 無音航行20kt)
潜航深度:12000m
兵装:前部100cm魚雷発射管8基
後部80cm魚雷発射管4基
大型垂直噴進弾発射装置16基
四連装垂直噴進弾発射装置20基
装備:蒼子転移型量子重力場制御装置
指向性蒼子波通信装置
境域音波通信装置
範囲指向型探信儀
外郭装甲:410㎜零式相転移装甲
内殻防御:耐圧式空間防御機構
主機関:ロ号艦本九九式乙型蒼燐核動力炉1基
副機関:ハ号艦本零式蒼燐蓄力炉2基
推進機:零式特三型蒼燐噴進機 2基
概要:艦政本部第六技研が設計開発した超特型潜水艦、開発概念は単純な最強潜水艦である。
その為、伊400型(潜水空母)や伊500型(砲撃型潜水艦)の特異性は全く継承せずに削除され、伊200型(高速型)や伊300型(旗艦型)、伊600型(攻撃型)の特性は踏襲され且つ戦略潜水艦としての能力を追加されており概念通り純粋な潜水艦として設計されいる。
しかし結局は八刀神景光の作品である以上特異な点は存在し、それが蒼子転移型量子重力場制御装置による重力潜航能力である。
これは従来の注水潜航より潜航と浮上が容易に且つ素早く実行する事が出来、本艦の機動性を著しく向上させている、だがその反面、重力制御装置の稼働には莫大なエネルギーが必要で有る為、運用するにあたり蒼燐核動力炉の搭載は必須となっている。




